内 輪 第356回
大野万紀
気の滅入る毎日が続きます。いつも行く近所の本屋もいつまで続くかわからない休業に入ってしまいました。仕事の方も自宅待機やら在宅勤務やらで、家で過ごす時間が異様に増えています。
こんな時には溜まりに溜まった積ん読を消化せよと、天の声が言うのですが、なかなかその気になれない。よっこいしょと腰を上げるのも精神力が必要です。むしろ通勤電車の中の方が、良く本が読めたように思えます。
その代わりといっていいくらい、ゲームをする時間が増えました。とりわけ「あつまれどうぶつの森」。まだ始めたばかりですが、世間での評判通りの面白いゲームですね。今は家人と交代で1つの島を開拓しているところ。あら、いつの間にそこまでと、ちょっと競い合うようなところもあって、のんびりとしたゲームだけれど、ついついはまってしまうのです。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
※ ユーン・ハ・リー『ナインフォックスの覚醒』は、今度出るSFマガジンに書評を書いたので、よろしければそっちも読んでくださいね。
『人間たちの話』 柞刈湯葉 ハヤカワ文庫
これまでも作者には注目してきたが、注目度が全然足りないのじゃないかと思う。そんなすごい傑作短篇集だ。SFファンなら絶対読むべき傑作!
SFマガジンや小説すばる、それにWEB投稿と書き下ろしを含む6編が収録されている。初短篇集とあって、あれっと思ったが、そうか『未来職安』は連作短篇集か。
本書の短篇は本格SFやパステーシュやドタバタコメディや人間の孤独や親子の情や不条理やのほほんとした諦観や、バラエティに富んでいるが、いずれも作者あとがきにあるように、(Technology
Fictionではなく)Science Fictionである。科学的な説明などが前面に出ているわけではなく、ごく淡々と、さらりと扱われている(そのさらりとした文体が作者の特長だ。ドタバタを書いてもさらりとしているのだ)のだけれど、そこには真の科学の視点がある。あんまりハードじゃないがハードSFだ。
「冬の時代」は気候変動で寒冷化した未来、自分の村を出て文明の衰退した日本列島を南へと旅する12歳と19歳の少年二人の物語。作者があとがきの解題で「若い頃に椎名誠SFへ傾倒しており」とあるが、まさにそのテイストを満喫できるオマージュ作品である。二人のキャラクターがいいし、さらりと描かれる様々なディテールがいかにもな感じだ。そしてそこに埋め込まれた科学的・ハードSF的な要素がきらりと輝いている。物語性もあり、文章も美しい傑作だ。
「たのしい超監視社会」はこれまた傑作。こちらはオーウェル『一九八四年』のパスティーシュだが、まさに現代の物語であり、その問題意識をリアルに、軽めに、しかし深刻に描き出している。この日本は大東亜国(イースタシア)と呼ばれる全体主義の独裁国家で、生活の隅々まで相互監視される超監視社会なのだが、人々はそれに適応し、いたってのんきな日常を送っている。主人公は小説家を目指す学生とその友人の軍人だが、適応してしまえばディストピアも楽しく暮らせるのだろう。小さな逸脱は大目に見つつ、プロパガンダやヘイトをゲーム感覚で楽しむ。それはもちろん現代のインターネット社会そのままである。「等比級数の総和は有限」なんて言葉が総統の肖像画について使われるなど、ユーモラスに描かれてはいるが、作者の目は真剣である。
