内 輪   第380回

大野万紀


SFファン交流会「こんなのファンタジーなんかじゃない! 〈マニュエル伝〉の世界」

 4月のSFファン交流会は4月23日(土)に、「こんなのファンタジーなんかじゃない! 〈マニュエル伝〉の世界」と題して開催されました。出演は、中野善夫さん(翻訳家)、安野玲さん(翻訳家)です。
 写真はzoomの画面ですが、左上から反時計回りに、安野さん、みいめさん(SFファン交流会)、根本さん(SFファン交流会)、中野さんです。
 さて今日のテーマは、国書刊行会から出ている、ジェイムズ・ブランチ・キャベルの〈マニュエル伝〉(『ジャーゲン』『イヴのことを少し』『土のひとがた』)についてなのですが、実はぼくはどれも未読なのです。キャベルは昔から有名で、表紙が美しいので争って買っていたバランタインブックスのアダルトファンタジーシリーズにも含まれていたはずなのですが、どこかに埋もれていて出てこない。原書で読んだ記憶もないので、多分未読のはず。「幻想と怪奇」に載った翻訳は読んだかも知れないけど覚えていません。あれ、『ジャーゲン』はそもそもアダルトファンタジーにはなかったかも。中野さんの言葉じゃないけど「もはや昔のことはもう何も覚えていない」のです。
 それはともかく、今回はSFファン交流会の根本さんが読んで、すごく面白かったのがきっかけだったとのこと。お二人の話も面白くて、未読でもちゃんと魅力は伝わりました。
 安野さんによれば「『土のひとがた』はシリーズ全体の始まりの物語。最初に読むのがお勧めで一番読みやすい。ストーリーも直線的で素直」とのこと。ただ根本さんがいうには「『ジャーゲン』を最初に読んでもいい。そうすると『土のひとがた』を読んだときにしみじみする」。
 中野さんは「『ジャーゲン』は発禁処分になって有名になった。確かにいかがわしいところもあるが発禁処分になるほどのものじゃない。でもそのせいで爆発的に売れたが、期待したのと違うと人気を失った。異世界を舞台にしたファンタジーが好きな人が読むとこんなのファンタジイじゃないとなる。あまりファンタジーとは言いたくないと言っていたら帯にそう書かれてしまった」との話。また、古い作品だが100年早かったファンタジーで、今読む方が面白いとか、ジーン・ウルフの『ピース』やフォークナーの『兵士の報酬』、スタージョンの「ウィジェットとワジェットとボフ」などに『ジャーゲン』が引用されている。アメリカ南部というキーワードがフォークナーとも関わる重要な要素であるとのことでした。
 キャベルの面白いところは描写を省略するところで、何の説明もなく次の説明に飛ぶとか、マニュエルは女性に対する扱いがひどくて、好色一代男かとか、『イヴのことを少し』の主人公を「うる星やつら」の諸星あたるに例えた人もいるといった話もありました。
 装丁の素晴らしさの話や挿絵画家の話、おまけの地図の話もあり、後半では国書の編集者の方も顔出しされて話がはずみました。

 次回は5月28日(土)に開催で、テーマは「春のSFきのこ狩り。ゲストは高原英理さん(作家)、飯沢耕太郎さん(きのこ文学研究家、写真評論家)、池澤春菜さん(作家、声優)の予定だそうです。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ2』 小川一水 ハヤカワ文庫JA

