SFファン交流会レポート

2024年8月 『追悼 クリストファー・プリースト』

大野万紀


 8月のSFファン交流会は8月24日(土)に、「追悼 クリストファー・プリースト」と題して開催されました。
 出演は、大野万紀(翻訳家、書評家)、渡辺英樹さん(レビュアー)、たこい☆きよしさん(ファンジン メーカー)です。
 写真はZoomの画面ですが、左上から反時計回りに、大野万紀、渡辺さん、みいめさん(SFファン交流会)、たこいさんです。

 以下の記録は必ずしも発言通りではありません。チャットも含め当日のメモを元に簡略化して記載しているので間違いがあるかも知れません。問題があればご連絡ください。速やかに修正いたします。


 今回は自分自身がゲストでもあり、ぼくを始めみなさんがプリーストについてどのような話をしたかを中心に記します。自分のことは語りやすいので、ぼくの話した内容がほとんどになってしまいました。申し訳ない。
 なお、SFファン交流会のサイトに渡辺英樹さん作成のプリーストの作品リスト及びブックガイドがあります。どうぞダウンロードしてみてください。

 まずはゲストの自己紹介と、プリーストとの関わりについて。大野万紀は70年代、関西海外SF研究会(KSFA)でイギリスSFがとりわけ好きだった安田均さんからプリーストを勧められたことがきっかけ。渡辺英樹さんは中学生の時初めて買ったSFマガジンにその安田さんが『逆転世界』を紹介していて強い印象を残したこと。たこいきよしさんも東北大SF研のころに読んだ『逆転世界』がプリーストとの出会いだったという。でもこの『逆転世界』がサンリオ版はもちろん創元SF文庫版も今では古本屋を回るしか手に入らない。せめて電子書籍になっていればとみなさん嘆いていた。

Christopher Priest(1943/7/14~2024/2/2)
・1943年7月14日イングランド北西部チェシャー州に生まれる。
・16歳でマンチェスターの公立学校を卒業し、ロンドンの会計事務所に勤める。
・1964年ごろからファンダムで活躍を始める。
・1966年初めての短編「逃走」がImpulse誌に掲載。(『限りなき夏』に邦訳あり)
・60年代後半~70年代前半にかけ、同年生まれのイアン・ワトスンと共に英国SF界の若手作家として台頭。
・1969年クリスティーン・マーチャントと結婚し73年離婚。
・1981年作家リサ・タトルと結婚。1987年離婚。
・1988年作家リー・ケネディと再婚。双子をもうけたが2011年離婚。
・その後作家のニーナ・アランと同居(2023年結婚)。
・ニーナに看取られ、2024年2月2日小細胞癌により逝去(80歳)。

 さて大野万紀の話は事前に作成したスライドを元にまずプリーストの年譜(上の表)を説明。1981年にぼくがイギリスを訪れた時(実は新婚旅行だったのですが)バーミンガムのローカル・コンベンション「NOVACON」で結婚したばかりのリサ・タトルといっしょのところを撮影した写真を紹介。
 それからプリーストのホームページ(ブログ)に掲載されたニーナ・アランの追悼文を紹介した。
 そこではプリーストが最後までSFファンダムやコンベンションにずっと関わってきていて、SFファンたちと心を通じさせていたことが書かれている(日本のはるこんへもオンラインでゲスト参加していたくらいだ)。
 プリーストといえば伝統的・保守的なジャンルSF(とりわけアメリカSF)に批判的だったことが知られているが、一方で彼は若いときからずっとSFファンダムに関わっており、そういう意味ではSFファンの、人と人のつながりとしての心は生涯変わらなかったのではないかなと思う。

現代SF全集 目次とプリーストの翻訳

 次に紹介したのが1977年にKSFAで作った「現代SF全集」という海外SFの翻訳ファンジン(右図。クリックして拡大表示)。これがプリースト(とボブ・ショウ)編で、短編集Real-Time World (1974)を元にぼくを含むKSFAのメンバーが翻訳した手書きガリ刷りのファンジンだ。(ぼくは「頭と手足」を訳し、解説を書いてガリ切りもした)。後に『限りなき夏』に訳されたプリーストの初めて出版された短編「逃走」や「リアルタイム・ワールド」も収録されている。おそらくはこれが日本で最も古いプリーストの翻訳ではないだろうか。
 ところで本会のあと、二次会のときにこの現物を大森望さんや北原尚彦さんも持っていて、zoom画面で表示して見せてくれたのには驚いた。大森望さんはKSFAだからいいとして、北原さんは横田順彌さんが持っていたものを譲ってもらったのだそうだ。

 その後はプリーストの翻訳作品について、『逆転世界』はSFマガジンに掲載された安田均さんの紹介文より、『魔法』『奇術師』『限りなき夏』『双生児』『夢幻諸島から』『隣接界』はTHATTA ONLINEに掲載したぼくのレビュー(リンク先)から紹介。古い作品がないのはそのころまだTHATTA ONLINEがなかったからです。詳しくはそれぞれのリンク先を参照ください。

