内 輪   第387回

大野万紀


SFファン交流会「2020年代のSF自主出版とファンジン」

 11月のSFファン交流会は11月19日(土)に、「2020年代のSF自主出版とファンジン」と題して開催されました。出演は、橋本輝幸さん(Rikka Zine主宰)、甘木零(こぼる)さん(「Sci-Fire」責任編集者)、岡野晋弥さん(「SFG」代表)、井上彼方さん(Kaguya Planetコーディネーター)。
 写真はzoomの画面ですが、左上から反時計回りに、橋本輝幸さん、岡野晋弥さん、甘木零さん、井上彼方さんです。
 昔は大学SF研究会や各ファングループがファンジンを作ってSF大会で売ったり通販したりしていましたが(今でもそうか)、今回登場のファンジンはセミプロジンといった方がいいのかも知れません。「SCI-FIRE」をはじめ多数のプロ作家を輩出しているところもあります。コロナのせいもあるのでしょうが、販売ルートもネットだったり、文学フリマだったり、海外への進出だったり、かつてのSFファンジンより広い世界を目指しているように思いました。
 橋本さんの「RIKKA ZINE」は、2019年くらいからインタビューやノンフィクションの本として立ち上げ文学フリマに出していたが、創作の本を出したいと思っていた。コロナが始まって、紙の本を全国に行脚して売っていくということができなくなって、ここはえいっと、実作の公募をしたら大勢集まった。クラウドファンディングを行ったが、それは出版費用というより、流通面での効果があったとのことでした。
 井上さんの『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』は一般書店でも販売されていますが、VG+(バゴプラ)を何年かやっていて埼玉のSF大会で藤井太洋さんから創作出版をやりなさいよと勧められ、かぐやSFコンテストを始め、そこから書き下ろしSFアンソロジーを作ったとのこと。
 岡野さんの「SFG」はSF情報誌で、その年に出たSFの情報や、作品紹介をやっている。これが面白いよというSFを紹介したい。インタビューや創作も少し載せるサークルとのこと。今回の中では一番普通のファンジンに近いんじゃないでしょうか。
 甘木さんの「SCI-FIRE」は、ゲンロン大森望SF創作講座のOB・OGで結成したSF作家のコミュニティで、SF文芸同人誌として2017年創刊、年1回文フリ東京で発売している。創刊はゲンロンの1期生の人たちが1年終わったあとさらに書きたいということで高橋文樹さんを中心に創刊された。高橋さんは作家として多忙で、新しく出版社を作ることにもなり、現在はゲンロン2期生の甘木さんが編集しているとのことでした。
 販売形態について、「RIKKA ZINE」は紙と電子書籍の両方で出していて、特に電子版はほとんどのプラットフォームに対応しています。それはブラジルや中国などグローバルなコミュニケーションに目を向けているということが大きいのでしょう。バイリンガル誌として英語版も出ています。
 VG+のかぐやプラネットはもともとがSF短編小説を気軽に書いて感想をもらえるということが目的であり、コンテストに応募された作品はWEBで読めるようになっています。VG+も海外への展開には当初から積極的でした。紙の本については、紙でしかアプローチできない人たちもおり、編集プロダクションとして社会評論社から出版することで全国の本屋でも購入可能です。
 一方、「SFG」と「SCI-FIRE」は今のところ紙での出版が中心のようです。SFGの岡野さんは、自分はただのSFファンという立場なので商業としてやるのでなく同人誌でやり、即売会で紙で売るという形でやろうとしたとのこと。またSCI-FIREは原稿を集めている間にメンバーが次々にプロ入りしたので、電書化すると短篇集に入れにくくなるのではということで電書化はしていないそうです。
 他にも、お勧めの内容紹介や編集し出版する上での苦労など、興味深いお話が色々ありました。ぼくが特に興味深かったのはクラウドファンディングの話で、兼業の会社員がクラウドファンディングをすると、一時的にまとまった収入が発生するので税金の処理が大変だということでした。副業所得が20万を超えるので確定申告が必要になり、年収に可算されるので翌年度の税金が上がってしまうとか。なるほどなるほど。
 次回のSFファン交流会は12月17日に池澤春菜さんと三村美衣さんをゲストに「SFヒッチハイクガイド」と題してSFブックガイドをテーマに開催されるそうです。

