内 輪   第411回

大野万紀


 『本の雑誌』の今月号を見ていたら、「Z世代が読む昭和流行本体験記 英保キリカ」という記事が。何だか孫娘(いません)の活躍を見るお祖父さんのような目になってしまいました。念のため、英保キリカさんは同じ雑誌にずっと連載を続けているあの人の娘さんです。

 お祖父さんのような目といえば、このところ遊んでいる子どもたちの話が気になって、つい耳をすませてしまいます。この前は近所でどうやら戦闘ごっこをしているらしい小さな子供たちがいて、「これでお前は百年後に死ぬ!!」、「うわぁー!!」とかやっていました。まあ百歳以上生きられるのならそれでいいんじゃないかと思った次第です。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。通常は買った順に読んでいるのですが、今回はSFベストアンケートのためにちょっとシフトしています。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


ラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』 創元海外SF叢書

 まずは著者あとがきと用語集に目を惹かれる。本書は著者の描き続けている未来史ものの長編。あとがきではコードウェイナー・スミスへの愛がほとばしり出ている。嬉しい。スミスといいヴァーリイといい、こういうSFは大好きだ。未来史年表なんか自分で作ってしまうくらいだ。ただティドハーの未来史〈コンティニュイティ・ユニバース〉に属する短編はまだ数編しか訳されておらず、全貌は見えない。でも本書と用語集だけでも雰囲気はしっかりと伝わってくる。

 表題となっている「夢の都市」とは原題にNEOMとあるとおり、サウジアラビアに現在建設中の未来都市ネオムのことである(立派な計画はあるがまだほとんどできていないとのことだ)。本書はそれが完成してから数百年後の未来が舞台。ネオムもすでに老朽化し、どこか懐かしい雰囲気のあるアラブの古い街となっている。

 この時代、人類は太陽系に広く進出し、何度も戦争があり、砂漠や海にはその遺物が無数に埋もれているのだった。ロボットたちは知性を持ち、戦争の道具となり、宇宙や地上でも戦ってきた。国家間の戦争だけでなく個人のテロリスト(テラー・アーティストと呼ばれ、とんでもない兵器を開発しては破壊や残虐行為をアートとしてやってのけ、一部では称賛されている)が存在し、人々に深刻な被害をもたらしてきた。現在は大きな戦争も終わり、つかの間の平和が訪れているが、戦争の傷跡は至る所に残されている。

 物語の主軸となるのは、このテラー・アーティストの一人が残したゴールデンマンという絶大な力をもつロボットの、砂に埋もれた残骸なのだ。

 ネオムの下町に住み様々な職業をパートタイムで掛け持ちしている女性、マリアムが登場する。彼女は警察官のナセルと親しい。彼女が花売りの仕事をしている時、古びた人型ロボットがやって来て彼女から一本のバラの花を買う。彼はかつて〈空の向こう〉で多くの戦争を戦った戦争兵器だった。今は老いており「過去を探しに」行くのだという。そしてバラの花を持ち、砂漠の方へと歩み去って行く。

 一方シナイ半島の砂漠ではサレハという名の少年が大きなキャラバンが近づいてくるのを見ていた。サレハは砂漠に埋もれたジャンク漁りを生業とする流浪民の一員だったが、テラー・アーティストが作った時間膨張爆弾で一族を失い、ただ一人生き残ったのだった。彼はキャラバンの少年イライアスと親しくなり、同行することとなる。二人にはさらに人語を話すジャッカルのアナビスも連れ添う。

 バラの花を買ったロボットは砂漠に穴を掘っていた。彼は金色の手足のようなものをそこから掘り出そうとしていた。ナセルともう一人のネオムの警官がそれを見つけ話を聞くが要領を得ない。ロボットは襲ってきた砂虫から彼らを助け、掘り出した金色の手足を持って二人とともにネオムへと戻っていく。ロボットが次に向かったのはネオムの中古機器バザール、ムフタールの店だった。そこはまたマリアムがパートで働く店の一つでもあった。マリアムはロボットと再会する。彼は掘り出した伝説のゴールデンマンの残骸を修理したいというのだった。それを修理はするが売ることはないと。ムフタールは残骸を預かり、心当たりのある技術屋のシャリフに修理できないかと話をする。彼女は動力源であるマイクロブラックホールがないのでこのままでは価値がないといい、そしてこれを作ったのはナスという名の女性テラー・アーティストだと話す。

