内 輪   第413回

大野万紀


 先月は年末でパスしたので2ヶ月ぶりに梅田例会へ参加したら、いつも行くMARUZENジュンク堂がまた改装中。売り場レイアウトが大きく変わり、コミックス売り場は縮小して芸術書と合体し、今まで別の階だった単行本売り場が文庫・新書売り場と合体していました。全体に品揃えが減っていて、これが改装中の一時的なものであればいいのだけれど。5階6階は工事中で立入禁止。もしかしたら別のテナントが入るのかも。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


宮内悠介『国家を作った男』 講談社

 2024年2月の本だがようやく読み始めた。小説現代など主に一般誌に掲載されたジャンル的でない13編と個々の作品の来歴について書かれたあとがきが収録されている。

 「ジャンク」は秋葉原の小さなジャンク屋を舞台にしたノスタルジー溢れるお仕事小説。親子の関係にはほんのりと心温まるものがある。
 主人公はビジネスシステムの開発をしていた普通のプログラマーだがパワハラにあって体調を崩し、会社を辞め、実家に帰って父親のジャンク屋を手伝うことになる。このジャンク屋の雰囲気がいい。昔はこういう店がひっそりと普通の街中にもあったなあ。
 主人公が子どものころは小さな店ながら腕に自信のある父親がはりきって経営していたのだが、会社を辞めて帰って見るとずいぶんと寂れてしまっている。ちょっと部品を交換して修理するといったことが難しい時代となり、父は自信を失って昔と変わってしまったのだ。とはいえいつも何かを買ってはまた売りに来るような常連の客もいる。何とか続けていこうという気持ちもあるのだが、店に来た男たちがここをラーメン屋にして貸し出そうとしていると聞き、それも仕方がないかとも思う。そんな時にかつての同僚が古いMSXマシンのゲームプログラムを作ってコンテストに出そうとしているというメールが届き、さらに常連客と話をしたことで主人公の気持ちは揺れ動く……。
 MSXのゲーム開発など実際に著者が(趣味で)やっていることだ。前向きで希望の出る結末といい、とても心に染み入る話だった。

 「料理魔事件」はユーモラスなミステリ。ほとんど事件もない平和な町で、留守宅に侵入し、冷蔵庫にあるもので料理を作ってそのまま姿を消すという奇妙な料理魔事件が頻発する。おまけにその料理がおいしいと評判になるのだ。
 やる気のなさそうな中年男性の警部と、幼いころニューヨークの警察官のカッコいい姿をみて警察に憧れた女性警部補のコンビがこの謎に挑む。挑むというか、ダラダラと聞き取りを続けるだけだが。
 ようやく容疑者らしき2名が浮かぶ。だがそんな時殺人事件が発生する。それも人を殺した部屋に作りたての料理を残したまま。これも料理魔の仕業なのか。
 捜査する警部と警部補のコンビがいい。やる気のないダメ警部と見えたオッサンが実はできる人だったとか、ありがちだけど基本でしょう。面白かった。

 「PS41」はもともとエッセイとして書かれたという自伝的な小品。PS41というのはニューヨークの公立学校41という小学校の名前で、「ぼく」が通っていた学校だ。その思い出話をつづった、確かにエッセイといって間違いない作品である。だが同時にそれは子どものころをニューヨークで暮らした少年のとまどいや成長を描く小説でもあるのだ。

 「パニック ――一九六五年のSNS」は『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー』にも収録された改変歴史SF。
 1965年に日本で当時の大型コンピュータをホストにして電話回線を使った「ピーガー」式のテキスト掲示板が一般に普及していたという歴史線だ。当時の磁気ディスクの容量からカナのみの短文ですぐに消去されるというのがそれっぽい。日本で実際にパソコン通信が普及したのは1980年代半ばだからその20年近く前に似たようなものがあったらとするのだ。さらにホストを経営しているのが国で、国民の多くがそこにつながっている。形態的には今のインターネットのSNSに近い形となっていて、パソコン通信というよりフランスのミニテルがより近いかも知れない。
 そしてこの「ピーガー」で炎上騒ぎが起こった。それも開高健のベトナム戦争取材を発端として。実際、1965年2月にアメリカ軍に従軍してベトナム戦争を取材中の開高健はベトコンに包囲され、200人中生還したのは17人という悲惨な戦闘に遭遇した。それが「ピーガー」で「ヒトニ メイワク カケルナ」「バイメイコウイ」そして「ジコセキニン」のオンパレードとなる。これがウェブ史上最初の炎上事件だというのだ。
 物語は現在の時点でその炎上事件を調査しようとする主人公が資料に当たり、当時の生き残りに聞き取りをしていくルポルタージュとして描かれる。岸信介や鳩山一郎、そして三島由紀夫の描かれ方が面白い。ウェブの炎上が開高健の小説「パニック」にある、一匹だと利口であるはずの鼠が集団だと狂気に陥るという記述を連想させるというのも興味深い。また自分も「ピーガー」をやるようになった開高健が「カイコウ デス ナニカ キキタイコト アル?」というひと言から始めたというのは笑えた(昔ネットではやった言い回しです)。

