内 輪   第386回

大野万紀


 10月のSFファン交流会は京都SFフェスティバルの合宿企画として開催されました。レポートは京都SFフェスティバル2022レポートの方に掲載しましたので、どうぞよろしく。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。

日本SF作家クラブ編『2084年のSF』 ハヤカワ文庫JA

 昨年の『ポストコロナのSF』に引き続き、日本SF作家クラブ編で5月に出たオリジナルアンソロジー。池澤春菜会長の「まえがき」と榎木洋子事務局長のエッセイ「SF大賞の夜」の他、23編が収録されている。23編は【仮想】【社会】【認知】【環境】【記憶】【宇宙】【火星】と題されたテーマ別にざっくり色分けされている。

 冒頭にくるのは 【仮想】テーマの3編。

 最初は福田和代「タイスケヒトリソラノナカ」。奇妙なタイトルだが、VRのユーザアカウント名である。野島タイスケは十代半ばから仮想空間に引きこもりそのまま出てこなくなった。以後現実世界には戻らず、病院の個室で寝たままの生活をしている。ところが両親が亡くなり、治療を継続する費用が出ないため、一般病棟へ移してリハビリを始めようとしていた。その矢先、彼が何者かに拉致されてしまう。80歳近い警部真鶴がこの事件を担当することになり、捜査を始める。タイスケは仮想世界では音楽家として有名人だった。彼の仮想世界の銀行口座には多額の残高もある。しかし……。短い作品なのでちょっと説明不足で腑に落ちない点もあるけれど面白かった。仮想世界での生活を描く作品は多いが、確かにそっちへ入り浸ってしまうと現実世界の肉体はどうするのかという疑問がわく。この前読んだSFでは肉体は脳だけになってロッカーみたいなところで保存されていたけれど。

 青木和「Alisa」に出てくるのは仮想ペット。Alisaというのは高度なAIアシスタントの名前だ。だがテーマは仮想現実というよりあらゆるものが記録され監視される社会への疑問である。主人公はこのシステムの開発者。だがある朝、彼女は小さな不調が起こっているのに気づく。システムが事故を防ぎ犯罪を防ぐという意味で社会に受け容れられていても、そこからはみ出す人間もいる。だがそれは二者択一ではなくどこで折り合いをつけるのかという問題だろう。さもなければその隙間に大惨事が潜んでいるのだ。

 三方行成「自分の墓で泣いてください」は不思議な小説で、「仮葬空間」という、墓所が立ち並び無限に葬儀が行われている仮想現実世界(この発想は面白い)が舞台。語り手は呼ばれてもいないのに葬儀に紛れ込んで泣くのが生きがいというバンシーで、葬儀の途中にいきなりニンジャが出てきて参列者を皆殺し(?)にし、さらに現れたゾンビたちと戦う。冒頭ですでにストーリーのある普通の小説ではないことがわかる。退屈なもの(人の葬式のような)をいきなりぶち壊して物語を破壊する、これはいわゆる〈ハプニングニンジャ理論〉に触発された小説なのだろう。扉の解説ではぼかしてあるが、ズバリ書いてしまった。ただ、ここではニンジャがその後もくどくどと自分語りを始めるので、カタルシスはなく、むしろゾンビの方が目立つから(このゾンビはIT用語のゾンビ――終了したはずなのに終わっていないプログラム――なのかも知れない)ハプニングゾンビ小説という方がいいのかも。

 本文中に区切りはないが、目次によると次の3編は【社会】テーマ。

 逢坂冬馬「目覚めよ、眠れ」では新技術によって起きたままでも30分で睡眠を取ることのできる無眠社会が訪れる。これまで睡眠により無駄にしていた時間にも働いたり勉強したりできるようになった超高度生産性社会である。しかしごく低い確率でこの技術が適用できない者がいた。主人公の僕もその一人。僕が寝ていると夢の中に侵入してくる者がいる。それがカズキ。高速睡眠技術をハッキングしているのだ。普通なら30分で夢から追い出されるはずが、僕は8時間もそれが続く。僕はカズキと夢の中で共に過ごし、仲良くなる。そしてついにカズキの正体を知ったとき……。後半で明らかにされるこの社会の真の姿はかなりおぞましい。結末はちょっとストレート過ぎる気もするが、面白かった。

 久永実木彦「男性撤廃」では生殖に男性が不要となり、全ての男性が冷凍保存されて女性だけになった第三次世界大戦後の社会が描かれる。男性の解凍を主張するデモ集団と男性の抹殺を主張するデモ集団を横目で見ながら職場に向かう主人公は、東京にある男性冷凍保存施設のシステム監視をしている。同僚と普通に世間話をしていると異常が発生。冷凍カプセルの不具合で1人の男性が解凍フェーズに入ったのだ。生まれてから本物の男性を見たことのない主人公はおっかなびっくり現場へ向かうのだが……。昔のSFにでもありがちな話だが、確かに現代的な味付けがされている。その結末は苦い。

