内 輪   第370回

大野万紀


 新型コロナのワクチン接種、西宮市の集団接種に年齢枠で予約し、1回目の接種(ファイザー)を受けてきました。とてもシステマティックで手際よく、これなら多少ややこしい人がいても大丈夫だろうと思いました。
 実際、今日が接種日だとわかっているのに、自分はどの会場で何時に予約しているのかわからんというおばあさんがいましたが(たぶん予約は家族が全部やっていて、接種券だけ渡されて行ってこいと言われたんでしょうね)、係員はちゃんと対応していました。接種番号がわかれば検索できるんでしょう。現場はしっかり仕事をしています。本当に頭が下がります。
 注射は一瞬で、えっもう終わったのという感じですが、その後のアナフィラキシーショックのチェックで15分待たされるのが長いこと。その場は何ともありませんでしたが、夜になって腕の痛みが出て、翌日まで続きました。おお、これが副反応かとワクワク。5Gの電波が聞こえるようにはならなかったので残念。7月に第2回を受けたら、8月のSF大会には安心して参加できそうです。

 6月17日の毎日新聞『象は世界最大の昆虫である―ガレッティ先生失言録』が紹介されていました(白水Uブックスから出ていますが、今は中古でしか手に入らないようです)。二百年前のドイツの学校の厳格な先生が授業中に語った想像を絶する失言の数々というとことで実際にいくつか引用されています。
 「アレクサンドロス大王の軍には、40歳から50歳までの若者からなる部隊があった」「スパルタ王カリラオスは、若くして生まれた」「神聖ローマ皇帝フリードリヒは水死した。もし水死しなかったら、もう少し生きたかもしれない」「英国では、女王は常に女性である」「地中海のどの島も、シチリア島より大きいか小さいかのどちらかである」「世界最大の昆虫はゾウである」「もしこの世にウマとして生まれたら、どうすることもできない。死ぬまでウマとして生きるしかない」「ハチドリは植物の中で最も小さい鳥である」などなど。
 ぼくが好きなのは思い違いや言い間違いかも知れないものより、トートロジーと言えるやつ。まったくその通り、としか言えないもん。シチリア島のなんか最高ですね。
 この話をツイッターに載せたら、思いがけず安田均さんから返信がありました。「この本を全訳した旧創土社(井田一衛氏が発行人)はすばらしかったです。もちろんぼくのクラーク・アシュトン・スミス選集を出していただいたし」とのこと。白水社版より前に創土社から出ていたんですね。そんなご縁があったとは。

  それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『マルドゥック・アノニマス6』 冲方丁 ハヤカワ文庫JA
 ウフコックと一体化したバロットと〈クインテット〉との壮絶な闘いはまだ続いている。しかし本巻ではその闘いは背景に退き、最も力を込めて描かれるのは、時間をさかのぼって、バロットにかかってきたハンターの電話から始まる物語である。
 それは20歳の誕生日を迎え、声帯再生手術を受けて声を取り戻したバロットの、ハンターとの息詰まる交渉、そしてその後の凄まじい展開である。拉致されたウフコックの居場所を知りたいバロットと、自分がシザースの一員であるかも知れないという疑いを抱いたハンターの、互いの真意を隠した対話。わずかな手がかりを求めて〈イースターズ・オフィス〉の仲間、〈クインテット〉の中心メンバーが集まり、フラワー法律事務所で繰り広げられる言葉の対決。
 この緊迫感がすごい。マルドゥック・シリーズの最初にあったカジノシーンのように、言葉と微妙な仕草だけで話が進んでいくのだが、正直いうと会話の中身についてどこがどうすごいのかはぼくには説明できない。でもその描写によっていかにも大変なことが行われているんだというピリピリするような感覚が伝わってくる。そこでハンターに異変が起こるが、一見何事も無かったかのように法律的な合意がなされ、互いのグループは直ちに次の展開へとうつっていく。バロットたちはウフコック奪還へ向けての「合法的な」作戦へ、ハンターたちは先ほどの異変から明らかとなったシザースとそれを操る巨悪の存在への対応、そしてウフコック奪還の阻止に向かって。
