内 輪   第374回

大野万紀


 10月のSFファン交流会は10月16日(土)に、ラファティ・ベスト・コレクション1『町かどの穴』の刊行を記念に、「ラファティ・ルネサンス!」と題して開催されました。出演はベスト・コレクション編者の牧眞司さん、『子供たちの午後』、『翼の贈りもの』『蛇の卵』などラファティの翻訳家である井上央さん、特殊翻訳家でラファティ『地球礁』『宇宙舟歌』『第四の館』などの翻訳がある柳下毅一郎さん、放射線科医ながらネットではラファティ研究家として名高いらっぱ亭こと松崎健司さん、それに早川書房の編集者の梅田麻莉絵さんと、日本でラファティを語らせたらこれ以上ないといえる顔ぶれです。写真はzoomの画面ですが、左上から反時計回りに、牧さん、井上さん、柳下さん、SFファン交流会のみいめさん、梅田さん、松崎さんです。
 まずは牧さんからラファティ・ベストの経緯について。企画自体はSFマガジン2014年12月号のラファティ生誕100年記念号を監修後に、梅田さんから話があり、始めは未訳中心に3巻ということだったが最終的には既訳を含めた2巻になったとのこと。もともと1巻目は「かわいい編」でキャラクター小説の側面を前面に出したかった。2巻目が「こわい編」、3巻目は「ふしぎ編」のつもりだった。それを再構成して2巻本にした。
 井上さん(ちなみにぼくのSF研の後輩で、顔を見るのは久しぶり。本人がラファティに似てきたとはみんなの意見です)は、『子供たちの午後』はSF雑誌に載ったとっつきやすい作品から、『翼の贈りもの』は個人の好みで編んだもの。ハヤカワから今度出る予定の短篇集はは『ラファティの伝奇集』という仮題で、未訳からベストのつもりで選んだとのこと。梅田さんによればこの未訳短篇集は来年刊行予定。同時にSFマガジンに井上さんのラファティ論が掲載されるとのことです。これは楽しみ。
 柳下さんは今訳すならインディアンものの「オクラハナリー」などSFの枠におさまらないものがいい。また未刊行のイルカ小説もあって絶対面白いはずとのこと。
 松崎・らっぱ亭さんはラファティ関係の珍しい蔵書や写真をたくさん見せてくれました。あれよあれよという間に画面が変わるのでもとゆっくり見たかったです。
 柳下さんと井上さんからはカトリック信者としてのラファティの話もありました。ラファティは進化論を否定しているという話に対して、必ずしもそうではなく、色々な進化論があり創造論がある。ラファティは無神論ではない進化論、世界が作られた後も変化はあると考えていた。「日のあたるジニー」や「翼の贈りもの」はラファティの進化論SFであり、とんでもない変化の物語だという話でした。
 やはりラファティは深いですね。「ゼッキョー、ゼッキョー」と言っている言葉の裏には何があるのか、興味が深まります。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。今月もなかなか忙しくて本が読めず、ここで紹介するのは2冊だけですが、そのかわりSFマガジン12月号にスタニスワフ・レム『インヴィンシブル』の書評を、図書新聞11月13日号に空木春宵『感応グラン=ギニョル』の書評を執筆していますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。

