内 輪   第346回

大野万紀


 これを書いている今日は七夕ですが、けっこういい天気なので、郊外では天の川も見えるかも。
 そういえばこの前テレビである若い女性タレントが「天の川って絵本の中だけの話だと思ってました。だって、空に川があるって…どういうこと?」と発言して苦笑を誘っていました。ちょっと気の毒になりましたが、まあ興味がなければそういうものでしょう。
 SFやっていると逆に非常識が常識みたいになっちゃうこともよくあるので、心しないといけないように思います。いや、誰のことだとはいいませんが。

 映画『海獣の子供』を見てきました。素晴らしかった。
 圧倒的な、夏!海!そして海に近い街の風景。もちろん海の生き物たち、そしてあの食事のシーン!
 正直言うとクライマックスの誕生祭はちょっと長すぎて、大きな物語との接続はもう一つだったけれど、それでも宇宙と生命、そして果てしなき時間への賛歌には圧倒されました。
 子供たちも良かった。あくまでも日常的なリアルを主体にしながら、宇宙的な謎へと引きずられていく。夜光虫の光る海のシーンは、ぼく自身の昔の経験を思い出しました。
 一方で、国際政治的な<大人たちの物語>は、映画の中ではとても中途半端な描き方しかされていないので、むしろカットした方がすっきりしたのでは。
 とにかく、夏!ですね。空と海と緑。その中で走る少年少女たち。海に近い街に暮らしていると、こんな風景は実際に目にすることが多くて、ほっこりしてしまいます。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『郝景芳(ハオ・ジンファン)短篇集』 郝景芳 白水社
 郝景芳は、ケン・リュウ編『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』の表題柞であり、ヒューゴー賞を受賞した「折りたたみ北京」の作者。1984年生まれで、大学では天体物理学と経済学を学び、SFから普通小説、紀行文まで幅広い執筆活動で高い評価を得ている。いかにも才媛という言葉がふさわしい。本書には中国語からの訳で、その「北京 折りたたみの都市」と、「弦の調べ」、「繁華を慕って」、「生死のはざま」、「山奥の療養院」、「孤独な病室」、「先延ばし症候群」の7編が収録されている。
 「北京 折りたたみの都市」は再読だが、英語版と中国語版では微妙に差があるような気もする。でもあえて読み比べてはいない。どちらにせよ傑作である。何といっても三層に分かれた巨大都市がガチャガチャと機械的に折りたたまれるというビジュアルな感覚がすごい。映画化の計画があるとのことだが、どう表現されるのだろうか。
 「弦の調べ」と「繁華を慕って」は対となる作品で、鋼鉄人という宇宙からの侵略者への奇想天外なレジスタンスを描きつつ、同時に離れて暮らす夫と妻の内面を掘り下げていく、深みのある傑作である。音楽を演奏して宇宙エレベーターを弦として使い、月にいる鋼鉄人を攻撃するという、イメージ豊かで奇想にあふれた描写が圧巻だが、鋼鉄人という、反攻する者には激烈でも、芸術家と科学者には優しい支配者による支配が、人々をどう分断し、重苦しいあきらめに落としこんでいるのか、それが主人公たちの内面にどのようにしみ通っているのかということが描かれていて、なかなか重いものがある。しかし天体物理学を修めている作者だが、ハードSF的なディテールは無視して、むしろ科学がもたらす幻想的なイメージを重視していることがわかる作品だ。
 「生死のはざま」はさらに幻想味が増して、事故で死んでいるはずの主人公が見る、まさに生死のはざまにあるような謎めいた光景が描かれる。しかしホラーというよりも、背景には(ちょうどコニー・ウィリスのような)SF的なイメージがあり、さらに中国の黄泉の世界に関わる伝説もそこに重ね合わされている。またここでも主人公に関わる二人の女性の対照的な描き方が面白い。
 「山奥の療養院」と「孤独な病室」は物語は独立しているが、互いに共鳴しているような作品である。現代中国の、いや日本も含めたグローバルな世界での、エリートではあっても、もうひとつ突き抜けることのできない、一流にはなれない主人公たちの苦悩と、現代のSNSがもたらす自己の肥大化が戯画的に描かれている。どちらもSF的な要素はあるが、それが主題ではない。
 「先延ばし症候群」はショートショートで、タイトル通りの焦燥感に溢れる、あるあるな話だが、ちょっとびっくりするようなオチがついている。
 どの作品にも、作者自身の経歴や現代社会への批評精神が色濃く反映しているようだ。

