内 輪 第400回
大野万紀
何と400回です。よくも続いたものだ。自分でも驚きます。支えてくださった読者の皆様に感謝いたしますとともに、まだまだ元気のある限り続けるつもりなので、どうぞよろしくお願いします。
12月のSFファン交流会はオンラインがなく、東京でリアルに食事会を開催ということで不参加でした。1月は1月20日(土)に2023年SF回顧「国内編」&「コミック編」として森下一仁さん(SF作家、SF評論家)、香月祥宏さん(レビュアー)、岡野晋弥さん(「SFG」代表)、福井健太さん(書評家)、日下三蔵さん(アンソロジスト)、林哲矢さん(レビュアー)をゲストにzoomでオンライン開催されるとのことです。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。
中国生まれカナダ在住の新人作家のデビュー作。ニューヨークタイムズのベストセラーリストでヤングアダルト部門の1位となった他、英国SF協会賞でも若年読者賞を受賞、また各種SF賞の候補作ともなっている。ヤングアダルト系なのかというと、読んだ感じでは確かに主人公とそれを取り巻く(悪者じゃない方の)キャラクター造形などはそんな感じだが、かなり強烈な残酷シーンもあり、作者が謝辞で書いているように本来は18禁なのかも知れない。
ひと言で言えば、訳者後書きで中原尚哉さんが言うとおり「中華ファンタジー・ロボットSF」である。改変歴史ではなく完全に架空の中華ファンタジーだが、よく知っている歴史上の人物名がキャラクターの名前に使われ(主人公の少女が武則天、バディとなる少年が李世民といった具合)、五行や陰陽、気といった概念が原理となって、主人公たちは霊蛹機(れいようき)と呼ばれる朱雀、白虎といった中国神話の神獣たちの名を持った巨大ロボット(とはいえ自在に変身し霊能力で動くのでロボットSF感は薄く、まさに神獣である)を操り、謎めいた敵〈渾沌〉と戦うというストーリーだ。日本のアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』がベースにあるとの話だが、ぼくは見ていないのでわからない。
この世界は技術は未来的(科学というより霊的な技術)だが、社会制度は古めかしく、とりわけ男女のジェンダー差別は強烈である。とはいえその男尊女卑の考え方は社会全体に及んでいてあらゆる階層の人々に染み渡っている。それはこの物語独自のものではなく、現実世界の中国や日本でもちょっと昔まで当たり前に存在していた(あるいは現在でも生き残っている)おなじみのものなのだ。普通の家庭の中でも女たちは蔑まれ、男の言いなりに生きることを強要される。母親もそれを常識として、娘たちに自分たちがされたのと同じ仕打ちをするのだ。
この世界は〈渾沌〉という異星の機械生物の脅威にさらされている。過去の文明はそれによって一度滅びたが、再興した人類は〈渾沌〉の死骸から作られた神獣たちを使ってかろうじて対抗している。神獣たちを操縦するのは男女一組のパイロット。ただし中心となるのは男性パイロットで、同乗する女性パイロット(妾女と呼ばれる)の霊圧(気)を吸い上げることで戦うことができる。女性は使い捨てであり、激しい戦いの後その犠牲となって死んでしまうことが多い。
ヒロインである武則天の姉も、そのようにして亡くなった。武則天はそんな不条理に激しい怒りを燃やし、自ら妾女となってこんな社会に復讐を果たそうとする。
彼女の活動はなかなか過激で、戦闘中にいきなり相手の男性パイロットを殺害したりするが、その霊圧が極端に大きいことがわかり、むしろ軍隊に都合良く使われることになる。今度の相手は過去に事件を起こしたが強大な霊圧を持つが故に生かされている李世民。最初彼に反発していた武則天だが、共に敵と戦ううちに彼の真の姿を知り、惹かれ合うことになる。一方彼女には昔から彼女にぞっこんだった大金持ちの息子、高易之という相手もいた。彼はまた大金持ちのお坊ちゃんだからかも知れないが、この物語で唯一といっていい善人であり、かつ実行力もある人間なのだ。彼の父親はメディア王であり、戦闘の様子はドローンで撮影され娯楽として配信されている(作者はユーチューバーでもあるということで、その影響もあるのだろう)。こういう設定も面白い。
戦闘シーンは迫力があり(ほとんど異能バトル)、暴力や拷問シーンは痛そうで、ジェンダー差別への怒りは本物である。悪者に対しては徹底的に容赦なく、一方で味方のキャラクターに対してはメロメロとなる。そんなバランスの悪さはあるが、とても面白く読んだ。ただし、結末のどんでん返しは(それ自体としてはSFとして悪くはないが)この物語には不要だったと思う。