『レイヴンの奸計』 ユーン・ハ・リー 創元SF文庫
 『ナインフォックスの覚醒』の続編。三部作の第二部である。前作では、四百年前の天才戦略家にして敵味方もろとも大虐殺を行った犯罪者ジェダオ(の精神を憑依させられた女性軍人チェリス)が、六連合への反逆を宣言したが、本作ではそれがいきなり六連合の大艦隊を乗っ取り、いよいよ六連合との戦いになる――のかと思いきや、その艦隊(群れと呼ばれる)を率いて異端のハフンの艦隊と戦うことになる。ジュダオには何か思惑があるようだ。
 乗っ取られた群れのキルエヴ提督は、矛盾した心のままジュダオに従う。例によってジュダオは人たらしなところを見せるが、その本心はわからない。ハフンとの戦闘も、大きな方針は立てるが具体的な戦術はキルエヴに任せきりとなる。
 ハフンも人間の子供を宇宙船の機関に使うなど異常な連中だが、六連合も異様で残酷な専制国家であり、チェリスの同族を見せしめのため虐殺するなどろくでもない。六連合を仕切るのは軍事を司るケル、諜報活動のシュオス、文化・外交のアンダン、数学・科学技術のニライなど、六つの〈属〉だが、その属同士も互いに足を引っ張り合い権謀術策に明け暮れている。ジュダオはそれをひっくり返そうというのだが、実際にはいったいどうしようというのか。大艦隊をひとつ手に入れたとはいえ、それだけで強大な六連合を倒せるはずもない。
 本書ではシュオスの総裁ミコデズの陰謀が重要な要素となる。またフォーメーション本能(ケルに特有の上官に対する絶対的な服従心)が弱いため信頼できないとしてジュダオにキルエヴの群れから追われた参謀のブレザンと、アンダンから派遣された〈蠱惑〉能力をもつエロティックな工作員ツェーヤが、たった二人で群れを奪還しジュダオを殺害しようとする作戦も並行して描かれる。ミコデズもブレザンもなかなか奥行きがあって魅力的な人物だ。前巻と違い、激しい戦闘描写は(ないわけではないが)少なめとなり、〈暦法〉の魔法的な要素も普通に背景設定となっていて(結末に大きな驚きがあるが)あまり前面には出てこない。
 というわけで、本書は前巻のような「鋼の錬金術師」的な世界観のスペースオペラというより、専制帝国内の権謀術策や陰謀や裏切り(ジュダオの活動もその中に含まれる)といった要素が大きい作品となっている。そのぶんキャラクター性が前面に出ているので、それが解説の大森望がいう「リーダビリティが大幅に向上」とつながるのだろう。
 ネタバレになるかも知れないが、後半でチェリスが前面に現れ、ブレザンたちと対するところからが抜群に面白い。そこから一気呵成に世界が広がる。これはもう三巻が待ち遠しい。