名古屋SFシンポジウム2022「SFとロック」

 前後しますが、11月6日(日)には3年ぶりの名古屋SFシンポジウムがオンラインで開催されました。テーマは「SFとロック」。
 第一部は「ロックとSFの間に」というパネルで、司会の渡辺睦夫さん(SF研究家)とゲストの添野知生(映画評論家)さん、中村融(翻訳家)さんが、主に欧米のSF作家とロックとの関係を語ります。印象では中村さんが、ひたすらマイケル・ムアコックとホークウィンドとのベタな関わりについて語っていたような気がします。
 他には最近出たジェイソン・ヘラー『ストレンジ・スターズ』の紹介。SF小説に影響を受けたロックの話で、基本的には面白くとてもマニアックで細かいが、その有機的な繋がりについては物足りないところがある。この人はデヴィッド・ボウイを中心にしているので別のSFロック史もあり得るだろう、とのお話でした。
 ムアコックとの関わりでいえば、ブルー・オイスター・カルトもムアコックが好きでトリビュート曲を書いたり、後にはジョン・シャーリイとからんだりしてSFと関係が深いとのこと。
 さらにロックがSF作家、SF小説に影響したものとして、ルイス・シャイナー『グリンプス』があり、これを紹介した小川隆さんもロックとSFをつなぐ人だった。ジョージ・R・R・マーティンは80年代に「The Armageddon Rag」(未訳)を書き、90年代はサイバーパンクそしてジョン・シャーリイ。2000年代にはサラ・ピンスカーが現れたと話が続きます。興味深い話題が多かったのですが、日本でSFとロックといえば(その昔は)プログレが中心だったように思うのですが、そっちの話はあまりありませんでした。
 第二部は「SFとロックを大いに語る」と題して、難波弘之さん(東京音楽大学教授/ミュージシャン/SF作家)をゲストに、長澤唯史さん(椙山女学園大学教授)が司会、パネラーに入江昌信(SF愛好家)さんが加わったパネルです。
 難波さんは中学2年生で「宇宙塵」に入会し、柴野拓美さんの家に行って数学を教えてもらったり、同世代の同人に勧められて洋楽を聴くようになった。柴野さんがこれを読んだらと山野浩一の「X電車で行こう」を勧められ、山野さんの家に行ったらコルトレーンなどを聞かされた。山野さんは作家の好き嫌いがすごくてマイルス・デービスは聞くなコルトレーンを聞け、スタージョンはマイルスみたいだから読まなくていい、ウィリアム・テンならいいとか。ヒッピーっぽい格好をして、そんなことを言っていたと、自身とSFと音楽への関わりを話されました。山野さんの話がいかにも山野さんらしくて面白い。
 音楽家としてのデビューの話から、79年のアルバム「センス・オブ・ワンダー」の話。アルバム作らない?と言われたが、業界に長くいてもSFファンのオタク気質が抜けず、それならSFテーマのアルバムを作ろうと軽く言った。自分ではすごく面白いと思ったのに業界では誰もわかる人がいなかった。自分の曲だけでは足りないのでSFを読ませて曲を書かせた。えらい迷惑な話だった。ジャケットも手塚治虫に描いてもらうと決めて、レコード会社はそんなの無理といったが、自分で手塚さんのところに行って描いてもらった。自分は音楽をSFに寄せた(アルジャーノンは可愛いポップでソラリスは現代音楽ぽく、リングワールドはシンセサイザーで)が、評論家からは音楽性が一貫していない、器用なだけだとこき下ろされた。山下達郎から、セカンドアルバムはもっと音楽性を出した方がいいといわれてプログレになった。でも当時プログレはもう古いと言われていた。
 SFが好きというと、難波ちゃんUFOは好きなの、とかそういうのが困る。矢追純一の特番に呼ばれて、矢追さんが「難波さん、火星には人類がいたんですよ!」と言われて「見たんですか?」と答えて失敗した。
 入江さんが、それが「反ピラミッド宣言」であり、マルチメディア幻想への反発につながるのですね、と聞くと、難波さんは、マルチメディア幻想といっても当時は小説と映画くらい。向こうではそれこそブルー・オイスター・カルトのようなバンドもあるのに。その辺が残念だなと思う、と。
 岩波「文学」に難波さんが書いた「SF音楽は存在しない」という論考について、そのテーマを今考えるとどうですかと入江さんが問うと、まあ「存在しない」といった方が面白いでしょう、と難波さん。マルティメディアも選ぶというSF大賞を音楽がとったことはなく、日本ではそういう理解がされていない。そこが残念で「SF音楽は存在しない」ということを書いたとのこと。
 音楽でしか表現できないSFというものもあるように思います。「百億の昼と千億の夜」を聞いたときにそう思いました、と入江さん。
 難波さんは、今は人類滅亡ソングを書きたい気分。持続可能な何とかと言われると反発する気分になって滅んだっていいじゃないかと思う。『猫のゆりかご』とか。吉田拓郎の「人間なんて」なんか究極の人類滅亡ソングじゃないですか、ああいうのを書きたい、とのことでした。いいですね、それ。