『流れよわが涙、と孔明は言った』 三方行成 ハヤカワ文庫JA
 『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』の作者の第二短篇集。表題柞の他、「折り紙食堂」「走れメデス」「闇」「竜とダイヤモンド」の5編が収録されている。表題柞と「折り紙食堂」がカクヨムから、「走れメデス」が書き下ろしで、他の2編は同人アンソロジーからの再録である。
 タイトルからしてパロディっぽいし、内容も奇怪でぶっ飛んだ奇想コメディというに相応しい作品集なのだが、最後まで読んで、この作者の底力のようなものを感じた。この人は才能がある。幅広い知識があり、できる人だ。まだまだバランスの悪さやぎごちなさは残っている。
 カクヨムの2編と書き下ろしは、ワンアイデアから展開するには長すぎる。ショートショートに収めればもっと切れのいいインパクトがあっただろう。だが「闇」と、とりわけ「竜とダイヤモンド」は傑作といっていい。『トランスヒューマン~』でも感じた、古典や歴史についての知識と、ハードSF的な設定が、ふくらみのある知的でしゃれた言い回しとなり、おとぎ話や寓話とうまく溶け合って、独特の世界を作り出している。
 独特といったが、実はいくぶんデジャヴ感があって、それはラファティだったりコードウェイナー・スミスだったり、日本でいえば初期の筒井康隆と通じるような感覚である。表題作もそうだ。諸葛孔明が泣いて馬謖を斬ろうとしたが、斬れない――硬かったのである。というワンアイデアから話はどんどんエスカレートしていく。色んなバカ話やパロディが繰り返され、めちゃくちゃ面白いんだけど、先に書いたようにこれはちょっと長すぎる。
 「折り紙食堂」は3部からなり、折り紙と文明崩壊と数学的な宇宙の謎を含めてホラーっぽい物語が語られるのだが、雰囲気はあるものの、やや詰め込み過ぎで知識偏重に思える。独りよがりとまでは思わないが。
 「走れメデス」はアルキメデスを走らせる話だが、ドタバタに疾走感があっていい。ただ、アルキメデスの原理とバナッハ=タルスキーのパラドックスを結びつけるという(結びついていないけど)離れ業は、ぼくの理解を超えている。
 「闇」は『電柱アンソロジー』というテーマアンソロジーに書かれた作品で、人は死んだら電柱になるという謎の闇の世界が舞台の、奇想ホラーである。やはり独特で寓話的な雰囲気があるが、ロジカルに話が進むところはSF的であり、不思議で静かな魅力がある。
 巻末の中編「竜とダイヤモンド」はドラゴンカーセックスアンソロジーの収録作。竜を飼う没落貴族と鹿人間の盗賊との物語だが、これがいい。竜が可愛いし、キャラクターは魅力的。童話的なファンタジーでありながら設定はリアルで、ドラマも起伏がありながら感動的に盛り上がっていく。ここにも古典や科学の知識がふんだんに含まれ、またセクシャリティがひとつのテーマとなっているが、さりげなくて押しつけがましくはない。こういう作品はもっと読みたいと思った。