 「国歌を作った男」は表題作で、後の『ラウリ・クースクを探して』につながる黎明期のオンラインゲームのプログラムを作り上げていった男の物語。フィクションだが、モデルはあるのかも知れない。実際に変人と呼ばれた若いコンピュータおたく(ナード)の話はよく聞く。「国歌」というのは彼の作ったゲームの音楽で、それがマニアの間で国歌と呼ばれるほどの人気を得たのだ。
 物語はこれも現代の視点から彼の軌跡をたどっていくジャーナリストの手記となっている。
 ジョン・アイヴァネンコは1978年にニューヨークでウクライナ移民の息子として生まれ、幼稚園ですでに簡単なプログラムを覚えるという才能を示した。学校に通いコンピュータ雑誌にゲームのプログラムを投稿するようになる。そのゲームに(当時はピコピコの三音しか使えないが)自分で音楽をつけたいと思い、級友のレイチェルに教えを乞う。そこで生まれた音楽が後に彼の名を有名にするのだ。高校を卒業してすぐに友人と二人でゲーム会社を起業する。ブルックリンの倉庫で5人ほどのメンバーでオンラインRPGゲーム『ヴィハーラ・オンライン』を開発し、1997年にリリース。高い評判を得て、彼は有名になったが、その2年後、自宅で何者かに射殺された。
 手記の筆者はジョンがアメリカという幻想の賛歌を書き、それゆえジョンの曲は、正しく国歌であったのだと結ぶ。ゲームの内容については人気の高いオンラインRPGゲームであったという以外ほとんど言及はなく、ジョンの人となりについても断片的な記述に留まっている。その代わりここで描かれているのは前世紀の終わりのアメリカで生きたあるナードの記録という小さな物語であり、だがそこには必然的に教育、人種、政治、戦争といった大きなものが関わってくるのである。

 「死と割り算」はショートショート(フラッシュフィクションというらしい)。
 メイン州のある平和な町で殺人事件が起こる。そこには「御名の第一の文字は語られた」という謎の文字が残されていた。犯人はわからず迷宮入りするが、事件が忘れられた頃に次の事件が発生。今度は「御名の第二の文字は語られた」という文字が。そして第三の事件が発生し……。結末のオチはちょっとそれでいいのかと思ってしまうが、うーん、SFなのかも知れない。

 「国境の子」は家族の物語である。主人公のぼくは戸籍上の父がいない子として対馬で生まれた。母は民宿で働いていて、父はその民宿の韓国人従業員だったと噂されている。ぼく自身もそうだろうと思っている。
 主人公は祖父母と母との4人で暮らしており、子どもの頃から図形に興味があって三角形や四角形の図形ばかり描いていた。「韓国さん」とあだ名をつけられ、ちょっと変わっていると言われても母は「この子はこういう子やけん!」とかばってくれた。
 高校に入って本土へ渡り、プロダクトデザイナーの道を目指し、工学部を出て東京の中小企業に就職した。人とのコミュニケーションは苦手だが、仕事はそれなりに面白く、仲のいい同僚もできた。AIに仕事を奪われるかと思って選んだ職場だが、AIを使いたいと思った時には費用的に無理だとわかって苦笑する。
 そんな時、母が入院したと連絡があり休みを取って島に帰省する。意外に元気そうだった母だが、病院のベッドで父の住所と電話番号を教えてくれる。釜山だった。対馬からはフェリーですぐだ。ぼくは父に会いに行く。そして……。
 これまたほんのりと心温まる物語である。ぼくにとって、母にとって、そして父にとって、会社の同僚にとって、それは大きくはあるが何ということのない日常の1ページだろう。だが言葉には出されないその背後にあるものの重さ。