 新海誠監督のアニメ映画「すずめの戸締まり」を見てきました。客席はほぼ満席で、子供たちも多かった。映画は多少気になる部分もあったけれど、面白かった。
 今度の新海誠は評判どおり、一般向けにわかりやすく作られたストレートな作品だった。日本列島の下に「みみず」という超自然的なパワーがあって、それが地上に出てくると大きな地震が起こる(ただそれは意志のない、コミュニケーション不能な存在だ)。そして閉じ師という集団があり、みみずが出てくる扉を閉じ、要石で封じることで太古から災害を防いでいる。ちょっと恩田陸っぽい。
 宮崎県の町に住む高校生のすずめは、閉じ師の草太に出会い、廃墟にある扉から出ようとするみみずを防いだことで草太と行動を共にするようになる。すずめは幼いころに3.11で母を失い、叔母に九州で育てられたのだ。その幼いころの不思議な経験で扉の向こう側に入り、みみずが見えるようになったらしい。そして要石を引き抜いてしまったことから、それが口をきく猫の姿となり、草太をすずめの母の形見である子どもの椅子(足が3本)に変えてしまう。イケメン男が早い段階で子ども椅子に変身してしまうアイデアはとてもいい。異界に近い人間が異界の物になることで普通の人間同士ならあるはずの常識的な壁が崩れるのだ。ガールミーツボーイの構造を崩している。椅子になった草太とすずめはダイジンと呼ばれるようになった(SNSで拡散された、というのが今風)その猫を追って、愛媛へ、神戸へ、東京へ、そして宮城へと扉を閉じる旅に出ることになる。様々な人の支援を受け、東京では最大級のみみずを倒したが草太が要石となってしまう。そして宮城へ。中古のスポーツカーなどコミカルなところは面白いし(子供たちの笑いが沸いていた)、みみずとの戦いは迫力があり、子どもの頃のすずめと出会うシーンには心を打つ涙がある。
 全体としてはとても良かった。だがまず世界設定がよくわからない(小説版は読んでいません)。日本神話を土台として築かれているようだが、どうしてこうなっているのか、それでうまくいっていたのか、ぼくにはわからない。だってこれまで巨大地震を防げていないじゃないですか、と震災経験者は思うのだ。見捨てられた社の神様と「視える」少年少女が関わり、妖怪やら何やらがからむというのはマンガやアニメの定番だが、こんな災害規模のスケールとなるともう一つレベルが変わってくるはず。それと、一度見ただけではダイジンが何をしたいのかよくわからなかった。後でネットを見ると色々な解釈があるようで、なるほどとは思ったが。
 とはいえ、エンドロールが始まっても席を立つ人は少なく、子供たちが面白かったと言っていたので、それでいいんじゃないだろうか。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。