 空木春宵「R__R__」は変わったタイトルだが、アンダーバーの所に何が入るのか、読めばすぐに思いつく。でもそれが正解かどうかはわからない。とにかくロック小説である。地球規模の大地震により世界が変貌し、人々から拍動(ビート)が失われた。ビートは、リズムは、人々の心身に深刻な悪影響を及ぼすというので禁止されたのだ。この社会ではビートが取り締まられ、音楽は古典的でゆったりとした大人しいものだけとなった。そして〈B・B〉という人々に組み込まれたナノマシンが〈自己責任〉を強調し、人々は受け身でしか思考できなくなっている。何というディストピア。しかしこういう設定は実はこの作品ではあまり重要ではないというか、作者が思いっきりハメを外すための装置としてそれらを使っているのではないかと思う。主人公が電車の中でリズムを刻んでいる少女と出会い、やがて激しいリズムの、ダンスの、ライブのとりこになっていく物語を、デヴィッド・ボウイの言葉を引用しつつ、ルビによって受動と能動の二つの思考のせめぎ合いを描く。その結果として「ビートを届け、耳を、膚を、おっぱいを、おしりを、それから内蔵までをも震わせ」る物語なのだ。

 続く4編は【認知】テーマ。

 門田充宏「情動の棺」でも人々の脳に感情を制御する機器(イーコン)が埋め込まれた社会が描かれる。ユーザによる細かい情動のコントロール設定が可能なのだが、それは大変なのでプリセットが用意され、必要に応じてインストールされるというのがありそうで面白い。この社会はまた育児が親ではなく公的機関や社会全体で行うものとなって家族の形が変わった社会である。主人公も国から養育保護者(養保)の資格を得た医師に引き取られた5人の姉妹の一人だった。だが彼女の目の前で、4年ぶりに出会った養保の彼はにこやかに自分の頸動脈を切って自殺する。それを見た主人公は悲鳴を上げるでもなく、淡々と冷静に対処する。情動制御のなせる技だ。だが事件性はないものの、イーコンの不具合を疑う調査官が主人公に聞き取りを行う。そして明らかになるのは恐るべき事実だった……。新しい家族の形、そして自分の感情の適切なコントロール、そういった「より良い」関係へと向かうはずのものが悲劇を生む。イーガン的なテーマをリアルな社会性の中で描いた読み応えのある作品である。

 麦原遼「カーテン」では事故で脳神経に障害を負った四百余名が冷凍睡眠の被験者となり、32年後に治療不能な者を除き多くが目覚めた後の顛末を描く。そのほとんどは順調に回復したのだが、中には適応困難となった者もいた。その内の何人かは数学者で、目覚めた後ある種の数学的な感覚が失われたというのだ。主人公はそれでも数学の命題を自動的に発見するというシステムの開発に関わっていく。「ひとがある数学的対象をどう感じるかは、そのひとの研究の上では重要だが、そのひとの手によって導出された結果の正当性はこれと別である」というような、過程の個別性・属人性と結果の普遍性との乖離。それは数学だけでなく、普段あまり気にしてはいなくても日常の社会生活の中でもあるものだ。それを意識するとき、シミュレーションゲームの世界は現実の、認識の不確実性と重なり合う。壁のカーテンの向こうに本当に窓はあるのだろうか。空はあるのだろうか。

 竹田人造「見守りカメラ is watching you」。92歳の佐助は有料老人ホームからの脱走を試みている。だがそれは他の入居者から今日はどこまで行けるだろうかとはやし立てられるような恒例イベントとなっていた。本人はその気でも、介護ドローンや警備ドローンの方が上手で、口八丁手八丁で彼をいつも連れ戻してしまうのである。彼は物忘れがひどいのだ。だが彼はついに協力者を見つけ、大脱走に成功する。爆笑ものでコミカルに描かれているが、これは人は物語を作り上げることによって、その中で生きているのだというお話である。登場人物がいうには、コミュニケーションとは相手の物語を察して自分の物語との整合点を探ることだ。だが歳を取ると物語は断片的となり整合性が取れなくなって他人を苦しめることになる。佐助が陥っているのもそんな不整合だ。しかしこの物語の結末ではそんな断裂が解消し、心温まるハッピーエンドとなって終わるのである。