 このシザースと背後の巨悪、それに〈楽園〉がからむ次の展開がまた凄まじい。何より〈エンジェルス〉と呼ばれる化けものたちと〈クインテット〉の戦いが壮絶だ。異能バトルも極まれりというところだ。
 それが一段落し、いよいよこれまで描かれたウフコック奪還の戦いと、その後の戦いがつながってくる。本書でもバロットとライムのツンツンした、思わず微笑ましくなるようなやりとりや、ハンターとバジルを中心とする〈クインテット〉メンバーの強い絆が描かれていて、キャラクターの深みが心に染みる。あんな非人間的な強さを誇るエンハンサーたちにも、敵味方は別にしてこんな人間的な側面があるのだな。それが強みであり、弱さでもあるのだろう。真に非人間的な巨悪に対し、それがどうなっていくのか。見守っていきたいのだが、しかし後何巻続くのだろうか。

『三体Ⅲ 死神永生』 劉慈欣(リウ・ツーシン) 早川書房
 『三体Ⅱ 黒暗森林』の続編で、三部作完結編。物語はとてつもなく壮大なスケールへと発展し、未来へのロマンと過去への喪失感をもって終わる。
 ところで『三体Ⅱ』のとき、わざわざ「暗黒森林」じゃなくて「黒暗森林」だからね、と書いたというのに、本書ではあっさりと「暗黒森林」に変わっている。大森望からは読みやすくするために変えたというようなことをどこかで聞いた(SFファン交?)気がするが覚えていない。訳者あとがきにあるかと思ったのに、書いたものはどこにもないみたい。ひと言断っておけばよかったのにね。
 とにかくすごい。ドSF、怒濤のSFだ。面白い。ぶ厚い上下巻なのに、最近のぼくとしてはあり得ない速度で読み終えた。『三体』は『黒暗森林』(の特に下巻)が最高と思っていたが、確かにSF的アイデアといい、スケールの大きさといい、本書が圧倒している。しかし、内容について書こうと思うとどうしてもネタバレになってしまう。本書の場合、エッそうくるの、という驚きが繰り返されるという面白さがあるので、それを書いちゃうとどうしても読者の興を削ぐことになってしまうのだ。どうしたものか。とりあえずざっと物語を追っていこう。それだけでもわかってしまうところがあるので、以後はネタバレ要注意です
 本書の冒頭にはこれまでの簡単なあらすじが書かれているが、思い切った要約なので、やはり前の巻を読み終わってから読むべきだろう。でないと、これまで人類が行ってきた様々な戦略が何それ?と荒唐無稽に見えてしまう。いや、人類は本当にここまで大変な苦労をしてきたんだから。また本書にはメインストーリー以外に、時間も視点も書き方も異なるいくつかの断片が含まれている。だがその意味がわかるのはだいぶ話が進んだ後となる。
 本書の主人公は航空宇宙エンジニアの程心(チェン・シン)だ。彼女は大人しくて心優しい女性として描かれている(劉慈欣のジェンダー感覚は前巻でも明らかなように、現代風にやや大人しくはしているが、紛れもなくお花畑な昭和のオッサンであって、それが気になるとちょっと辛い面がある。ここは我慢しなくては)。彼女は大学時代の同級生、雲天明(ユン・ティエンミン)から思いがけず286光年離れた恒星DX3906をプレゼントされる、末期癌にかかっていた彼は、発明で得た金で死の間際、片想いの彼女にその恒星を買ったのだ。その昔、火星の土地を売るなんて話が日本でもあったけど、この場合も実用的な話ではなく、壮大なロマンとしてである。だがそれは本書の後半で重要な意味をもってくるのだ。
 程心は「面壁計画」の背後で極秘に進められていた「階梯計画」に加わり、地球へ向かっている三体艦隊へ人間の乗った探査機を送り込もうとする。しかしそれには大きな技術的難点があり、遅れるのはごく小さな質量だけなのだ。それに選ばれたのは……。そして程心はその結果を見届けるため、人工冬眠に入って264年後に目覚める。
 先の宇宙戦争で恒星間に消えた人類の戦艦に関わるエピソードをまじえ、次の章がはじまる。程心は「階梯計画」の失敗を知らされた。またDX3906には地球型の惑星があることがわかり、彼女はその惑星を国連に売却する。その金を管理するため会社を作り、その運営を艾AA(アイ・エイエイ)という活発な大学院生の女性にまかせる。彼女はこの後もずっと程心の親友であり、かけがえのないパートナーとして活躍することになる。
