続・サンタロガ・バリア  (第236回)
津田文夫


 なんだか異常に早く梅雨が明けたそうで、毎日40度だとか云ってますね。60年前の子供の頃は、夏休み中でも30度をちょっと超えるくらいだったような気がする。21世紀の今、この先20年くらいの未来はあんまり明るくないかも。ま、息子たちの世代にはそれなりの条件の中で楽しく過ごしてもらいたものです。

 アンソロジーに収録されたSF短篇や短編集を読んで、ちょっと読んでみようと手に取ったのが深緑野分『ベルリンは晴れているか』。3月に文庫化、親本は2018年。
 すでに単行本発刊当時に十分話題を呼んだ作品と云うことで、今さら設定とあらすじに云々してもしようがないけれど、感想を書くとなると設定やストーリーを引き合いに出さざるを得ないよね。
 敗戦直後のベルリンのアメリカ軍キャンプで働く少女を主人公に、ロシア軍側のドイツ市民毒殺事件を調べるロシア軍側捜査陣に利用されながらも、同じくロシア軍に利用される戦時中貧相なユダヤ人役を演じていたドイツ人の元俳優がバディ役となって、一種の地獄めぐりをする話である。まあ、最後まで読むとこの少女が地獄めぐりをするのに十分な資格があることが判るのだが、それは読んでからのお楽しみなのだろう。
 作者のドイツ語の師匠筋に当たるらしいドイツ文学の翻訳で有名な酒寄進一が解説で、この作品はドイツ人の物語であり、それを日本人である作者がどう工夫してドイツらしさを醸し出しているかを明かしている。もっとも日本人作家が外国を舞台にした外国人の物語を書くことは、昔は散発的に、現代ではそれなりに多くのエンターテインメント作家がコンスタントに書いているといえるだろう。当方の好きな作家では佐藤亜紀がその代表といえる。深緑野分のスタイルは佐藤亜紀ほどハードな作風ではないので、登場人物たちからは日本的エンターテインメントの思考がやや強く感じられる。どちらかというと佐々木譲のロシア戦争に負けたあとの帝都東京と感触が近いかも。それはベルリンのリアリティではなくエンターテインメントの質感にかかわるものだけれど。

 パンデミック後の世界でロックのリアルを前面に据えた長編『新しい時代への歌』のあとに、またもや竹書房文庫が今度は短編集をが出してくれた。サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』は、わずか5ページの「時間流民のためのシュウェル・ホーム」から長編の原型となる60ページの中編「オープン・ロードの聖母様」を含む13篇を収録。長編を読んだ時に感じたこの作者の作風は、この短編集収録作でもそこここに感じられる。表紙のデザインも好印象だ。
 全体的に生真面目なシリアスな作風で、それは出演した豪華客船が難破し、浜辺に打ち上げられた女性ロッカーが、ギリギリの生活をしている一人暮らしの女に助けられる表題作によく現れているけれど、ささやかな希望を歌いあげることを忘れないのもこの作者の良いところだろう。
 冒頭の「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は、AI搭載型義手がチップに標準外のものが使われてハイウェイを夢見る話。奇想小説になって当然だけれど、この作者は叙情を残す方向に行く。
 異色なのは「死者との対話」で、語り手は精巧な建物模型を得意とし、友人の女性は殺人事件のあった家の人たちの情報をAIで再構成させて殺人事件の謎を解き明かす装置を作って語り手製作の家に入れ、それで儲けようとする話。ホラーになりそうだけれど、作者はそちらには向かわないで苦い結末を用意した。
 「孤独な船乗りはだれ一人」はあるヒミツを持った少年が、セイレーンの歌には少年を乗せればいいと考えた船長にスカウトされる話。神話を組み合わせたファンタジーで面白く読める。
 「風はさまよう」は世代宇宙船を舞台にしたこの作者としてはベタなSF設定の1作。中身は、地球文化データのストレージがあるとき破壊されてほとんどのデータが断片的にしか分からなくなった世代宇宙船で、旧世代と新世代の葛藤を描きながら、地球の古い歌である表題を演奏することに情熱を傾ける親世代の女性の話。作者の音楽家としての資質が伺える。
 「イッカク」は、鯨のイッカクの外形をした車を親から受け継いだ女性に雇われて車を運転する女性が、途中で故障を直すため止まった所にあるひなびた博物館を訪れる話。「ドライブ・マイ・カー」と『2084年のSF』収録の粕谷知世「黄金のサクランボ」を思い出した。
 トリは生真面目シリアスな作者のイメージをひっくり返す1作「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」(A・クリスティ『そして誰もいなくなった』のもじりだけど、ちょっと据わりが悪い)じつはこれが80ページもあって集中1番長いのだった。
 設定は、カナダのある島のホテルに来るようサラ・ピンスカーに招待状が届く。それは並行世界に住む200人ものサラ・ピンスカーが集まるコンベンションだった。ということで、並行世界の移動を可能にした科学者のサラ・ピンスカーたちが主催者となって開かれた大会に参加した主人公は、主催者の一人が死体となって発見されたため、探偵役を任される羽目になった・・・。典型的なバカSFまたはバカミステリで、へえー、こんなのも書けるんだと感心してしまった。
 なかなか良い短編集だと思います。

