内 輪   第379回

大野万紀


SFファン交流会「SFという名の高速道路に乗って――第9回ハヤカワSFコンテスト大賞・優秀賞作家に訊く」

 3月のSFファン交流会は3月26日(土)に、「SFという名の高速道路に乗って――第9回ハヤカワSFコンテスト大賞・優秀賞作家に訊く」と題して開催されました。出演は、人間六度さん(大賞作『スター・シェイカー』著者)、安野貴博さん(優秀賞作『サーキット・スイッチャー』著者)、聞き手は鈴木力さん(ライター)です(肩書きは紹介ページより)。
 写真はzoomの画面ですが、左上から反時計回りに、六度さん、安野さん、鈴木さんです。
 人間六度さんは「人間」さんでなく「六度」さんと呼んで欲しいとのことでしたので、ここでは六度さんと表記します。
 まず、鈴木さんによるお二人の受賞作紹介。『スター・シェイカー』は人間がテレポートできるようになった世界で、組織に追われる少女を助けた主人公が、廃墟になった高速道路をロードピープルと一緒になって沖縄を目ざす物語。『サーキット・スイッチャー』は自動車の完全自動運転が実現した近未来で、主人公が高速道路を走行中の車に拘束され、停止させたり他の車が近づいたりネットへの配信が停止したら爆発するというサスペンスドラマと要約し、二つの共通点として「高速道路SF」と表現されました。
 『スター・シェイカー』について六度さんは、好きなラノベ『とある魔術の禁書目録(インデックス)』にテレポート能力をもつ女の子が出てくるのを見て、自分がテレポートできたら最強じゃないかと考えたけれど、たまたま自動車学校で初めて運転したとき、人を轢いて殺せるような力をもっていることに恐怖を感じ、それが法律でがんじがらめになっていることから、テレポートがあっても自由じゃなくてルールでがんじがらめにされているだろうと思ったとのこと。そこでテレポーテーションのルールを色々と考えた。テレポートする対象としては自分の境界を意識しないといけないだろう。髪の毛や衣服はどうなるのか、妊婦だったら胎児はどうなるのか。結局自分の範囲ということがよくわからないから、容積で考えるしかないのじゃないかということでWB(ワープボックス)というアイデアが出たとのことでした。この作品ははっきり言ってテレポートバトルを書きたかった。それを詳しく考える中から振動、素粒子、ミクロなものと宇宙との関係といった大ネタに発展したが、もともとはテレポートバトルとテレポートのある世界を書きたかったとのこと。また鈴木さんが、主人公たちが逃げ込んだ先の高速道路に住むロードピープルが大好きだと話すと、六度さんは、ぼくもロードピープルは大好きです。最初はテレポートだけだったが、移動というテーマが出てきて、そうするとロードピープルという、移動に関してガラパゴス的な進化をした人類を、『虎よ、虎よ!』の科学人みたいなイメージで考えたということでした。
 安野産さんは『サーキット・スイッチャー』について、発想の根幹は技術が進歩していく中で何が大きく変化するのか。インターネット、スマートホンときて20年代は何だろう。賢くなったソフトウエアが何を変えるだろうか、そこで自動運転をテーマにしたとのことでした。鈴木さんが、自分の作ったものにどこまで責任をもてるのかという裏テーマがあるのではと問うと、安野さんは、それがメチャメチャむずい。自分も仕事でアルゴリズム開発をしているが、ある変数に最適化すると思わぬ副作用が出ることがある 作る側としてはその影響範囲にも責任をもった方がいいと考えているとの答え。技術単体での評価とそれを社会全体でどう受容するかはギャップがあり摩擦があり、今後大きな問題を引き起こしそうだと考えて書いた。ある一つの技術に依存度が高まりすぎるとシステム全体としてはもろくなると思う。そこらのバランスをとる必要があるとのことでした。