 安野貴博「フリーフォール」は思考を加速する技術が実現した未来の話。加速により外部の世界と時間の流れが大きく異なるというアイデアはそれこそ「8マン」の昔からいくつも書かれてきたものだが、この作品はそのアイデアを究めたものの一つだろう(コンピューターがテーマならもっとあるだろうが)。何しろ主観的な思考速度を普通の時間感覚の10倍どころか、10の8乗倍にまで加速できるというのだから(何でそんなことができるのかはわからない)。大統領と某国首相の間で平和条約締結の会議があり、主人公はその警護をしていた。しかしテロリストの襲撃に会い、大統領と主人公は高層ビルから落下する。地上まで後15秒。だが加速時間の中の二人には時間はたっぷりとあった。そこで……という物語である。ワンアイデアではあるが、とても面白く読んだ。

 【環境】が3編。これはいずれも心に響く傑作だった。

 櫻木みわ「春、マザーレイクで」は2084年が舞台で、琵琶湖の中にある小さな島(著者は実際に「沖島」に移住されたとのこと)に高層住居が建ち並び、SDGsなり循環型社会なりが実現している。そこでは数千人の人々が自給自足ながら豊かで平穏な暮らしをおくっている。主人公は13歳の少年。彼は図書室で『一九八四年』という本を見つける。その100年後の今、彼は本と同じ日に日記を書き始める。この島は孤立している。湖にはAI漁船が浮かんでいるが、島の外は「感染症、戦争、そして厄災」によって大きく変化しているという。主人公にはぼんやりとしかその状況はわからないけれど、不穏なものがあることは間違いない。友人の少女と彼は図書室を調べ、30年前より新しい本が1冊もないことに気づく。平和だが強制された循環型社会が描かれ、子供たちの抱く閉塞感とそこに浮かぶ小さな希望が心を打つ。

 揚羽はな「The Plastic World」ではプラスチック汚染を解決するために作られた分解菌が暴走し、世界からプラスチックが消える。多くのインフラが失われ、人口が激減する大災害となった。主人公である松嶋の家族も東京からの移住を余儀なくされる。2084年、宇宙エレベーターの技術者だった彼に、移住先の桑畑で働き、シルク弁当を食べる毎日が続く。ある日、廃棄された太陽光発電所の跡で、まとわりついた蔦が電気を通すようになっているのに気づく。それは未来へと繋がる希望の光だった。大災害後の日常を淡々と描きつつ、そこで生きる人々の平凡な暮らしが情感豊かに描かれる傑作である。

 池澤春菜「祖母の揺籠」。海で暮らし体内で30万人の子供たちを育てる直径50メートルほどのクラゲのような「祖母」ということで、読む前はラファティみたいな奇想小説だろうと思っていた。実際に読んでみるとずっとシリアスで重いSFだった。擬鰭という全身を覆う薄い生体膜を揺らめかせて泳ぎまくる海の子供たち。「祖母」であるわたしは「おばあちゃん語」で彼らと話をする。子供たちは海の底で古い潜水艇を発見したようなのだ。それはボロボロになった初期の「祖母」である。わたしもかつては人だった。地球温暖化で都市が水没し、悪化していく地上の環境で細々と暮らす人々の一人。だが祖母検査に受かったわたしは海で暮らすことになった。紡錘型のカプセルに入り、50メートルのクラゲをコントロールし、海の子供たち――深海底で人類の情報を保持するデータバンクをメンテするために生まれた――を育てる「祖母」となって。いつの日か、再び地上で桜を見ることの出来る日を夢見て。切なく、美しく、でも前向きな希望のある物語だった。

 【記憶】テーマは4編。

 粕谷知世「黄金のさくらんぼ」ではカメラやビデオなど古い光学器械を展示する小さな博物館に入った主人公が、そこで21世紀前半に使われた「サクランボ」と呼ばれる情報保存機器を手にする。それは身につけて眺めた景色、耳にした音声を録画し続ける装置だった。人生をまるごとデータ保存するその機械は54年前に廃れた。データを保存するサービスをしていた企業が、最後の1年分を除くオリジナルデータを全て消滅させるという事故を起こしたためである。館長が見せてくれた情景は、彼の家族のものだった。失われた家族の肖像。大事な思い出も、そうでないただの記録もデータとして見たときには違いはない。その「意味」を知り、感じるのは、また人の記憶のなせるものなのである。しみじみとする作品だ。

 十三不塔「至聖所」で扱われるのは脳スキャンによる記憶のコピー。27歳で死んだ天才的な歌姫、異相きあろは死後すぐに脳スキャンするよう遺言を残していた。主人公は記憶復元技術者で、きあろの熱心なファンだった部下とともに彼女の記憶の復元に取りかかる。きあろは19歳の時、電車で居眠りした男のイヤホンを拾って「見つけた」と囁く。17歳のきあろは汚れた沼地を歩き手を差し伸べる。そこには捨てられたキャンパスがあった。きあろの記憶の聖地巡礼を続けるうち、主人公は彼女と自分との関連に気づく。すれ違っていく軌跡。記憶によるタイムトラベルは過去を思い出すことで誰もが行っていることだが、ここではその記憶に別人がからまることで、より複雑でもつれ合った時間線を再現することになる。そこで見えてくるのは見失ったもの、失われたものへの強い執着であり、情感なのだ。そして露わになる真相……。

