内 輪 第371回
大野万紀
今年のSFセミナーはオンラインで開催されました。ぼくのレポートはこちらにありますので、どうぞよろしく。合宿企画ではSFファン交流会に参加しました。
2021年度の日本SF大会は、8月21日(土)、22日(日)に高松市で開催の予定です。ぼくもゲストに呼ばれており、出演予定の企画もあるので参加するつもり。
とはいえ、新型コロナがますます猛威を振るっています。首都圏だけでなく大阪にも緊急事態宣言が出ました。兵庫県も蔓延防止が出ており、自分のワクチン接種は終わっているものの、この状況で果たして出かけられるのか心配です。
今のところ、大きな変化がなければ参加の予定ではあるのですが、果たしてどうなることやら。もし参加できなかったら、関係者の方々には大変申し訳ありません。オンラインでもOKなら良いのですが。
(8月5日追記:とても悩みましたが、結局参加は断念することにいたしました。)
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『NOVA 2021年夏号』 大森望編 河出文庫
本来なら2020年の夏には出るはずだったというオリジナルアンソロジー。その顛末は後書きにも書かれており、コロナ禍のためということもあるのだが、担当編集者が『完全版ピーナッツ全集』の編集に忙殺されていたという理由なので、うん、それならしょうがないだろう、と納得。『完全版ピーナッツ全集』もいい本ですよ。さて、その十編、ベテランの境地に達したかのような作品もあれば、新人の驚くべき衝撃作もありで、バラエティに富んでいる。こういうアンソロジーは読んでいて楽しい。
高山羽根子「五輪丼」は2021年の作品。いきなりの傑作だ。3ヶ月の入院から退院した主人公は、3ヶ月の間にどことなく変わってしまった東京を見る。いつもの定食屋には五輪丼なるメニューが出ている。テレビにはオリンピックらしい映像が流れているが、現実感は薄い。彼女に会うが、謎めいた言葉を残す。量子力学の重ね合わせのように、二つのレイヤーがあるらしい。観測した人はそのどちらかに落ち込む。だが観測しなかった人は――。現実のオリンピックにまつわるふわふわと居心地の悪い不条理感がストレートに伝わってくる作品である。
池澤春菜「オービタル・クリスマス」は現在の日本SF作家クラブ会長で、声優である作者の初小説で、堺三保監督・脚本によるクラウドファンディング映画のノベライズだが、映画とは若干の違いがある。主人公のステーションに密航してくるのが映画では女の子だが、小説では男の子となっている。こちらの方が元の脚本に近いのかも。お話は軌道上で孤独な作業をこなしている主人公が、辛い境遇に陥った子供に夢を与えようとする心温まるクリスマス・ストーリーだが、その背景にはかなり重いシチュエーションが横たわっている。(本作は今年の星雲賞短篇部門を受賞した)
柞刈湯葉「ルナティック・オン・ザ・ヒル」も良かった。ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」と違って、月面の丘に腰かけているルナティックはかなり殺伐としている。地球と月は戦争をしており、月生まれの主人公と戦友は、丘の向こうで行われている戦闘を見ている。だがそれはちまちまとしたマンガのような戦闘で、実際に人は死ぬが、それはシステム上の数値に表現されるだけ。攻撃も防御もシステムの指示に従うだけだ。ほとんど無意味でうんざりするような戦場に、しだいに狂気が高まっていく。そしてその結末はちょっと思いがけないものとなる。作者の身も蓋もないリアリズムが暗い笑いを呼んで、ぞっとさせられる。
