内 輪 第354回
大野万紀
SFマガジン4月号の、伴名練「白萩家食卓眺望」を読みました。創作料理の味によって不思議なビジョンが浮かび上がるという、味覚→視覚の特殊な共感覚をもつ主人公が、世代を超えて受け継いだ料理帖をめぐって周囲の人々と様々な関わりをもっていく、いわば料理SFですが、ぼくはこれを読んで、これはSFについての物語じゃないのかと感じました。「SFは絵だ!」という言葉の通り、SFの読者には書かれた文章から見たことのない別の世界が幻視されるでしょう。ツイッターにそう書こうとしたら、卜部理玲@東北大SF研バーチャル会員@urabe_ryray
さんが同じことを書いていて、さらに飛浩隆さんは「作家/アンソロジストとしての決意表明でもある」とも書かれていました。ここでの料理帖を、過去の傑作を受け継いでいくSFアンソロジーととらえればその通りでしょう。全く同感です。
ただし、このような裏読みは本当のところ不要かも知れません。うっかりすると「SFファン」を一般人にはない特殊な感受性(共感覚ではないにせよ)の持ち主として、閉じたサークルの孤独な自己満足に浸りかねないからです。しかし、とはいえ、子どものころからSFの話がしたくて、同じように理解してもらえる友人を捜し求めてきた経験からすれば、そんな感覚を全く否定することもできません。SFの面白さ、素晴らしさがすんなりと入ってくる人と、そうではない人がいることは(だからどうだということではなくて)、経験的に感じるところです。排他的に閉じこもるのではなく、でもSFというものに特別な価値を見い出したい、そんな仲間を少しでも増やしていきたい、それがSFファンとしてのぼくの偽りのない実感だったのであり、おそらくは作者もそうだろうと想像するのです。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『マーダーボット・ダイアリー 上下』 マーサ・ウェルズ 創元SF文庫
これは面白かった。作者はファンタジーを中心に活躍しているアメリカの作家だが、本格SFはこのシリーズが最初だという。その第1話がいきなりヒューゴー、ネビュラ、ローカス賞を受賞。第2話もヒューゴー、ローカス賞を受賞している。読んでみると、これは納得の結果だ。
第1話から4話まで、中長編(ノヴェラ)の連作であるが、邦訳はそれを2話ずつ上下巻に収録している。それぞれは1話ずつで完結しているのだが、ストーリーは全体でつながっており、連続ドラマの雰囲気がある。そして主人公のマーダーボットは、メディアの連続ドラマが大好きなのだ。
本書は巨大企業が支配する宇宙を舞台にした宇宙SFであり、企業犯罪をめぐるSFミステリであり、凄まじいアクションが炸裂する冒険アクションSFである。またハッキングが大きな役割を果たしていることから、テクノ・スリラーの側面もある。だが、何といっても本書はそのとてもユニークで愛すべき主人公、もともと巨大保険会社のヒト型警備ボット(機械と人間のハイブリッド)だが、過去に起こした事件から自分をハックして、会社の支配からは自由になったものの、その会社の所有物として警備業務をつづけ、いつまでもうじうじと屈折した人間への感情をもち、コミュ障でややこしい、名前をもたない自称マーダーボット、暇なときはネット配信の連続ドラマを見ることを趣味とし、自分のことを”弊機”と呼ぶ、性別も不明な主人公の、ですます調のユーモラスな独白を楽しむ作品なのである。
いや、それが本当に面白いのだ。戦闘では抜群の能力を発揮し、わりとあっさりと敵を殺したりするのだが、ひねくれた人間的な感情があって、そのひねくれ具合が面白い。でもある意味それが可愛くて、共感を呼ぶのだ。第2話の、たまたま乗った宇宙船の高度AIであるARTとのからみなど、とても楽しかった。ストーリーは4話で大団円を迎えるが、まだ続編があるようで、ぜひ読みたいと思う。
『ワン・モア・ヌーク』 藤井太洋 新潮文庫
2020年の3月11日に、新国立競技場で原爆を爆発させる。
恐ろしいほどの決意と知識、そして実行力をもってそのテロを実行しようとするのは、若くて著名な服飾デザイナーの女性、但馬樹(いつき)だ。彼女は、3.11の原発事故による放射線汚染を、正しい知識によってではなく無責任な想像によって恐怖と差別の材料にした多くの日本人への、怒りをもったショック療法として(そして個人的には救えなかった命へのあがないとして)このテロを計画した。その実行犯として協力するのは、元イラクの核物理学者で、今はイスラム国の非情なテロリストとなったサイード・イブラヒムと、彼の率いるイスラム国のテロリストたちである。ただし、樹とイブラヒムの目的の違いから、早い段階で二人の進む道は分かれ、テロ計画は分裂する。にもかかわらず、二人はそれぞれの計画を部分的に利用しつつ、3月11日の東京での核爆発に向けて手を打って行く。