 ジョン・ジョゼフ・アダムズ編『巨大宇宙SF傑作選 黄金の人工太陽』は、原書の出版年2017年の新作に2010年代の近作を組み合わせた創元文庫SFが最近出すようになったテーマ・アンソロジーの1冊。原題が"COSMIC POWERS"で「巨大宇宙」という副題になっている訳ですね。各短篇の扉に加藤直之のイラストが配されていてたのしい(カラーじゃないのが残念だけど、まあ仕方が無い)。
 冒頭のチャーリー・ジェーン・アンダーズ「時空の一時的困惑」はこの作者の長編から受ける印象と違って、とってもおもしろいコメディ・アクション。この軽さはすばらしい。
 トバイアス・S・バッケル「禅と宇宙船修理技術」は、ブラックホール近辺で宇宙艦隊との戦闘に勝利した側のロボットが、修理作業中にいきなり現れた元宇宙戦闘艦司令兼CEOに救助を求められ、イヤイヤしたがう話。これまで書かれてきた名作SFやスペースオペラのアイデアを現代風に盛り込んで、最後は光速飛行の時間差でCEOに復讐するサタイア。資本主義は永遠ですな。
 ベッキー・チェンバーズ「甲板員、ノヴァブレード、大いに歌われた経典」は、宇宙艦隊の乗組員の日記で綴られた戦争物。日記が誰かに読まれていることに気がついて、読み手に語りかける形になっている。戦闘の方はビデオ・ゲーム的。
 聞いたことない作家ヴィラル・カタン「晴眼の時計職人」は、ドーキンス『ブラインド・ウォッチメイカー』からの一文がエピグラムになっているように、そういう話だけれど、出だしが「何十億年も昔に死に絶えたはずの創造者が、宇宙船の網にひっかかっている」というもの。ナンセンスかと思ったら真面目な話だった。残念。
 ジョゼフ・アレン・ヒル「無限の愛」も「アリア・アストラ―星界の覇者(中略)宙駆けるクールギャル、人類最後の希望」と始まって、扉絵もジェットバイクに乗ったアリアちゃんの雄姿が描かれているのだけれど、ノレなかった。残念。
 アダム=トロイ・カストロ&ジュディ・B・カストロ「見知らぬ神々」は、人類の興亡を決める宇宙艦隊戦で、神々の力が勝利を左右するというとき、「見知らぬ神々」のある条件を呑んで勝利を得る話。バカSFですね。
 これも始めて読むキャロリン・M・ヨークム「悠久の世界の七不思議」は七不思議が太陽系から遙かな宇宙の無名の惑星にも出来ていく話。バカ話ではなくて愛のお話。
 アラン・ディーン・フォスター「俺たちは宇宙地質学者、なのに」は、自分の専門でないのにイケイケで宇宙遺跡を調査するとどんな目に遭うかという話。設定とは云え全員軽率すぎる。
 カール・シュレイダーの表題作は、ヘリオスタットとして惑星を支える一方、意識を持ったドローンとして惑星住民に語りかける人工太陽の物語。よくできているけれどそれほど面白いわけではない。
 これまた新人のA・マーク・ラスタッド「明日、太陽を見て」は、宇宙に七色それぞれの太陽王の宮廷ある世界で、死刑執行人役のアンドロイドが動きまわる中華風ファンタジー。アリエット・ド・ボダールを思い出す。
 ショーニン・マグワイア「子どもたちを連れて過去を再訪、レトロな移動遊園地に行ってみよう」って長いタイトルだなあ。これ、いきなりダイソン天体に対する不平から始まるんだけど、ちょっとダイソン天体が解せないので、調子のいいエンターテインメントなのにノレなかった。残念。
 本家アリエット・ド・ボダール「竜が太陽から飛び出す時」は、星間戦争と大越帝国が出てくる、以前出ていた短編集と同じ設定で、女の子が母親に「柳王愛」の伝説の話をせがむ。そしてそこから引き出される戦争した者たちに残される苦いもの。この作者としてはストレートに読める良い作品。
 リンダ・ナガタ「ダイヤモンドとワールドブレーカー」は、AI管理下の「九千世界」が悪役(爆弾テロリスト)志願の娘ダイヤモンドが作動させたワールドブレイカーよって破滅に追い込まれるところを、捜査官である母親が協力しながら世界を救うお話。悪役もAIの方針。カワイイのかな。
 ユーン・ハ・リー「カメレオンのグローブ」は、お馴染み「6連合」シリーズのスピンオフ。相変わらず楽しく読めます。「彼人」ラブは百合っぽいよね。
 これまた新人カット・ハワード「ポケットのなかの宇宙儀」は、ポケット宇宙の宇宙儀を造る職人の話。10ページに満たない1篇。実際の天文学用語がファンタジーの中でうまく活かされている。
 軍隊SFが沢山紹介されているジャック・キャンベル「目覚めるウロボロス」は10億年を生きてきた男が第二火星の廃墟で不死人第1号の女に出会い、女が男の協力で不死から逃れるために世界を終わらせようとする話。タイトル通りの構造で、バカSFになりそうなのにならない。
 続いては新人作家カメロン・ハーレイ「迷宮航路」は、世代宇宙船団が「異体」と衝突して動けなくなったという設定、主人公は廃船となった宇宙船の捜索で「異体」に突っ込んでしまう・・・。これはなかなか新鮮な感じがする1作。主人公が前向きなのもいい。
 トリはマーベルコミックス原作者の一人というダン・アブネット「霜の巨人」。ヒーローは侵入不能の拠点に「光速の七十三倍で近づいていた」と始まる問答無用のコミック原作スタイル。ヒーローは乗り移った4人のCローンを激しい戦闘で次々消耗しながら、依頼された4兆語の条約に罠が入ってないか調べるため唯一の原本を保持する拠点の「霜の巨人」と対決する・・・。まあ、そういうお話。ノリは抜群です。
 巻末解説は堺三保さん。収録作の解説ではなくて、スペースオペラ概説。ここでも最近のスペースオペラ(最近は宇宙冒険SFというらしい)では、女性及びLGBTの作家たちが活躍しており、「伝統的な宇宙冒険活劇を現代的なフェミニズムやダイバーシティの観点から語っていくところが、彼らの作品の新しさであり、面白さとなっているのだ」と持論を披露されている。たしかにこのアンソロジーもそういう作品がいくつもはいっているので、現代スペースオペラの見本集ではあるな。