『時間の王』 宝樹(バオシュー) 早川書房
 時間をテーマにしたSF短篇集で、翻訳のある2編を含む7編と著者の前書きが収録されている。日本で独自に編まれた短篇集である。
 「穴居するものたち」は、1億4千万年前の哺乳類の祖先から始まって、12万年後の未来にまでわたる、「穴居するものたち」を描く物語である。「穴居」は文字どおり洞穴に住むことから、閉鎖的な環境に(肉体的あるいは精神的に)閉じ込められて生きることも含む。4万年前に洞窟絵画を描いた人々、1万年前に洞窟に代わる「家」を建てるようになった人々、自らの石の都に閉じ込もる古代エジプトのファラオ、プラトンの洞窟の話を語る東ローマの学者、文化大革命の中国、狭い部屋の中で数学の発見をするが工宣隊の乱入でそれを失う知識人、21世紀後半、VR服の中から戦場を見るアメリカの少年、22世紀、月に一人取り残されて地球の滅亡を見る男、そして12万年後、再び穴居生活に戻った人類は太古の洞窟絵画を発見し、円環は閉じる。だがループではなく、そこにはまた未来がある。
 「三国献麺記」は限定的なタイムトラベルが実現している未来で、三国志の曹操に今はやりの麺を食べさせ、それを広告に使おうというコミカルなドタバタ話――と聞いていたが、確かにその通りなのだが、読むと実に本格的な歴史SFでかつタイムパラドックスの処理をオチも含めてきちんと片づけた(まあ大体想像はつくのだが)立派なSFだった。もちろん宝樹本人の本をこっそり忍ばせたりというオタク的お遊びやギャグもたっぷりあって、おまけに(一方的だが)ほんのりとロマンスもありとても面白く読めた。しかし、アイデアだけならもっと短くなるはずの話をこの長さにして読み応えのある物語にするという、やっぱりこの人は才能あるなあ。
 「成都往時」。タイムトラベルと不死人を組み合わせるアイデアはこれまでもあったように思うが(夏笳(シアジア)「永夏の夢」も同様なモチーフがあった)、長い歴史の中を生き続ける不死人のテーマには力強いロマンがあり、たまらない魅力がある。特に中国が舞台だと、まるで不死人のように何千年も同じ都市が盛衰を繰り返しながら続いているので(ここでは蜀の成都)テーマが強調される。それにタイムトラベルをからめて悲恋のラブストーリーにするとは。とても面白く読み応えがあった。例によってタイムパラドックスの処理もそれなりにきちんとされている。そしてラストのハッピーでぐっとくるひと言。傑作である。
 「最初のタイムトラベラー」はショートショート。かなり理詰めな作品で、ループものの一種だが、結末にはぞっとさせられる。
 「九百九十九本のばら」もロマンチックSFといえる。田舎出のうぶな貧乏大学生大勇(ダーヨン)が学園のマドンナ沈琪(シェン・チー)に片想いの恋をする。彼は彼女につき合って欲しいと告白し、彼女から九百九十九本のばらを贈ってくれたらデートしてもいいと答えられたのだ。そんなの断られたってことじゃないかと同じ寮に暮らすぼくは言う。それだけのばらを買うには彼の半年分の食費が飛んでしまう。どうせ一度デートしただけで振られると決まっているのにバカバカしい。しかしSFファンである彼はいい方法を思いついたというのだ。タイムマシンが発明されるはずの未来の子孫に手紙を送り、彼ら(つまり大勇と沈琪の子孫だ)が生まれるために、何とかして自分にばらを送って欲しいと伝える。自分でタイムマシンを発明するとかいう方法ではなく、何ともいじましくバカバカしいアイデアだ。ぼくはまさかと思いつつ約束の日に何が起こるかと期待する。物語はそれで終わらず、そこからさらに複雑な展開を見せる。歴史の中で起こる偶然の意味。そして意表を突くロマンチックなハッピーエンド。青春の甘酸っぱさと時間の不思議さを感じさせる物語である。これもいい。
 「時間の王」は少し雰囲気が変わってテッド・チャンか伴名練かというように、人生の時間の中をランダムに意識が移動する男が描かれる。自分こそ「時間の王」だと言う男だが、その言葉と裏腹に、本当に自由に行き来できるわけではなく、記憶に引っ張られて無秩序に飛んでしまう。しかも移動した先で、起こった事実を変え歴史を改変したとしても、その状態が続くのはせいぜい1日かそこら。また意識が飛べば元の木阿弥に戻っている。彼は10歳のころに病気で入院し、その同じ病院にいた琪琪(チーチー)という同い年の女の子と仲良くなった。でも彼女は白血病で亡くなってしまった。いくら過去へ戻ってもその結果は変えられない。ところがある時、彼は生きていて大きくなった彼女と出会う。死んだというのは間違いだったのか。だがすぐまた彼は別の時間へ。そうして二人はすれ違っていく。だが今や彼には無数の時間の断片の中で彼女を見つけるという目標ができたのだ。そして――。突然の変転。ほろ苦く、甘酸っぱく、そして希望のある結末を迎える。これも傑作だ。
 「暗黒へ」には驚いた。これも時間SFではあるが、それ以上に本格的な宇宙SFであり、無限ともいえる壮大な時間と空間の広がりを感じさせる傑作である。もちろん欧米のSFにも同じようなモチーフの話はあるが、こんなにも前向きで力強い物語があっただろうか。チョロいと言われるかも知れないが、ぼくはこの作品に魅了された。激しい戦争でほとんど絶滅寸前の人類。数十人の生き残りが人類や地球生物の遺伝子プール、それに歴史と知識の記録を持って亜光速の播種船で脱出する。しかしその中でも争いが起こり今では船長一人しか生き残っていない。彼をサポートするのはアイピスという女性名を持つ宇宙船の人工知能のみ。そして彼らはブラックホールを巡る軌道に囚われてしまう。もはや脱出は絶望か。そこで船長と人工知能がギリギリの解決策を見つけ、そして――。後半のイメージの広がり、相対論的な時間の中で何が起こるのか、これはまたひとつのSFを読む喜びだといえるだろう。傑作。


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