古本屋で『国性芸術とは何か』なる小冊子を見かける。
いや、知らん、何。ということで手に取ってみた。
なんでも国性芸術というのは、田中智学発信の教化のための芸術運動らしく、この小冊子は運動解説書兼昭和十年春期大会プログラムブックであった。
で、その中に、狂言「科学戦争」なるものが。
聞いた事ないけど、これってSF演劇だよね、多分。
田中智学(1861~1939)といえば、日蓮宗系統の宗教団体国柱会を率いて戦前の日本で大変影響力のあった人。坪内逍遥と交流があったり、国柱会には宮沢賢治も入っているわけで、ファナティックなだけの宗教家ってことはなさそうだけれど、その著作に手を出すほどの興味は持っていなかったが、俄然気になり出す。
プログラムなんで他の演目はあらすじとか書いてあるんだが、「科学戦争」はキャストのみ示して、五十年後が舞台ということ以外は伏せられ、中身は見てのお楽しみ、ってことになっている。
で、田中智学の全集(師子王全集)に当たると、「科学戦争」、ちゃんと収録されてました(『師子王全集 第2輯 師子王戯曲篇(続)』師子王文庫、一九三七。あと、国柱会の機関誌<真世界>の一九六五年一月号にも再録されている。)。
同作はアクトキン国とジンギスベン国の間に紛争が起こって、戦争となったものの、勝負互角となって、国際連盟がその裁定を行う、国際法廷でのディスカッション狂言。
舞台は日本の国際連盟脱退から五十年後の未来、世界憲法の仮制定がなって国際裁判が機能するようになった世界。
アクトキン国とジンギスベン国は航空機による限定戦争で「戦術の手腕も互角、両軍の死傷も同数、航空機の損害も同数」となったため連盟によって裁決を請うことになる。
アクトキンの戦闘は戦術光線電気会社の請負事業で、ジンギスベンは航空射撃光線の優秀技術を有する会社に戦闘の一切を発注しており、民間軍事会社同士が戦争を遂行しているあたり、なかなか先見的である。
法廷では双方譲らず膠着状態となり、なんらかの打開策が見出されないかと、死傷者の実況検分へと至る。
アクトキン側の殺人光線は電気殺人光線で「放光距離一秒に百マイル、光線放射三分一秒にして衣服木材金属鋼鉄を焼き尽し、人身は皮膚を透して骨まで焼尽す、峻厳絶大の作用」を持つものであったのに対し、ジンギスベン側の光線は生命を仮死状態に陥れるにとどめ、還元療法促治光線を使えば即座に蘇生なもので、戦死とされていたアクトキン側の将校は復活をとげ、人道的に戦争を完遂したジンギスベン側の勝利と決し、舞台に黒焦げの死体、一体を残して幕という一篇。(発話者のクレジットに誤記あり)
戦争でもコンプライアンスが重視されるってのは、この時代には、なかなか斬新な切り口だったのでは。
田中智学、全集は要登録になっているが、それ以外は国会図書館のサイトで直ぐに見られるようになっているので、他にも面白いの書いてないか、どなたか掘って下さい。