そして書き下ろしの表題作「人間たちの話」。ぼくはこの作品に圧倒された。年間ベスト級の傑作だ。物語は姉の息子を引き取って育てることになった科学者が主人公で、ほとんど普通小説のように、彼の研究と家族の問題、そして人々の関係性についてのあれこれが、日常生活を中心にドラマチックな展開もなく、しみじみと淡々とした口調で語られていく。だがそれが、彼の研究テーマである地球外生命の探求と、ひとつ上のレイヤーで密接に関わっているのである。あとがきの解題にあるように、これはまさに宇宙生命SFであり、宇宙生命とのファースト・コンタクトがテーマのハードSFなのだ。ここでは地球人類の孤独に関するフェルミのパラドックス、われわれの知っているものとは違う生命の定義、独身の科学者が自分の子ではない、母に疎んじられた子供を養う感情、同じDNAと環境条件の違い、そんなものが小説のテーマとして一体化し、互いに絡み合っているのである。小さなエピソードやモチーフがそれを強め合う。「宇宙生命とのファースト・コンタクトは探査機による発見ではなく会議による認定だろう」というリアルな認識はその通りだろうと思う。つまりは「人間たちの話」なのである。
「宇宙ラーメン重油味」はラーメンSF。本書の中では最も派手で、コミカルなSFだが、それもそのはず、もともとはマンガ原作として書かれた話だという。太陽系外縁部で主に異星人向けに開業しているラーメン屋の話。ラーメンよりもむしろ出てくるキャラクターたちがとてもいい味を出している。大笑いして読める楽しいSFなのだが、ここでもディテールはとても科学的。ドタバタなのだが、一線は越えず、はじけそうになるとそっと抑えて、ある意味とてもストイックである。これ、別の作家が書いたら(特に関西のあの人やあの人)、ハメを外しすぎてベタベタで収拾がつかなくなるに違いない。関西人としてはそこはちょっと物足りない点でもあるが、それこそ作者の良い作風なのだと思う。結末といい、ほのぼのと壮大で、こういう話は大好きだ。
「記念日」は岩SFで、不条理SF。研究生活を送る独身の主人公がマンションの部屋に帰ると、部屋の中に巨大な岩があった。シュールレアリスムの画家マグリットの「記念日」の絵にあるような巨大な岩石が、部屋の中にどんと存在しているのだ。でも彼はあまり驚かず、邪魔だなあとは思いつつ平凡な日常生活を続ける。この気持ちはわかるような気がする。お話は彼の友人たちとの何気ない会話や、彼の几帳面な生活を語っていくが、結末の彼の思いにはなごむ。
最後の「No Reaction」は小説家デビュー以前に書かれたという作品で、透明人間SF。主人公は中学生(くらい)の透明人間で、彼の日常生活とその考えていることを饒舌に語っていく。透明人間とは「作用を受けても反作用を与えられない存在なのだ」という。光を受けても透過し(でも彼からは見える)、強い力を受けるとひっくり返るが相手にはその手応えはない。そこから彼の考えた「科学における実在性とは何か」というテーマが掘り下げられていく。朝食のパンを加えて走ってくる少女とぶつかった時の力学とか、オッカムの剃刀で切り捨てられる冗長性の立場だとか、いかにも頭のいい中学生の透明人間が考えそうなロジックで、やたらと面白い。ぼくはラリー・ニーヴンの短篇を思い浮かべたが、ニーヴンよりずっと現代的で、むしろずっと面白いと思う。
そうか、こういった少し抑えて羽目を外さないユーモアとか、派手でドラマチックな展開を意図的に避ける、淡々とした作風とか、そこが作者がもうひとつ目立たない(いや『横浜駅SF』は十分目立っていたといえるけど)ところかも知れない。でもまさに今時のSFの、サイエンス・フィクションの作家として、もっとみんな注目すべきだよ。
『月の光 現代中国SFアンソロジー』 ケン・リュウ編 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
『折りたたみ北京』に続くケン・リュウ編の中国SFアンソロジー。14作家の16編が収録されている。