 それから1976年にファウンデーション誌で繰り広げられた、クリストファー・プリーストとイアン・ワトスンのSF論争を、サンリオ文庫の『伝授者』に掲載された山田和子さんの解説から引用して紹介。
 ここでのポイントはプリーストがSFを伝統文学の中に位置づけ、文学的・芸術的価値の重要性を指摘しているのに対し、ワトスンはあえてそれを否定し、「古くさい」伝統文学や芸術といったものから自由な、SF独自の価値があると言っていることだろう。
 ただそこで根拠とされているアイデアやノーション、イデアやコンセプトといった用語は、山田さんも指摘している通り難解でとてもわかりにくい。またワトスンの主張はかつて小松左京が「拝啓イワン・エフレーモフ様」などで書いたようなSFに伝統文学とは違う価値を求めるもので、SFファンとしては魅力的だが、今の目で見ると本当にそうだったのかと疑問に思うところもあるだろう。
 しかし、その後のワトスンの作品が文学的・芸術的価値を無視しているかというと、決してそんなことはないわけで、彼の真意がどこにあったのか、よくわからなくなるのだ。まさかとは思うが、この論争は、仲のいい古いSFファン同士のおちょくり合い、ボケとツッコミみたいなものだったのかも知れないとさえ思えてくる。

 最後にプリースト作品のキーワード(みたいなもの)をまとめてみた。これについては渡辺さんやたこいさんがさらに詳しく分析し、語ってくれた。

プリースト作品のキーワード(みたいなもの)

■記憶と認識
プリーストの登場人物にとって記憶が(その人の)世界を形づくる。しばしば記憶喪失や事故によって記憶が失われると、そこで世界が変わることになる。しかし一方で記憶を作る元となるのはその人の世界認識である。プリーストの世界では同じ現実であっても人によって認識が異なり、それが複数の世界の併存をもたらす。
■イギリス近代史
第一次大戦から第二次大戦を中心として、現代にいたるイギリスの近代史が大きな役割を果たす。それは物語の外枠となることもあるが、現実の歴史とは微妙に異なるものとなる場合が多い。
■H・G・ウエルズ
とりわけH・G・ウエルズへの偏愛が姿を現す。『スペース・マシン』はもろにウエルズへのオマージュであるが、その他の作品にもよく顔をだし、時には主役級の役割を果たす。プリーストはH・G・ウエルズ協会の会長も務めた。
■航空機と空
プリーストは航空機、特に第二次大戦の戦闘機、スピットファイアやメッサーシュミット、それにランカスター爆撃機などを描く時に、力のこもった描写を得意とする。彼の空へのあこがれは本物のようだ。
■奇術師・手品師・芸人
プリースト作品によく登場し時には主役となる。目の前の現実をあざむき、その不確実性を露わにするものだろうか。双生児もまた同じような意味合いをもたされる。

 次は渡辺英樹さんのお話。まずはプリーストの翻訳作品紹介。ぼくの省略した初期作品も含めて、SFマガジン8月号に渡辺さんが掲載した紹介文を元にお話しする。『伝授者』、『逆転世界』、『スペース・マシン』、『ドリーム・マシン』、『イグジステンス』、さらにファン出版だが、ハルコン・ブックスの『落ち逝く』まで。
 特に『落ち逝く』の2編目「波瀾万丈の後始末」は何者かがいつの間にか自宅の本棚を並び替えているという恐怖を描いた作品で、本棚の並びを大事にしている渡辺さんにはとても人ごとではない恐怖を感じた作品だそうだ。

 プリーストの作ったアンソロジーやノンフィクションについても紹介がある。
 サンリオ文庫から出た『アンティシペイション』は主に英国SF作家の作品を集めたアンソロジーだが、なぜか1人だけアメリカ作家が収録されている。それはロバート・シェクリイだが、何で英国SFのアンソロジーにシェクリイが含まれているのかこれまで謎だった。それがSFマガジンのロバート・シェクリイ追悼号で明らかになる。プリーストが追悼文を書いていて、そこにプリーストはシェクリイのファンだったということが書かれていた。「私はロバート・シェクリイが大好きでシェクリイのように書きたかった」と。ええっ、全然違うじゃん。本人も、書きたかったけどそれは成功しなかったと認めていた。

 ノンフィクションではThe Book on the Edge ofForeverという、『最後の危険なビジョン』を原稿を集めながら結局出版しなかったハーラン・エリスンを糾弾する小雑誌を出している。表紙のエリスンがひどい顔に描かれているのだ。ファンやファンダムを大切にしていたプリーストだが、エリスンだけでなくアメリカSF全般を嫌っていて、スタニスワフ・レム事件を機にアメリカSF作家協会を脱会している。ヒューゴー賞もネビュラ賞も一度も取っていない。