 後半ではお二人のこれまで読んできた本とか、SFとの関わりなどについて。
 六度さんはお父さんがSF好きで、『トリポッド 襲来』を小学校のころに勧められて読み、初めて小説が面白いと思ったとのこと。『わたしを離さないで』を読んでカズオ・イシグロのファンになり、最近では『エルピス』シリーズがまじで面白い。中高生のころは『とある魔術の禁書目録』にはまっていたとのことでした。
 安野さんは、SFという意味では中学生ころに「メタルギアソリッド」でSF的ストーリーに触れ、大学生のころに伊藤計劃『虐殺機関』を読んで好きだった。中高では『イリヤの空、UFOの夏』を傑作だと思った。最近はアンディ・ウィアーがとても好きで最初は映画から入ったが最新作もめちゃくちゃ面白かったとのこと。
 その後の質疑応答の中で印象に残ったのは、二人とも高速道路を描いているのに「高速愛」があまり感じられないというスタッフからの発言や、二人は車は運転されるのかという鈴木さんの質問に、六度さんは運転は好きだが車にこだわりはなく、主にカーシェアリングを利用していると答え、安野さんは免許をもっておらず(そのうち自動運転が当たり前になるから)友だちに免許を取ろうと誘われてもその気にならないと発言されていたことでした。確かに『サーキット・スイッチャー』に出てくる車は車としての魅力に乏しく(ただの箱みたい)、首都高もただぐるぐる回っているだけでしたね(お話はすごく面白かったけど)。
 次回は4月23日(土)に開催で、テーマは「〈マニュエル伝〉シリーズの魅力(仮)」。ゲストは翻訳家の中野善夫さん、安野玲さんの予定です。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『大日本帝国の銀河5』 林譲治 ハヤカワ文庫JA
 シリーズ最終巻。これまでの巻とかなり雰囲気が変わり、完結に向けてちょっと急いだ感じを受ける。何しろ目次を見て驚く。2章までは昭和16年と、これまでと続く年代だが、3章1955年、4章、5章が1960年、6章が昭和55年(1980年)、7章、8章が昭和104年(2029年)、そしてエピローグが昭和315年(2240年)となるのだ。
 短い描写で長大な時間の流れと世界の移り変わりを描き出していくのはSFではよく使われる手法だが、それは俯瞰的で個々の人間を越えた神の視点を作品世界にもたらすものだ。本書でもそれは成功している。本書ではその上、これまでの巻の登場人物が継続して登場することで、その視点がずっと引き継がれることになる。
 このために作者がとったのが、不老不死の導入である。ナノボットを体内に入れて修復することで少なくとも数百年の寿命が得られるとするのだ。人工冬眠やタイムトラベルのようなピンポイントでの継続よりもずっと連続性が保たれるのである。
 このことにより本書ではこれまでの謎を解いてさらに300年後の未来を描いても、作品の内容に唐突な感じはあまりせず、なるほどそうきたかと感心させられる。
 ネタバレにならないように内容に触れるのは難しいが、オリオン集団は第二次大戦を防ぎ、人類の中から特に優秀な人材を人種や民族、性別や出自を問わずに世界各地から集め、独自の教育をして科学技術や社会インフラの面で世界を変えていく。賢板と呼ばれるスマホのような機器の普及もそれを加速する。そのため、当時の先進国とその植民地との支配関係や、女性差別を当然としてきた(何しろまだ女性の参政権もないのだ)国家体制が大きく揺さぶられていくことになる。これまでの主な登場人物は、鮎川悦子や古田暁子などの一部を除き、ほとんどが男性で、高級軍人や大学教授など体制内のエリート階層だったが、彼らの意識もまた変革を迫られることとなる。軌道エレベーターによって宇宙空間にあるオリオン集団の拠点ドグマへと招かれた帝国大学教授の秋津俊雄も、すでにそこで地位を築いていた鮎川からこんな言葉をかけられる。