『折りたたみ北京』に比べれば、良く言えばバラエティに富んでいて現代中国SFの広がりがわかるアンソロジーとなっており、その一方でやや焦点が曖昧になって選択基準がよくわからないものも含まれている。いや、選択基準はケン・リュウが面白いと思い、(英米の読者に)紹介したいと思ったものに違いないのだ。「一箇所いい点がある作品は、なにも悪くない作品よりもはるかに優れていると考える」とケン・リュウは書いている。そういったやや微妙な作品を含めても、どれも面白く読み応えのある作品集となっている。今回、どちらかといえばドメスティックな作品が目立つ気がする。
まずは冒頭、『折りたたみ北京』では「童童の夏」、「百鬼夜行街」がとても印象的だった夏笳(シアジア)「おやすみなさい、メランコリー」が傑作。人工知能が当たり前となった未来の日常と、アラン・チューリングが晩年に開発したという紙テープで入出力する人工知能機械クリストファーの物語が並行して語られる。とりわけこのチューリングパート(事実をからめながらも、もちろん創作である)が素晴らしい。イーガンもかくやというコンピューター・サイエンスのハードSF的側面と、鬱病の女性とAIとの関わりというヒューマンなテーマが美しく溶け合っている。
続く張冉(ジャン・ラン)「晋陽の雪」はがらりと調子が変わって、なろう系にあるような歴史改変パロディ。しかし舞台が五代十国時代の北漢というずいぶんとマイナーなところで、その攻城戦が描かれるのだが、そこに糸電話的なインターネットやら、蒸気自動車やら、様々なスチームパンク的ガジェットが現れて楽しいし、それらを発明している王先生というのが未来から来た男だろうというのはすぐわかるのだが、その正体がぶっ飛んでいて面白い。英米人より日本人の方がずっと楽しめると思う。いやあ楽しかった。でもちょっと長いかな。
「壊れた星」糖匪(タンフェイ)はホラーっぽい話で、現代の女子高校生たちのよくあるいじめと恋愛の物語かと思いきや母の登場でいきなり異界へと投げ込まれる。多義的で色々と深い解釈ができそうな作品である。
韓松(ハン・ソン)は現代中国で最も影響力を持った作家だとのことだが、本書では2編が収録されている。「潜水艇」は都市と農村の大きな社会的断絶をアレゴリカルに描いた作品で、この都市の川に出没する潜水艇というモチーフは何かを思い起こすのだが、何だったろうか。出稼ぎ農民の潜水艇での暮らしがアジアの水上生活者っぽいリアルさがあってとても面白かった。「サリンジャーと朝鮮人」は宇宙観察者によって分岐し朝鮮人民軍が世界を征服したという時間線で『ライ麦畑でつかまえて』のサリンジャーと宇宙観察者が出会うという小品。設定的にはぶっ飛んだバカSFといっていいが、知的なユーモアと人間観察の鋭さがうかがえる。
程婧波(チョン・ジンボー)「さかさまの空」は逆向きのジャックと豆の木、歌うイルカ、潜水艇に恋する娘などが美しく描かれるメルヘン風ファンタジー。ちょっとカルビーノを思わせる。
そして宝樹(バオシュー)「金色昔日」。ぼくはこの中編に圧倒された。逆行する中国現代史とそれに翻弄される男女の強靱なラブストーリー。傑作である。主人公の宝生(パオション)は四歳の子どものころ同い年の少女と手をつないで北京オリンピックを見た。彼が小学生のころアメリカがイラクに侵攻しサダム・フセインを殺害したが、しばらくすると撤退し、ニューヨークの高層ビルに旅客機が激突する。中学生のころにはそれまであった液晶テレビが壊れてブラウン管テレビに取って代わる。そんな風に、ごく自然に歴史が逆行していく。その中でも、主人公たちの生活はごく当たり前に進んで行くのだ。ぼくらはその先にあるものを知っている。北京で「東京ラブストーリー」がはやった大学生のころ、天安門事件が起こり、彼も彼女も巻き込まれていく。やがて文化大革命が起こり、それが治まると今度は国共内戦が始まる……。そんな歴史に翻弄され、悲劇的な断絶もありながら、幼いころに一緒にオリンピックを見た二人の愛はつながていき、その二人の心情が強く心に響く。SF的なガジェットは一つも出てこないのに、視点を変えるだけでこんなにも読み応えのあるSFが書けることにも感動した。このアイデア、日本や他の国を舞台にしても、それぞれの読者の思い出を刺激するような作品が描けるのではないだろうか。