 やがてサレハたちもネオムに到達し、それぞれの物語が結びつく。ナスは生きていた。ゴールデンマンは復活し、彼女の〈アート〉が再び炸裂しようとする。砂漠や海底から、かつての戦争の遺物たちが蘇り、ゴールデンマンに従おうと集結を始めたのだ。そして……。

 色々と書き足りていないところはあるように思えるが、それはこのような未来史ものでは普通のことだ。その空白を想像力で埋めるのもこういう物語のお楽しみの一つだろう。これはリアルなSFというよりも一種のおとぎ話であり、未来のアラビアンナイトといってもいいだろう。マリアムとナセル、サレハとイライアス、それにアヌビスの三人組。結末は彼らの未来への旅立ちを描いて心温まるハッピーエンドとなっている。傑作といっていいだろう。
 作者はイスラエル生まれだが現在はイギリスに在住し、作品は英語で執筆している。本作ではユダヤ・パレスチナ連邦が成立していることになっているが、現実はかけ離れている。それもまた「ロボットの夢の国」なのかも知れないが、その夢が現実となることを強く強く望みたい。


宮西建礼『銀河風帆走』 創元日本SF叢書

 表題作で創元SF短編賞を受賞した著者の、待望の初短編集である。そしてぼくが大好きなタイプの作品5編が収録されており、とても楽しく読めた。

 「もしもぼくらが生まれていたら」は『宇宙SFアンソロジー 宙を数える』が初出。これはもう涙が出るほどの傑作だ。
 主人公たちは地方の高校生。あるとき地球に小さな小惑星が衝突するとわかる。ひとつの国や地方が大きな被害を受ける可能性があるが人類が絶滅するといった規模のものではない。主人公とその仲間たちは、宇宙機でこの危機を回避するための対策を考えて衛星構想コンテストに提案しようとする。とはいえ高校生のすることだから、自分たちだけの頭の体操からはなかなか広がらない。このあたりは、ハードSF的なディテールとともに現実的なリアリティがあってとても良い。
 やがて小惑星の軌道が明らかになって関東地方に致命的な被害が出ることがわかる。政府も動き出す。そして実はこの世界がこちらの世界とある一点で決定的に異なる、別の時間線の並行世界であることがわかるのだ。そこからこの作品の真のテーマが現れてくる。
 確かにそれはSF的にも社会的にも重要なテーマではあるものの、ぼくは何よりも衛星構想コンテストに高校生たちが挑むという理科小説・青春小説の側面に強く心を打たれた。小惑星が日本近海に落下して大きな災害を引き起こすことがわかったとき、彼らは自分たちのやっていることに意味があるのかと悩む。それでもその被害を少しでも少なくするためにはどうしたらいいか、それを自分たちのやっている衛星構想にどう生かせるか、そこをひたすら科学的に追求していく。一度仲違いした仲間とも協力し、様々なアイデアを検討する。でも高校生のできることには限りがある。だからこそ、世界中に自分たちと同じように考えていた仲間たちがいたという結末に感動があるのだ。

 「されど星は流れる」はアンソロジー『Genesis されど星は流れる』が初出。こちらも高校生たちが主役で、理科小説・科学小説であり、個人的にはとてもジワジワくる青春小説である。
 SF的な飛躍なしに、コロナ禍のリアルな現実の中での高校生たちの天体観測を描きながら、遙かな宇宙への想像力、過去から続く多くの人々の科学と宇宙への眼差しが、じんわりと感動を呼ぶ作品だ。
 コロナ禍(感染症と書かれているが)で学校が休校となり、天体観測ができなくなった天文同好会の二人、部長のわたしと新入生のミユはそれぞれの自宅から流星の同時観測を始める。ミユの発案で系外天体からの流星を探すことになり、市の流星観測会に協力者を得てビデオカメラを使った観測を行うことになる。
 直接的な恋愛感情は全く描かれないが、とても甘酸っぱい青春小説である。なんかもう、自分の中高生時代を思い出してしまう。ぼくらのころはこういう観測方法はなくて、直接的な観望会と、せいぜい冒頭にあるようなやり方だけだったが、それでもワクワクしたものだ。
 だがこの作品がSFアンソロジーに載っている意味は、そんな地味な地上の流星観測が、遙かな太陽系外の宇宙へとつながっていくところにある。そのイメージの広がり。SF的な星へのロマン。じっくりと遠くの夜空を見つめたくなる作品だ。