 「南極に咲く花へ」には詩と曲がついている。いきものがかりの水野良樹とのコラボ作品。
 作家志望だったがソフトハウスに就職したぼくは、やはり作家を目指していた気の合うきみと変な間取りのアパートで同棲していた。「人の体内には進化の過程で海から持ち帰ったものがある。それは?」というきみのクイズに正解できなかったぼくは「愛の反対は?」という問いにも答えられなかった。ちなみに最初のクイズの答えは「三半規管と蝸牛管」だった。それを言うきみの声は普通の女性より300ヘルツほど高い。
 二人は次第にすれ違うようになり、喧嘩ばかりするようになった。「南極に咲く花」のきみと「砂漠のアラベスク」のぼくように二人は遠すぎたのだ。「愛の反対」は「自己愛」ではなくマイナスの愛、何か虚数(i)のようなものだと「南極に咲く花」は言う。ぼくの耳はメニエール病にかかり、ちょうど300ヘルツあたりの音が聞こえにくくなった。
 物語そのものは自意識過剰な(ように読める)クリエーターの男と女が仕事に疲れ、気が合わなくなって別れてしまうというだけの話だが、二人の知的で他愛ない会話が面白く、それがコラボした曲にピタリとはまったというのも面白い。

 「夢・を・殺す」もコンピュータ業界のお仕事小説であり、コンピュータ・ゲームに夢を育んだ少年少女たちのその後の物語でもある。(ぼく自身の体験にも近いところがあり人ごととは思えない部分がある。)
 主人公のぼくは小さいころMSXでゲーム作りにはまり、年上でプログラミングに詳しい従兄を尊敬して自分の作ったプログラムを見てもらったりしている。楽しく幸福な時間。その従兄の本棚にぼくは『機械の中の幽霊』という本を見つける(たぶんアーサー・ケストラーの同名の本だろう)。従兄は間違えて買ったけど難しくてよくわからなかったと言う。だが人間は身体という機械の中に棲むゴーストだ(『攻殻機動隊』!)という従兄の解釈はぼくにある印象を与えることになる。
 大学を出てぼくは従兄が社長になった小さなゲームソフトの会社に入り、最初に手がけたゲームはそれなりの評価を得たが後が続かず、下請仕事ばかりを受けるようになる。今はパチンコ台のソフトを請け負って何とかしのいでいるが、典型的なブラック企業となってしまった。ぼくは管理職として部下たちの仕事をコントロールすると共に自分も深夜までバグ潰しの毎日。この会社で真に技術力があるのはぼくと、もう一人、桂という女性技術者だけで、他のメンバーはあまり戦力にならないのだ。社長とはことあるごとに対立するが、いつも会社のためだとして引いてしまう。
 納期が迫っており今一番ぼくの頭を悩ませているのは、あるはずのない幽霊バグだ。それはプログラム中にどこにもないはずのキャラクターが突然画面に現れることがあるというもの。プログラムにはないのでグラフィックのハードに問題があるのではと考えているのだが……。
 その後の桂との会話、社長との会話でぼくは大きく心を揺すぶられることになる。それは一つの救いではあるが、これで解決したわけではない。仕事は続いていく。機械の中の幽霊を殺して化け物になってしまう人間がおり、そんな化け物につきあってくれる人間もいると記して、物語は終わる。