「折りたたみ北京」の郝景芳(ハオ・ジンファン)は「正月列車」。正月の帰省列車が乗客を乗せたまま時空連続体の中で行方不明となる。ショートショートだが、出発点と到着点の間には様々な経路があるということを図表を用いて示し、別にどんな経路を通ってもいいんじゃないかとけろりと語る解説者が面白かった。
飛氘(フェイダオ)「ほら吹きロボット」は自分を越える宇宙一のほら吹きになれとほら吹き王に命じられたロボットが、宇宙を漂流したり死神にあったりと様々な冒険をするというSFおとぎ話。
『三体』の劉慈欣(リウ・ツーシン)「月の光」は、おとぎ話の「三つの願い」をハードSFにしたような作品で、未来の自分から人類の危機を救うための技術的な情報を伝えられた主人公がそれを実現するが、今度はそのことによって別の危機が訪れることになり……とくり返される物語。構成としては単純だが、それぞれの危機がエスカレートしていく様子が面白い。大きな歴史は激動するのに、主人公の個人的な未来はほとんど変わらないということも。
「宇宙の果てのレストラン――臘八粥」吴霜(アンナ・ウー)はダグラス・アダムスの『宇宙の果てのレストラン』をそのまま使った二次創作的な作品で、父と娘が経営するそのレストランでは、客が物語を語り、それが面白ければ食事代がタダになるというルールがある。臘八節(ろうはちせつ――色々な材料の入った粥を食べる中国伝統行事)の夜、レストランに地球人の男がやってくる……。この小品のテーマは物語を語ることについてなのだろう。
馬伯庸(マー・ボーヨン)「始皇帝の休日」は中華を統一した始皇帝が、休日にゲームをやりたいというので、百家がこれはというゲームを献上するが、という奇想天外なバカSF。めちゃくちゃ面白いが、ここに出てくるゲームを知っていればさらに楽しめる。「李斯はDVDを手に玉座へ近づいた(古代のことであり、SSDや高速ブロードバンド回線はまだない)」なんてフレーズがウケる。
顧適(グー・シー)「鏡」も時間SFである。未来が見える透視能力者だという少女と科学を学んだ青年との出会い。しかし未来がわかってもそれは変えられない。その理由が、少女の能力の本当の意味がわかる時、主人公にはどうしようもない時間の真実が見える。何となく小林泰三が書きそうな話だ。
王侃瑜(レジーナ・カンユー・ワン)「ブレインボックス」もショートショートで、瀕死の人間の脳のパターンを別の人間の脳に刻みつけるというブレインボックスで、飛行機事故で死んだ彼女の心を覗く主人公の話だが、しかし、これは果たして「いい話」なのだろうか。
最後は『荒潮』の陳楸帆(チェン・チウファン)による「開光」と「未来病史」。「開光」はさえないベンチャー企業がスマホアプリ「ブッダグラム」にありがたい仏教の開光(開眼)法要を施したところ、それで撮影したリンゴは腐らないは、病気のペットが回復するは、交通事故から生還するはで大当たり。辛辣なコメディだが、その裏には宇宙論にまで関わる壮大なSF的アイデアがあるのだ。「未来病史」は百科事典的に未来に流行するという様々な症例を描いていく。「iPad症候群」「制御された多重人格」「病気の美」「時間感覚の異常」など、奇想に満ちた、だがハードなSF的アイデアに裏打ちされた症例が出てきて、昔の筒井康隆のような雰囲気もある。どちらも著者のアイデアの冴えが光っていて面白かった。
他に3編のエッセイ、王侃瑜(レジーナ・カンユー・ワン)「中国SFとファンダムへのささやかな手引き」、宋明煒(ソン・ミンウェイ)「中国研究者にとっての新大陸:中国SF研究」、飛氘(フェイダオ)「サイエンス・フィクション:もう恥じることはない」が収録されている。飛氘(フェイダオ)はSFファン気質に溢れていて共感でき、王侃瑜(レジーナ・カンユー・ワン)は生々しく中国SFの歴史を語っていて興味深かった。