『神々の歩法』 宮澤伊織 創元日本SF叢書

 著者といえば今は『裏世界ピクニック』シリーズの人ということになるだろうが、幅広い作風で様々な作品を書いている。その中でもこれはぼくの大好きな本格SFアクションものだ。
 本書は2015年に創元SF短編賞を受賞した表題作とその後発表された続編2編、さらに書き下ろしの新作を加えた連作長篇である。
 宇宙から地球に(大抵は遭難者として)やって来た凄い能力を持つ異星人が、たまたまそこにいた地球人に憑依して……という話は、ハル・クレメント『20億の針』を代表に数多くの作品で書かれてきた(日本では『ウルトラマン』もそうですね)。この作品もその流れにあるが、ここで宇宙から落ちてきたやつらは皆どこか狂っていて、温厚な農夫に憑依して一瞬で北京を廃墟にするような悪鬼もいれば、少女に憑依してそいつと戦う気弱な「船長」もいる。基本は壮絶な異能バトルが中心となるが、人間側の動きも全く役に立たないわけじゃないし、情景描写や人々の感情描写も細やかで読ませる作品となっている。そしてあとがきでバラされているが、ゲームを中心とした先行作品へのたっぷりのオマージュ。全く分からないものもあれば、いかにもと腑に落ちるものもある。

 始まりは表題作「神々の歩法」。何といっても様々な要素を最小限にそぎ落とし、ほぼ異能バトルのみに集中させているところが衝撃度を増している。しかもその最小限なひとつふたつで世界観や背景をしっかりと想像させるのだ。さすが手練れの技である。「球状星団の重力均衡に吹き溜まる恒星間物質のプール!/次元の狭間に横たわる超曲面の都市!」。「ブレードランナー」を思わせるこんな言葉だけで想像が広がる。大都市を焼き払う敵の悪鬼ぶりに対し、ヒロインは子どもっぽい心に超常的な力をもつ女の子ニーナ。彼女に振り回される米軍の戦争サイボーグ、マッチョなオブライエンの戸惑いもいい。ニーナたちに憑依している異星人は高次元存在で、3次元以上の見えない次元をまたいで動く。そのパターンを3次元から見るとまるで舞踏のように見え、それが「歩法」というものだ。ユーン・ハ・リーの「暦法」を思わせるが、こっちの方が早い。硬質なアクションの合間の、細やかな情景描写がまた良い。

 続く「草原のサンタ・ムエルテ」では「死」を振りまく女、カミラが日本に現れる。ニーナとオブライエンたちは日本に向かい、この新たな危機と対峙する。だがオブライエンたちには危惧がある。ニーナは今のところ人類の味方ではあるが、精神年齢は8歳の女の子で、同じ能力を持つ憑依体の「友だち」を求めてもいるということだ。ひたすら暴力をふるった前回の敵と違い、今度の敵はそんな心理的な弱点を突いてくるかも知れない。この回でオブライエンたちを指揮する者として、CIAのマッケイが登場する。何とも管理職然とした、政治将校みたいでいけ好かないやつだ。だが彼は、現場のオブライエンたちとはまた違った使命感を持って人類の危機に当たろうとする。そして、ニーナとカミラの戦いの決着は……。

 「エレファントな宇宙」の舞台はアフリカ。新たな憑依体がコンゴの奥地に出現したのだ。オブライエンたちはコンゴ川を下り、そこに異様な光景を見る。今度の敵はこれまでとはまた違った様相を呈する。何と一人の人間ではなく、20頭近いゾウの群れ全体が憑依されたのだ。ここではまた、アフリカ奥地の仏教寺院や高次元空間からの実体のダウンロードといった興味深い事象が描かれ、また異能バトルだけでない通常兵器による戦闘も描かれる。激しい戦いには変わりないが、全く違う価値観同士の戦いのむなしさ、寂寥感といったものも漂う物語となっている。

