衝撃的な災害と事故の報道に心が千々に乱れる。いずれもまだ、全容が明らかになるには時間がかかると思います。いま、何ができるのか、何をすべきなのか。南海トラフ最前線の、紀南の実家で迎えた元旦でした……。
第十一回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞作『ホライズン・ゲート 事象の狩人』矢野アロウ を、一気に読了。繊細にして剛腕! 新しい宇宙像と個人の物語を巧みに融合し、ヒロイン・シンイーの一人称でグイグイ読ませます。超巨大ブラックホール「ダーク・エイジ」の、事象の地平線の瀬戸際で引き延ばされた時間。シンイーとイオとのすれ違っていく時間。冒頭に少しだけ、しかし強い存在感で描かれるヒルギスの特異な狩猟文化が、壮大すぎる舞台をガッチリと記号接地させているように感じました。19章で終わっていても何ら問題はない、しかしあえて、の最終章。やっぱりこれでこそSFだ、と思ったことです。この世界の人類はどのような恒星間航行技術を持っているのか、「ゲート」の向こうには何があるのか。読後の妄想は果てしなく……。
同、特別賞受賞作「ここはすべての夜明けまえ」間宮改衣 が、SFマガジン2024年2月号に一挙掲載。(2024年3月に書籍版も刊行予定らしい)大賞と特別賞の受賞作を相次いで読めました。こちらは対照的な、ひらがなを極度に多用した、癖が強い(しかし意外に読みやすい)文章で、閉塞感漂う近未来、日本の九州で、肉親との閉じた家族関係を連綿と綴る、主流文学スレスレのお話。ただし語り手の「 」(本当にそう書いてある(ない)!)は、強い希死念慮の治療のため、「融合手術」と呼ばれる、平たく言うと全身義体化手術を受けて、古典的な人間の定義から少々はみ出してしまっている。肉体が老化することのなくなった語り手が、優しい、やるせない、しばしば禍々しい時のうつろいの中で次々と家族を看取り、ひいては世界の終局を看取る。なぜ「融合手術」が語り手を救ったのか、が明かされた時の、ヒリヒリするような感覚がこの話の核のような気がします。終盤の、秋田県能代市(おそらくJAXAロケット実験場の跡地)に建設されたドーム型アーコロジーでの、ポストヒューマンであるトムラさんと語り手の、噛み合わない、しかし真摯な会話が無性におかしい。そして切ない。
選評が真っ二つに割れたのも納得、の二作ですが、案外共通点もあります。一人称の女性の語り。環境に翻弄される人間の側に視点を据えていること。そして、意外にも、ですが、どちらも、読後に「開けている」感じが残ること。シンイーも「 」も、幸せになって欲しいな。
THATTA 426号で紹介した上記講演会の講演会のアーカイブ動画と資料が公開されています。すごい時代になったなあ。
講演は、情報の観点から量子現象を読み解く「中田芳史「量子情報-量子の奇妙から情報へ、情報から物理へ-」と、最新の宇宙観を紹介する「白水徹也「2023年極限宇宙の旅-ホーキングが残した課題を道しるべに-」の二つ。
前者はブラックホールの情報的側面を扱った、まさに旬の話題。そういえば『宇宙人はブラックホールを「量子コンピューター」として使っているかも知れない』という記事もありました。『ムー』みたいなブっ飛んだタイトルですが、本当にその通りの論文のもよう。論文筆者は素粒子論研究者とSETI研究者。トンデモさんとの違いは、「もしブラックホール利用文明の形跡が観測されないなら、地球外知性の存在可能性に新たな限界が示される」と釘を刺しているところ。確かになあ。2024年1/5に素晴らしいファーストライトが公開されたX線天文学衛星XRISMを始め、観測技術が急速に進んできているので、心を揺るがすような新発見に期待したい。
後者は、宇宙観の今のトレンドをコンパクトに知る好機。我々の認識している宇宙は、高次元宇宙の「切り口」なのかもしれない。しかも、そうも考えられる、という検証不能な単なる仮説ではどうやらなく、それがもし検証できるとしたら、どうやって、というところまで話が進んできている。
Netflixで2022年1月に公開されたアニメ『地球外少年少女』を、2023年のNHK地上波再放送を機に再視聴。やっぱり素晴らしい。軽快なタッチで描かれる、国際宇宙ステーションを宇宙ホテルに改装した近未来、少年少女の溌剌としたアクション。表面の話を辿っていくだけで充分楽しいのですが、過去に人身事故を起こして厳しく規制されている人工知能技術、機能不全を起こした国連を改組した、しかし再度硬直化しはじめている「UN2.1」など、凄まじい情報量が詰め込まれています。第四話から人類史レベルの凄まじい急展開、そして五話。誠意は、きっと誠意で返してくれる。『2010年』を思い出して、ちょっと泣いた。そう、頭を押さえつけるんじゃない。背中を押すのだよね。
尺の関係で色々と詰め込みきれなかった、と聞く最終六話、人工超知能セカンドセブンには「死ぬ」気なんざ毛頭なく、地球大気上層に「自分」をバラまいて、惑星規模の文字通りの「クラウド」に自らをアップグレードした、それこそがセカンドセブンの目的だった、と思えます。
解釈が分かれそうなエンディング、私は、見えた通り、を推します。「もっと遠く」からの声。地球外の、遥かかなたの、6人目の少年少女、からの。ポストヒューマンである「クラウド」知性と人類原種は、どのような関係を築いていくのか。彼方からの呼び声に「彼ら」はどう応じていくのか。そんなことを思いました。