新井素子「その神様は大腿骨を折ります」。何だこのタイトルはと思ったら、前のNOVAに載っていた「やおよろず神様承ります」の続編だった。ブラック企業に勤める営業マンの主人公は、自分の会社はブラック企業ではなく仕事は大変だがこれが自分のやるべき仕事だと思っている。自覚はないがいよいよ壊れかけたそのとき、ボーイ・ミーツ・ガールして、魅力的な女性、山瀬メイと知り合う。でも彼女の話すことはちょっと不思議。彼女は色んな人にその人に合った神様を紹介する「やおよろず神様紹介業」の人だった。で、主人公に最も適した神様として彼女が紹介してくれたのが、タイトルの神様だったのである。ホンワカとして楽しい話なのだけど、やっぱりこの神様は怖いよね。
乾緑郎「勿忘草 機巧のイヴ 番外編」は、百合SFなのだろうか。女学校を舞台にして憧れのお嬢様に文を渡そうとした女学生は、間違って伊武にそれを渡してしまう。舞い上がる伊武(機巧なのに)。事情が知れても三人は仲良くなり、そして時代は移り……。大きな物語は描かれないが、背後で動いていく歴史の流れや継承される職人の技術など、スピンオフとして楽しく読める。
高丘哲次「自由と気儘」は猫SF。そしてゴーレムSFでもある。軍事用ゴーレムが戦争で使われる世界。日本でもゴーレムは作られたが、それは高度な職人技で作り上げられ自分の意思をもつほど高度な知性があるが、量産できないものだった。戦争が終わり、ゴーレムはある猫好きの主人の下で書生として暮らすことになる。体に埋め込まれた秘儀の呪文によって制御されるゴーレムは、自由で気儘な猫とは正反対な存在だ。主人の死後、その愛猫を任されたゴーレムの悩みは大きい……。いかにも猫々して猫らしい猫と、それに戸惑うゴーレムの思いのすれ違いが楽しく読める。可愛いけれど憎らしい勝手気ままな猫ちゃん。猫好きにはたまらないだろうな(でもぼくは犬の方が好きだ)。
坂永雄一「無脊椎動物の想像力と創造性について」。これまた傑作である。バイオハザードに呑み込まれた京都。遺伝子操作された蜘蛛の巣が無人となった京都の街を覆い、それがいつ世界中に広がるやも知れない。そしてついに古都の焼却が決定される。かつて京大でこの災厄の元となった女性科学者と勉学を共にした語り手の建築家は、防護服に身を包んで蜘蛛の巣に封鎖された研究室へと向かうが……。タイトルはその女性科学者が発表した論文であり、ヒトのものとは違う想像力や創造性が無脊椎動物――蜘蛛にもあるというものだ。それは集合的であり、知性のない統計的な相互作用としての創造性である。そんな科学的アイデアと、古都を覆う蜘蛛の糸という圧倒的なイメージが、淡々とした物語になすすべもない不安と絶望感を高めていく。しかし、語り手は絶望の瞬間に蜘蛛と人間の共存する未来の夢をかいま見る。そのビジョン、脊椎動物の想像力も大したもんじゃないですか。いや、堪能した。これぞSFといいたくなる。本当、伴名練の次は坂永雄一の短編集を出さなきゃダメでしょう。
野﨑まど「欺瞞」。変な話だ。「めっちゃ好き、これマジのやつ」といった冒頭からページをめくればとたんに「情報の正確な伝達のためにここからは標準的な文法の言語を用いて表現・記述を行う」と文体が変わり、「最も高等かつ高尚な精神を獲得した神に近しい生命体」が、過去も未来も見ることのできる時間方向の感覚を獲得したためにエントロピー増大の危機を迎え、そのため時間方向の情報を遮断して、さらにランダムな当たり外れの情報を付加する装置を開発する。その自動抽選装置をめぐって3つの派閥が生まれ、精神を刺激する「あらまほしいビット」から、個体の健全性を損なう「非常にあらまほしいビット」までが付加されるようになって混乱をまねく。このあたりでそろそろネタバレしそうになるが、最後にずこーんと落とされる。まあ、こういうのも面白いといえば面白いけど、とにかく面倒くさいね。