 そして書き下ろしの「レッド・ムーン・ライジング」。ニーナたちが基地としているエリア51にUFOが現れる。さらに昔計画されたが実現しなかった航空機も。今度の敵は手強い。何しろ「現実改変」能力を使う敵なのだ。姿を現した彼の力により、世界はどんどん書き換えられていく。オウム真理教を国教とする「真理ソビエトロシア」軍(!)によるアメリカ侵略も始まる。もっとローカルな部分も現実と改変された現実が混在し、無茶苦茶になっていく……。まるでディックの世界だ。そしてどことなく『裏世界ピクニック』の雰囲気も感じられる。この世界の変容ぶりがとても面白い。今度の戦いは月の裏側にまで向かうことになる。著者はあとがきで、時代錯誤な帝国主義ロシアがアメリカを侵略する話を書くつもりだったが、本当にロシアの帝国主義者がウクライナに侵攻する事態となってしまったので、大幅な書き直しを余儀なくされたと書いている。本当に冗談じゃない。ところでこれまでイヤな奴だったマッケイがこの作品では人間的な内面を深掘りされ、ほとんど主人公のように扱われているのも面白い。そりゃ、彼以外の登場人物はみんな「人間」じゃないもんね。シリーズを通してぼくが一番好きなキャラクターは、気弱だがやるときはやる〈船長〉なのだが、ここにきてマッケイの株も上がったよ。

『前恐竜時代 失われた魅惑のペルム紀世界』 土屋健 ブックマン社

 買ってから少しずつ読んでいた。恐竜たちの王国である中生代が始まる前、約5億4千万年前から2億5千万年前まで続いた古生代の最後の4千7百万年、ペルム紀に特化した一般向けの科学書である。挿絵が多くて文章も読みやすいが、この時代の生物名は長くて耳慣れないものが多く、そういう意味ではすんなりと頭に入ってこないきらいがある。ディメトロドンやエリオプスはまだ有名だからいいけれど、イノストランケヴィア、ディプロカウルス、エダフォサウルス、ディアデクテス、ゴルゴノプス、ディイクトドン……などなど、それぞれ重要な種なのだが、カンブリアモンスターであるアノマロカリスやオパビニアの方がずっと知名度が高いだろう。
 また本書ではそんなペルム紀生物に光を当てるためか、食玩やぬいぐるみ、ゾイドといった玩具に反映されたペルム紀生物にも一章が与えられている。いかにもマニアの技である。
 ぼくのような何十年も前の図鑑の知識しかないような者にとって、古生代とは、カンブリア紀からデボン紀までのアンモナイトや三葉虫など海の生物の時代、それから湿地と大森林と巨大トンボが飛ぶ(ナウシカの腐海みたいな)石炭紀、そして両生類や「哺乳類型爬虫類」(と昔はいっていたが今は爬虫類とは別ものとわかり単弓類と呼ぶのだ)がのっそりのっそりと歩くペルム紀というイメージがある。石炭紀の方がまだ印象的で、ペルム紀というとまさに恐竜時代が始まる前の地味な時代という感覚だ。本書を読んで新たな知識を得、いやあ、確かに魅惑的でなかなかのものだなと面白かったのだが、それでもやっぱり地味、ひたすら地味な印象は変わらない。この時代にタイムトラベルできたとしても、あんまり人気スポットにはならないだろうなと思う。
 とにかくまずは単弓類である。われわれ哺乳類はこの単弓類の一部から進化した。爬虫類は単弓類とは別個に両生類から進化したものの子孫である。昔習ったように脊椎動物は魚類から両生類、爬虫類、哺乳類と順番に進化したわけではないのだ。ペルム紀にあった大陸はたった一つパンゲアのみ。気候は後半になると温暖化していくが基本的に寒冷で、大陸の中央には乾燥地帯が広がり、海に近いところはシダ植物と裸子植物の森林があった。草も花もなく、空に鳥はいない。風の音以外は静かな世界(とはいえ昆虫はいたから虫の音はあったかも)に、のそりのそりと背中に帆を生やしたディメトロドンががっしりした四肢で歩いている。本書はそこから様々な単弓類の姿を紹介していく。鋭い歯を持つ大きな獣のようなイノストランケヴィアなど、後に哺乳類を生むことになる新型の単弓類(獣弓類)の繁栄。またどっしりした最強の両生類エリオプスや、三角頭の両生類ディプロカウルス、爬虫類の先祖たちもいる。
 しかし2億5千万年前、破局が訪れる。地球史に残る大絶滅「ビッグ・ファイブ」の最大のもの、古生代を終わらせた史上最大の大絶滅である。大規模な火山噴火や急速な温暖化が原因かも知れないが、まだはっきりしていない。ともあれのっそりした「地味な」時代は終わり、駆け回る恐竜たちの時代が幕を開けるのである。
 ところで、ペルム紀生物の大きさを比較するのに、筆者の飼っているラブラドール・レトリーバーが何度も出てくる。何だかとても可愛いので、これはもうぜひ彼女の写真を見てみたいなあ。