 『ツインスター・サイクロン・ランナウエイ』の続編。遠い未来、巨大ガス惑星を巡る軌道上に16の氏族に分かれて暮らす〈周回者(サークス)〉と呼ばれる人々。彼らの多くはガス惑星の大気圏を浮遊する巨大な魚のような生物、昏魚(ベッシュ)を獲る宇宙漁業者なのだ。主人公は〈礎柱船(ピラーボート)〉と呼ばれる漁船を操縦する二人の女性、ツイスタ(パイロット)のダイオード(ダイ)と、デコンパ(漁師でエンジニア)のテラである。役割がジェンダーによって固定されているこの保守的な社会で、二人は女同士のペアであり、はっきりと言えば恋愛関係にある。前巻で色々あって、氏族の違う二人が出会い、ペアになって漁の腕前を披露し、惹かれ合いつつ過去のしがらみに悩み、そしてついにこの星系を脱出して汎銀河往来圏(ギャラクティブ・インタラクティブ)へ向かおうとしていたのだが……。
 ダイが連れ去られてしまったのだ。連れ去ったのはダイの出身氏族ゲンドー氏。普段はおっとりして夢見がちなテラだが、愛する人のため、故郷のエンデヴァ氏や守銭奴と言われる何でも屋のトレイズ氏の力をかりつつ、また彼らを裏切りつつ、ダイの奪還に向けて進む。そしてゲンドー氏の氏族船〈芙蓉〉に潜り込み、ついにダイを見つける。しかしダイ――ここでは寛和(カンナ)と呼ばれている――の親友だという女性、瞑華(メイカ)と、なぜかニシキゴイ漁の勝負を持ちかけられる。
 テラとダイの望みは二人でペアとなって船に乗り、この星系を脱出して汎銀河往来圏で自由に新たな暮らしをすることなのだが、その背後には氏族の過去やこの世界の成り立ちの謎、ゲンドー氏の陰謀といった大きな物語があり、また身近にはダイとテラを取り巻く人間関係の渦、そして二人の感情の浮き沈み(ダイはとても焼きもち焼きなのだ)がある。ストーリーを駆動するのはこの巻ではゲンドー氏の陰謀と対抗するトレイズ氏の動きであり、テラとダイ(寛和)と瞑華の、女同士の愛憎である。百合SFというぐらいだから後者の比重が大きい。今回はかなり性的でエロチックな雰囲気も漂っている。
 物語は面白かったのだが、主人公の二人の関係性にはちょっとイラつくところもある。特にテラさん。いくら大らかで甘くてもボーッとしてちゃいかんでしょ。それと出てくる女性たちが(今はコンピューター人格になっている人も含め)みんなスーパーウーマンだというところも気になった。もっと平凡で、それでいて存在感のある女性が出てこないとバランスが悪く感じる。ろくな男が出てこないのは、まあいいだろう。漁のシーンはすばらしい。とりわけ巨大なプラズマの天翔るニシキゴイがいい。粘土というのが相変わらず良くわからないのだが、ハードSF的な宇宙漁の説明も面白かった。さていよいよ本当に星系を出て行く二人だが、この星系の外の宇宙はこれからどう描かれるのだろうか。そこは天国、それとも地獄?

『旅書簡集 ゆきあってしあさって』 高山羽根子・酉島伝法・倉田タカシ 東京創元社

 2012年からWEBで公開されていた3人の架空書簡集。それぞれが見知らぬ国を旅し、そこで見聞きした、体験した出来事を手紙につづって相手に送る。そこに自筆のイラストやオブジェを添えて。全部で27通の書簡と、宮内悠介の巻末エッセイが収録されている。
 楽しい。怖い。不思議。3人のそれぞれの個性的な、そして書簡集ゆえの、互いの情報がリレーし交感し合っていく独特なイメージの広がりがとても面白い。それぞれの物語はそのまま連続しているわけではなく、まさしくあさってしあさっての方向に進んでいき、自由気ままに行き来する。そこで描かれる国や都市、町や田舎での幻想的な出来事は、カルヴィーノの『見えない都市』やササルマン『方形の円』などを思わせるが、生身の自分自身がその場で体験しているという体裁なのでより生々しく身近に感じられる。