2019年の『年刊日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形』に収録された「グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」の長編版。というか、あとがきによればもともと長編として構想されていたが、そのパイロット版として先に短編版を執筆したのだとある。ぼくは短篇版をKindle Singleで読んで感動した一人だ。
舞台は2021年の茨城県土浦。女子高校生の夏紀と、飛び級で大学生となった登志夫が主人公の、ガール・ミーツ・ボーイな青春SFである。だがそこには大きなねじれがある。二人のいる世界はずれているのだ。その結節点は1929年、世界一周旅行中の飛行船グラーフ・ツェッペリンが土浦の霞ヶ浦海軍航空隊基地に寄港した時点。夏紀の世界ではそこで事故が起こりツェッペリンは爆発炎上する。登志夫の世界では無事に飛び立っている。それだけではなく、登志夫の世界が(量子コンピューターが実用化し本格稼働しているが)われわれの世界とほぼ同一である一方、夏紀の世界では2021年でもソ連が存在しており、反重力物質が発見されて宇宙開発が進み、月や火星に基地が出来ているのだ。その一方でITの進歩は遅く、ようやくインターネットが広がり始めている段階。パソコンのソフトはフロッピーでインストールし、スマホは存在しない。ちょっとレトロな「空想科学小説の世界」である。でもそんなことは夏紀ら女子高校生の日常には関係ない。夏休み。夏紀はアメリカ人の先生が教える英語の夏期講習に参加し、美人でアメリカンなグレース先生にちょっとあこがれる。オカルトを信じてはいないが興味があり、雑誌「アトランティス」(登志夫の世界では「ムー」だ)の怪しい記事に読みふけっている。
夏紀は自分一人でやっているパソコン部でWindows21のインストールを(フロッピーで!)何とか終え、城跡の公園に立ち寄る。彼女は幼稚園のころ、ここで確かに巨大な飛行船を見た記憶がある。そこに「グラーフ・ツェッペリン号だ!」と叫んだ同じような年頃の男の子がいた。トシオという名前だった。懐かしさと共に確かに記憶しているのだが、本当にあったことなのか今となってはあやふやである。でも彼女はそのトシオが大きくなったような若い男性をつい最近街の中で見かけたのだ。
夏紀には不思議なことに突然機械を狂わせたり故障させたりして、機械に嫌われているという自覚がある。ありがちな話だが実際そういう頻度が多いのだ。彼女は立ち上げたパソコンでテスト的に自分宛のメールを送ってみたのだが、戯れにそこにトシオに対する言葉を書いてみる。幼稚園のころ会ったよね、と。ところが(自分宛なのに)それに登志夫からの返信があった。幼稚園のころ祖母の葬儀に土浦へ来ていたとき確かに飛行船を見たと。こんなことがあるのか。これもまた機械を狂わす彼女の能力のしわざなのか。
この物語は夏紀のパートと登志夫のパートが交互に描かれている。小さなずれが次第に明らかになり、さらに二人の時空が交錯していく。
登志夫も2021年の夏に土浦へ来ていた。土浦にできた量子コンピュータセンターにバイトという名目で研究見習いに来たのだ。土浦は彼の両親の出身地だが彼自身は幼いころに来たくらいでほとんどなじみがない。アメリカの大学にいる仲間に連絡すると、今世界中で重力波望遠鏡に異常が発生しているという。廃業した結婚式場を改装した量子コンピューターセンターの帰りに彼は公園に寄り、そこで5歳のころ飛行船を見たことを思い出す。その場にいた女の子に「グラーフ・ツェッペリンだ!」と叫んだ記憶もある。21世紀の日本でグラーフ・ツェッペリンを見るはずもないのに……。
登志夫と夏紀の二つの世界はあるはずのないグラーフ・ツェッペリンの幻影を追って明らかに交錯していく。今起こっていることを以前に体験していたかのような既視感(デジャブ)。まるで超常現象のような不可解な出来事が続き、ホラーかミステリのような世界に二人は巻き込まれていく。夏紀にはソ連の科学者の秘書という男が接近し、オカルト雑誌の知識で理解できるような超科学の話をする。登志夫の方ではコンピューターの異常なノイズの中に夏紀の画像を発見し、VRでメタバースに入って彼女を探そうとする。そしてついに登志夫と夏紀は特殊な形で再会することになるのだが……。
ここで本書はホラーではなく本格SFであることが明確になる。現代物理学の宇宙論、時間論が語られ、マルチバースの理論が語られる。時間は流れていくものではなく、点と点をつなぐようなものなのだと。二人が行くサイバースペースな土浦の町が素晴らしい。それはノスタルジックで幻想的で、過去の記憶、子どものころ見た田舎の町や祭、露天商の売り声、街並や路地裏の臭い、現在と過去、二つの世界の重なり合いと融合……。タグに触れる度に土地の記憶があふれ出す、この豊穣さ……。