『箱庭の巡礼者たち』 恒川光太郎 角川書店

 箱の中に世界がある。洪水の後、廃棄物の中からその箱を拾った少年はそこに中世風の世界があることを知る。それが見える人もいれば見えない人もいる。言葉は聞こえず、直接触れることもできない。ただ箱庭世界の様子を眺めることができる。それだけではない。一方通行ではあるがその世界にこちらの物を送ることができるとわかる。そして少年の友人、こちらの世界で不幸だった少女は思いきって箱庭世界へと旅立つ。
 第一話「箱の中の王国」はそんな話である。異世界転生ファンタジーと似た構造をもっているが、竜や吸血鬼がいるにもかかわらず箱の中は確固とした現実の世界なのだ。リアリズムが全体を貫いている。そして箱庭世界は一つだけではなく、どうやら無数の異世界があってそれらはどこかでつながっているとわかる。ここまでくればはっきりとSF的な世界観である。作者の過去の作品でも似たような物語はあったが、どちらかといえば仮想現実的というか人工的な世界が描かれていたように思う。だがこの作品で描かれる異世界にはまさにSF的な意味でのしっかりしたリアリティがあるのだ。
 「箱の中の王国」に付随する「物語の断片1 吸血鬼の旅立ち」では、箱庭世界のような一方通行な世界だけではなく、双方向に行き来できる異世界もあり、その中には科学技術が進み次元鉄道で世界をつないでいるところもあることが描かれている。何ともワクワクする設定だ。

 第二話「スズとギンタの銀時計」ではトーンが変わる。物語は大正6年の日本の炭鉱町から始まる。両親がいなくなった13歳の姉スズと9歳のギンタは大阪へ出て働き口を見つける。スズは謎めいた初老の外国人男性ショーンと過ごすようになり、成長して悪ガキとなったギンタは不良と喧嘩したあげくヤクザにからまれるようになる。スズは失踪し、ショーンは死んだと人伝てに聞くが、ギンタのところに帰ってきたスズはショーンの持ち物だったという銀時計の話をする。その銀時計は未来へのタイムマシンだったのだ。スズの失踪もそのためだった。時計の針を設定すれば最小で3時間、最大で50年ほどの未来へ飛ばされる。過去へは戻れない。スズとギンタは銀時計を使って昭和2年に飛び、東京へ出て新たな暮らしを始める。スズの知恵により時間を飛んでも暮らしが守れるように不動産を手に入れたり様々な工夫をして数年ずつ未来へと飛んでいく。だが跳躍には副作用があった。得体の知れない怪物が次第に近づいてくる気配がするのだ。戦争は跳躍で飛び越えたが昭和30年、ついに二人は怪物に追いつかれる。だがスズの機転で二人はそれを逃れ、銀時計は失われたが穏やかな暮らしを手に入れる。ここでは時を越える銀時計というSF的な小道具が出てくるが、物語はそれよりも激動の日本史を背景に、賢くて勇気のある姉弟が現実の生活の中でそれをどのように活用し、運命を切り開いていくかが小気味よく描かれていてとても気持ちよく読める。スズはその後有名な児童文学作家となり、沢山の作品を残す。それがまた後の物語で効いてくるのだ。
 「物語の断片2 静物平原」では銀時計のその後が描かれる。次元列車の停まる静物平原。第一話と縁のある乗客二人が降り立つ。そこは太古の合戦の場だったが、時空振動で時間が止まり、兵士たちが停止したまま佇んでいるのだ。それは銀時計という時空機械が引き起こしたのではと言われているのだった。そして二人は……。

