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ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。


夏の丘 ロケットの空

 第6短編集『夏の丘 ロケットの空』は2022年3月28日に発売開始されています。POD版も含めていつでも購入可能。Unlimited加入者ならいつでも無料。

解説は牧眞司です。

 2ヶ月ぶり。感染症は長い漸減状態が続いています。昨日今日の状況で、いろんな人が楽観的な意見を口にしますが、まだどうなるかは分かりません。

  この2年でウィルスだけでなく、世界のいろんなことも分かりました。(世界最多)100万人が死んだ某自由と民主主義の盟主国の価値観「自由のためなら死は厭わない」というのは、つまり「自分の自由のためには他人の死は厭わない」なのか、とかね。ウクライナ戦争が2年続いても、100万人の犠牲者は出ませんよ。

 それにしても、ワクチン4回目は打たねばならぬのか。PPMMなのかPPMPなのか、PPMN(ノババックス)なのか。J(J&J)はないかな。シオノギの治療薬はまだ怪しい。

シン・ウルトラマンを見ました。

 公開3週間が経ち、期間限定とは言え公式のオープニング公開も出て、各種の元ネタについてはいろいろな記事が既出です。もうネタバレうんぬんもないでしょう。それでも未見で気になる方は、以下を読まないように。

 わたしなどは、ウルトラQをTVのゴールデンタイムに見た世代です。

 これを中学以下小学生以上で(再放送を含めて)見た元少年少女が、もっともシンパシーを覚えるコア観客なのでしょう(いつの時代にもいるマニアックな個人は別ですが)。前期高齢者に掛かるか掛からないかの、アフター団塊世代ですね。ただ、この映画がターゲットを意識したとは思えない。東宝も承知の上で、庵野秀明の趣向=趣味で作らせているからです。ヒット映画監督+紫綬褒章脚本家なので、押し通せる立場にあるともいえる。

 その結果、

 オープニングの逆回しロゴ「ウルトラQ→ウルトラマン」を踏襲した「シン・ゴジラ→シン・ウルトラマン」、成田亨の原典とも言える油彩画を忠実に再現したウルトラマンの造形(体型はエヴァンゲリオン?)、オリジナルにあった着ぐるみ(怪獣スーツ)の使い回しや、名称の表記間違い(ゾフィー→ゾーフィ)まで再現するなど、オタク界隈でのメジャー/マイナーなネタが満載されています。ただ、マニアックさなら山本弘の《MM9》小林泰三の『ウルトラマンF』でも負けてはいないでしょう。

 では、どこがユニークなのかというと、

 この映画が《ウルトラQ》(放映期間6ヶ月)と《ウルトラマン》(同9ヶ月)を2時間に圧縮した、という点でしょう。エッセンスだけとかではなく、まるごと押し込めたような感じ。ウルトラQ(ゴメス、マンモスフラワー、ペギラ、ラルゲユウス、カイゲル、パゴス)をオープニングの1分17秒に圧縮(デルトロの「パシフィック・リム」の冒頭と似てますね)、残り時間でウルトラマン5話分(ネロンガ、ガボラ、ザラブ星人、メフィラス星人=《笑ゥせぇるすまん》の喪黒福造みたい、ゼットン)をフルに詰め込んだコンデンストムービーなのです。

 元ネタの科特隊=科学特捜隊はグロバールな世界組織の日本支部でした。

 一方の禍特対=禍威獣特設対策室専従班は、(架空の)防災庁という政府組織の一部に組み込まれています。「シン・ゴジラ」を踏襲したのでしょう。山本弘の気特対は気象庁所属でしたが、こちらの組織は防衛省と、警察の公安+公安調査庁(スパイや過激派摘発が専門。戦前でいう特高警察です)とコワモテの組織からの出向者が中心、あとは不可欠と思える科学者が2人です。科特隊でいうイデ隊員(超兵器開発担当)を、物理と生物の2人の学者にふり別けた形です。武闘派アラシ隊員相当はおらず、そのかわり自衛隊が配下に就きます(班長は防衛省出身で現場指揮権がある)。

 大事な役割なのに5人じゃ少なすぎてリアリティがないぞ、とかいう批判も目にしました。

 しかし、科特隊は5人です。オリジナルは絶対なので、根幹を変えてはいけません。マーベル/DCユニバースだって、リアルになればなるほどオリジナルから遠くなる。リアルすぎてはいけないのです。このあたりが妥協点なのでしょう。あと、米国に批判的だからこの映画は反米サヨクだと言う人がいて驚きます。米軍を含む外国勢を一切排除し自主防衛する、などはナショナリスト(民族派ウヨク)の基本的な考えですよ、もともとはね。ただ、それも前面に出てくるテーマではありません。

 こんな中高年オタク映画を、非オタクの若者が見て面白いのか。

 とはいえ、映画館にくるのは、おっさんオタクだけではないようです。『画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ―コンテンツ消費の現在形』によると、現代の若人は「セリフで全部説明してほしい、内面描写など余計なものは見たくない」と考えるようです。そもそも、この映画は庵野流の超早口な高速セリフ回しと、高圧縮されたシーンの連続で、心理描写などを入れる余地などありません。従来映画の常識を覆したところが、現代非オタク層の嗜好と合致したといえるでしょう。

 結末の処理は「シン・ゴジラ」と同じでしたね(過去に書いた「シン・ゴジラを見ました」をご参照下さい)。

 答えは事前にある(ウルトラマンが英語で書いた論文)。それを解き明かしさえすれば、不可能が可能になるという設定です。公安主体のたこつぼ型政府組織では難しそうですが、VR(メタバース?)を駆使したSNSの集合知でなんとか解決。そして、最後に現出するのは「神」です。不死のゴジラは完全生物でした。しかし今回は降臨するのは神、人間を完全生物=禍威獣から守る守護神=オーバーロードなのです。しめ縄を巻いてお祀りせねば。


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