「日本の帝大教授が、オリオン集団の科学知識に圧倒され、さらに何処の馬の骨ともわからない連中と机を並べて勉強する立場になり果てた。こんなのは理不尽だ! そう思っているんでしょ」と。
 まさにその通りで、秋津にはぐうの音も出ない。だがそうやって人類の科学技術を底上げし、旧弊に固まった非効率な運用体制を効率化して、オリオン集団は何をしようとしているのか。
 本書には「2001年宇宙の旅」や「ブレードランナー」などのSF作品からのさりげない引用が随所に見られ、それは単にSFオタク向けのくすぐりなのかも知れないが、深読みすれば本書が他のSFを参照し、その批評となっていることを示しているのではないだろうかと思う。実際、後半では『三体』のアイデアに対する著者の納得のいく反論が展開されているのだ。ぼくが本書で思い浮かべたのは(著者にそんな意図があったかどうかは別として)カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』である。これもまた進んだ異星人が人類を何かの道具に使おうとした物語だった。本書ではついにオリオン集団が人類をどう使おうとしているのか、その目的が明らかになる。と同時に、人類の側も彼らの思うままになっていいのか悩み、不可能と思える反攻を試みることとなる。
 オリオン集団はこれまでの巻でもそうだったように、不可解ではあるが邪悪な異星人とはいえない。しかし人類とは異質な存在であり、敵味方という概念すら同じではないのだ。共存のためには人類の側も正しくコミュニケーションし、意図を明確にしてできる範囲で相互理解に持ち込む必要がある。
 本書の結末ではほぼそれが達成される。めでたしめでたしではあるが、本書では未解決のまま残された問題があるように思う。その一つは著者自身が本書で何度も言及している「人類」の主体の問題である。オリオン集団に対し、人類の意志をぶつけるといって、その人類とは何か。主要な登場人物が不老不死技術で生き延び、その意識も根本的には古田岳史が言うように「自分や桑原は意識の中で満州や委任統治領の情景を引きずっている部分がある」のだ。人類とはいってもそれは過去を背負った彼らのように、高度な知識と能力を持ち、多くの情報にアクセスできる少数のエリート集団のことであって、それが人類全体の代表として人々の運命を左右するような決定をしてもいいのかという倫理的な問題である。鮎川悦子はこう言う。「人類の大半は宇宙でオリオン集団が為そうとしていることをほとんど何も知らない。そして賢板の普及で多くのことが国境を越えて行われていると言われながら、地球人類の意思を代表する組織もなければ、そうした意思を確認する仕組みもない」だからこそ「我々は自分たちの傲慢さを自覚していなければならない」と。これはまさしく現実世界にも通じる問題意識であり、その明確な答えはなく、我々が模索していくしかないのだろう。またこれは一人か二人の主人公の意思が世界を変えてしまうような(それが悪いというのではない)一部のSFへの批評ともなっているように思う。
 ともあれシリーズは本書できれいに完結した。やはりちょっと完結を急いだ気はしないでもないが、異質な(とはいえ一見意思疎通ができるように見える)面倒くさい相手とのファーストコンタクトSFとして、とても面白く読めた。