 「冬にあらがう」は「紙魚の手帖」vol.12に掲載。これは京大農学部出身の宮西さんの本領発揮といっていい作品だ。
 インドネシアのトバ火山でカルデラ噴火が起こる。カルデラ噴火としては決して巨大な規模ではないのだが、それでも世界の気候に数年から十数年の寒冷化をもたらし、農業に壊滅的な被害をもたらすことがわかる。ところが日本の食料備蓄はそれまでもたず、食料輸入もままならなくなることで多数の餓死者が出ることが予想される。
 そんな中、主人公の女子高校生2人はAIアシスタントの助けも借りながら、おがくずや木くずを分解してグルコースを生成することで食糧危機から少しでも人々を救えるのではないかと、科学部の活動として実験を繰り返す。 これはとても地に足の着いたリアルな内容で、高校の科学部でも実際に実行可能な実験だ。
 もちろん過去にも科学者たちが研究し、実際に合成食料を生成するプラントが作られたこともあったのだが、採算が取れないのでそれ以上進むことはなかった。だがもはやそんなことを言っている場合ではなく、巨大プラントじゃなくても、個人個人でも可能なやり方で食料を合成し飢えを避けようというのだ。困難はあるが少女たちは前向きにそれに取り組んでいく。だがそんな時……。
 ろくなことをやらない政府組織や巨大企業に頼らず、プロでもないアマチュアたちが生き残りをかけて(でも悲壮感はなくある意味楽しみながら)冬にあらがおうとする。これは作者の他の作品と同様な方向性をもつ物語であり、実験のリアリティも含めて大変読み応えのある作品だった。

 ここまでの3編は、現在もしくは近い未来の日本を舞台に高校生たちが身近な科学を通じて世界や宇宙に対峙していくという理科小説であり、青春小説としての側面が強い作品だったが、後半の2編ははるかに遠い未来の宇宙を舞台にした本格ハードSFである。そもそも主人公は人間ではない。

 「星海に没す」は書き下ろし。恒星間宇宙を核融合エンジンで航行する無人宇宙船の「わたし」、意識や感情をもつ超AI(AGI)が主人公である。
 42光年離れたさそり座の惑星に人類の凍結受精卵を播種する使命を帯びて、光速の1.5%の速度で深宇宙を航行するわたしだったが、その出発後、太陽系でわたしと同様の超AIによる悲惨な反乱が起こり、人類は超AIを絶滅することを決定する。そしてわたしの背後の太陽系から、重武装した姉妹艦がわたしを破壊するために追ってくるのだ。
 本来はわたしと同様の播種船になる予定だった姉妹艦は超AIを外されて通常のAIのみとなり、わたしを破壊するだけのために改造された戦闘艦となっている。一方わたしには惑星改造用のものを除き、宇宙空間で戦えるような武器は何も無い。わたしは自分の補助をするAIとともに何年もかけてこの事態に立ち向かい、何とか敵を無力化し使命を果たせるように知恵を絞る。
 何も無い恒星間宇宙で、光速よりはるかに遅い領域(それでも秒速4~5千キロというすさまじい速度だ)での、ほぼニュートン力学のみが支配する宇宙戦闘である。互いに相手の作戦を見破り見破られ、裏をかき裏をかかれ、静かで知的な戦闘が繰り広げられる。リアルな宇宙戦闘が書けるといえば谷甲州の右に出る者はないと思っていたが(いや今では林譲治もいる)、ここにもう一人そんな作家が現れた。冷たく静謐な恒星間空間の、この長い長い待機と緊張の一瞬。
 そして結末はやはりもの悲しく、意識あるものの孤独とささやかな希望に強く心を揺さぶられた。傑作。なおこの作品の設定には「冬にあらがう」につながるものがある。