 高山羽根子の場合は、3人の中では一番「普通」の旅行記に近く、異国の食べ物や土産品、ちょっと変わった風習など、東南アジアあたりのエキゾチックな旅日記を思わすのだが、それはリアルな世界とはどこかがずれており、そのずれは次第に大きくなっていく。しきりに出てくるレイヤーという言葉に示されるように、視点や観点、意識による世界の見方だけでなく、実際の存在そのものがいくつもの層に分かれ、複数の世界が同時に存在しているという感覚である。それらの世界をつなぐものが、なぜか3人の間で届く手紙であり、最後にはどこかで必ず出会えるはずだという確信である。
 第一の手紙では足の下から熱せられる暗くて暑い町について描かれるが、その異様さよりも屋台での食事や飲食店に飾ってある人気キャラクターの写真のイメージが強く印象づけられる。ここに現れた蟹のモチーフはその後の旅や他の二人にも影響していく。さらに町全体が城塞となっている都市や超高層ショッピングモールの都市を経て赤道直下の島嶼国家へとたどり、海の底で貝を拾ったりした後、いまだに戦争の終わっていない小さな島へ渡る。そこでは二つの国の兵士達が戦争中であるという名目で互いに接しないよう暮らしているのだ。その島の基地にいるナースさんに会ったり、不思議な図書館のある島で事務手続きをしたり、物を買うのにお金ではなく踊りを踊る国へ行ったり。
 それらの国の環境や人々はとても幻想的ではあるが、ちゃんと現代とどこかつながっていて、テレビがありインターネットがあり現代文明が存在するのだ。レイヤーは違っていてもインタフェースはちゃんとあるのである。そんな中でいたって気楽そうに店をのぞき、人々と話をし、美味しいものを食べる高山さんがとても楽しそうだ。
 どのエピソードもいいが、ぼくが一番気に入ったのは通貨がお金でなく踊りだという国のお話。この発想はとても面白く微笑ましくなる。少額のものを買うときは簡略化された踊りで手や首をパパッと動かすだけでいいというのは目に見えるようだ。

 一方、酉島伝法の旅はいきなり不穏で、そこは他の2人と同じ世界というよりは作者の小説に出てくるような別世界に思える。最初の書簡では泥だらけの町が描かれるが、どうやら酉島さんはそこでホテルに泊まるつもりだったらしいが足に鉄球を着けられ地下牢のような部屋に閉じ込められる。でも本人は変わったホテルだなとしか思っていない様子だ。さらに呪物工場で奴隷労働させられ(本人は体験ツアーだと思っている)、棘のついたベルトで鞭打ちされ(鍼治療だと思っている)、それを救ってくれたのは高山さんの手紙にあった言葉だった。
 そして大昔から飛行機が墜落するという町や、高山地帯の村を経て、なぜかサンクトペテルブルク・ペトログラード横断鉄道なるものに乗っている。社内には様々な人々が乗っているが、突然自分が王様になっていることを知る。しかしその後の記憶はなく、次にいたのは日本語のようなものを話す町で、そこで不可解な会話しているといくつかの言葉がその二重の意味を明らかにしていき、やがてある村で巨大な案山子に取り込まれ、最後は賽の河原に迷い込んだような西極点へ向かっている。
 何のことかわからない? そう高山さんの書簡が不思議だが日常に続いている世界の話だったのに対し、酉島伝法の旅は最初から最後まで異様な(作者のSFに出てくるような)悪意に満ちた別世界の物語であり、時系列もとりとめなく、しかし他の2人とは確かにつながっているのである。そんな異常でおぞましい世界の中に放り込まれても、酉島さんはわりと平気で、のほほんといつの間にか乗り切っているのだ。そこに何があったのかはわからないが、どうやらこの旅行を仕切っている〈愛と驚異のシュヴァル・ツーリスト商会〉がからんでいるらしい。作者のことだから、こんな行き当たりばったりに見える背後にも、詳細な設定があるのかも知れない。高山さんと違って食べ物も全く美味しそうではなく、出来事も全然楽しそうじゃないが、いかにも酉島節でねじれたユーモアがあり面白く読めた。

 倉田タカシの旅はまた違っている。こちらは自分の経験することより、むしろ都市や町の構造やあり方、交通手段やシステムに興味があるようだ。最初の町は役目を終えた飛行機たちが身を寄せ合う飛行機の町。次は大小の動物たちが毎日屠られ続けるほふりの村。そこで巨大な動物が生きたまま解体されるのを見るが、そこに例の高山さんの書簡にあったモチーフが現れて二つの世界をつなぐ。その後南太平洋に飛行機が着水し、何故か突入部隊の先頭に立たされるが無事に救出され、巨大な川によって二つに分かれた街を結ぶ船に乗り、今度は全く明かりのない暗闇の村で過ごし(ここでは自分の肉体的な感覚がリアルに描かれる)、ようやく光のある世界に戻ると、ホテルに行こうとしてタクシーに乗ったままいつまでたっても降りられない都市にいる。雨の降り続くこの都市では、外出禁止令(カーフュー)がランダムに発令され、その出ている期間出ている地区ではタクシーから降りることができないのだ。かくて普通の大都市(に見える)が謎めいた迷宮となる。とりわけ印象的だったのはこの雨とカーフューの国だが、それと同様に飛行機の街も現代の技術とシステムが作り出す迷宮を描いていて楽しかった。