『ロボットには尻尾がない 〈ギャロウェイ・ギャラガー〉シリーズ短編集』 ヘンリー・カットナー 竹書房文庫

 1940年代に発表されたヘンリー・カットナー(ルイス・パジェット名義)のユーモアSF、〈ギャロウェイ・ギャラガー〉シリーズを全訳した短篇集である。これまで未訳だった「エクス・マキナ」も含まれた完全版だ。いやあ懐かしい。
 ギャロウェイ・ギャラガーは天才科学者だ。でも酔っ払ったときにしかその才能が発揮できない。彼は泥酔してとんでもない大発明を作り上げるが、しらふになると、どうやって作ったのか、どうしてそんな働きをするのか、いやそもそもそれが何なのかすら分からないのだ。マッドサイエンティストならぬ泥酔科学者である。
 ただこのシリーズ、面白いには違いないのだが、書かれた時代のせいか、今読むとちょっと垢抜けせず、乗りきれないところもある。科学技術志向のJ・W・キャンベルが編集するアスタウンディング誌に掲載されたためかも知れない。科学的っぽい説明が(もちろん意味不明なのだが)わりとくどいのだ。どうせ意味不明なのだからもっとぶっ飛んでもいいのじゃないかと思ってしまう。

 「タイム・ロッカー」はシリーズの最初の短編である。ギャラガーが酔っ払って作ってしまったロッカーは、どんな大きなものでもその中に入れると縮小されてしまう。どうやら別次元に通じているらしい。でも手を入れて取り出すとまた元の大きさに戻すことができるのだ。物語はそのロッカーを犯罪の隠蔽に使おうとした悪徳弁護士の運命を描いている。ここではまだギャラガーの魅力が十分ではない。悪徳弁護士中心の話になっており、ガジェットもオチは効いているが理屈はさっぱりわからない。

 「世界はわれらのもの」。これは最初の作品よりずっと面白い。何しろ火星から地球を征服しに来たという3匹のリブラ=火星ウサギ(?)がとても可愛い。そこに熱光線銃で殺された様々な年齢のギャラガーの死体を別の時間線から裏庭に出現させるタイムマシンやら、天才の能力を他人にコピーできる装置やら、田舎から来たギャラガーのおじいちゃん、危険な野望を抱く刑事、サーカス芸人までからんでてんやわんやの大騒ぎ。オチはあっさりしているが、なるほどそうかと思う。ただ泥酔SFという設定はここではあまり効いていないようだ。

 「うぬぼれロボット」まで来るとシリーズのノリが明確になって安定した高速運転に入る。何よりナルシストでギャラガーの言うことをてんで聞かないジョーという名のロボットが面白い。ジョーは以後シリーズの準主役となる。酔っ払った別人格の自分が作った謎の装置(今回はロボット)を前にギャラガーが途方に暮れていると、彼と契約したという人物が現れて契約したものを早く渡せと迫る。だがギャラガーは一体何を約束して、何を作ろうとしたのかさっぱり覚えていない。さらに利害関係のある契約者またはその関係者が複数現れて、裁判沙汰や警察もからみ(そのいずれかは悪党だ)大混乱――そして最後に何が発明されたのかがわかって、すべての絡み合いがスッキリと解決するというシリーズのパターンも明確になっている。この話では善玉と悪玉が明白でストーリーはわかりやすく、その分ロボットのジョーのあきれた個性が目立っている。困ったやつだが憎めない。

 「Gプラス」ではそれがさらに進む。Gプラスとはギャラガーの天才的な別人格、潜在意識のことだ。二日酔いのギャラガーが見たのは裏庭の土を吸い込む謎の装置。ジョーは何か知っているようだが、相変わらず自分がいかに美しいかと話すばかり。警官が召喚状を持ってやってくるわ、誰かもわからない依頼者3人からの前払い振込があるわ、ギャラガーは困惑しつつも一つ一つ解きほぐそうとする。今回はなかなかその絡み合いが解けない。しかし最後の最後になって(まあSF的で突飛なアイデアなので必ずしも論理的で納得できるとはいかないが)ちゃんと治まるところに治まる。お話も面白かったが、読んでいてちょっと驚いたのはまるでカーナビみたいなガジェットがさりげなく描かれていたところだ。1943年に書かれた話なのでもちろん現在のGPSを使うカーナビじゃない。おそらく車の回転とハンドルの向きから現在地を知るタイプのものか、あるいは都会の中だけで使えるものであれば道路の方に仕掛けがあって、ナビゲーションできるものなのだろう。作者はハードSF作家じゃないので、未来の機械を想像しただけかも知れないが。