 「銀河風帆走」は冒頭に書いたように著者のデビュー作である。とても端正で本格的な宇宙SFであり、作者が執筆当時まだ大学生だったというのにも驚いたものだ。
 遠い未来、太陽爆発で地球は滅びているが、人類は姿を様々に変えつつ銀河系に広がっていた。ところが銀河中心の巨大ブラックホールが、膨大なフレアを発し、銀河中の生命を破壊し尽くすことがわかり、語り手たちは銀河を渡る播種船となって、想像を絶する長い旅を続けている……という、SFファンにはそれだけで嬉しくなるような話である。
 逆にいえばそれだけの話だともいえる。技術的・科学的ディテールは大変良く書き込まれており、タイムスケールも雄大で、確かに受賞に値する作品だったが、読んだ当時は少し物足りないという気もしていた(でもぼくはこんな話が大好きだ)。それが次の作品「もしもぼくらが生まれていたら」で大きく方向性の違うものを描き出し(でもそこに流れる科学へのロマンチシズムは変わらない)、SF・科学小説作家としての目を見張るような成長を見せてくれたことがとても嬉しい。「星界に没す」では再び大宇宙に帰ってきてくれた。著者の今後の活躍にも期待が大きい。


春暮康一『一億年のテレスコープ』 早川書房

 著者の初長編であり、とてつもない時空の広がりを舞台にした壮大な宇宙SFの傑作である。宮西建礼もそうだが、日本でこんな作品が書かれるのは実に素晴らしいことだ。

 主人公は等身大の身近な人間である(少なくとも始まりは)。その後大きな変貌を遂げるのだが、本質的には少年の頃から、とくに高校生のころから変わっていない。名前は鮎沢望(あゆさわのぞむ)。父親に「遠くを見ること」という名前の由来を聞いてから、それが心に深く染みついている。
 教室の窓から見える天文台の見学に行って望遠鏡で球状星団を眺め、それに魅了されて高校では天文部に入る。天文部で望遠鏡の性能計算ができる千塚新(ちづかあらた)と親友になり、電波天文学を専攻した大学の研究室で一緒になった八代縁(やつしろゆかり)も加わって強固な絆ができあがる。この三人はその後物語を通じてずっと共に歩んでいくことになる。
 三人は酒飲み話として彗星VLBI計画サークルなるものを発足させる。VLBI(超長基線電波干渉法)というのは複数の遠く離れた所にある電波望遠鏡を連携させて巨大な望遠鏡とする方法だ。これは現在でも実用化されているが、望らが構想しているのは太陽系の彼方から来る彗星に電波望遠鏡を設置して太陽系サイズの望遠鏡を作ろうというものだった。望はそれを自分が生きている間には実現しない夢物語として語るが、新はいずれ人間が不死となる時代が来るだろうから実現すると言う。

 ここまでがプロローグといえる部分だが、すでにテーマは現れている。とてつもなく遠くを(そして過去を)見る巨大な望遠鏡(テレスコープ)、宇宙を、未来を、異星の文明を見たいという果てなき知的好奇心と望み。本書はひたすらそれを追求していく物語なのだ。

 すでにここまでに「遠未来」「遠過去」という断章が何度か語られている。「遠未来」は遙かな未来にポストヒューマンな母と子が〈大始祖〉の足跡をたどっていく物語。「遠過去」はそれより曖昧としているが謎めいた〈飛行体〉が銀河を巡っていくつもの異星文明の死を見つめる物語である。これらは本書の最後で望らの物語と結びつき壮大な連環を構成することになる。