 3人は最後に西極の果て(どこ?)で出会うことになるのだが、果たして本当に出会えたのだろうか。インタフェースはつながったのだろうか。

『飛行船の日 マイクロノベルコレクション1』 木口まこと

 電子書籍で出版された木口まこと(菊池誠)さんのマイクロノベル集。マイクロノベルというと北野勇作さんが有名だけど、ツイッターから始まった百字前後の小説で、菊池さんもそれに触発されて書き始めたということだ。本書はその中から50編を収録したもの。1ページに1編が収まっている。
 普通の小説が多い。ほのかなラブストーリーで、その一瞬の感情を切り取ったロマンチックなものや、切ないノスタルジーに溢れる、ちょっとセンチメンタルな作品が多い。そんな日常から幻想的な世界へつながるもの、ファンタジーや、中にはまぎれもないSFもある。作者らしいハードSFよりの作品、あるいは本格的なハードSFに発展する原型のような、アイデアやイメージのスケッチで、そういうものはできれば長い形でも読みたいと思った。例えばこんな作品。

遠い恒星からの光がその惑星の生命を維持している。
惑星の上には光を利用する小さな生態系が存在する。
その廃熱を更に小さな生態系が使い、その廃熱がまた別の生態系を維持している。
何重にも階層化された生態系の奥には恐ろしくゆっくり活動する生命がいて、そこには知性も育っている。(22)

 これなんかイーガンの「ワンの絨毯」みたい。菊池さんは専門家だけど、こういう階層化された生態系みたいなもので、あるレイヤーに創発的に知性が宿るという時、実際はそれぞれの階層は独立しておらず相互にインタフェースがあり情報のフィードバックがあるはずだと思うのだが、どうなんだろうか。人間の脳や神経系なんかを見てもそんな気がする。
 またこんな作品。

ネットワークの片隅で小さな生き物に出会った。
猫にも犬にも似たそれは僕に気づくと威嚇してきたが、僕に害意がないことを知って体をすり寄せてきた。
きちんと終了処理をしなかったために残ったプログラムの切れ端だ。
まれにそれが意識を持つ。
僕はそれを抱え上げて、家に連れ帰った。(29)

 「電脳コイル」の1挿話みたいで、ちょっと切なく、可愛い。

ひとつ進んで数字を読み、手にしたダイヤルを回す。
現れた指示に従って数字を書き換え、ひとつ戻る。
再び数字を読んでダイヤルを回し、数字を書き換える。
この作業は果てしない昔から続けられている。
彼または彼女は指示通りに作業を続けるだけだが、上の階層では知性が活動している。(47)

 テッド・チャンか小林泰三みたいだが、ぼくはこんなSFが好きだ。
 より日常的な作品ではどことなく寂寥感の漂うものが多いが、子供たちを扱った作品には未来への希望がある。それが嬉しい。

『AIロボットSF傑作選 創られた心』 ジョナサン・ストラーン編 創元SF文庫

 現代SFの名アンソロジストとして知られるオーストラリアのジョナサン・ストラーンによる2020年編纂のオリジナルアンソロジー。AIロボットSF傑作選とあるが(原題ではRobots and Revolution)、人間が作り出したもう一つの人間であるAIやロボットや人工生物、あるいは人間とは異質なものとなったそれらについての、ベテランから新鋭まで、いずれも傑作といえる16編が収録されている。加藤直之の挿絵付き。解説は渡邊利道の力のこもったものである。

 ヴィナ・ジエミン・プラサド「働く種族のための手引き」。作者はシンガポールの作家でこの作品は2021年のネビュラ賞・ヒューゴー賞候補作となった。新米のロボットが彼女(?)を指導する先輩(メンター)とやりとりするメッセージだけの作品だが、ロボットの働く環境はいかにもブラックで、普通にブラックな職場とそこに働く若い労働者を辛辣なユーモアを交えて描く作品として読める。新米ロボットはメイドカフェで働いているらしく、先輩はどうやら殺人ゲームに従事しているらしい。ロボット専用のSNSがあるようで、そこでの短いメッセージのやりとりで語られるのだが、新米はいかにも今の若者風で、犬が好き。その口調がだんだんとしっかりしていくのと、初めはぶっきらぼうだった先輩が彼女の犬好きに影響されていく様子が面白い。この世界では人間とは別の社会があり、人間とは別の階層があることが示唆されている。まさにチャペックまで遡るようなロボットテーマだといえる。