これに対し、イブラヒムの動きを追っていたCIAの女性捜査官シアリー・ナズと国際原子力機関(IAEA)の技官、館埜(たての)健也が計画を察知し、対策を検討していく。また警視庁公安部の早瀬隆二刑事と高嶺秋那(あきな)巡査部長のコンビも、別ルートから事件に迫っていく。
3月6日から11日の5日間、タイムリミットに向かって盛り上がっていくサスペンスと、今現在のリアルな核問題を描く、本書はリアルタイムなテクノスリラーであり、4組のキャラクターが職業人として(テロリストも職業だとすればだけど)それぞれの実力と魅力を発揮する人間ドラマなのである。
とまあ、本書を紹介すればこのようになるだろう。エンターテインメントとしてとても面白く、読み応えがあるのでまずは読んで欲しい。今年の3月11日までの物語なので、まさに今読むのが旬で、ふさわしいのだが、それを逃したからといって本書の魅力が薄れるわけでもないだろう。ただ、ほとんど今現実にあるものばかりが描かれているにもかかわらず、本書が近未来SFとしてしか読めないのは、ぼくが20世紀頭だからなのだろうか。それとも今の現実ががまさにSFだからなのだろうか。
もうひとつ、本書で気になったこととして、樹の意図がぼくにはやはり納得できなかった。倫理や善悪の問題ではなく、彼女の決断そのものが、まさに彼女が否定しようとしていることと同じ構造をもっているからである。それは大衆に放射能汚染の危険を知らせ、ショックを与えて覚醒させるために、犠牲者が、死者が出た方が望ましいという、そんな生贄を求める思考と同じものではないか。それは知性も決断力もある彼女が求めるものとは真逆なものなのではないだろうか。テロリストとして見れば、むしろイブラヒムこそが筋金入りの悪魔として真っ当だともいえるだろう。
『タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短編集』 ルーシャス・シェパード 竹書房文庫
本書は「竜のグリオール」の第5作と6作、2010年に出た中編「タボリンの鱗」と、2012年の長中編「スカル」の二編を収めている。第1作から4作までをおさめた『竜のグルオールに絵を描いた男』の続編にあたる。
本書の二編はどちらも(主人公たちの視点からは)グリオールが死んだ(?)後の物語となるが、物語内部の時間線としては必ずしもそうとは限らない。死せるグルオールも生きているときと変わらぬ影響力をもち、時空を超えて人間の精神に働きかけるからである。その世界はもう一つの現実であり、そして、とりわけ「スカル」は竜の存在を別にすればわれわれの、現代の現実世界ときわめて近い関係にある。
それにしてもグリオールの存在感は圧倒的だ。『竜のグリオール~』では、それは山のように巨大な竜として静かに佇み、ダイナミックな活動よりも目に見えない精神的な力を放射していたものだが、本書では異なる。「タボリンの鱗」では主人公たちは老いたグリオールの鱗によって、若い活動的なグリオールのいる世界へと転移し、そこでサバイバルすることになる。この世界でのグリオールは荒々しく、猛々しく、まさに怪獣神として存在している。そしてそのエネルギーはこちら側の世界へと及び、いつの間にか戻ってきた主人公たちは、覚醒したグリオールが最後の猛威を振るうのを見る。悪魔的な竜に翻弄される人間たちだが、主人公となるジョージの造形は力強く、タフで、彼に関わる女性たちも不条理な運命に逆らい、生きることにたくましい。その不条理はグリオールがもたらしたものであると同時に、今の世界につながる人間たち自身の物語でもある。
この、奇怪な悪としてのグリオールは「スカル」ではより鮮明となる。舞台は右翼独裁政権の残虐な圧制下にある21世紀の中米。ここでのグリオールはすでに巨大な骨と化している。だがグリオールは死んではいるが死んでいない。その奇怪で強大な力は残っていて、一人の人間の男に顕現(憑依?)している。物語はアメリカ人のチャラい若者スノウが、グリオールの頭蓋骨の支配下にあるカルト集団の女性ヤーラと出合うところから始まる。ヤーラを支配しているのは、人間の男として復活したグリオールで、ヘフェと名乗り、超能力をもち、気ままに人々を虐殺する。女たらしでチャラくて全くヒーローらしくないスノウは、なりゆきでグリオール=ヘフェと対決することになるのだが――。ここにはファンタジーの竜は出てこない。しかし現実の悪竜が存在し、世界を不条理にねじ曲げている。その耐えがたい悪の魅力。グリオールの非人間的なパワーはおぞましい現実と一体となり、そこに上書きされている。
グリオールの物語はあと一編残っている。本書の解説で池澤春菜が言うように、それが出るころ、現実の世の中はいったいどう変わっているのだろうか。
『荒潮』 陳楸帆 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
『折りたたみ北京』に傑作「鼠年」が収録されていた陳楸帆(チェン・チウファン)の初長編。これまた読み応えのある近未来SFである。