 坂永雄一「移動遊園地の幽霊たち」はブラッドベリへのオマージュを含む仮想現実の物語。街は企業が運営しており、12歳の「君」はバーチャルな「弟」を伴って街のゲートを抜ける。廃棄された市街地に巨大なトレーラートラックが停まり、大きなテントを張っていた。「サーカスだ」と「君」は思う。もちろん本当のサーカスではないことを知っている。そこにいた博士を名乗る老人はこれが移動博物館だという。恐竜の化石や動物の剥製が動き出しもせず、ただ置いてある。「君」は保存棚から落ちた頭蓋骨を手に取る。博士はそれがかつて日本列島にいたサルの骨だという。「君」も「弟」も飽きてしまい、博物館を後にする。だが過去の記憶、幽霊たちは目覚めた。語り手であるわたしもそのひとつ。現実も、仮想現実も、そして過去の記憶も全てがこの「サーカス」の中に生きているのだ……。現代のSFにおけるブラッドベリの思い出は、なるほどこういう形で具現化するのかと思った。

 斜線堂有紀「BTTF葬送」では1980年代の映画の消失が描かれる。主人公は1984年公開の映画の上映会を訪れ、そこで映画好きの男と知り合う。「ターミネーター」「ネバーエンディング・ストーリー」、「アマデウス」に「インディ・ジョーンズ」……。85年には「ランボー」「007」、そして何といっても「BTTF(バック・トゥ・ザ・フューチャー」がある。しかし次の上映会に来られるかどうかはわからない。8本の映画を見るためには財産を処分するくらいの金がかかるのだ。そして上映されたフィルムは廃棄され二度と上映されることはない。それは傑作映画には「魂」があり、それを輪廻転生させることで次の傑作を作ることができるようにするためなのだそうだ。びっくり。しかし、上映が始まろうというとき、テロリストがステージを占拠する。映画の魂など信じず、映画の葬送を止めるというのだ。本書の中でもずば抜けて奇妙な発想の作品である。しかしフィルムもそうだがデジタルデータも消える。過去がいつまでも変わらずあると思うことは大きな間違いなのだろう。

 【宇宙】テーマが3編。

 高野史緒「未来への言葉」は月と地球の間で荷物を運ぶ運び屋が主人公。今回依頼されたのは月から地球まで一つの荷物を18時間以内で運べというもの。普通なら3日かかり、最大スピードでも20時間はかかるのに。それは地球で待っている重病人を救うための新薬だった。物語は運び屋と病人の二つの視点から描かれていく。最高速で20時間というのは安全係数をとっているためだ。安全性を無視してAIにはできない操縦技術を駆使すればギリギリ間に合うのだ。そして……。短いこともあるが、大変ストレートな物語であり、わざとらしい事件も起こらない。でもそれが力強く、ありふれてはいても心に響く言葉を呼び出すのだ。

 吉田親司「上弦の中獄」。「中獄」は中国にかけているのかな。共産中国が世界を統一した改変歴史の宇宙ものである。舞台は天成都と呼ばれる月面都市。揚は別れた元カレの周と再会する。二人は同衾契約(この時代婚姻制度は廃れた)を結んでいたが、周が造精機能に障害があるとわかり、揚が解消したのだ。彼女が今さら周と再会したのは政府の役人である周から予算案にある疑問点について問いただそうとしたためである。しかし……。物語には大きなどんでん返し(ちょっと脱力)があって面白かったが、改変歴史というのは過去から現在を変えるだけでなく、現在から過去を変えることも含むんだなと考えさせられた。そう、今起こっているあの戦争についての話もそうだ。

 人間六度「星の恋バナ」は宇宙怪獣と戦う女子高生の話。身長175センチの高子は4次元空間から3次元に投影された質量をもつ26キロメートルの巨大な影、巨鋼人ガイアントとなって、宇宙から来る全長30キロを超えるウーパールーパーみたいな怪獣BBと戦うのだ。えーと、まあそういうことだ。女子高生である高子は学校に憧れの先輩がいる。先輩が好きなラノベ(だと思う)を読んで通話アプリで感想を語り合う。それが幸せ。ある時、戦いの中でBBからメッセージを受け取った。それは同族への「恋文」だったのだ。怪獣ものかと思っていたらタイトル通りの話になる。そして高子と先輩の間にも……。こういう話に何で?と疑問を持ってはいけない。楽しく読めればそれでいいのだ。