 今回取り上げる作品の数が少なくなったのは、コイツの所為だと云いたくなるのが、チャック・ウェンディグ『疫神記』上・下。まあ竹書房だし、大森望解説らしいし、読んでみるかと思ったのが大間違い。上下巻で1500ページはともかく、上巻のスローペースにハマって、いつまで経っても読み進めないのだった。
 タイトルどおり今流行のパンデミックもので、日本人が発見したという彗星の通過後、ペンシルヴェニアの田舎で少女が家出、気づいた姉は問いかけに何の反応も見せず歩き続ける妹を追いかけるが、そのうち同じような行動を取るものが現れ集団化し始めた、というプロローグからとてもゆっくりと事件は拡大していき、これが書かれたトランプ時代のアメリカの政治状況もからめ、ひとつひとつのエピソードをゆったりと進めていく。これがSFらしいのは元疾病管理センター(CDC)のチーフだった感染症研究者を民間会社のスーパーAIが指名し、彼がこのパンデミックの真の原因に近づいていくところにある。彼が最初に出てきた少女の姉とともに物語全体の主人公格として最後まで引っ張っていく。
 とはいえ、解説で引き合いに出されているように、これはスティーヴン・キングやロバート・マキャモンが書くようなタイプの、いわゆるブロックバスターを狙った作品なので、SF的にはなんの目新しさもない、どころかむしろ紋切り型が目立つと云っていい。ということで冒頭にも書いたように長々とさまざまなエピソード、とくにトランプ揶揄としか思えない宗教右派とそれを隠れ蓑にした暴力革命集団のドタバタを延々と読まされた後、ようやく上巻の最後でこのパンデミックみたいな「夢遊者」の群れの正体が明かされた途端、SFファンにはこの話の続きはもはやメロドラマとドンパチしかないことが予想されてしまうのである。
 ということで下巻は斜め読み。最後にもう一回「真実」が語られるが、これまた手垢の付いた説明なので、まあそんなところだなあ、という感想とともに読み終わった。もちろん、キングやマキャモンが好きな人は楽しく読めると思うけれど、SF読みのひとには暇とお金があったら読んでもいいと思います、と云っておこう。
 それにしてもこれは民主党支持者のプロパガンダとしても読めてしまうところが、今のアメリカのコワいところですね。