斧田小夜「おまえの知らなかった頃」も傑作。作者は1983年千葉生まれで海外で活躍している女性技術者とのことだが、まるで名のある中国のSF作家が匿名でアメリカのネットマガジンに発表したといっても通りそうな雰囲気がある。近未来の中国が舞台で、モノのインターネット(IOT)の発達とインターネットセキュリティへのハッキング、ロボティクスといったリアルでハードな近未来SFの要素と、中国の地方における極端な格差と抑圧、政治腐敗、少数民族問題、その中で強靱な意志と技術力をもって(正面からではなく)突破を考える女性技術者の姿が描かれる。そこに遊牧民族出身の夫(彼女を信頼しているがそのやっていることを理解はできない)や父から中国の伝説的妖怪の話を聞き、それが(ある意味で)実在することを知った子供、そしてこの全てを見ているある存在、そういったものが絡まり合って、SF的アイデアとしては決して目新しいものではないのだが、まさに現代の問題を扱った、今読まれるべき力強い小説となっている。ただ使われる用語が独特なものなので、ちょっと取っ付きにくいかも知れない。作者にはぜひ長編を書いて欲しい。
酉島伝法「お務め」は、いつもの酉島語を引っ込めて、普通に古典的で典雅な文章で描かれる、謎めいた境遇で日々を暮らす男性の物語である。毎日長い廊下を通って寝室と食堂を往復し、豪華な美食を楽しみ、医者の診察を受けて採血と薬の注射を受ける男。いつも顔を合わすのは侍従のフスと医者の先生、それに食堂の給仕長や料理人だけ。だがあるときから、食堂にもう一人の男が食事を共にするようになった。彼らは一体何をしているのか。ここはどこで、彼は何者なのか。彼がどうやら非常に高い地位にある者だということはすぐにわかる。時々描かれる描写と人々の言葉から、SF的に素直に考えれば、彼がこの国に代々続く権力者のクローンか何かで、ここで密かに養育されているのだろうと思われる。そうかも知れないし、そうでないかも知れない。その謎自体はあまり重要ではなく、中心にあるのは彼の日常と、その変化に対する戸惑い、そして自分というものを意識していく過程である。なかなかに静かな不条理感があって良かった。
『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』 アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
ヒューゴー、ネビュラ、ローカス、英国SF協会賞をのきなみ受賞したという2019年の作品。短めの長編(ノヴェラ)である。主人公二人の独白と書簡で構成される物語であり、始めはちょっと取っ付きにくく、読みにくいように感じたが、すぐに慣れて、のめり込むように読んでしまった。とても知的で面白い、読み応えのあるSFである。
時空の覇権を巡って争う強大な二大勢力があり、そのエージェントは遙かな過去から未来まで無数の平行世界を行き来しつつ、自分たちに都合のいい未来を作ろうとして戦っている。自分たち自身で戦うこともあるが、多くはその世界の歴史に介入し、そっと小さな違いを挿入し、それを守り育てていく(そして敵のそれは大きくなる前に摘み取り破壊する)ことで歴史の流れを変えようとするのである。その二大勢力とは、〈エージェンシー〉と〈ガーデンズ〉。
レッドは〈エージェンシー〉の、ブルーは〈ガーデンズ〉のすご腕工作員である。二人とも女性として描かれているが、その姿は自由に変えることができ、人間でないものに変身することもできる。〈エージェンシー〉が機械中心でテクノな本質を持つのに対し、〈ガーデンズ〉は生物的で化学的な本質を持っているが、どちらもやっていることは大差なくえげつない。
こういった設定はSFでは昔からあるものだし、最近アニメでも見たような気がする。ただ、無数に分岐していく平行世界を枝刈りし、自分たちに都合のいい未来を作るといっても、それに実際どんな意味があるのかを納得のいくように示してくれた作品はほとんどなかったように思う(結局それも一つの平行世界に過ぎないわけだし)。ただ物語としてはいくらでも面白くできるテーマだといえるだろう。
本書でもそのことに大きな変わりはない。それはレッドとブルーの二人の関係性を際立たせる背景として描かれるだけなのだ。それでもここで描かれる宇宙艦隊同士の戦い、モンゴル軍の攻城戦、ローマの元老院、インカ帝国の太平洋進出、薄暗いロンドンの喫茶店、そして消えたアトランティスまで、華やかで目まぐるしい舞台の移り変わりは読んでいて楽しい。