 望ら三人が酒場で語り合った時から数十年後、意識のアップロード技術が実用化され、百歳を超えた望はアップローディとしてよみがえった。このアップロードではスキャンした元の肉体は死亡し、コピーされ意識と記憶の連続性をもった人格のみが電脳空間にアップローディとして新たに誕生する。つまり今の自分は死んで、別の自分が生まれるということである。さらに量子力学的な制約により、よみがえるのは一度に1セットだけであり、自分の複製を何人も作ることは不可能なのだ。アップローディは仮想現実に生きるだけでなく、ロボットの体に入ってリアルワールドに生きることもできる。ここで面白かったのはスウォームというインフラ技術の存在だ。スウォームは蚊柱のような微小な飛行機械の集団で、多くの都市で共通インフラとなっている。アップローディはその一部を借りて自分の感覚器官として使うことができるのだ。他にもアップローディの時間感覚など様々なアイデアが描かれていて面白かった。
 物語の方はここから大きく動いていく。縁も新もアップローディとなっており、いよいよ酒場での構想が実現に向かう。仲間も増え、VLBIを太陽系のみならず恒星間に広げようという計画も実現する(何しろ時間はいくらでもあるのだ)。そして異星文明とのファーストコンタクト。異星人から地球へではなく、地球人から異星へのファーストコンタクトだ。それが極めて精緻に描かれる。何しろ事前準備だけで十数年かかるのだ。

 その後も世界はどんどん広がって行き、新たなVLBIの拠点が築かれ、様々な異星文明と異星人との交流が描かれていく。これが抜群に面白い。異星人の思考がほぼ地球人と同一で意思疎通可能だというのはちょっと疑問だがSFだからありとして(2022年の京フェスでは著者の出た企画で数学が普遍的なら生物の戦略もある程度普遍的なのではという話もあった)、「オーラリメーカー」以来ずっと描き続けられている著者の専門知識を生かした異星生物の生態が独創的でとても興味深く、そして楽しい。
 自転軸が横倒しになった惑星ブランでは北極と南極を結ぶ帯状の都市を、季節に合わせ昼を追いかけながら渡って行く〈正弦族〉がいる(そうしない少数派もいる)。彼らはバイオ技術に優れ、遺伝子操作で作った植物都市に暮らすのだ。
 熱砂の惑星グッドアースには他者を恐れて孤独に暮らす孤独相のグッドアーサーがいる。彼らはときおり変異して現れ、数世代で姿を消す群生相のグッドアーサーが残したテクノロジーを利用して生きている。群生相は非常に知的能力が高く優れた技術を発達させるのだが、凶暴で大規模な破壊をもたらすのだ。望らは彼らともコンタクトし、仲間に引き入れていくのだった。
 ただ望にはこのようなコンタクトがはたして異星人にとって良いことなのか、これは形を変えた侵略とも言えるのではないかとの疑問が生じる。「新」たな「縁」を「望」むのが自分たちだとして、それまで自立して暮らしていた文明に他の世界との接触を余儀なくさせる。それは地球上で繰り返された悲劇と同じことになるのではないのか……。

 それぞれの異星文明の描写など大変面白いのだが、ストーリーとしては同じようなパターンが続いて少しマンネリ気味になってきたかなというところで、また大きな転機が訪れる。銀河のとある一角で亡霊星(ファントムスター)の存在を知ったことだ。それはある滅びた文明の残した観測記録にあった。1億年前に突然銀河系から消えてしまった連星系である。新星爆発などではなく何の兆候もなしにふいに観測されなくなったのだ。望たちは興味をかき立てられ、そこに行って見ることを決意する。VLBIを空間的なだけではなく時間的にも過去に拡張する(過去の文明の観測データを入手する)ことで、今(といっても数百年のオーダーがあるが)それがあるはずの場所を推定しようというのだ。すなわち「一億年のテレスコープ」である。

 かくて望たちは亡霊星を見つけ、そこで「遠過去」「遠未来」と三つの物語が重なり合う。描かれるアイデアは(ある程度は予想がつくが)とんでもなく壮大なものだ。これこそが宇宙SFを読む極めつけの楽しさだといっていいだろう。そんな壮大さと望らの人間らしさが共存している。天文好きの高校生が望んだものが果たしてどのように結実するのか。これもまた読み終えた後に夜空を眺めてみたくなる小説である。傑作。


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