 ピーター・ワッツ「生存本能」はいかにもワッツらしく、科学技術的な略語や概念が説明もなく放り出されていて大変読みにくく、ちゃんと理解しようと思うと一度読んだ後に再読が必要だろう。土星の衛星エンケラドスの海底でヒトデ型の探査ロボットが生命活動の兆候を調査している。地球の月軌道からそのコントロールをしているのはランゲと助手のサンサ。プロジェクトは予算が尽きようとしている。そこへ海底噴火か何かが発生し、探査ロボット〈メデューサ〉が損傷する。しかし送られてきた映像には一瞬生命活動を思わせるものが映っていた。研究を続けるにはメデューサを復旧し、もっと情報を集めないといけない。エンケラドスの海底調査をヒトデ型ロボットで行うなんて、海洋生物学者であるワッツの本領発揮だろう。でも物語は異星生命の発見の方には向かわず、故障したメデューサの6本の腕の1つ、A4の異常に焦点を当てる。他の腕はゆっくりとだが復旧しているのに、A4は不可解な動きをしているのだ。サンサはそれを、事故によりA4の生存本能が刺激されて創発的に意識(のようなもの)が芽ばえたせいではないかと指摘する。だがそれは人間に理解できるものではなく、コントロールも不能だ。シャットダウンするしかないとランゲは決断するのだが――。人間とコミュニケーションできるAIとそうでないAI。これは一種の悲劇的なファーストコンタクトものとしても読めるだろう。意識の問題も含め、ワッツがずっと追い続けているテーマでもある。面白かったが、もうちょっと読者に親切ならいいのになあ。

 サード・Z・フセイン「エンドレス」。英語で作品を発表しているが、作者はバングラデシュの人である。主人公はとても人間的なAI。40年間タイの空港を管理してきた真面目で高度なAIだが、空港が売却されクビになり、イヤらしい人間とAIの株主にお情けでずっと格下の仕事を与えられる。廃車寸前のエアキャブ20万台の航空管制の仕事だ。彼はその悪徳資本家たちに復讐を誓い、仕事の合間にコツコツと機材を集めて、そして銀行監査の入る日、いよいよその日が――。コミカルな作品だが、その復讐にはどぎもを抜かれる。各地にこっそりと作り上げていたアバターとエアキャブの群れを用いて戦うのだが、めちゃくちゃ派手で、まるで異能バトルだ。巨大な人型モンスターが暴れ、敵の武器をたたき落としていく。別にエアキャブで怪獣を作る必要はなかったのだが、世界中のニュースチャンネルが殺到する中、見た目も考えなくちゃならないからな、ということだ。直接関係はないのだが、ぼくは読んでいて野口まどの作品を思い浮かべた。ちょっと悪趣味で派手なところかしら。

 ダリル・グレゴリイ「ブラザー・ライフル」。これは近未来のAI兵器をコントロールし、自分で決断してそのトリガーを引くという責任を負っていた兵士の物語。彼は戦場で敵の隠れた民家を攻撃した時、子供を含む民間人を殺傷してしまう。罪悪感から自殺を図るが、失敗して脳に損傷を負った。そのため彼の心は変容し、決断力がなくなり、感情もほとんどなくなってしまった。今は退役して病院に通っている。その彼の脳にインプラントを入れ、ソフトウェアで感情や決断力を取り戻させようとしているのが、野心的な医師と、その助手で彼を真剣に見てくれている女性である。やがてその実験は成功し、彼は徐々に元のようにふるまうことができるようになっていくのだが、それは果たして彼の自由意志なのか。インプラントにコントロールされ、決断を後押しされているだけではないのか。あのAI兵器のように。そして彼はある決断をするのだが――。というわけで、現実にも存在する人間が制御するAI兵器の倫理問題から、人間の意識自体がAIに制御されるという自由意志の問題へとテーマは発展する。読後感は重い。