 そしてなぜか【火星】が3編。火星はもはや宇宙ものとは別ジャンルなんですね。

 草野原々「かえるのからだのかたち」は最新科学のアイデアを使った本格SF。2020年に論文が出たばかりの「ゼノボット」というカエルの幹細胞をもとにした「生きているロボット」がベースになっているという。火星の溶岩チューブの奥底に住み着いた片道契約の植民者たちは次第に滅亡へと向かい、最後は地球へ引き上げて誰もいなくなった。だがカエルの幹細胞から生まれたゼノボットは火星で成長し、火星都市そのものとなる。空間的なかたちを手に入れた彼らはさらに時間的な記憶「神話」も手に入れ、やがて40億年前の火星の記憶すら手に入れるのだ。カエルの声で描かれたこの物語は最後はあのカエルの歌で終わる。いやあSFだねえ。堪能した。

 春暮康一「混沌を搔き回す」は火星のテラフォーミングがテーマである。2084年11月10日に起こる火星から見た地球の太陽面通過。その時、地球の静止軌道を取り巻く巨大な鏡〈天沼矛(あめのぬぼこ)〉が集めた太陽光を火星の地表に集中させる。普通なら百年以上かかる火星の温暖化をわずか8時間で行おうというのだ。その凄まじいスペクタクル。だがそれを火星上空で観察していた着陸船の中で事件が起こる。テラフォーミングの推進が火星派と金星派に別れて争われていた時代。これは火星派の圧倒的勝利といえたが、そこには遥か未来にまで禍根を残すある呪いが隠されていたのだ。短い中にハードSF的ガジェットを効果的に使い、さらに惑星間の「地政学」までからめた見事な本格SFである。傑作だ。

 倉田タカシ「火星のザッカーバーグ」はうって変わってマイクロノベル。数え間違えているかも知れないが36編ある(ような気がする)。フェイスブック(今はメタ)の創設者であるザッカーバーグ(1984年生まれ)や、果物や野菜を寄せ集めて人間の顔を描いたアルチンボルドの名前が出てくるが、たぶんザッカーバーグは2084年に100歳になること以外は関係なく、アルチンボルドも様々なものを繋ぎ合わせて何かを作るというイメージに使われているのだろう。「人類が火星に到達したとき、火星にはすでに人類が到達していた」とか「火星へは仮死状態で来た」といった同じフレーズで始まる掌編がいくつもある。火星には大富豪がいたり、犬がいたり、アルチンボルドみたいな顔のやつがいたり、アンドゥしても続いたり、白い球があったり……。本格SFみたいなものもあれば、繰返しコントみたいなものもある。ただ火星が舞台なせいか、ノスタルジーや感情に訴えるよりも理知的なものが多い。面白い話が多いが、ピンと来ない話もある。関西人にとっての東京のお笑いみたい。

伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』 ハヤカワ文庫JA

 伴名練編集による日本SFアンソロジー。ここ5年間のSF短編の中から、まだSFの単著を刊行していない作家限定で選ばれた傑作選である。他のアンソロジーで既読の作品もあるが、初めて見るような作家の作品もあってユニークである。
 各作家の紹介は短く、その代わり各編の最後に伴名練が考えるその作品に関わるSFサブジャンルの紹介コラムがついている。これも面白いのだが、ここではその内容については記さない。実物を手に取ってほしい。
 以下収録作について。

 八島游舷「Final Anchors」。2台の自動運転車のAI、ルリハとグスタフが、後0.5秒で衝突必至となった状況で互いに対話し、その後の裁判の想定まで考えて最後の審判を下そうとする物語である。自動運転車、人間では対応できない超短時間でのAIの判断、トロッコ問題など、これまでもいくつかの作品で描かれてきたテーマだが、ここではさらにミステリ的要素が加わっている。AIたちは本当に客観的なデータに基づいて判断しようとしているのだろうか。この作品でのAIたちはまるで人間のようにふるまっている。そこに親しみやすさがある。Final AnswerでなくAnchorsなのはアンカーを打って緊急停止した側が確実に死ぬからだ。

 斜線堂有紀「回樹」では回樹という巨大な謎の存在が突然現れる。それは渡された死者の体を吸収し、その死者を愛していた者は故人と同様に回樹を愛するようになるのだ。主人公の律は彼女を慕う初露と女同士の同棲をしていた。律は今、事故死した初露の遺体を盗んだ容疑で警察の取り調べを受けている。物語は律と初露の暮らしぶり、警察の取り調べでの律の言葉、そして回樹の存在についてが並行して語られていく。律は初露の遺体を回樹に与えたのだ。二人の関係性、愛というものの微妙なグラデーション、回樹と死者といったテーマが絡み合いながら描かれる。SF的な意味をいったん横へ置いて、回樹とはいったい何だったのだろう考えてみると興味深い。

