内 輪   第359回

大野万紀


 雨が続いて新型コロナもあって、なかなか外仁出られない。というわけでゲームばかりやっています。以前からやっているゲームもそうですが、ここのところはまっているのは「あつまれどうぶつの森」。家人と1つの島を交代で開拓しているのですが、この前のアップデートで出来ることが広がり、ますます時間を費やしています。本が読めないよー!
 今度のアップデートで夢見が出来るようになり、公開されていれば他人の島を気軽に見に行けるようになりました。話には聞いていたけど、みんな凄いですね。とりわけ昭和の少し裏寂れた町並みを細かいところまで再現した島には感心しました。とっても雰囲気があって、まるで北野勇作さんの世界を訪れたようです。
 酷使したせいか、コントローラがこのところ調子が悪く、思うように動かなくなりました。買い換えようかと思ったら8000円以上もするのね。もう少し様子を見るか。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『第五の季節』 N・K・ジェミシン 創元SF文庫
 三年連続ヒューゴー賞受賞のシリーズ第一作。デビュー長編『空の都の神々は』もローカス賞を受賞している。本作も『空の都の神々は』と同様に、ハイ・ファンタジー、エピック・ファンタジーともいえるし、奇想SF、超能力SFともいえる。まあその超能力が並大抵のものじゃないのだが。
 ここスティルネスはどことも知れぬ異世界(あるいは遠い遠い未来の地球かも)の大陸。地質的に不安定で数百年ごとに破局的な巨大地震、巨大火山噴火などの大災害が発生する。これが春夏秋冬の次に来るという〈第五の季節〉だ。そのたびに文明は滅び、また再建されてきた。いくつかの〈第五の季節〉を生き延びた強大な帝国もあったが、最後には滅びた。今この世界を支配しているのはそんな強大な帝国のひとつ、ユメネスを首都とするサンゼ人の帝国である。この文明は数千年の歴史を誇り、七度もの〈第五の季節〉を乗り越えてきた。しかし今、その世界にも終わりが近づいている。
 この小説にはまた、世界設定と切り離せない人間側の設定がある。それがオロジェン(蔑称としてロガ)と呼ばれる超能力者たちだ。彼らは大地の動きを感じ、地殻に作用してそれをおさめたり、あるいはそれを操ったりすることができるのだ。彼らも人間には違いないのに、何という桁違いの能力を持っているのか。帝国は彼らを組織し、訓練し、〈守護者〉と呼ばれるオロジェンの力を抑える能力を持つ人々を用いてその力を制御し、〈第五の季節〉を乗り切ってきたのだ。だがそんな力を持つゆえに、オロジェンたちは一般の人々から差別され、怖れられ、迫害されてきた。そしてそれとは別に、この世界には〈石喰い〉と呼ばれる人型の、でも人間ではない別の知的種族も住んでいる。そして、すでに滅びた古代帝国の遺跡があちこちにあり、空にはオベリスクと呼ばれる古代の謎の構造物が浮かんでいる。
 こういった設定の謎は、本書ではまだ全てが明らかとはならない。第二部、第三部へと展開していくのだろう。ファンタジーというだけに留まらない、SF的なワンダーがそこかしこに見え隠れしていて、興味は尽きない。
 さて、物語はというと、これまたかなり入り組んだ構成をしており、なかなか取っつきが悪いのも確かだ。そして読み進めるうちにそれが全く気にならなくなり、どんどん意外な進展にのめり込んでいくというのもまた確かだろう。大きく三つのストーリーがある。一つはオロジェンであることを知った夫に息子を殺された平凡な主婦、エッセンの物語。彼女は連れ去られた娘を探し、夫に復讐するための旅に出る。彼女には道中、得体の知れない子供や謎めいた女が近づき、同行することになる。もう一つは、オロジェンを怖れる家族に虐待されていた少女、ダマヤの物語。彼女は帝国の〈守護者〉シャファに引き取られ、オロジェンとしての訓練を受けるため、帝国首都のフルクラムと呼ばれる訓練組織――魔法学校みたいなところ――に入ることになる。三つ目は、そのフルクラムで四つ指輪を持つエリートとなったサイアナイトという若いオロジェンのパートである。彼女はフルクラムの命により、十指輪というとてつもない力を持つ導師アラバスターと共に、港町アライアで港の邪魔な珊瑚礁を処理する任務を受ける。この旅にはもう一つの目的があって、それは彼女がアラバスターの血を引く子供を産むことだった。もちろん帝国に役立つ優秀なオロジェンを残すためである。アラバスターに対して何の愛情もない(むしろ憎んでいる)サイアナイトだが、そしてアラバスターの側もそれをやりたくもない義務としか考えていないのだが、二人はこの虚しい営みを続けるのだ。その道中も、世界の異変は否応なく人々を襲っていく。
 三つのストーリーはやがて思いもかけない形で収束することとなる。まあ大体そうではないかと思っていたものもあるが、その一つはかなり意表を突くものだった。途中、学園ドラマはあるわ、海賊島の冒険はあるわ、謎の地下世界はあるわで、なかなか飽きさせない。この世界の人々の口癖やら、不可解な用語やら、説明なしに出てくるのでとまどうところもあるが、とても面白かった。特に後半ではジェンダー的なテーマも明確になり、初めのころはささいなことにも突っかかり理不尽に怒ってばかりと思えた登場人物も、その背景や心情がわかってきて、人物像に深みを増したように感じる。しかしまだまだ謎はほとんど解決されていない。第二部、第三部が楽しみである。