 「エクス・マキナ」は本邦初訳。今度部屋にあったのは青い眼を持つ新たな三台目の発電機もどき。そして酒を飲もうとすると突然それを消失させる(ジョー曰くの)「小さな茶色い生き物」。何があったのか録画を見て見ると、1時間以内に問題を解決してくれたら5万ドル渡すという依頼者がいる。依頼は客に狩猟のスリルをもたらすが危険でない動物を求めるものだった。依頼者は今どうなったのか。その時いたはずのグランパもいない。そこへ依頼者のパートナーだという男が現れて――。またまた驚くべき発明品の正体が明らかとなり、全て解決するのだが、ここにきて本当の主役はうぬぼれロボットのジョーだったことがわかる。タイトルもそれを表しているのだ。

『サーキット・スイッチャー』 安野貴博 早川書房
 第9回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作。なぜ大賞ではなく優秀賞となったのかは選評に書かれているのだが、それは確かにそうかも知れないけれど、選考会まではこちらを大賞に選んでいたという選者もいて、うーん、難しいところだ。小説としての出来で選ばれなかったのではなく、出来は明らかに優れているのだが、突拍子もなさやSFとしての飛躍に乏しかったのだといわれると……。
 本書は近未来の日本を舞台にしたテクノサスペンスであり、技術的な内容、社会的な問題意識、サスペンスとしての緊張感とその展開といい、実に見事で読み応えある作品である。作者は星新一賞で優秀賞を受賞した人だが、これがデビュー作。ただあまりにも優等生的で出来すぎているというひねくれた評価なら、それはその通りかも知れない。
 レベル5の自動運転車(人間が運転しなくても公道を走ることができる)が普及した近未来。日本の大手自動車会社をパートナーとして、そのアルゴリズムを開発した若い技術者でベンチャー企業社長の坂田は、自分の自動運転車で首都高を走行中、急に停車させられ、乗り込んできた謎の男に拘束される。車はそのまま走り続ける。ムカッラフと名乗るその男はこのカージャックを全世界に配信しつつ、もし車が停止したり、配信を止めたりすれば首都高上で爆発するようになっていると言う。彼は首都高を通行止めにし、走っている全車両を地上に降ろせと要求し(自動運転が中心のこの時代なら可能なことだ)、坂本に自動運転のアルゴリズムが(いずれかの人命を優先しないと全員が死ぬような)トロッコ問題に遭遇したとき、そこに差別的な選抜の仕組みを入れているのではないかと詰問するのだ。それを世界に明らかにすることがこの事件の目的なのだと。
 警察や自動車会社、さらにGoogleを思わすIT企業がからみ、それぞれの主要人物がこの事態に対処していく。物語は彼ら、彼女らの動きを追いつつ、全く身に覚えのない坂本とともに、技術に求められる社会的倫理と、そのアルゴリズムの技術的ディテールまで深掘りしていく。このあたりのリアリティは実際にある技術が元になっていて読み応えがある。
 サスペンスの盛り上げや、最終的に明らかになる真実、社会への問いかけといい、完成度が高く、申し分なく読める。これでSFとして飛躍がないと言われたらマイクル・クライトンなどどうすればいいのやら。
 とはいえ、欠点がないわけではない。一番の問題はラスボス的な真の悪役とその行為だ。確かに一定の論理はあるものの、単純すぎるということだろう。技術的には可能かも知れないが、同様のリアリティレベルで納得させるにはもう少し書き込みが必要だったと思われる。大勢の命に関わるシステムがどんな品質管理をされていたのかも気になるところだ。あと、警察の動きもちょっとマンガ的に感じて違和感があった。
 作者の次回作が気になる。同じように練り込まれた近未来サスペンスものなのか、あるいは全く違った作品になるのか。期待したい。