 トチ・オニェブチ「痛みのパターン」にも同じような読後感がある。作者はナイジェリア系アメリカ人。この小説の主人公もナイジェリア系男性で、ネット上に流れる様々なニュース映像を分類し、顧客に提供するという仕事をしている。テロや戦争、虐殺といった刺激的なコンテンツにも平気になってきた。だが、甲殻類型ロボットに置き換わりつつある警察が無実の少年を銃撃し、示談金を支払って解決したという事件に引っかかりを感じて、業務外ながらその関連情報を追うことになる。そして彼の会社も関わっているアルゴリズムによって、このAI社会に組み込まれた恐ろしい不正を見つけてしまうのだ。ここでもAI自身は意識をもったりしない。AIそのものより、AIのアルゴリズムと人間の倫理の関わりや、それが社会に及ぼす影響など、今現在の問題がクローズアップされていく。

 ケン・リュウ「アイドル」は作者がよく描いてきた近未来の企業を描くお仕事小説の1編だろう。彼の弁護士として働いた経験が元になっているようだが、これまでのIT企業の内幕を描いたような小説ではなく、アイドルと呼ばれる仮想人格技術にまつわるエピソードをそのままに羅列する話だ。普通の小説のような物語性には乏しいが、問題意識が読者に直接的に投げかけられている。ここでいうアイドルとは、個人の様々な情報を元に意識をもたないソフトウェアで構築されたシミュレーション人格であるが、すでに亡くなった人や、直接その内心を聞くことの出来ない人がどんな考えをもっていて、会話にどう反応するかを、入手できたデータを元に再現しようとするものである。本人のデータの欠落しているところはビッグデータから推測する。美空ひばりをAIで再現するというような話が現実にあったが、はるかに進化して人間そのもののように見える(でも本当の彼や彼女ではない)仮想人格に対したとき、われわれはどう対応するのか。そしてその元データにフェイクが混入している時どうなるのか。裁判を前に相手の弁護士や陪審員のアイドルを使って戦術をシミュレーションするエピソードが印象に残る。

 サラ・ピンスカー「もっと大事なこと」は短めの作品で、水資源が枯渇しつつある未来の話。大富豪がスマート化された自宅の浴室で変死するが、警察はそれを事故と判断した。その真相調査を彼の息子が探偵に依頼するというSFミステリである。細かいところはともかく、犯人が誰かはわりと早めに想像がつく。ミステリなので詳しくは書けないが、これも一種のトロッコ問題をテーマとしている。しかしその評価関数は、重み付けはどのように定められるのか。トロッコ問題は思考実験だから条件が限られているが、現実的にはもっと別の条件があり、解があるかも知れないと常に疑う必要があるだろう。召使いロボットがなかなかいい味を出している。

 ピーター・F・ハミルトン「ソニーの結合体」。ソニーというのはヒロインの名前。気候変動が襲う未来のロンドン。主人公のソニーは闘獣というスポーツの戦士だった。闘技場で人工的に作り上げた本物の獣同士を戦わせるゲームで、彼女は闘獣(ビースティ)に乗って相手の闘獣と戦うのだ。実際に騎乗するのではなく、テレパシー的に結合してコントロールする。ソニーとそのチームは闘獣で素晴らしい成績を上げていた。だが、ギャングが介入し大事件を起こしたことで闘獣は禁止される。ソニーのチームもバラバラになったが、闘獣を作り上げソニーと結合させていたエンジニアの二人はずっと彼女と共にいた。それがついにギャングから暗殺者を送られ、二人は殺されてソニーも体をボロボロにされる。だが彼女は復讐を誓う。二人の残した技術で自分自身をキメラと化し、そして――。いや派手で迫力満点。このシチュエーションで長編も読みたいし、スーパーヒーローものの映画にもできそう。ボロボロになったソニーの最後の闘いがすごくカッコイイ。堪能した。

 ジョン・チュー「死と踊る」の語り手は女性型ロボット。倉庫で働く一方、スケートが得意で、スケート場で子供たちにフィギュアスケートを教えている。しかし彼女は古くてあちこちが壊れかけている。バッテリーも保たず、部品ももう作られていないが、そんな彼女を無償で親身になって支えてくれ、どうにか整備してくれるのが整備士のチャーリーだ。彼は昔プロのアイスホッケーの選手だった。静かで、ロマンチックな物語である。最後に人間と機械の二人はスケート場でタンゴロマンチカを踊る。作者は台湾生まれで、中国神話の死のイメージが濃厚に漂っている。