『黄色い夜』 宮内悠介 集英社
 宮内悠介の新刊は「すばる」に掲載された長中編である。赤と黄色の装丁がぱっと目につく。
 エチオピアから独立したE国という架空の小国が舞台で、その国の唯一の産業である巨大カジノに乗り込んで、その最上階を目指すという「賭博」小説である。ギャンブラーが主人公のエンターテインメントのようだが、読後感は異なり、どちらかというと純文学系の雰囲気が濃い。これはおそらく人間の「居る」場所についての物語なのである。
 主人公のルイ(龍一)はギャンブラーで放浪者。日本で技術者として働いたり、スミカという彼女と暮らしたりしていたことはあるが、世界中を放浪し、今、E国のカジノで賭けをしてこの国を乗っ取ろうと画策している。乗っ取って、この国を一種の「開放病棟」にしようというのだ。彼はイタリア人のピアッサ(彼も元技術者である)と組んでE国に入り込み、下の方から順番に手を回してカジノに入る権利を得、上階へ上階へと勝ち進んでいく。もちろんイカサマがありありの世界だが、二人は様々な手を使い、頭を使い、小さなすき間を見逃さずに、そして大胆に賭けていくのだ。
 ポーカーだけではない。ルーレットもあれば、ソフトウェアのプロテクト破りのゲーム、単なる当て物ゲーム、パズルやなぞなぞのようなものまである。仕掛け、仕掛けられ、裏をかき、裏をかかれ、頭脳の戦いが続く。上階の支配人と闘い、そしてついには最上階に到達して、国王と雌雄を決することになる。
 ぼくはここで描かれるようなゲームにあまり詳しくないので、その波瀾万丈な頭脳戦、出し手の意味、エキサイティングで冷徹な判断などについて、あまり理解できたとはいえない。きっとすごいワクワクするところなんだろうな、と思うばかりだ。それでも(展開だけ見れば)まるでマンガチックなエスカレーションが味わえるのだが、とはいえ何のためにこんなことをしているのかとふと我に返ると、そこには闇と「黄色い夜」があるばかりだ。「黄色い夜」とは具体的には砂漠の砂嵐の中のことだが、本書に登場するテロリスト、胴元、フロアの支配人、国王と、彼ら彼女らもみな同じ闇を抱えている。物語は最終的に「黄色い夜」が終わり、朝が来るところで終わりを迎える。その朝の、何と希望に満ち、そして味気ないことか。