本書の一番大きなポイントは、全編がレッドとブルーの二人の視点で交互に描かれ、そして二人がお互いに書簡(テキスト)で〈文通〉しているというところにある。それによりライバルである二人はお互いを知り、組織を離れて惹かれ合うようになるのだ。文通といっても郵便で手紙をやり取りするわけではなく、時空を超えるエージェントであることを生かして、そのテキストを様々なものにエンコードし埋め込んでおき、それを相手が発見できるようにするのである。それは何百年も経た木の年輪だったり、神殿に納められたアップルのシリだったり、勘定書きに書かれた小数点だったり……。このアイデアも面白く描かれているが、手紙の内容そのものも読み応えがある。始めのうちはライバル同士の自慢し合いだったのが、次第に情熱的なラブレターとなっていき、最後にはそれが命がけの通信文となっていく。
この文章が(訳者の素晴らしい訳文のおかげもあって)とても詩的で美しく、また様々な文学的、音楽的、さらにはダジャレやコミカルなものまで含めた引用が散りばめられていて楽しく読める(訳者の詳細な注釈が最後についている)。ぼくにはとりわけ食事に関わる描写がとても美味しそうで、これはぜひ味わってみたいと思った。
作者のアマル・エル=モフタールはレバノン系カナダ人の女性、マックス・グラッドストーンはアメリカ人の男性で、どちらも主にネットマガジンで活躍している。アマルはSFマガジンに翻訳が1編あるが、二人とも、もっと幅広く紹介されるべき作家だろう。
『大日本帝国の銀河 3』 林譲治 ハヤカワ文庫JA
1940年の世界にオリオン太郎、オリオン花子などと名乗る異星人が現れ、大使館の開設を要求する歴史改変・ファーストコンタクトSFの3巻目。だが依然として大きな謎は謎のままである。ストーリーはオリオン集団の存在を前提とした各国の動き、とりわけソ連での科学者たちの集結、日本での憲法改正・統帥権の一本化により政府権限の強化とオリオン集団に対する組織の整備といったディテールが、それぞれのキャラクターたちの関係を描くことで深掘りされていく。
ストーリーとしては、オリオン集団の秘密基地がある、日本の委任統治領ウルシー環礁に向けて、戦艦・空母を含む大規模な第四艦隊が組織され、派遣されるという展開がある。オリオン集団との戦争を意図したものではないが、小競り合いが起こり、ついに駆逐艦1隻が警告の後破壊される。圧倒的な技術力をもつ未知の存在への威力偵察であり、何が起こるかわからず、上層部を除いては詳しい情報も知らされないまま、緊張感が高まっていく。だが艦隊の士気は高い。このあたりの描写は作者の得意とするところで、とても読み応えがある。
その一方で日本にいるオリオン太郎はあんパンやクリームパン、さらには虎屋の羊羹のような甘い物ばかりを好んで食べ、あいかわらず意図の掴みがたい会話をするばかりで、その目的は謎のままだ。地球にやって来た理由を聞かれるとこう答える。「良くも悪くも地球人類は、人間以外の知性体と社会を構成したことがない。そうした文明に最初から我々を理解出来るとも僕らは考えてません。また必ずしも理解してもらう必要もない」そして「僕たちと人類は異質すぎるので、僕たちが何をしようとしているかは人類には理解できないはずです。何よりも人類には、これを表現する言葉がない。抽象的な概念レベルでもっとも近いのは性行為だと僕は思うのですが」と。
そういうSF的でショッキングな言葉も出てくるが、本書でも人間側の話の中心にあるのは、行政や法律、組織や体制についての詳細でリアリティある描写である。どこまでが歴史的事実なのかは調べてないのでわからないが、改変されていたとしても実際にこのようなことはあったに違いないと思わせる。
『移動迷宮 中国史SF短篇集』 大惠和実編 中央公論新社.