『スター・シェイカー』 人間六度 早川書房
 第9回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。選評にあるとおり、完成度は高いとはいえないが、メチャ押しなアイデアで世界を作っていくような作品である。その迫力は確かにある。とはいえ、正直なところ読み通すのに苦労した。中心にあるテレポーテーションのアイデアを始め、イメージはわかるような気がするがその具体的な「仕様」があいまいで適用範囲もずいぶんと恣意的に描かれており、実体として納得がいかないのだ。人間がなぜテレポーテーションできるようになったのかという理屈はさっぱりわからないが、それは別にかまわない。超能力だからでいいのだ。でもその適用範囲も不明確なのにそれを基礎として社会インフラや文明が再構成されるとなると頭がくらくらしてしまう。
 人類が誰でも(例外はあるが)テレポーテーション可能となった近未来の物語である。もともと人類が持っていた能力なのだが前頭葉の活性化でそれが目覚めたのだ(それなら過去の人間や、人類以外の動物にもその萌芽はあったのだろうか)。だが勝手にテレポートすると行き先にいる物や人を破壊することがあり、大事故が多発して、この人間の心だけによる自由なテレポーテーション(古典テレポート)は禁止された。代わりにワープボックス(WB)という装置が開発され、テレポート能力をコントロールすることでWB間の移動ができるようになった。テレポートさせる範囲は自分が自己と認識する範囲なので、WBの中全体を自己と認識するようコントロールすれば、その中にある荷物や他の人も一緒にテレポートさせることができる。それができるよう訓練し免許を獲得した者が職業テレポーターとなってこの時代の物流を担っていた。なおテレポート先をどう決定するのかという問題については、視認の他、記憶や暗示によるといった説明はあるものの、ぼくにはもう一つよくわからなかった。
 主人公の勇虎(イサトラ)は、職業テレポーターだったが、事故によるPTSDでテレポートできなくなり失意の生活を送っていた。そんなある日、何者かから逃げていた少女を助けたことで彼の生活は一変する。少女の名はナクサ。地球の裏側まで一瞬で移動できる超絶的なテレポート能力の持ち主であり、それゆえ違法組織に使われていたが、自由を求めて逃げ出したのだという。彼女を助けたイサトラは、その組織に狙われ、テレポートを武器とする壮絶なバトルに巻き込まれていく。
 このテレポートを武器にするというアイデアは面白い。テレポートした出現先に物体があると、それが鋼鉄のような物でも人体であってもこちら側は無傷で、相手を破壊してしまうのだ(これも後の方ではさらに概念が拡張されていて、面白いけれどわけわからん状態となる。でも異能バトルだからそれはいいのだ)。イサトラにもその能力が覚醒する。この異能バトル、とにかく相手の移動先を読んでそこへ短距離テレポートするという繰返しで、スピード感と迫力があっていいのだが、後の方になっても多少バリエーションが加わるくらいで基本はそればかりというのは弱点だ。
 かくしてイサトラとナクサの逃亡劇が始まる。ストーリーは基本的に敵の巨大組織に属する異能者たちと、縁あって彼らに味方する仲間たちとの命がけのバトルが中心となるのだが、主人公二人の性格と設定にちょっと難があって感情移入がしにくいのと、なぜ二人で逃げ続けるのか、関係ない人たちが命をかけてまで彼らを助けようとするのか納得できないところがある。それでも選評にもあるが、途中で出てくる遺棄された高速道路の上で生活する人々の描写などはとても魅力的だ。ここはぜひスピンオフ作品を書いて欲しい。
 やがて物語はエスカレーションし、世界的な陰謀や宇宙論的な破滅の物語へと発展していくのだが、選評ではそこが良いとされているものの、ぼくには大風呂敷を広げすぎのように感じてあまり感心しなかった。いやちょっと無理がありすぎでしょう。そもそもその数字って一体何なの。
 若い作者による破天荒な魅力は確かに感じる。ただこのままでは苦しい。選者によって将来への大きな期待が向けられたのだから、例えばもっとコンパクトな長さで読者を驚かせるようなアイデアをぶつけるなど、必ずしもSFにこだわる必要はないので、がんばってほしい。


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