続・サンタロガ・バリア  (第211回)
津田文夫


 6月に入って行きつけの茶店が営業しだしたので行ってみたら、コロナ対応に座席が変えられていて個室に近い仕切り席になっていた。おまけにホットが20円値上げで440円、税込みだと500円近い。行きつけのもう1軒は座席が以前と変わらず値段も300円の据え置きだったので、通うバランスを考えよう。
 本が読めないということで、新刊に手が回らず、今回も3月に出た作品が多い。『7分間SF』や『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』は本来なら喫茶店で読んでいたはずの作品なんだけれど、それができないので、新刊を読むのにタイムラグが生じている。

 草上仁『7分間SF』は、前回が『5分間SF』だったので、今回は「面白さ、『+2分間』増量!」と帯に謳われている。小説の面白さが分量に比例することはないけれど、草上仁なので、面白さのパターンは保証されている。とはいえ今回の収録作はシニカルな、朗らかとは云えないバッドエンドを迎える話が多い気がするなあ。冒頭の「カツブシ岩」はラファティを彷彿とさせる意地悪な1編だけれど、面白い話の結末が人の幸福に結びつかないという点で、今回の短編集の雰囲気を代表する作品になっている。まあ、巻末の「パラム氏の多忙な日常」が昔懐かしい時間SFのユーモアを湛えていて、ほっこりさせてくれるので、それでよしとしよう。

 先にハヤカワ文庫SFから出た百合SFアンソロジーに掲載されていた短編をもとに長編化されたのが小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』。巨大ガス惑星で漁業を営むというなかなか斬新なアイデアを、読み手に疑問を感じさせないSF的なダイナミックさと軽快なストーリー運びで見事に作品にくみ上げた1作。だけど、なんで百合なのかはよく分からない。まあ、ここら辺は読み手があまりにも年寄りだからと云うこともあるんだろう。描写のダイナミックさが一種ご都合主義的な展開を包み込んで楽しい物語に変貌させている。エンターテインメントとしてはこれで十分と思うけれど、舞台の壮大さやSF的アイデアの面白さからすると別の書き方でも面白い作品が出来るんじゃなかろうか。

 喫茶店が開いたのでいつものペースで読もうと思って手を出したのが、林譲治『星系出雲の兵站-遠征-4』これは5月の新刊ですね。
 前巻がやや停滞した印象だったのだけれど、ここに至って人間側から見た異星人の裏話がいろいろ披露されて興味深い、どころか人間側が有利な話ばっかりだったので読み手も油断しているところへ作者は強烈な一発を食らわせて、物語はついにクライマックスへ・・・・・・というところで終わっている。この巻でも烏丸司令以外の主要キャラクターは影が薄いのだけれど、巻末で降下猟兵旅団長のシャロンちゃんが顔見世したし、大変なことになった壱岐星系で主要キャラクターがどうなっているのかが気になるよね。次は8月かあ。

 どうせ新刊が読めないんだからと、積ん読の中から抜き出しがのが、山尾悠子・中川多理『小鳥たち』。昨年7月の奥付。たった100ページしかない上に、半分は中川絵里の創作人形「小鳥たち(老大公妃もあり)」の写真だから、山尾悠子の文章は50ページ足らず。話の方は老大公妃に仕える侍女たちが小鳥でもあるという、侍女/小鳥のイメージが、イメージだけが鮮烈に飛び回る物語。まあ、物語と云うほどの強度もあまり与えられていない掌編だけれど、山尾悠子の言語が味わえるという点でファンとしては何も言うことはない。2000円もする豆本も買ったはずだけれど、いざ読もうとしたら見つからない。ま、そういうものだ。

 「『日本ファンタジーノベル大賞2019』圧巻のデビュー作」と帯に謳われた高丘哲次『約束の果て 黒と紫の国』は300ページのソフトカバー単行本だけれど、読後感はかなり長い物語を読んだような気にさせられる1作。
 舞台は最初から架空の中華な大国「伍州」の現代の考古学研究員の若者が、青銅器の刻文にこれまで知られていない二つの国のことが書かれていたため、図書館で調べると関連文献は歴史小説まがいと偽史を言われる歴史書しかなかった・・・。ということで、物語の本体はこの2書の中身として展開する。
 作者の創造力はかなり奔放で、物語の土台を作る第1章こそオーソドックスなファンタジーの結構だけれど、とりあえずのヒーローが死んで骨になってしまうまでが描かれる。感心するのは第2章以降の展開で、ヒーローの頭蓋骨からアリが這い出てきて・・・という描写がなかなかぶっ飛んだ展開をもたらすことになる。惜しむらくは現代の主人公の外枠物語が物語内物語に圧倒されてしまって、やや影が薄いことだろう。
 あと表紙がヒロインが可愛く描いてあるのに、色彩が地味すぎて(まあ確かに黒と紫ではあるが)損をしているように思える。

 西崎憲『未知の鳥類がやってくるまで』は、著者久しぶりの短編集。冒頭の「行列(プロセッション)」と「開閉式」が大森望のオリジナルアンソロジーシリーズ『NOVA』掲載で既読(「東京の鈴木」も読んだような気がするが)。ほかの作品は普通の本屋で待っていては読めない媒体に掲載されたものばかりである。
 西崎憲の短編は基本的に静かなたたずまいをしているけれど、今回はやや色彩の目立つ、物語に動きがあるものも多くなっている。再読の「行列(プロセッション)」は、空に浮かぶ雲に様々な形を見つけてぼーっと眺めた経験があれば、イメージしやすいけれど、個人的に思い出すのは、ムーディー・ブルースのアルバム『童夢』に入っていた同題の曲とか『平成狸合戦ぽんぽこ』の百鬼夜行だった。
 少し長めの短編が3つあって、表題作もそのひとつ。主人公の女性編集者が作家の著者校入り封筒を落とすというとても具体的な話だけれど、ここで描かれているのは一種の変容なのだと思われる。「未知の鳥類がやってくるまで」と云うタイトルは一読その意図が不明だが、他の2編「廃園の昼餐」や「一生二度」もその内容と表題の付け方は共通するものがある。
 西崎憲の紡ぐ物語はSFではないが、SFを含む広い意味でのファンタジーになっている。

 瀬名秀明『ポロック生命体』はAIが人間の創造性をどう浮き彫りにするのかを考えた4作の中短編からなる作品集。2月刊。積ん読になりかけていたんだな。
 瀬名秀明の紡ぎ出す小説は真摯さが先に立つようなところがあって、やや窮屈なのだけれど、読めば読者を感心させるだけの力は備えている。
 冒頭の「負ける」は、将棋を題材にした1作。いまや人間の棋士が負けるのが当たり前になって、AIとの対局自体が見られなくなったけれど、作者はAIに人間の作法を再現させることで、人の尊厳を問う。それは小説とAIのチューリング・テストをテーマにした「144℃」も同じだ。SF作家協会会長としてのつらい経験をからめた「きみに読む物語」は直接AIを扱ってはいないが、SQ/共感指数をテーマに人の感情が数値化されることでおこる混乱と数値ではない想いをあふれさせる物語を作り出している。これは初出が『日本SF短編50V』なので再読。
 一番長い表題作は人間の創作の特徴を引き継いだAIがつくる「作品」に宿るものが何かということを、才能の枯渇という人間に特有の生命力の満ち引きがAIの「作品」によって浮き彫りにされる。ここにはホラータッチを得意とする作者の片鱗がうかがえるが、作品そのものの真摯さからもはやホラーを書くつもりはないことがわかる。

 ノンフィクションはまた次回に。


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