現代の中国作家による、中国史をテーマにしたSFを集めた日本オリジナルのアンソロジー。春秋戦国時代から20世紀までの時代を舞台に、改変歴史、平行世界、タイムスリップなどをモチーフにした8編が収録されている。また巻末には編者による力のこもった解説があって、読み応えがある。
飛氘(フェイダオ)「孔子、泰山に登る」は天に教えを請おうと泰山へ登る孔子の話だが、孔子の時代に飛行機や熱気球があるという小技から始まり、泰山の山頂で孔子は遙かな未来といくつもの歴史の流れを、そして静かな滅びを見ることになる。訳者のおかげか、ほのかなユーモアの漂う淡々とした文章で、2500年以上前の賢人たちの(いささかカルト的な)右往左往が描かれ、また未来の世界を目にした孔子が大きなスペキュレーションに導かれるというよりも、そのままに受け容れて、わからないものはわからないと答える飄々とした老人として描かれるのもいかにもそれらしく面白い。
馬伯庸(マー・ボーヨン)「南方に嘉蘇あり」。後漢の時代にコーヒー(嘉蘇)が中国に伝わり、それが隋唐時代に中国の国民飲料となるまでを描いた架空解説である。大真面目に古典を引用しつつ書かれていてとても面白かった。小説ではないので、架空論文といった方がいいのかな。元ネタの知識があればもっと楽しめるのだろう。こちらの知識が乏しくてそっちへの発展がないので、面白いのだけれど一本調子でそれだけというのが残念だ。日本でなら、千利休が珈琲の湯を始めるなどといえば色々と連想が広がるのだが。
程婧波(チョン・ジンボー)「陥落の前に」はSFというより幻想小説だ。隋末期、洛陽の街が舞台なのだが、この洛陽、あちこちが崩れ、幽霊が住み、巨大な白骨が街を引きずって常に太陽の反対側へ動いているため、一日中日の照らない薄闇の世界なのである。ヒロインの禅師(シャンシー)は老婆の波波匿(ポポーニ)といっしょに暮らす少女。波波匿は幽霊つかいで、街中にいる幽霊を捕まえてはかごに入れておくのだ。その本当の目的はある女の幽霊を捕まえることらしいのだが……。物語はこんな謎めいた、そして雰囲気の豊かな幻想世界を特に説明することもなく淡々と語っていく。これは隋が滅び唐に変わっていく時代に実際にあった南陽公主の物語を題材にしたという話なのだが(作者による補足でそう語られている)、幽霊と人が同居する薄闇の世界の幽玄で幻想的なイメージは素晴らしいものの、そういう背景はよくわからない。またヒロインの少女は宮崎駿のアニメに影響を受けたとのことだが、これもピンと来なかった。それにしても灯籠と大道芸と様々な異形に彩られた夜の祭の光景は、諸星大二郎や中華怪奇ファンタジーの趣があってとても良い。
飛氘(フェイダオ)「移動迷宮 The Maze Runner」。本書2作目の飛氘で、表題柞でもある。短い作品だが、これまたSFというより幻想的な雰囲気の強い中華ファンタジーだ。時代は清の最盛期、乾隆帝の代、大英帝国から貿易体制の改善を求めるマカートニー使節団が来て皇帝と会談したという史実が元になっている。だが使節団は会談の前に庭園の迷路を越えることを求められる。それは二週間歩き続けても越えられない迷路、移動迷宮だった。しかしここで描かれる迷宮は確かに不思議なものだが、恐怖や神秘はない。それは使節団を見守る老いた乾隆帝の方にある。この絶頂期に、帝は滅びの未来を見ているのである。
梁清散(リァン・チンサン)「広寒生のあるいは短き一生」は、同じ作者の『時のきざはし』収録「済南の大凧」と同様、現代の主人公が清朝末の新聞や書籍から知られざる人物の軌跡を探すという〈歴史考証SF〉だ。実際のところ本編は〈架空歴史考証小説〉であってSFではない(「済南の大凧」はSFだった)。主人公は1905年の新聞に連載された広寒生「登月球広寒生游記」という知られざる作者の古典SFを発見する。それは月面にパラボラアンテナのような反射板を建設して地球を攻撃し焼き尽くそうとする「灰鼠月人」と呼ばれる異星人を描く小説だった。興奮した主人公は作者について調査しようとするが、ほとんど情報がない。物語は主人公の熱心な調査と、そこからぼんやりと見えてきた広寒生という人物の人物像について考証していく。まさに中国の横田順彌であり、とても面白く読んだ。結末には、この優れた知識を持ちながら論争下手で、時代に押し流され消えていった百年前の文人を思う主人公の思いが描かれて、共感を呼ぶ。