 それから1979年の『SF論叢』に掲載されたプリーストのインタビューについて。
 一つは『逆転世界』に関し、二つの現実を描いていることをよくディックと比較されるが、ディックが描くのは薬物などによる「偽りの現実」なのに対し、私が描きたいのはどちらも真実である二つの現実だと語っている。
 もう一つはワトスンとのSF論争の内容で、プリーストとしては良いSFとは、ノーション(SFに出てくる想像上の異星や未来テクノロジーといった外見的なもの)よりもアイデア(社会的、風刺的、人間性に基づくようなテーマを扱う実際的なもの)を優先するものであり、内容よりも文体や形式を重視するものであるとする。
 またニーヴンの『リングワールド』はSFじゃないという刺激的な話もあって面白い。それによれば、リングワールドはすごい(外見的な)ノーションに満ちているが、優れたSFに必要な(ノーションではない)アイデアに乏しく、ひと言で言うなら「人間の好奇心や冒険心は押さえることができない」というだけのものであって、それを描くにはリングワールドのような巨大な人工物など必要ないのだと。


 次にたこい・きよしさん。あまりに面白くて『逆転世界』を一晩で一気読みしたが、その後の作品も同じようにのめり込んで読んだ。読んでいるときはプリーストらしい現実のゆらぎがどうこうというよりも、まずお話に引き込まれて読み切ってしまう。読み切った後で、あれ何か変だなと思えるところがポイントだと語る。

 プリーストは翻訳に恵まれている方だと思うが、古沢さんも書かれていたように何度か波がある。最初に4冊訳された後ちょっと途切れ、『魔法』が訳された後も少し間が開き、ノーランの映画化をきっかけに『奇術師』でまた波が来た。『奇術師』はひと言で言えば、まあニコラ・テスラのやることだし、しょうがないな、と言えるような話だけれど、これも面白かった。

 そして『双生児』。名古屋での読書会に参加したことがきっかけでメモを取りながら詳細に読み込み、考えたことを自分のブログに書きためていった。第二次大戦をテーマにした改変歴史SFというのはたくさんあるが、広瀬正『エロス』が物語の構造としてかなり近いのじゃないかと感じた。『双生児』も分岐した二つの可能性世界を描いているが、プリースト自身が『双生児』について「完成された小説に一番近い」と語っていることからも、今回考察したような内容はかなり意図的に仕組まれたものだと感じている。

 『双生児』に描かれた二つの歴史は、まず英独講和が実現するわれわれの歴史とは異なる歴史(A)があり、講和が実現しなかったわれわれの歴史(B)がある。大まかにはそうなのだが、第五部で時間SFの要素(時間遡行)が入り込み二つの歴史が混交していく。(下図:たこいさんのスライドより。ネタバレに注意。クリックで拡大)

 たこいさんの分析はさらに、記憶=現実の関係からここで描かれる分岐した現実世界が二つだけとは限らないのではないかと続く。そしてそれはゼラズニイの『真世界シリーズ』でアンバーの王子が渡り歩く無限の世界に近いものでは無いだろうかと。そして複数の現実が共存するテーマとは、『逆転世界』以来、プリーストが取り憑かれている中心的なテーマなのである。『夢幻諸島から』や『隣接界』にも「同じ時間で静止している」といえる多数の世界が描かれている。

 たこいさんの分析を詳しく知りたい方は、ぜひ「クリストファー・プリーストひみつぶっく(追悼版)」をお読みください。とても面白くて刺激的です。


 本会が終わった後も、「双生児」をキーワードに突っ込んだ話が続きました。渡辺さん自身が一卵性双生児であり、プリーストの作品には双生児の気持ちが見事に描かれており(プリーストは双子のお父さんでもある)、それがテーマにも関わっているといえるとのことだった。

 さらに二次会では津田さん、大森さんも参加されて話がはずんだ。また「プリースト・ロストの後に読んだら面白い話」として、各自が色々な作品(小説、アニメ、ラノベ、映画、演劇)を紹介していた。名前が挙がったものは、ジーン・ウルフの諸作品、ジョー・ウォルトンの作品(特に『図書館の魔法』と『わたしの本当の子どもたち』)、鴨志田一『青春ブタ野郎』シリーズ、野田秀樹の演劇(「透明人間の蒸気」、「バイパー」、「エッグ」、「正三角関係」)(以上はたこいさん)、ジュリアン・グラック『シルトの岸辺』、高野史緒『グラーフ・ツェッペリンあの夏の飛行船』、映画『ユージュアル・サスペクツ』、映画『ルックバック』(以上は渡辺さん)。『グラーフ・ツェッペリン』についてはぼくも全く同感。詳しく語るとネタバレになってしまうが、構成といい、主人公二人の関係性といい、まさにプリースト!(特に『双生児』)といいたくなる傑作である。ぼくは他に宮内悠介『ディレイ・エフェクト』を挙げた。

 非常に熱のこもった大変楽しく素晴らしいSF交流会となりました。参加者のみなさま、関係者のみなさま、視聴者のみなさま、本当にありがとうございました。


 9月のSFファン交流会は9月14日(土)に、先ごろ今後原則としてSF翻訳から引退すると宣言された嶋田洋一さんを迎え「これまでの感謝をこめて――翻訳家嶋田洋一さんに訊く」と題して開催されます。ゲストは、嶋田洋一さん(翻訳家)、中條裕之さん(夢枕獏事務所)、石亀航さん(東京創元社編集者)、東方綾さん(早川書房編集者)の予定。。


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