 男性の書いた韓国SFを読んでないなあ、と思っていたら 、新☆HSFSの新刊がチャン・ガンミョン『極めて私的な超能力』だったので、早速読んでみた。
 チャン・ガンミョンは既訳があるらしいけれど読んだことはなく、これまでSF作家として扱われてもなかったように思うけれど、ここに収められている4ページの掌編から100ページの中編まで10作を収めた短編集を読むと、ジャンルSF的書き方も十分心得た上に、落とし話からスペースオペラ、ケン・リュウばりのシリアスな作品もモノにする力のある作家だと分かった。
 冒頭の4ページのショートショート「定時に服用してください」は、惚れ薬サタイアのバリエーション。主人公の悩みは深い。
 「アラスカのアイヒマン」は、アラスカにイスラエル (ユダヤ人自治区)が出来ていて、ハンナ・アーレントはアンカレッジでアイヒマン裁判を見聞してあの有名な報告を書いたという設定が紹介されて始まる。物語自体は、1969年のアイヒマンの死亡とそれに関連する〈体験機械〉をピュリッツアー賞受賞のフリーランスの女性記者が報告するという形になっている。〈体験機械〉自体は被害者の情動を他人に伝えられるというありふれたアイデアだが、それをアイヒマンが望んで体験したという方向なので、かなりシリアスな話になっている。韓国人作家がこれを書くかという感慨が沸く。
 表題作も4ページの掌編。こちらも恋バナで、みんなが不完全な超能力者という世界。話の方は、別れた恋人が忘れられない主人公が、新しく恋人になりそうな女の子に究極の選択を迫られる話。主人公の悩みは深い。
 「あなたは灼熱の星に」は、サブプロデューサー、チーフプロデューサーとスポンサー代理人の会話から始まるサタイア。何を話しているかというと、金星探査船の研究者である母親と遠くにいる母に反撥する娘でリアリティ・ショーを作る話。スポンサー代理の口癖は「全地球が泣いた!ってなるように、お願いしますよ」。母親の金星表面の探査と母娘の話はシリアスに書かれてるので、制作側のしゃべくり漫才が効いている。
 「センサス・コムニス」は世論調査を思わせる題名だけれど、話の方は現代韓国政治を題材に、元政治部記者で今は作家(作者本人のこと)だが、以前政治を主とした様々な情報をやりとりする〈情報マン〉の集まりに出たとき、「セン企画」という政治コンサルティング会社の噂を聞いた。数年後お世話になった政治家から「セン企画」の人間を紹介され・・・というもの。なんだか岡本俊弥さんの作品で読んだような気がする1作。不気味系サタイアですね。
 本署の三分の一近く100ページに及ぶ中編「アスタチン」は、冒頭見開きに周期表が掲げてある驚きのスペースオペラ。表題は理系の人には存在時間が超短い希少元素で有名みたいだけれど、作中では木星と土星の衛星世界の独裁者の名前。その独裁者が死んだというので、跡目争いをするのがランタノム系希土類元素群の名前を持つ15人の後継資格保持者たち。これって『アンバーの九王子』を思い起こさせるなあ(もっとも作者解題では『光の王』の影響を認めている)。舞台はカリスト、イオ、タイタン、ガニメデで、語り手は「僕」ことサマリウム。語り手なので最後まで生き延びるが、やってることはほぼ「仁義なき戦い」で、最後にはちゃんとカタが着いているという自在なエンターテインメント。よくやるよ。
 「女神を愛するということ」も4ページの掌編。今度は、ミュージシャンの僕の恋人は女神なので、喧嘩をすると被害が大型台風なみになるけれど、仲直りしたら熱い抱擁が待っている。ここでも主人公の悩みは深い。
 「アルゴル」は、タイトルが天文ファンには有名な3重連星の変光星、世の東西を問わず不吉な星のこと。冒頭は、月の原子力発電所事故、小惑星セレスの大規模爆発、火星のロボット反乱事件が17年前に1週間内に起きたが、それぞれ独立事象として扱われたという説明。しかしそこにはアルゴルA,B,Cという超人たちの暗躍があったと知る作家がかれらを追いかけてレポートする話。3人はプロスペロー、マーリン、メデイアと呼ばれた・・・。20ページ足らずの短篇で、ほとんど落とし噺。ハリーポッターを知らないとオチが分からないかも。
 「あなた、その川を渡らないで」も4ページの小品。タイトルは訳者附記によると韓国最古の詩の一節らしい。その詩のエピソードも紹介されていて、歌にもなっているとのこと。この短篇との照応が確認できる悲しい詩である。
 トリは「データ時代の愛(サラン)」。ほぼタイトル通りの男女の愛の物語。この場合女性が年上で男性はやや浮気性。長い年月のあれこれが物語の中身だけれど、作者の力で面白く読めます。
 巻末には前述したように作者解題があって、材料となったものの紹介やそれをどう工夫したかなど、結構詳しく書いてある。「センサス・コムニス」が東浩紀『一般意志2.0』をヒントにサタイアにして見せたとあり、ビックリ。その解題自体が興味深いと云えようか。
 SFも書く韓国男性作家チャン・ガンミョンは実力派と云っていいんじゃないでしょうか。
 


THATTA 410号へ戻る

トップページへ戻る