中国南東部の通称シリコン島。そこには世界中から廃棄された電子ゴミが集められ、中国各地から流れて来た出稼ぎ労働者が手作業でその分別と再資源化のリサイクルを行っている。かつては風光明媚だった島は汚染され、ゴミ人と呼ばれる底辺の労働者たちの労働環境は最悪、低賃金で過酷な労働を強いられている。彼らは搾取され、さらに元からの島民たちからも差別されている。彼らを支配しているのは、この島の有力者である羅(ルオ)、陳(チェン)、林(リン)の三家。そんな島に、アメリカからグローバル企業の経営コンサルタントと称するスコット・ブランドルが通訳の陳開宗(チェン・カイゾン)――彼も陳家の一員でこの島の出身だが、アメリカの大学に留学し、アメリカ人となった――とやって来る。この島の環境再生計画について御三家と提携するためだ。
本書は細かく視点人物が変わる構成になっているが、メインとなるのはこの陳開宗と、彼がゴミ人の中で目にした一人の少女、米米(ミーミー)である。本書は中国とアメリカの二つの視点を持つナイーブなインテリの青年と、最下層に暮らす賢くてバイタリティのある少女との、ボーイ・ミーツ・ガールの物語だともいえる。一方で、本書はパオロ・バチガルピの描くような、環境汚染と貧困や格差の問題をリアルに描く、近未来ディストピアSFでもあり、さらに現代中国に溢れる未来的テクノロジーの行く末を描き、ネットワークやロボットやバイオテクノロジーの(その暗黒面も含めた)未来を見据える社会派のハードSFでもある。また土俗的なものと最先端のものがシームレスにつながり、長い歴史につながる中国人の価値観と、グローバルな近代的価値観の共存と相剋もここにはある。残酷で理不尽な事件が次々に起こるが、あからさまな悪役にもその背景にある人間的な側面が描かれ、決して一面的ではない。
それにしても、本書にはこれでもかというくらいの、過去のSFやテクノスリラーや、映画やアニメやコミックのモチーフが溢れている。次から次へと息もつかせないくらい事件が起こって話が急展開し、エンターテインメントとしても読み応え抜群だ。後半ではヒト型ロボット(しかも変形する)が大活躍し、自然災害のカタストロフがあり、何と女神の覚醒まである。いやあ、堪能しました。
ところで、南方のゴミの島とそこへの訪問者というモチーフには、ぼくは高山羽根子の短編「リアリティ・ショウ」を思い起こした。ここでも猥雑さと、ゴミと海の臭いが強烈に漂っているのだ。
本書の翻訳についても触れておこう。訳者解説にもあるとおり、本書はケン・リュウによる英訳本をベースにして、中国語の原書を参照し、名称や用語の表記は原文に準じ、さらにその発音は中国へ行った協力者から作者本人に聞いたという。きわめて信頼のおける、ハイブリッドな決定版となっているのだ。訳者と協力者には惜しみなく賛辞を送りたい。
『星系出雲の兵站 -遠征-3』 林譲治 ハヤカワ文庫
第二部第三巻。物語は大きく3つに分かれる。1つはガイナスの母星ではないかと思われる敷島星系での探査行。1つは人類側、壱岐星系でのガイナス集合知性との対話やガイナスの残存勢力との戦闘(というか、基本は烏丸司令官によるガイナスとのコミュニケーションの試み)、そして本巻で新たに出てきたのが、出雲星系の宇宙空間で発見された古代の遺物にまつわる物語である。これは星系出雲の人類の起源に関わる遺物であり、人類とガイナスが太古に接触していた可能性を(あくまで可能性だが)示すものだった。
中心となるのは敷島星系での、衛星美和における、ガイナスの始祖と想定される異星人、ゴート人との接触である。戦闘こそ起こらないが、相手の意図が全くわからず、神経をすり減らすような緊張の連続である。彼らの見た目や行動そのものは人間にも「わかる」ものだけに、それがどんな意図で、どんな論理によって動かされているのかが理解不能ということには、底知れない恐ろしさがある。ゴート人が同じゴート人を殺害する場面など、人間的な感覚での理解を拒絶しており、ぞっとするような不気味さがある。どうやら彼らは個体の意識や生命に重きを置いていないようなのだ。
壱岐星系でのガイナスとの関係は、まがりなりにもコミュニケーションができているだけに、ずっと安心して読める。特に烏丸司令官の頭が冴え渡り、猫好きの参謀との会話にはほっとするようなユーモアがある。しかしこちらでも、思いがけない展開が訪れるのだ。
とはいえ、話はなかなか進まない。ひとつひとつのイベントがとても丁寧に語られ、語られないその背景もじっくりと考え込まれて設定されていることがわかる。いやもう、わからないところまで考え込まれていることがわかるのだ。その結果、読者も少しずつ少しずつ明らかになっていく謎に、リアルタイムに付き合わざるをえない。気の短い人にはまだるっこしいかも知れない。しかしそれこそがこのシリーズの魅力であり、早く続きを読みたくてウズウズするところなのだ。この続きは一体どうなるのかしら。