 第三話「短時間接着剤」は第二話の続きであり、ユーモラスな短編である。近未来の房総半島、発明家の海田才一郎博士が作った短時間接着剤は超強力な接着力をもつが効果は7時間しか持続しない。それを富豪令嬢のような謎めいた少女が買いに来る。話変わって特殊詐欺グループの幹部が新たな受け子の女を引き入れる。だがその女は金を受け取った後姿をくらます。女のいるはずの部屋に踏み込んだ幹部の男はそこで身動きできなくなる。あの接着剤が使われたのだ。犯罪者たちを愚弄し振り回す富豪の少女。この少女の物語をもっと読みたくなる。
 「物語の断片3 海田才一郎の朝」では博士とその後の物語のつながりが明かされる。海田才一郎は児童文学者となったスズの弟、資産家であるギンタの孫であり、スズの書いた物語のファンでもある。彼はAI内蔵の多機能ロボットを作り、そのロボットと〈銀時計の冒険〉シリーズなどスズの書いた小説の話をしているところだ。だがロボットは彼の知らない話を始める。〈銀時計の冒険〉は半分真実であり、この世界で〈黒囃子〉に回収された銀時計は別の世界でルルフェルという吸血鬼の手に渡ったのだと。そしてロボットにはシグマという名前がつけられる――。

 第四話「洞察者」も短編で、起こりうる事件を予知する超洞察能力のあるギフテッドの少年が主人公。物語は研究所で生活し学校に通っていた彼が独立し、彼女をつくり、その彼女の秘密を知ってというように日常の中の異常をめぐって展開する。ふと出会った犯罪を犯す前の犯罪者を超洞察によって助け、彼の再起を支援するといった話もある。その中でAI搭載ロボット・シグマが登場する。それが本編と他の物語を結びつける――。
 「物語の断片4 ファンレター」では作家のカイダスズに中学生の女の子からファンレターが届く。そこには夢の中で見たという、スズの作品には描かれていない吸血鬼ルルフェルたちの世界の話が書かれていた。それはほとんど本書の種明かしに近い物語である。彼女はスズ先生の書く物語を自分が未来予知したのではないかと書いていたが、スズはそうではないと答える。そしてその物語が弟の孫、才ちゃんが作ったAIロボットの話した出典不明な物語とほとんど同じだと言い、そしてその物語はあなた自身が書くべきだと答えるのだ。

 第五話「ナチュラロイド」は再び異世界の、遥かな未来の話となる。小学生のナービは自分がテストによる振り分けでレゼの町の王様に選ばれたことを知る。王宮に入るとヌイグルミのようなモックモンがこれから世話役になるという。レゼは壁に囲まれた小さな国で、人間ではないペルペル人が支配している。ただし王となったナービは人間だ。ぺルペル人というのはナチュラロイド、すなわち人工知能をもつ有機ロボットのことだった。かつて起こった大災害から、人類は小規模な分散型社会を選択し、ほとんどの生産をAIとナチュラロイドに委ねたのだ。ナービが王になっても牧歌的な日々が続いていたが、ある時、6年前に先王が反乱を企て殺人罪で捕縛されたうえ自死を遂げたことを知る。それを促したのが親衛秘書官だったシグマだったということも。事件の深層を知ろうとしたナービは、ついに――。ところで、見た目といい、最後の姿といい、モックモンて明らかにあの猫型ロボットだよね。

 第六話「円環の夜叉」でも異世界が描かれる。この世界は海に囲まれた円形の大陸で、海の外へ出ることはできない閉鎖された世界である。主人公は湖で事故に遭い、気がつくと80年がたっていた。回りは知らない人ばかりで人の血を吸う伝説の存在〈夜叉〉と疑われて牢屋に入れられる。その彼をクインフレアという名の女が助けに来る。彼女は湖で死にかけていた彼に〈鉱魅(こうみ)〉を飲ませて鉱物化させたのだという。鉱物化した80年を過ぎると、ロックと呼ばれる不死者となって生き返るのだ。彼が連れて来られたのはロックたちが共同生活する館だった。そこには豹の姿をしたシグマという存在もいた。ロックは不死者といわれるが不死ではない。ただ歳を取ることはなく、大抵のケガなら鉱物化して直る。何年もの後、彼はクインフレアの勧めでロックたちの上部組織である〈沈黙協会〉に所属し、宮廷や図書館や様々な仕事を転々として、人間に襲われて再び鉱物化したりしながら時が過ぎていく。何百年もの間にこの世界でも科学が発達し、海の向こうに時空障壁があることもわかった。だが再会したクインフレアの話によると〈沈黙協会〉だけが知る事実として、この世界は数百年後に滅びるのだ。その後世界はまた復活する。そんなサイクルが繰り返される。そしてロックの一部はそんな破滅をも乗り越えて生き続けることができるのだと。三つ前の世界は今より科学力があり、海の外の世界と通信ができた。その時に時空障壁を越えてダウンロードされてきたのがシグマだという。そして彼も〈滅び越え〉の決意をする――。壮大な物語であり、本格SFである。ちょっと『三体』を思わせるところもある。
 「物語の断片5 最果てから未知へ」は短く、希望に満ちたエピローグ。ルルフェルと少女クインフレアの物語。そう、これは少女が物語の主人公となる、未知なる冒険の計画書なのである。