そしてガール・ミーツ・ボーイな甘酸っぱい青春小説は、とても生々しい女性のリアリティに溢れていて、男性としては戸惑うほどだ。米ソのエスピオナージュ的な部分はちょっと余計だったかもという気がするが、まあ作者はやっぱりソ連を書きたかったのだろうと思う。
小説冒頭の、夏紀が世界の小さな「開け口」を思う場面がとてもいい。目立たない小さな開け口。それをうまくつまんで引っ張れば別の世界がそこにある。世界にはそんな開け口が無数にあるのかも知れない。
『工作艦明石の孤独』の外伝であるが、本編とは直接関係はない。恒星間宇宙船「コスタ・コンコルディア」の名が出てくるのは第3巻の最終章である。そこでは工作艦明石の時代から130年前にワープ航法の事故で遭難した宇宙船としてこの名が現れる。しかしドルドラ星系へ飛んだ無人宇宙船の調査で、コスタ・コンコルディアの状態はすでに遭難から450年が経過しており、コスタ・コンコルディアが過去へワープしたか、無人調査船が未来へワープしたか、時間的には矛盾をはらんでいる。調査船は惑星シドンもドローンで調査するが、すでに入植者たちの姿はなく遺跡が残っているのみ。と、何者かによってドローンが破壊される。生き残りがいたのか……。本編ではドルドラ星系が描かれるのはそこまでだ。
本書ではコスタ・コンコルディアの遭難から3千年後のドルドラ星系が描かれる。工作艦明石からは2千年以上未来の話のようだが、この宇宙の時間経過は複雑なのでよくわからない。物語の現在から150年ほど前に、惑星シドンには再び人類が訪れて入植した。その際、コスタ・コンコルディアの乗員の末裔たちはすでに文明を失っており、入植者たちは彼ら(ピチマと呼ばれる)を人間以下の存在と見なして家畜同然に扱っていた。そんな彼らを人間として認め、人権が与えられたのが75年前。しかし今でも入植者たちとピチマの間には厳然たる差別意識が残っており、ピチマの自治政府はあるものの実質的には二流市民として扱われていて様々な対立がある。
シドンの人口は200万人程度。経済規模も小さく、まだ独立した惑星政府はなくて、地球圏から弁務官が派遣されて統治している。今の弁務官クワズ・ナタールは統治上の重要問題が発生したとして地球圏に調整官の派遣を要請する。
そしてたった一人で偵察巡洋艦に乗って来たのが調整官テクン・ウマン。本書の主人公だ。彼はクワズに協力し、地球圏の権威をもって問題の解決に当たろうとする。
問題とは、ピチマの古い遺跡で謎の斬殺死体が発見されたことだ。殺されたのは誰なのか(伝説の女王イツク・バンバラという仮説がある)、殺したのは誰か(これも伝説では王位の簒奪者とされている)。だが遺跡の時代は特定されず、入植者による虐殺があった可能性も残されている。
本来調整官はこんな殺人事件の探偵役をする立場にはないが、これがこの星の政治上大変微妙な問題をはらんでおり、場合によっては植民地解散にまで及ぶ可能性もあると弁務官に聞かされるのだ。
かくてウマンはピチマである文化人類学者エピータ・フェロンらと共に、遺跡の発掘と遺体の謎、そしてシドンの複雑な政治の中に分け入っていくことになる。
ピチマという存在は現在は社会的地位も認められているがかつては人間ではないとされ、今でも偏見や差別が残されている存在である。それは現代の世界における先住民の問題、人種差別や民族差別の問題とパラレルである。単純な問題ではなく、それぞれの集団の中にも様々な分派があり対立があり、経済的な格差も存在している。本書はそれを調整官という第三者的な、そして超越的な権力を持つ目で見ながら解きほぐし、解決していこうとする社会学的なSFだ。眉村卓の〈司政官〉シリーズを思い起こす人が多いかも知れない。
同時にいったん技術文明を失った人々が過酷な自然の中で生き残っていく様を、遺跡の発掘から探っていこうとする考古学SFでもある。この考古学SFの面が意外な事実が次々と現れてきて、大変面白く魅力的だった。殺人事件の真相もここから得られるのである。ピチマに伝わる子どもの歌の謎解きは心に響いた。
ただ短い中で盛りだくさんなテーマを追求しようとしたためか、いくつかのテーマがやや中途半端になった感は免れない。続編あるいはスピンアウト短編で描かれるのかも知れないが。とりわけ、ピチマと謎の大型動物の関係については非常に重要な問題を含んでいるだけに、本編ではさらりと流すだけにして別途ちゃんと扱った方が良かったような気がする。