宝樹(バオシュー)「時の祝福」は魯迅とウエルズのタイムマシンを結びつけたタイムパラドックスSFである。宝樹といえば『月の光』収録の「金色昔日」が大傑作だったが、この作品もなかなか心に響く作品だ。1920年、故郷に戻ってきた魯迅が欧州帰りの旧友、呂緯甫(リュ・ウェイフー)と再会する。彼は何とH・G・ウエルズから現実のタイムマシンを盗んできたというのだ。それは未来人が乗ってきたもので、未来人は死に、マシンはウエルズが隠していた。緯甫はそれを使って日清戦争に敗れ困窮する中国の歴史を変えたいと思っており、その前にマシンの実験として、不幸な境遇にある村の女性、祥林嫂(シャン・リンサオ)の運命を変えて救おうとする。しかし……。このタイムパラドックスのアイデア自体は昔からあるもので、特に目新しくはないが、善意からとはいえ他人の運命を無理やり変えようとする知識人の悪あがきとして、とても読ませる。最後に、緯甫は未来の中国を見ようと、100年後、2020年の世界へと向かうのだが、この結末には考えさせられる。何しろあの「金色昔日」の作者なのだから。
韓松(ハン・ソン)「一九三八年上海の記憶」は日本占領下の上海を舞台にした不思議な話で、フランス租界にある映像レコード専門店を訪れた失意の学生が、女店主から時を遡ることのできる謎のレコードを見せられる。それは過去を見るだけでなくそこへ行くことができるのだ。ただ過去へ行く人は現在の記憶を失い、一からその人生をやり直すことになる。しかし、映像レコード? 1938年に? どうやらこの上海は別の時間線にあるようだ。ぼくは高野史代の描く様々なガジェットの混交した世界を思い浮かべた。解説によるとこの映像レコードはVCDをイメージしているのではとあるが、LDっぽい感じもある。いずれにせよ、自国の未来に絶望する困難な時代に、過去へ逃げだそうとする有名人たちへレコードを売って回った彼は、最後に二つの未来を幻視する。どちらの未来であっても、彼は漂泊者として生きるのだ。
夏笳(シアジア)「永夏の夢」は時を越えたボーイ・ミーツ・ガールの物語であり、ロマンチックSFの傑作である。こういう話は好きだ。タイムリーパーである〈旅行者〉の彼女、夏荻(シアディ)と、無限の命をもつ〈永生者〉の彼、姜烈山(きょうれつざん)の、恋とは言えない恋の物語。旅行者はその寿命の中で何千年も(さらには何万年も)時間の中を行き来することができる。一方永生者は歳を取るのが極端に遅く、若いまま名前を変えて生き続ける。二者は基本的に対立しているが、中には共存している者もいる。二人の時間感覚は全く異なり、彼が彼女に会うのは何千年の中の跳び跳びの一瞬一瞬であり、会ってもすぐに忘却してしまう。彼女からすればその出会いと別れの瞬間瞬間は連続した一連の時間なのだ。まるで伴名練のSFみたいな設定だ。この二人が魅力的。特に実年齢相応に少し未熟な夏荻がいい。彼女は常に彼を意識しつつも恐れてもいて、いつも逃げるように去って行く。二人が最後に会うのは遙かな遠未来。そこで二人は本当のボーイ・ミーツ・ガールを遂げるのだ。センチメンタルではない、遙かな時をまたぐロマン。彼女が別の時代で会う他の旅行者や永生者たちもいい。彼ら彼女らは神話の時代から伝説となった人々だ。まあ中国のことだから仙人や仙女が人里離れた庵で清談していても何の不思議もない。読後感のさわやかな作品である。
本書の最後には、「中国史SF迷宮案内」と題する編者による詳細な解説がついている。ここで宝樹(バオシュー)による中国史SFアンソロジーの序文を元に論じられている中国史SFの歴史と分類が大変面白かった。宝樹は歴史SFを、タイムスリップものと、それ以外の3つに分類する。タイムスリップもの以外の3つとは、歴史の背後に隠されていた秘密を解き明かす「秘史」、歴史のIFを描く改変歴史ものの「別史」、そして時代・地域の異なる技術・概念・歴史の混ざり合う「錯史」である。この分類はなかなか興味深く、中国以外の歴史SFにも適用できるだろう。