 多世界を巡る物語という観点から見てきたが、本書はまた帯にあるように「迷える人々への”異能”(ギフト)は祝福か、呪いか」という物語でもある。第三話と第四話は物語自体に異世界との直接の結びつきがないことからも、そういう観点で見た方が相応しいかも知れない。一方、多世界の連環という目で見れば、第一話から始まるルルフェルと絵影久美(その孫のミライ・エカゲ・リングテル、その孫のクインフレア)の世界線がある。そして第二話から始まるスズとギンタ、その孫の才一郎と彼が作ったAIシグマ)の世界線がある。これはまた銀時計と時空変動の物語でもある。シグマの世界線は第三話と第四話ともからまり、それ以後の物語ではさらに重要な役割を果たす。ルルフェルの世界線は物語の断片にも言及はあるが、第六話でシグマの世界線と合体するのだ。こう書くとややこしそうだが、そんなことはない。とても面白かった。

『工作艦明石の孤独 2』 林譲治 ハヤカワ文庫JA

 2巻では物語の大きな展開はなく、1巻で提起された問題がそれぞれ深掘りされていく。
 まずはアイレム星系で異星人イビスに救助(?)された工作艦明石の椎名ラパーナと異星人との、ファーストコンタクトの物語。ラパーナは初めはイビスのロボットと、その後ペンギンみたいな姿をしたイビスの本体とコミュニケーションを試み、互いにそれを進めていく。少しずつ、確実に、互いに理解できそうなところから、双方のAIの力も借りて一歩一歩進めていくのだが、このパートが大変面白い。イビスたちはラパーナに対してとても友好的で、わからないところは後回しにし理解を積み上げていくのだ。そして互いの社会行動の一端や出産システムについてわかるところまでくるのだが……。
 次にはワープ不能になり地球圏から孤立したセラエノ星系での、150万市民の文明存続を目指す体制作りの物語。ここでは少ない資源と人的リソースをいかに効率的に回すか、意思決定をスムーズに確実にできるようにするかという問題に対して、マネジメント・コンビナートという組織が提案される。それは案件ごとに必要な市民が参加するプロジェクトチームのようなものだが、それぞれが立ち上がりつつもチーム間で相互の人的なやり取りがあり、ネットワーク内で全体の調整が自動的に行われる。それは生物細胞内のDNAとRNAによるタンパク合成の仕組みを模した社会組織となるのだ。輸送船津軽の西園寺艦長はじめ、地球から来た人々もそれに巻き込まれていく……。
 最後にセラエノ星系の工作艦明石、地球の偵察戦艦青鳳(せいほう)の物語。アイレム星系で行方不明となった椎名ラパーナの救出とさらなる情報収集のための計画を立てる。工作艦明石は再びアイレム星系へとワープし、そこに宇宙ステーションを設置するのだが……。
 本書ではイビスの生態が次第に明らかになっていくことを除けば、地球に帰りたいという人たちの起こす小さな事件以外、物語上の大きな進展はない。ストーリーが地道に積み上げられていくというイメージである。作者のシリーズはいつも結末で驚かされるが、今回のは想定範囲。おそらくは次の巻あたりで思いもかけない展開が待っているのだろう。ドキドキ。


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