 「三つの月」ではある国の政治問題が暗い影を落としているが、これは整体という医療に関する半ばSFともいえる物語である。
 主人公のわたしはメンタルヘルスの良月(りょうげつ)クリニックを開業している医者。わたしには小さなことでも忘れることができない記憶力があり、患者との会話をずっと覚えてしまうのだ。これは患者と適切な距離を保つ上で問題となる。それを和らげるため、仕事が終わると毎晩のように中国整体の店に通っている。そこで香月(シアンユエ)という若い女性の整体師に施術してもらうのだが、彼女には特別な能力があった。患部を色の違いとして見わけることができ、体の凝りだけでなく頭の中に残っていた声も消し去って、爽快な気分にしてくれるのだった。クリニックの看護師、早月(さつき)も香月の整体で驚くほど体調が改善する。西洋医学を学び、医学にも科学的根拠を求めるわたしにとって、彼女の施術は非合理だが、それでも効果ははっきりしている。これはいわゆるプラセボ効果なのか。
 わたしはますます彼女の整体施術にのめり込んでいくが副作用もあった。記憶力が落ちていくのだ。わたしの症状を治すことは、自分自身を変えていくことなのだ。わたしの足は遠のく。そしてあるとき、香月が本国に強制送還されたことを知る。そしてついにわたしはメンタルヘルスクリニックをやめ、整体のクリニックを開く。知り合いのエンジニアに作ってもらった専用の眼鏡――ウェブを介し優秀なAIに診断をしてもらうことができる――を使って、彼女と同じような診断ができるようになったのだ。
 そんなとき、香月からビデオ通話がかかる。そして二人はタイムラグの大きなビデオ通話を通じて互いに手を触れることのない整体を施すのだった……。

 「囲いを越えろ」はショートショート。400mハードルに挑むオリンピック選手を描いているが、そこにパンデミックが影を落としている。その代表選考レースで彼は全力を出し切り、世界最速の男となる。で、このオチにはちょっとびっくりする。

 「最後の役」もショートショート。考え事をしているとふと麻雀の役をつぶやいてしまう男。その時の状況と役とは特に関係はなさそうに思える。変なクセなのであまり人に知られたくはないが、母や妻には知られているようだ。でももし認知症になって死ぬときにタガが外れたように役をつぶやき出したら……。こちらはオチというより雰囲気で締める話だ。

 「十九路の地図」はトリを飾る短編で、テーマは囲碁。
 主人公の愛衣(あい)は子どものころ、本因坊だった祖父に囲碁の手ほどきを受ける。だがそのすぐ後、両親が離婚して母に引き取られ、中学受験の勉強に明け暮れて彼女は碁を忘れてしまう。そしてあるとき、祖父が交通事故にあって植物状態に。中学になじめず不登校となっていた愛衣は、祖父の入院している病院に毎週通うようになる。祖父こそ、彼女が心を通わせることのできる大人だったのだ。愛衣は祖父の手をさすりながら碁の着手を口にしてみる。応答はないが、やがて祖父が目を開き二手目を打ってくれる日を待ち続けるのだった。
 そこへかつて祖父の世話になったことがあり、コンピュータで囲碁の研究をしている研究者が、祖父の脳とマシンをつなぐブレイン・マシン・インタフェースを使ったリハビリを提案する。囲碁盤と同じ19かける19のマス目を画像として祖父の脳に送り込めば何らかの反応があるはずだと。愛衣はその対局に挑む。祖父の脳はしっかり生きて働いており、画像を通じて愛衣の差す手に答えてくれたのだ。祖父が聞いているかどうかはわからないが、学校の囲碁部の友だちの話などをしながら画面上に碁を打つ。しかし彼女が「本当は学校に行っていないんだ」と打ち明けたとき、画像が止まり、祖父は何も応じなくなってしまった。そして……。
 祖父と孫娘の関係性に心が温まる。そこに技術が橋渡しをしている。だがそれより何よりこの作品のキモとなっているのは結末だろう。これはすごいよ。めちゃくちゃかっこいい。読み終えて嬉しくなった。