 この時代、前巻の「面壁計画」の成功により、三体文明と地球文明はつかの間の平和的均衡を得ている。平和が続き、科学技術は発展して都市はクリスマスツリーのような巨木の森に覆われ、人々はその巨木からつり下げられた住居に暮らしている。そして空にはエア・カー(!)が飛び交っている。また昔のようなマッチョな男性は姿を消し、男性もみんな女性的な姿に変わっている。心優しい(ちょっとレトロな)ユートピア。三体文明が作った極微のスーパーコンピュター智子(ソフォン)はあいかわらずそこらに満ちているが、それとは別に女性型アンドロイドの智子(ともこ?)が登場し、着物姿で茶室で茶をふるまったりする(これは平和時の姿。危機的状況になると、迷彩服に身を包み日本刀を持つ女忍者姿になるのだ!)。
 だがその平和は続かない。程心は「執剣者」になるよう勧められる。執剣者とは三体世界と地球の相互破壊的均衡を守るダモクレスの剣を握る者である。暗黒森林理論により、この宇宙は、いったん文明の存在が明らかになると直ちに他の異星人によって消滅させられるという恐怖に満ちている。もし三体世界が地球侵略を試みるなら、その座標を宇宙に公開するというのだ。そのボタンを持っているのが執剣者であり、面壁計画を成し遂げた羅輯(ルオ・ジー)がその任についていた。程心は執剣者になることを決意する。そして羅輯からキーを引き継いだとたん、次の危機が訪れる。だが程心はここで結果的に誤った決断をしてしまったのだ。
 この後の展開はまさにジェットコースターである。絶望のどん底で希望が現れ、ほっとする間もなく次の危機が襲う。しかもだんだんとその規模はエスカレートしていくのだ。
 前巻で恒星間へと消えていった地球の宇宙戦艦にまたスポットがあたり、次元を越えた世界の存在が明らかになる(これは本書冒頭のエピソードとも関係している)。死んだはずの雲天明は生きていて、暗黒森林の恐怖を回避する方法を「おとぎ話」に託して伝えてくる。
 このおとぎ話がいい。「王宮の新しい絵師」「饕餮(とうてつ)の海」「深水王子」という三つのおとぎ話だが、これが普通におとぎ話としてもよく出来ている。ところどころ少し引っかかるところがあるのだが、それが実は隠された秘密へのフックとなっているのだ。この謎を解き、地球人類を守るための対策が検討されることになる。
 かくしてまた新たな時代が始まり、人類は木星以遠の太陽系に多数の宇宙都市を建設し、そこでまた次の黄金時代を迎える。再び人工冬眠から目覚めた程心はこの繁栄を目にするのだが……。
 人工冬眠という技術によって主人公たちの年齢はあまり変わらないまま、どんどん時間が過ぎていく。本書ではそれが効果的に使われているのだ。
 次に目覚めた程心が見たのは、ついに発動した暗黒森林からの攻撃だった。まるで透明な紙切れのようなその武器は、調査に赴いた宇宙船を飲み込む。それは1つの次元を量子レベルに折りたたむことで3次元空間を2次元化する兵器だった。いよいよ太陽系の最後が迫る。程心とAAは冥王星からほとんど光速度で進むことのできる宇宙船で出発する。あの恒星、DX3906に向けて……。
 クライマックスではとんでもない時間が流れ、大宇宙の運命までが程心たちの決断にかかってくるのだ。最後に彼らはそれまで潜んでいたポケット宇宙を離れ、大宇宙へと宇宙船を発信させる。新たなドラマと希望を求めて……。
 いやあロマンチックですね。
 SF的アイデアはこれでもかというぐらいすごいのだが、ハードSF的にディテールまで書き込まれているため、かえって疑問がわいてくる。訳者あとがきでも科学的正確さより審美感が重視されているとあるけれど、ほとんどトンデモに近い。それはもちろん本書を楽しむ上では何の問題もないのだが。
 最後の方に、物理法則そのものが宇宙生命たちの武器で、その先は数学基礎論が武器になる、と言う言葉があるが、それってまさにイーガンの「ルミナス」だ。数学基礎論を武器に宇宙同士が存在をかけて戦う話。
 圧倒的な時間スケールの物語であるが、これもイーガンやバクスターを引き合いに出すより、どっちかというとポール・アンダースンだなあと思う。そういう昔懐かしさが溢れていて、例えばベイリーみたいな破天荒さを現代科学の用語でアップデートしたような面白さが、本書の本質じゃないかと思うのだ。

『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで』 エリザベス・ハンド 創元海外SF叢書.