『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』 小川一水 ハヤカワ文庫
百合SFアンソロジーと銘打たれた『アステリズムに花束を』に収録の短編の長編版である。短編版を読んで、ぜひ長編化して欲しいと思っていたので、やったー、というところ。
短編版のスピード感はそのままに、SF的な深みを倍増し、そしてキャラクター小説の魅力を1000倍アップした作品だといえる。その1000倍アップのところが、ぼくみたいな年寄りにはいくぶんお腹いっぱいになるところではあるが、それも含めて面白い。
人類が宇宙に広がって6000年以上たった未来。とある銀河の辺境で、巨大ガス惑星を巡る軌道上に、数百隻の宇宙船団で移住したおよそ50万人の植民者の子孫たち、300年以上たって、生き残った16の氏族およそ30万人が、それぞれ巨大な氏族船を建造し〈周回者(サークス)〉となって暮らしていた。彼らの社会は氏族によってばらつきはあるが、基本的に保守的で、男性優位な家父長制の社会を築いている。そしてガス惑星の大気圏を浮遊する巨大な魚(といっても食用ではなく金属資源の原料となるやつ)を獲って暮らしているのだ。その漁船は〈礎柱船(ピラーボート)〉といって、姿を自由に変形する粘土(みたいなもの。たぶんナノテク)でできており、ツイスタ(パイロット)とデコンパ(精神力によって粘土を自在に変形させ、様々な漁網を作ったり、船の形状をその場その場で最適な形に変形させたりする、いわばエンジニア)の二人組で操縦する。
この社会ではツイスタは男性で、デコンパは女性、しかも夫婦でなければならない。主人公のテラは大柄だが女性らしい体格のデコンパ。夫になるべきツイスタを求めて何度も見合いをしているのだが、ずっと失敗している。そんなところに、突然あらわれた別の氏族の若く小柄な女性、ダイオードが、テラのツイスタになるというのだ。それを認めさせるためには氏族の長老に腕前を示す必要がある。テラとダイオードは見事にそれを成し遂げ、ペアとして認められたわけではないが、事実上黙認される(色々と嫌がらせは受ける)こととなる。
その後の冒険の中で二人の関係は深まり、それは明らかに恋愛関係なのだが、閉鎖的な社会でそんな関係はタブーとなっており、またテラ自身、なかなかその想いを言語化できない。とりわけ過去にひどい抑圧にあったダイオードは、内向しては暴発を繰り返す。その痴話ゲンカぶりが愛おしいのだが、そこには哀しみもある。
セクシャルな側面は抑圧されていてなかなか現れない。そんな、おっとりとしたテラとピリピリして攻撃的なダイオードの関係は、いかにも王道の、というかお約束の定型的な描き方をされており(しかも職人芸的な見事さで)、それはそれで魅力的・共感的ではあるのだが、ぼくにはやや物足りなく感じた。またジェンダー的な側面でも、二人がとても優秀で周囲にそれを認めさせるだけの実力があるから成り立っているところがあり、もしもっと平凡な二人だったら、押しつぶされて悲しい結末になるのだろうなと思わせる。
短編版では宇宙漁業SFというSF的なアイデアに圧倒されて、百合SF、ジェンダーSFという側面は(少なくともぼくには)あまり目立たなかったのだが、長編版ではさすがにそれが中心テーマとなっている。まあ二人の会話の面白さとキレキレのスピード感が、それにも増して本書を楽しい読み物としているのだが。そして結末で明かされるこの星の秘密。いや決して明確になっているわけではないが、SF的な大ネタが炸裂し、より広い宇宙へと物語が広がる予感に満ちている。これはぜひ続編が読みたいよね。同じ世界の別の話でもいいけれど。