林譲治『知能侵蝕 2』 ハヤカワ文庫JA

 1巻目を読んでからずいぶん時間がたったので、ここで残りを一気読みすることにした。
 第2巻では小惑星オシリスに拉致された航空宇宙自衛隊の宮本未生がオシリス内を探索するところから始まる。オシリスの内部は呼吸ができる空気のある多数の地下通路からなっているのだが、その通路がどうやらあるパターンで組み替わり、動的な迷路を形成しているのだった。やがて宮本は兵庫の廃ホテルから連れ去られた竹山隆二と相川麻里が壁に残したメッセージを見つけ、ついに二人と合流する。三人は情報交換し、共に生活することになる。謎の異星人オビックが彼らを連れ去りここで生かしているのはおそらく人間の行動を理解するための観察対象としてだろうと三人は想定する。食料や水など生活に必要なものはいつの間にかミリマシンが用意している。だから彼らがすぐに殺されることはないだろうと前向きに考え、探索を続けることにする。そして三人はもう一人の人物、あの廃ホテルでオビックのロボット、チューバーによって全滅させられたはずの自衛隊の小隊長、山岡宗明と出会うのだ。
 本書ではオシリスでのパートと地球でのパートが交互に描かれる。実はこの山岡、地球ではチューバ-に殺されて遺体袋に収められていたはずなのだが、いつの間にかそこから消滅していたのだ。
 オシリスでは相川の婚約者であり、廃ホテルでチューバーに首を切られたはずの矢野卓二も現れる。卓二は他の3人とは違うエリアに取り残されていたようだ。それでも何とか一人で生き残りようやく今婚約者たちと巡り合うことができた。しかしそれぞれの記憶ではみんな死んだはずだったのだが……。
 拉致された彼ら、矢野卓二を含めた四人と違い、山岡はいつも口調があいまいで様子がおかしかった。オビックに復活させられた人間の中で、彼だけは失敗作なのだろうか。
 一方地球では、オビックの軌道エレベーター建設を阻止するための海上自衛隊の作戦が決行され、その破壊に成功するが、自衛隊側も大きな被害を受ける。軌道エレベーターが使えなくなったオビックは、オシリスから多数の宇宙船を地球に向けて発進しさせるが、人間の判断を待たずに管制AIが迎撃を指示し、世界中で全てのオビック宇宙船は迎撃される。だがこれで侵略が終わったわけではない。
 アフリカ中央部の某国で、奴隷同然の鉱山労働に従事させられている元FAO職員のボカサ。突然鉱山がチューバーに襲われ、占拠される。その管理者として現れたのは山岡と名乗る男だった……。
 オシリスに拉致された人々の冒険、海上自衛隊による軌道エレベーターの破壊、そしてオシリスから飛来した宇宙船との戦闘と、見せ場は多いのだが、その書きっぷりは作者らしくストレートではない。戦闘シーンよりも圧倒的にそれに至るまでの組織、体制や規約、運用、人事、物流ネットワーク、そしてシステムの詳細に枚数が割かれている。ぼくは昔の仕事柄、こういうのが大好きでもっと読みたいと思うのだけれど、エンターテインメントとしてみたら確かに面倒くさい。それでも面白いことに間違いない。
 ここまでオビックは実体が現れずオビックに作られた山岡が言葉を発した以外、まったく言語的なコミュニケーションがないまま話が進んでいる。さらに地球側でもAIがどうやら自己主張しているようだ。ミニマシンによって生き返った人間でもしっかりした自意識を持つ者と、あやふやな者がいて、そのあたりの自己同一性問題も気になるところである。そのあたりは本書のタイトルとも関係しそうな気がする。さて作者としてはいつものことだが結末で大きな展開が現れた。次巻はどうなるのしら。