 とても評判のいい話だが、SFじゃなさそう。でもファンタジーやオカルトの風味はあるといっていい。
 表題作はスピリチュアルな両親たちに連れられて夏休みにコミューン(というほどではないが)に来た女の子と男の子の物語。二人の親は死の病に罹患しているが、標準医療を拒んでおり、子どもたちはそれにいらだっている。さわやかな夏の風景の上にその影が重くのしかかっている。そしてここには「彼ら」と呼ばれる光る何かが存在しているのだ。その存在が何等かの意思を示すことはなく、人々が解釈するだけではあるが、ぼくにはキース・ロバーツの描く「古きもの」のような存在に見えた。しかし「古きもの」が妖精のような意思をもった存在であるのに対し、本書に現れるものは、意思を持たない単なる下等生物か、未知の自然現象なのかも知れない。それがかえって異星生物のような感触を生み、ファンタジーというよりもSF的なイメージをもたらしている。ただ、物語はそれはそういうものとしてあっさりと扱い、少女と少年、彼らとその死に向かう親との関係性に中心が置かれる。さわやかな景色と海と風の中での思春期のとまどいと死への思い(決して重苦しいものではないけれど)が描かれている。淡いハッピーエンドといえる結末も心地よい。
 「イリリア」はSFやファンタジー味はほとんどなく(それでも作中に表れる屋根裏部屋のおもちゃの劇場は同じ光に満ち、幻想的で明らかに魔法がかかっている)、若いいとこ同士の切ないラブストーリーだった。長めの中編だが飽きさせない。曾祖母が高名な舞台女優だった家柄の末にいる少女マディ。今の一族はみんな演劇界から離れ、実業の世界にいる。ただ一人ケイトおばを除いて。マディと、同じ年ごろのいとこのローガンは互いに惹かれあい、ハイスクールに通うころには禁断の恋人同士となっていた。ローガンの家の屋根裏で愛を交わしながら、その奥に隠されていたおもちゃの劇場を見つける。誰もいないのにそこではスポットライトが光り、紙の雪が舞っていた。二人はやがてケイトおばの働きかけもあってハイスクールでシェイクスピアを演ずることになり、ローガンの歌のすばらしいテノールとともに大成功を収める。しかしそれは別離と悲しみの始まりでもあった。特別な才能ということ。それは人を輝かせるとともに、悲しみも生む。その後の二人の人生を追いながら物語は二人の再会と、心に染みるあの劇場の再現を見せて終わる。
 「エコー」は短い作品だが、犬だけを相手にたった一人で小島に暮らす女性が、次第に不穏な空気に包まれていく世界の中で、だんだんと他とのコミュニケーション手段が失われていく中、たまたまつながったネットで昔の恋人のメッセージを開く。外の世界では何が起こっているのかわからないが、空を飛んでいた飛行機の姿もなくなり、時々ボートで様子を見に訪れていた消防団員も来なくなった。孤独の中で彼女はギリシア神話のナルキッソスを思う。そして声だけの存在となったエコーのことを。それはこの作品の切なさを、声はあってもつながらない孤独を象徴しているのだろう。
 「マコーリーのベレロフォンの初飛行」はぼくの好きなタイプの話だった。航空宇宙博物館に若いころ務めていた中年男三人組。その上司だった女性が癌で入院し、余命いくばくもないことを知り、博物館時代に彼女が入れ込んでいたライト兄弟以前の変態的な複葉飛行機、マコーリーのベレロフォンの飛行を模型で再現して、そのフィルムを見せようとする。オタクな男三人とその息子たちもいっしょになって、かつてその飛行機が飛んだという島を訪れるのだが……。様々な工夫をこらして失われた過去を再現しようとする楽しい、そして人生の黄昏を否応なく見せつけられる物悲しく切ない物語である。ちょっと頑固で変わり者のおっさんたちがとても良く、そのグータラで今っぽい息子たちもいい味を出している。ここでもドラッグの匂いが立ち込め、超常的な光が飛行機を覆う。その光は「過ぎにし夏」や「イリリア」でも現れたあの謎めいた命の光と同じものかも知れない。ただここではその光はおっさんたちの日々の生活や思いとは別のところにあって、日常とはすれ違っていく。幼いころ遠くに見た記憶の中のUFOのように。

『空よりも遠く、のびやかに』 川端裕人 集英社文庫