 アリステア・レナルズ「人形芝居」はちょっとブラック・ユーモアな物語。富裕者たちを冷凍睡眠で遠い植民星へと運ぶ恒星間宇宙船で事故が起き、5万人の人間たちは全員死亡または脳死状態となる。残されたロボットたちはこのまま目的地に着くと責任を問われてみな処分されてしまうと、会議を開いて対策を練る。目的地に着くのはまだ何十年も先なので、時間的余裕はあるのだが、いかんせん、ロボット知恵なのであまりうまく行かない。損傷の少ない何人かの人間を復活させ、そこでロボットが人間のフリをして会話を試みるがすぐばれてしまう。そこでまた別の方法を考えるのだが――。知能が高いとされるエリートロボットや医療ロボット、役者ロボット、鋭い発想をする非人間型ロボットなど、ロボットたちがみな可愛い。とりわけヒロインのルンバみたいなお掃除ロボットがいい。ある意味グロテスクな結末も、ロボットたちの目から見ればハッピーエンドだろう。面白かった。

 リッチ・ラーソン「ゾウは決して忘れない」。作者はニジェール生まれとかで、このタイトルも何か出典があるのだろうか。二人称で書かれた実験的な作品であり、さらっと読むと意味が取りにくい。主人公のあなたは手にバイオガンを持って培養槽から出てきたばかりである。その脳裏をゾウは決して忘れないという言葉がリフレーンする。あなたが目覚めたのは人工子宮の並ぶ誕生日の部屋。そこを出ると学校の中のような場所におり、体育館のようなところには子供用の拷問椅子がある。外に出るとプールがあり、セックスしている男女や学習用タブレットを見る男、プールに入っている男がいる。あなたはバイオガンで彼らを皆殺しにする。しかし別の部屋のトイレに今殺したはずの女がいる。その女が倒れると今度はパジャマを着た子供が出てきてとても大人びた口調であなたに話しかけ、パパの所へ連れて行く――。何が起こっているのかはわかる。ここがどんなところかも想像できる。しかし記憶のない主人公が何をしているのかは判然としない。それでも緊迫感は半端ではなく、生々しい血の臭いが漂う。

 アナリー・ニューイッツ「翻訳者」ではシンギュラリティを越えて人間には理解できないものになっているAIが登場する。主人公はその出力メッセージを人間に理解できるものに翻訳する翻訳者であり研究者だ。だがAIたちは人間にあまり興味がなくなり、たまに送られてくるメッセージもすぐに人間の役に立つようなものではなくなっていた。そのため、主人公の仕事も減り、かろうじてごく小規模な研究機関からの資金で研究を続けている状態である。しかしある時、超AIの一つ〈フットプリント〉から彼女にメッセージが届く。〈フットプリント〉は他のAIたちと協力して「人間たちを助け」「空間のジッパーを開く」というのだ。何のことかわからないが、出資者たちはそれに有頂天になり、人類が永遠に生きるのをAIが手伝ってくれることになったと記者発表する。だが次のメッセージを解読したところ、どうやらAIはどこか遠いところに永遠に行ってしまうということらしい。では人間たちを助けるとはどういうことか。それが明らかになるのは物語の結末だが、そこに現れるビジョンは壮大で楽しく、わくわくするものである。それらが古いプログラム管理システムのチケットとして現れるところもコンピュータ屋にはたまらないところだ。とても面白かったし、こういうセンスは好き。

 イアン・R・マクラウド「罪喰い」は多くの人間たちが仮想世界に転移した後の世界が舞台。ほとんど廃墟となったヴァチカンに一人のロボットが訪れる。ここにはベッドにつながれてまだ生きている年老いた老人がおり、〈罪喰い〉と呼ばれるロボットはその転移を支援するために来たのだ。老人こそ、最後の教皇、ポンティアヌス二世だった。ロボットと教皇は静かに語り合う。転移はカトリックには許されない自殺と極めて近いものだが、教皇はかつて病気の両親に転移を勧め、仮想世界での復活を喜んだのだった。罪喰いは転移の量子的プロセスを開始し、不要となった記憶の残滓を、〈罪〉を吸い上げ、教皇の遺体を地下のカタコンベへと運ぶ。だがそこで〈罪喰い〉に訪れた運命は――。何といっても生きた人間のいなくなった世界の描写がとても美しく、また教皇とロボットの宗教的な会話も、過去のエピソードも淡々としているが印象的である。教皇や〈罪喰い〉、ずっと教皇の世話をしてきた侍従ロボットといったキャラクターもとても魅力がある。短いが心に残る作品だ。