 murashit「点対」は同人誌に発表された作品でこれが商業デビュー作となる。もちろんぼくは初読である。初めて読もうとすると文章がおかしい。しばらくすると、1行おきに2つの文章が書かれているのだとわかる。そのうちそれは分岐したり1つに集合したりもする。気がついてしまえばそんなに読みにくい文章でもない。どうやら双子の兄弟の話のようである。それぞれの視点からの話が重なっている。と思うと、双子というより1つの体に二つの精神があるのではとも思えてくる。さらに読み進めるとそれ以外の視点も出てきてあれれとなるのだ。時間もおかしい。様々な視点、様々な時間が入り交じり重畳しているようだ。実験小説なのだが、そういう存在なのだとして受け容れると、まさに伴名練のSF、あの作品のようにも読めるのだ。

 宮西建礼「もしもぼくらが生まれていたら」は以前読んだときも感じたが、確かにある1点が異なるパラレルワールドのSFという側面も重要ではあるものの、何よりも衛星構想コンテストに高校生たちが挑むという理科小説・青春小説の側面に心を打たれた。小惑星が日本近海に落下して大きな災害を引き起こすことがわかったとき、自分たちのやっていることに意味があるのかと悩む。それでもその被害を少しでも少なくするためにはどうしたらいいか、それを自分たちのやっている衛星構想にどう生かせるか、そこをひたすら科学的に追求していく。一度仲違いした仲間とも協力し、様々なアイデアを検討する。でも高校生のできることには限りがある。だからこそ、世界中で学生たちが自分たちと同じように考えていたという結末に感動があるのだ。傑作。

 高橋文樹「あなたの空が見たくて」も同人誌の作品でぼくは初読。これは短いが、編者の言う通り昔なつかしい宇宙SFの小品を思わせる楽しくて切ない作品だ。宇宙空港の待合室。ここには様々な異星人が現れる。戦争の絶えない木星系からやってきた訳ありのリンドウは、地球から来たという人なつっこい少年ジェズイと出会う。彼はどうしてもカペラまで行くのだという。なぜそうだったのかは結末で明かされるが、ここでは例え自分の命を削ってでも広い宇宙にある別の世界へ行こうとする人間の衝動が描かれている。

 蜂本みさ「冬眠世代」も短めの話。人間のように科学を発達させ文明を築いた熊たちの世界が舞台である。主人公のおれは工場労働者の貧乏熊。多くの熊が冬眠しなくても生活できるようになった今でも、冬には冬眠しないといけない最後の冬眠世代である。おれの女友達である優しくて頭のいいスグリは金持ちの娘で、これまで冬眠はしたことがない。でも冬眠しないと先祖たちの過去の夢に潜る能力もなくなるので、今年の冬は冬眠するのだそうだ。物語は途中で語り手が順次変わっていく。それが冬眠の夢の力で繋がっているのだろう。冬眠の終わりの留め糞祭といった、大らかで優しくて楽しい、想像力豊かな物語である。

 芦沢央「九月某日の誓い」はミステリ作家による超能力SF。大正時代のお屋敷で女中として働く久美子はこの屋敷の操お嬢様と心が通じ合っている。それだけではない。久美子は操お嬢様の秘密を知っている。海軍が時々訪れてお嬢様の力――超能力を利用しようとしているのだ。それは人を殺すほどの力だ。そしてついに悲劇が起こる。だがその時明らかになった真実とは、そして当初思っていたのとは違う超能力の正体とは……。さすがにミステリ作家の書くSFである。面白かった。

 夜来風音「大江戸しんぐらりてい」は創元SF短編賞の奨励賞受賞作で、これが商業レビューにあたる。選評などからもっとぶっとんだ(劉慈欣や小川一水みたいな)作品を想像していたのだが、きわめてシリアスに描かれた疑似科学伝奇小説で、改変歴史SFだった。元禄時代に人力コンピューターを作ってシンギュラリティを起こすというのだから改変歴史SFには違いないが(水戸光圀、関孝和、安井算哲、契沖らが主要人物となり、後半では大石内蔵助がでてきて赤穂事件も起こる!)、主題は人力コンピューターである。それに万葉仮名の秘密や柿本人麻呂の謎、古代の神様まで出てきて伝奇要素もてんこ盛り。しかしその筆致はいたって真面目なのだ。それぞれの要素はとても面白いのだが、何というかリアリティレベルが合わない。そもそもここに描かれる程度の人力では(内部の通信に紙と筆を使う)どれだけの計算時間がかかることやら。だからこそこういう作品にはぶっとんだ思い切りが必要なのだ。そこがちょっと気になった。