『マルドゥック・アノニマス5』 冲方丁 ハヤカワ文庫
 ウフコックと一体化したバロットと〈クインテット〉との壮絶な闘いは4巻から続いている。
 いかにも悪役然とした悪役である〈ガンズ・オブ・オウス〉の勢力もからんで、闘いの状況は大きく変わってくる。一方本書では、ここに至る過去の、拉致されたウフコックを気に病みながら学校へ通い、ストリートで過酷な日々を送っていた少女アビイを妹のように迎え、そしてマルドゥック市の闇を探ろうとするバロットの姿が、そして〈クインテット〉の中で、様々な勢力の思惑を調整〈イコライズ〉しながら、敵対する〈シザース〉の真の姿を明らかにしようとし、次第に深くなる分裂の危機を乗り越えようとするハンターの深い思考、さらに彼の背後に見え隠れする巨悪の存在についてが並行して描かれていく。
 相変わらず迫力ある戦闘と、強烈な個性たちのぶつかり合う登場人物たちのやりとちはとても印象的で面白いのだけれど、正直本書だけ読んでもほとんど何が起こっているのかわからないだろう。シリーズの初めから、いやせめて大傑作である3巻からは続けて読んで欲しい。話はまだ終わっていない。あのハンターの結末がどのような形で終わるのか、それを見届けたい。
 ところで本書で最も印象に残ったのは、その上から目線の言葉にバロットがいちいちむかついているライムの、とんでもなく有能な指揮官ぶりと、旧世代の元ギャング、レイ・ヒューズの老練で誰もが惚れ込む粋なかっこよさだ。おぞましい悪を前にしても、その相手のプライドを傷つけずに、血を流すことなくこちらの要求を通していく。実力があるからこそ、年老いてもこんなかっこいいマネができるんだよねえ。

『首里の馬』 高山羽根子 新潮社
 高山羽根子の芥川賞受賞作である。後で読むつもりが、手にしたら一気に読んでしまった。
 沖縄の、個人が作った資料館に中学生のころから通い、資料の整理を手伝っていた未名子を通して、人々やモノや動物や、ありとあらゆる情報、知識、記録の断片同士の関係性、時間と空間を超えたつながり、ネットワーク、そして深い孤独について淡々と語られる物語である。
 資料館の持ち主は、在野で民俗学を研究していた年老いた女性、順さん。そこには彼女が集めた過去の聞き語りの記録、新聞や雑誌の記事、古文書、あるいは標本や写真、カセットテープなど様々なものがあり、未名子はそのインデックスを作ってはスマホで写真を撮ることをボランティアで続けている。ただそれは、学術的・体系的なものではなく、ほとんど順さんと未名子の個人的で恣意的なものである。それでも、彼女たちの作る記録とインデックスは、過去からこの瞬間までにおけるこのアーカイブのスナップショットとなっているのだ。
 この資料館にはあまり不可解な感じはないけれど、世の中には個人が趣味で収集している奇怪な資料館がいくつもある。「探偵ナイトスクープ!」で「パラダイス」と呼ばれるたぐいのものである。そこに集められた謎めいたものたちは、何の役にも立たないけれど、時空を結びつける何らかのノードとして意味を持っているのかも知れない。この資料館も周囲の人からは不気味に見られているというのだ。
 未名子の本業は資料館の整理ではない。東京にいるカンベ主任から指示され、たった一人だけの事務所の古いPCから、世界中のとてつもなく孤独な人々へ向けて、オンラインでクイズを出題するという謎めいた仕事である。様々な知識の断片から組み合わされた、まるで暗号のようなクイズ。ヴァンダや、ポーラ、ギバノといった素晴らしく頭のいい、だが世界のどこかの孤立した環境にいる回答者たちにクイズを出し、回答をもらい、そして少しばかりの雑談をする。やがて彼らがどんな状況で、どんなところにいるのかはわかってくるのだが、それによって物語の舞台が想像を絶するくらい大きく広がるにもかかわらず、未名子のドラマは変わらず淡々と描かれていく。
 それが大きく動くのは、未名子の前に突然一頭の馬が現れる時である。迷い込んできたその謎めいた宮古馬は、彼女にもう一つの関係性を示すことになる。物語の中の謎が明確に解かれることはないが、最後に馬に乗って取り壊される資料館を訪れる未名子の姿には、あらゆる関係性の、少なくともあるサブセットについてのスナップショットがどこかに存在すること、そしてそれが実際に使われる――リストアされることがなくても一向にかまわないことによる、大きな連続性への信頼と安心感を感じるのである。
 ここにはこれまでの作者のいくつかの作品と同じく、様々な小さな、しかしとてもリアルな断片が、具体的な説明なしで暗黙のネットワークを作り上げている。そこから広がる(想像される)世界の全体は、まさにSF的な想像力をもって、この重ね合わされた多様な世界の断面を描いているのである。傑作だ。そして本書はまた、沖縄の歴史と、台風と低気圧についての物語でもあった。


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