 ソフィア・サマター「ロボットのためのおとぎ話」は、研究所の中で生まれてくるロボットに、その母親とも言える研究プロジェクトのリーダーが夜の研究室で語る、タイトル通り――ロボットのためのおとぎ話である。読む前はおとぎ話をSF的に語り直したものか(三方行成の作品のような)と思っていたが、ちょっと違った。おとぎ話のリトールドではなく、おとぎ話に含まれる寓意をロボットと人間の関係で読み直し、いわば人間社会の中で「普通の」人間とは違うロボットとして(もちろんそれは機械のロボットには限定されない)生きるための教訓を授けようとするものである。だからそこにはジェンダーの問題も含まれ、経済格差や、はっきりと書かれているわけではないが人種的な問題も含まれる(作者はソマリ系アメリカ人である)。おとぎ話から始まる物語は、しばしば主人公自身の記憶に踏み入り、彼女自身の物語となる。主人公はロボットのためにその音声ファイルをこっそりとアップロードしようとしているが、それは製品の改竄にあたるものだ。それでもロボットたちの生みの親として、いやロボットたちと同じ目線に立ちたい人間として、彼女はやむにやまらず彼らに「反逆」の心を埋め込もうとしているのである。

 スザンヌ・パーマー「赤字の明暗法」は労働がロボットに任されている時代、工場で働く一体のロボットを所有してしまった青年の物語である。彼は学生だが、貧乏な両親が彼への誕生日プレゼントとして奮発し購入したのだ。ロボットは工場のラインにつく機械の1台として働いており、その収入が彼のものとなる。普通はリスク分散のため複数で共同所有するものだが、一人で持ち主となったため赤字も黒字も全部彼にかかってくるのだ。何しろ中古のロボットであちこち不具合があり、生産性は低い。生産性がある限界以下になるとロボットは工場のラインからお払い箱となり、彼は負債を負うことになる。だから学生でありながら、彼は時々工場に顔を出し、ロボットと話をし、うまく動かないときには手伝おうとまでする。でもあなたが手伝うと余計に生産性が落ちるので何もしないでくださいと言われる(もっとやんわりとだが)始末。彼はお坊ちゃんの学生二人(ゲームばかりしている)と一緒に住んでいて、時々カッコイイ女友達の研究者が現れる。彼らの会話は楽しい。女友達は本当に頼りになる。そしてある日、彼のロボットが新型のロボットたちからイジメを受けているのを目撃し――。ベーシックインカムが普及した時代の労働についても考えさせられるが、何よりユーモラスで楽しい物語。面白かった。

 ブルック・ボーランダー「過激化の用語集」。ロボットというか人造人間が作られて労働に従事させられている世界。主人公のライは反抗的な人造人間(〈製品〉と呼ばれる)の少女で、今は〈製品〉のストリートチルドレンを引き連れている。〈製品〉は職業教育を楽にするため子供の状態で作られ、実際には酵母菌で生きているので食事をする必要もないが、空腹や苦痛などの感覚を設計され植え付けられているのだ。それがライを苦しめる。彼女は、マフィアのボスに気に入られて高い地位まで上り詰めた〈製品〉がいるという噂を聞く。ボスの死後、その大半を相続してマンションの最上階に住んでいるのだと。彼女はその噂の建物に忍び込もうとするが――。ここには怒りがある。暗く抑圧的な世界の中で過激にそれを切り開いて行こうとする怒りの力がある。だがそれはロボットのものなのだろうか。この作品での人造人間たちの姿は、はむしろ人間そのもののように思える。

 16編それぞれの感想を書いたのでずいぶん長くなった。激しいもの、怒りに満ちたもの、ユーモラスなもの、楽しいものなど様々な作品があるが、いずれも面白く、素晴らしい傑作集だったといえるだろう。


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