林譲治『知能侵蝕 3』 ハヤカワ文庫JA

 オシリスの内部で、武山隆二、相川麻里、矢野卓二、そして宮本未生の四人は、山岡がミリマシンによる複製人間だったことから自分たちもそうではないかという疑心暗鬼に囚われる。だが会話に山岡のような違和感がなく、とりあえず自分たちは人間であるとして生活を続けた。武山は無線機を改造して超音波計測器を作り、四人の誰からもミリマシンの機械音が出ていないことを確認する。彼らは計測器でオシリスの超音波探索を行う。地下通路の組み替えは少し前から停止しているが、オビックが新たに作った地下道があり、そこへ行って見るとあの山岡が六人もいて佇んでいた。彼らはまだ人間としての多くを学習していない複製のようだった。4人は山岡達のいる居住区を山岡村と名付ける。これもオビックの人間学習の一環なのだろうか。
 一方、アフリカ中央部では国連軍として派遣された自衛隊の島崎小隊長の部隊がオビックに占領された鉱山に近づいていた。オビックの宇宙船はすべて撃墜されたが、その内1隻だけは残骸が中央アフリカへ墜落したのだ。その残骸は生きていてチューバーを量産し、ロシアの民間軍事会社スペクトラム・タクティクス社が運営していたいくつかの鉱山を占領したらしい。それを指揮しているのが山岡と名乗る日本人だという。しかも同じ人間が複数いる。それを確認するのが島崎の任務だった。島崎は山岡小隊長の上官だったのだ。
 日本では、アメリカの加瀬から中央アフリカの情報がもたらされる。オビックは複数の山岡を使ってこの地域をアメとムチで支配しているということだ。現地の勢力はそれを受け入れ、侵攻してきたロシア軍を破り、反対者は首を切られるという恐怖政治の中で見かけ上は平穏な暮らしを保っているのだった。
 現地の有力者の中には支配者側となったボカサもいた。彼は鉱山の金などを密輸業者に売りさばくすご腕の女性アナイスと共に山岡の側近のような存在となったのだ。ボカサにとって山岡は人間というより悪霊のようだったが、以前のロシア人よりも話が通じるところがあり、偏っているが知識もあるようだった。
 島崎の部隊に、オビックの飛行場を見つけて山岡を確認せよとの指令が下る。それらしい場所に向かう部隊の前にバイクに乗ったボカサが現れ、島崎にリーダーのところに付いてきてほしいと言う。そこにはアナイスもいた。 山岡に面会した島崎は山岡が人間ではなくオビックに作られた偽物であると判断する。彼は鉱山を見せてもらえるかと聞き、許可される。だがそのとき、ロシアの原潜から戦術核を搭載した巡航ミサイルが鉱山に向けて発射された。鉱山は核攻撃で崩壊する。そのため、鉱山に向かうはずだった島崎とボカサ、アナイスの乗った航空機は行き先を日本に変更すると山岡から告げられる。
 オシリスでは山岡村でリーダー格だった何人かの山岡たちがどこかへ消え、また新たな山岡が補充されてきた。武山達が驚いたのは、そこにアフリカ人らしい男女が現れたことだ。二人はボカサ、アナイスと名乗った。一方で島崎を乗せた航空機の中ではボカサとアナイスがミリマシンに溶かされて消滅していた。航空機は島根県の海岸に着陸し、島崎はそこで1人下ろされる。彼はUFOから下りてきた宇宙人として自衛隊に連行される。しかし自衛隊の医官たちが島崎をMRIにかけたため、少量のミリマシンが活性化し、島崎は死亡する。
 こうしてオビックは日本に拠点を設けた。自衛隊とオビックのチューバーとの間に限定的な戦闘が始まる。それは山の中で続いており、しだいに日常生活にも影響がでてくる。
 本書の後半ではそんな日本での戦いが描かれるのだが、宇宙人との戦争にしてはそれは驚くほど限定的で、まるで凶暴ではあるがたまにしか現れない野生動物との戦いのようだ。その前面に出されるのは自衛隊の精鋭部隊ではなく、多能運用兵(MJS)という高齢者中心の志願兵たちだった。
 フリーランスでITの仕事をしていた60過ぎの小坂は仕事をクビになり政府機関での求職情報をもとに応募して自衛隊のMJSに採用された一人である。彼は兵庫県の山奥で、廃鉱山を占拠して金属を精錬しているらしいオビックのチューバ-たちと局地戦を繰り広げることになる。この戦場ではサイに似ていることからライノと呼ばれる、チューバ-たちが合体した大型の戦闘機械が相手だ。研究によればチューバ-自体は簡単な構造しかもたないが、ミリマシンが3Dプリンタのように機能してチューバ-の部品を量産し、それが衛星経由で送信されるプログラムを受けて、レゴを組み立てるように様々な形態になるのだ。ただチューバ-たち、ライノたちにはあまり学習能力がないようで、戦闘は激しいが相手を破壊することは可能だった。そのためかこの戦闘にはどこか緩い雰囲気もある。
 戦闘に高齢者中心のMJSを使うことには若い精鋭部隊を温存するという目的があった。今はまだ都市部には戦闘が及んでいない。オビックが兵庫県の山奥に留まっているうちに核攻撃してしまえという意見さえあるのだ。
 MJSに採用された小坂は兵庫県の山中を行軍していた。彼を出迎えたのはこちらも60歳を超えているような年配の男性で、今宮周平と名乗る。小隊長が戦死したので職務代行をしているという。今宮はここで生き残るためのルールを教えると迫力のある声で言うのだった。
 かくてとても異星人の侵略ものとは思えないようなローカルで限定的な戦争が細々と続くことになる。未だにオビックはその実体が見えないままだ。次巻が完結編。どう収まることになるのか楽しみだ。


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