 黒石迩守「くすんだ言語」は『伊藤計劃トリビュート2』が初出の言語SFであり、リアルなコンピューターSFである。脳の言語野に接続して異なる言語の間で直接のコミュニケーションを成立させるアプリ〈コミュニケーター〉。そのテスト中に異常な現象が多発する。主人公の娘もモニターを始めて1ヶ月後に自殺した。モニター同士でささいな口論から傷害事件になるケースが増えた。どうやら〈コミュニケーター〉は何気ない言葉から相手の心に強い影響を与える中間言語を作り出したようなのだ。テストは中止されたが、一度生成された中間言語は静かに広がっていく。過去のSFにあるテレパシー能力者の悲劇と同型の作品だが、結末で描かれる、自殺した娘への開発者の悲痛な思いが心に染みる。

 天沢時生「ショッピング・エクスプロージョン」。これは最高! 著者はアマサワトキオ名義のデビュー作「ラゴス生体都市」以来、サイバーパンクな文体で自走し暴走する都市やコンビニを描き、最近ではワイドスクリーンな近江八幡で異界へ突入する不良たちの生態を描いていたが、本作ではドン・キホーテならぬディスカウントショップ「サンチョ・パンサ」が人間の手を離れて野生化し、果てしなく拡張していった世界が描かれる。主人公であるストリートチルドレンの少年は、その癌細胞めいた自己拡大を止める「創業者のお宝」の手がかりを入手し、彼と同行することになった凄腕のトレジャーハンターと共にサンチョ・パンサの混沌の中へと突入していく……。とにかくカッコイイ。自己増殖するディスカウトショップというある意味キッチュでおバカな設定とウィリアム・ギブスン流(の黒丸尚によるルビを多用した翻訳)の文体が絶妙にマッチして強烈で楽しいエンターテイメントとなっているのだ。そもそもタイトルが『ニューロマンサー』の「買物遠征(ショッピング・エクスペディション)」へのオマージュだしね。

 佐伯真洋「青い瞳がきこえるうちは」はVR/ARテーマだが、盲目のテニス選手を主人公にした熱血なスポーツものである。現実のスポーツと拡張現実を重ね合わせて目の見えない人でもリアルな競技ができるX競技。主人公の優輝は生まれた時から目が見えなかったが、双子の兄の創(彼は健常者である)が3歳の時から卓球を始めたのに習って、自分もX卓球の選手となった。父母の離婚により二人は別々に暮らすことになり、創は16歳にして全日本を制する伝説的なプレーヤーとなったが、睡眠時間が長くなる中枢性過眠症に冒されており、最後には昏睡状態に陥ってしまう。一方X卓球で活躍していた優輝は創と同じようなプレーをするSOUというアバターと試合をし、その後彼と接続して創を目覚めさせて欲しいとの依頼を受ける。レム睡眠中の創の夢と連動したアバターこそSOUだったのだ。優輝は兄を目覚めさせるためSOUと接続する……。細かく設定されたX卓球といい、人間の五感に関する深い考察といい、よく考えられている。また編者のいうとおり、これは兄弟の絆をストレートに謳い上げる感動的な物語だった。

 麦原遼「それはいきなり繋がった」はコロナ禍がテーマとなっているが、SFとしてはパラレルワールドもののユニークな変種である。1年ほどの時間差のある二つの世界が突然繋がった。ある川に沿って長さ10キロほどの境界線というか世界の割れ目ができ、そこを通ることで双方の世界に行き来できるのだ。その向こうを迂回して行けば他世界へ行くことはない(図がついているがわかりにくい。イメージでいえば、1枚の紙があってその表と裏がこちらの世界とあちらの世界である。紙に小さな切れ目がありそこを通れば表から裏へ出てしまうのだ)。二つの世界はほぼ鏡像関係になっている。時間差があるので全く同じではないが、自分はこちらにもあちらにもいる。あちらの「対」の自分と出会うこともできる。大きな違いはこちらがパンデミック後なのにあちらはパンデミック前だということだ。小松左京が書きそうな話だが、なかなかユニークな設定で面白い。ただ大きなレベルの話も書かれてはいるが、ストーリーはこちらの自分とその恋人、あちらの自分とその恋人とのミニマルな関係に収束していく。アイデアが素晴らしいのでもっと長めの作品でも読みたいと思った。

 坂永雄一「無脊椎動物の想像力と創造性について」は本当に読み応えのある傑作。以前読んだ時も思ったが、科学と想像力が互いに強め合うイメージの鮮烈さが衝撃的で、さらにその先の情景を考えさせられる。蜘蛛SFである。遺伝子操作された蜘蛛の巣が無人となった京都の街を覆う。それがいつ拡散するかも知れないという緊張感。古都の焼却が決定され、かつて京大でこの災厄の元となった女性科学者と勉学を共にした語り手の建築家は、防護服に身を包んで蜘蛛の巣に封鎖された研究室へと向かう……。タイトルはその女性科学者が発表した論文である。人間のものとは違う想像力や創造性が無脊椎動物――蜘蛛にもあるというものだ。それは集合的であり、知性のない統計的な相互作用としての創造性である。盲目の遺伝子が作り出す延長された表現型。そんな科学的アイデアと、古都を覆う蜘蛛の糸という圧倒的なイメージが、淡々とした物語になすすべもない不安と絶望感を高めていく。しかし、語り手は絶望の瞬間に蜘蛛と人間の共存する未来の夢をかいま見る。そのビジョン、脊椎動物の想像力も大したものじゃないですか。いや、堪能した。これぞSF!