 書き下ろし長編。現代の高校生たちが、部活で地学とクライミングでのオリンピックを目指す胸熱、そして胸キュンな青春物語である。舞台は2019年から2020年に設定されていて、後半では少年少女たちの活動に新型コロナが大きく影を落とすことになる。
 主人公の坂上瞬(しゅん)は市立万葉高校に入学し、その部活紹介で中学の同級生だった(でもあんまり印象になかった)岩月花音(かのん)と再会し、彼女ののびやかで物怖じしない屈託のなさと不思議な仕草(手を空に差し伸べて、何かを掴もうとするするような動作……天使、かよ。とおれは思った)に魅入られ、一目惚れする。花音は岩石や地層、化石といった地質学に深い知識と興味があり、中学生にして地学オリンピック日本大会に入賞した逸材だった。彼女に誘われるままに瞬も万葉高校地学部へ入部する。
 ここの地学部は地質班、天文班、気象班に分かれていてそれぞれ活発で本格的な活動をしている。何しろ国際地学オリンピックを目指しているので、そこらの高校生レベルじゃない。普通の望遠鏡で系外惑星のトランジット観測をやってちゃんとした論文を書くとかのレベルだ。でもNHKの科学ドキュメンタリーで高校生たちがすごい研究をやってたりするのを見るので、こういうのも実際にあるんだろうなと思う。「地学とは、物理、化学、生物、すべての理科分野がかかわる、サイエンスの十種競技、総合格闘技です。ガチンコのサイエンスバトルを、地学部で!」というのが部活紹介のチラシなのだ。すごくて個性豊かな先輩たちと、その雰囲気にすぐ溶け込む主人公たち。フィールドワークで見つけた化石はヘイコプリオンという古代のサメの歯だったが、これはまた専門家たちの注目を浴びることとなる(この専門家たちも万葉高校のOBだった)。
 そしてもうひとつ大きな柱が、いや物語としてはむしろこちらの方が比重が大きいのだが、スポーツクライミングである。瞬が魅了された花音のあの仕草は、岩場の手がかりを掴もうとする動作だった。彼女は地学へ傾倒する理系女子であると同時に、スポーツクライミングでも活躍したエース・アスリートだったのだ。過去形なのは、ある事件をきっかけに今は引退しているからである。そして瞬も、中学では抜群の運動能力を誇り野球部で活躍していたのだが、難病にかかっていることがわかり、今は激しい運動を止められているのだ。そんな瞬だが、花音と、花音の昔からの知り合いで、高校生ながらオリンピック級のクライマーである夏凪渓(けい)により、自分にクライミングの才能があることを知る。手と足を使い、パズルを解くように岩壁を登るのは楽しかった。また夏凪の仲間との競技は熱く、瞬もまたクライミングで上を目指そうとする。
 地学とクライミングがこの小説の二つの柱なのだが、地学のフィールドワークでは化石を探して崖に登ったりもするので、接点はある。そこで万葉高校地学部にはあらたにクライミング班が作られることになる。
 クライミングの描写には勢いと迫力があり、その躍動感がすばらしい。瞬がどんどん成長していく姿も眩しいくらいだ。だが、オリンピックを目指すクライマーたちも、地学オリンピックを目指す部員たちも、新型コロナの影響をまともに正面から受けることになる。その喪失感はとても辛く悲しいものだが、それを乗り越えようとする若者たちの姿には胸が熱くなる。
 とにかくみんな頭が良くてちゃんとしていて主人公たちは学問もスポーツもできて、おまけにリア充しているという、うらやましさ爆発な話ではあるが、それが上滑りしていない。主人公二人の設定にはマジかよと思うところもあるが、イヤな感じはなくて気持ちよく読める。なお、タイトルだが、これはル・グィンとは関係なく、化石のあった岩のクライマー名なのだ。クライマーたちは好きな名前を自分たちの登る岩に命名するのだという。何億年も前の地層から、空に向かって伸び上がってきた岩塊。瞬はロケットが飛び上がるようにその岩を駆け上がる。本書を読みながら、自分自身の高校時代をホンワカと思いだしていた。すてきな青春小説であり、確かな理科小説であり、躍動する若い肉体の小説である。


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