 琴柱遥「夜警」は非合理な幻想とリアルな生活や子供たちの日常が結びついたファンタジー。外国のとある漁村が舞台だが、岬には今は使われていない灯台があり、幼い子供たちはそこで夜警をして夜通し星を見る決まりがある。普通の流れ星とは違う奇妙な星が見えたら、欲しいもの、必要なものを願うのだ。そうすれば翌朝それが海から流れ着く。8歳のマルコは妹のモモと、10歳になるジャンとリナの4人で今夜の夜警をする当番だった。だが村で必要とされている物品のリストがあるのに、みんな好き勝手な願いをする。幼いモモは箱一杯のお菓子を願った。真面目なマルコは腹を立てる。起こる現象は不可解だが、子供たちの日常はリアルで、親しみのもてるものだ。ところがあるとき、マルコが一人ふてくされて灯台にこもっていると、彼を探しに行ったモモが迷子になる。慌ててモモを探す子供たち。だが夜が訪れ、村に破局が訪れる……。大変なことが起こったのに、その後の村人たちの何でもなかったような振る舞いがいい。強固な日常性こそがこのような世界で人々を生かし続けているのだろう。

 巻末の編集後記では今日本で「新しいSFを読みたい/書きたい人のためのガイド」が有名出版社から同人誌活動まで紹介されている。

朝松健『血と炎の京 私本・応仁の乱』 文春文庫

 朝松健の室町ものといえば一休さんの登場するシリーズを面白く読んでいたが、本書は応仁の乱を主題にした書き下ろしの長編歴史伝奇小説である。とにかく「血と炎」に満ち、死臭が充満する地獄のような京の町で、山田風太郎の忍法ものに出てくるような超絶ヒーローが活躍する大迫力な物語だ。
 本書は伝奇小説とはいえてもSFとはいいにくい作品に違いないが、ぼくにはSFの雰囲気を感じるところがあった。それは(とりわけ戦争というものに対して)大きく世界観が変わる時代を扱い(作中に何度も「これは俺の知る戦ではない」という言葉が出てくる)、戦のシステムが塹壕戦になって果てしのないものになったこと、そして対する相手が「霹靂(へきれき)車」という新兵器であることによる。
 応仁の乱で三国志に出てくるような大がかりな攻城兵器が使われたことは確かだったようだし、京の町中に塹壕が掘られ堀や井楼が築かれてそれが延々と続く持久戦をもたらしたことも事実である。本書ではそれが強調され、霹靂車とその制作者である〈マッドサイエンティスト〉佐脇碧翁の攻略が大きなテーマとなっているのだ。
 主人公は骨皮道賢。東軍、細川勝元の足軽大将である。所司代・多賀高忠の配下として史実に登場し、エンターテインメントでは悪党としてそれなりに人気のある人物だが、本書では悪党ではなく、もともと琵琶湖の堅田衆の若長だった男だ。だが西軍・山名宗全の企みによって一族を虐殺され、額に犬の字を刻まれて捨て去られていたのを細川勝元と多賀高忠に助けられたのである。これが滅法強く、敵の忍び五人をあっという間に切り倒し、やがて足軽の中でも特に強くてそれぞれ特異な技の持ち主である豺狼(さいろう)組の一員となる。この豺狼組がいい。まさに忍法帖に出てくる連中のようで、一人一人が得意な武器をもち、頼もしく、戦友の絆で結ばれている。
 道賢の目的は山名宗全への復讐であり、そのために出来ることは何でもする。地獄と化した京の町を舞台に、彼らの活躍が描かれ、そして細川城を落とそうと迫ってくる3台の霹靂車、それを操る佐脇碧翁、その背後で大内や畠山らの大名を従えてほくそ笑む山名宗全への、壮絶な戦いの火蓋が切って落とされるのだ。
 いやー、この迫力。凄まじい。本当のところ霹靂車による投石ってこれほどすごい威力があったのかという気もするが、読んでいる間は全然気にならない。
 本書の冒頭と最後に日野富子が登場し、静かに人殺しの時代の空虚さを示す場面がある。大乱をよそに侘び寂びにふける足利義政の姿とも相まって、動と静の対比が鮮やかに描かれているといえるだろう。


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