『大進化どうぶつデスゲーム』 草野原々 ハヤカワ文庫JA
 同じクラスの女子高生18人が、800万年前の北米大陸へ転移し、歴史を改変してヒトの進化を妨げようとする異変と闘う――デスゲームするという長編だが、この前のアイドルと違い、女子高生たちは最後まで普通の(ちょっと強化はされているが)女子高生のままである。宇宙を破壊する怪物にはならない。なるかと思ったのに。
 冒頭に女子高生たちの相関図があって、生徒会、リア充、体育会系、オタクとグループがある。ただ、オタクと体育会系を除けば、個人同士の関係の方が強く、グループ分けにはあまり意味が無いようだ。生徒会長の代志子のように明るく健全で前向きな、とても好ましく感じられるキャラもいれば、中二病用語でしゃべるオタクや、ちょっと病んでいる感じの子、ゴージャス系の子、元気いっぱいのスポーツウーマンなど、カタログ化されたキャラの個性は十分に描かれている(でもさすがに18人は多い)。
 女子校の生徒たちのありがちな日常が、突如断ち切られる。他のクラスの子たちはみんなサルになり、ネコの化物が襲ってくる。パニックの中で、未来から来たAI生命だというシグナ・リアが現れ、800万年前の世界に異変が起こり、このままでは世界はネコから進化した生物に支配されてしまい、ヒトはサルのままで進化しないという。それを防ぐには800万年前の北米大陸へ転移して、大進化どうぶつデスゲームを戦わないといけないのだ。アニメの美少女キャラみたいなリアはとてもうさんくさいヤツだが(どっちかというと、いわゆる淫獣ですね)、否応なく従わざるを得ない。動物戦車や生きている銃といった謎武器をわたされ、彼女たちは半ばキャンプ気分で新生代中期の世界へと転移する。やがて動物たちとの戦いが始まり、性格の変わるやつ、勇敢さを見せる子、ぼーっとする子などいろいろあるが、次第にグロテスクで苦痛を伴うデスゲームの様相が現れてくる。
 しかしまあ、基本的にはストレートな話で、個々のキャラクターもとりわけ掘り下げて描かれるわけではなく、普通に読みやすいエンターテインメントとなっている。作者らしさは、一部のねじれたキャラクターと、うざいリア、そしてやたらと科学的・生物学的ディテールをハードSFっぽく描くところにある。そこはとても力が入っていて、新生代中期というあまり描かれない時代の生態や環境、風景がしっかりと描写されている。物語がわりと適当なのに対し、進化史のセンス・オブ・ワンダーには読み応えがある。そういう独特なバランス感覚あるいはその欠如こそが、作者の個性と言えるのではないだろうか。

『ヒト夜の永い夢』 柴田勝家 ハヤカワ文庫JA
 南方熊楠を主人公に、昭和の初めから二・二六事件までの時代が背景の、著名人総出演の虚実入り乱れた(いやタイトル通りほぼ夢の中の別世界なのだが)大長編伝奇SFである。
 始めのうち、バンカラで豪快な男たちのバカ騒ぎが続き(そこは良い意味です)、粘菌を頭脳にした美少女自動人形〈少女M〉――それが「天皇機関」だ――とか、コミカルで荒唐無稽なスチームパンクあるいは横田順彌の明治ものみたいなロマン溢れる雰囲気で進んでいくのだが、次第に荒俣宏の『帝都物語』的なオカルト的で暗い世界が表に出てくる。
 後半の主題は、いわばイーガン的ではない世界と意識、現実と夢の哲学的な議論が中心になるが、それはむしろ古典的・文学的な世界解釈であり、江戸川乱歩や南方熊楠の東洋的・仏教的世界観と重なるものである。夢と現実が一致し、千里眼もその中では可能となる。ある意味万能の世界理解で、この小説の世界観とはぴったり合ったものだ。
 早い段階で「天皇機関」が誕生し、自意識を持ちこの世界観を体現した女神のような存在となるので、この後どうなるのかと思うが、それが現実世界を決定的に大きく動かす存在とはならない(現実世界はどこかですでに変容してしまっている)。ストーリーはまさに荒唐無稽に展開し、即位を迎える昭和天皇に天皇機関をお披露目しようとお召し列車に突っ込むなど、まさかのあり得ない展開となる。だがそれは夢の世界のリアリティを持っており、何事も無かったかのように元の生活に戻っていても、いったん崩された世界は不安定なままである。
 ところどころ妙な表現でひっかかるところはあるものの、昭和初期というほんの百年ほど昔の日本が、まるでビクトリア時代を舞台にしたスチームパンクのように、また幕末や明治を舞台のロマンティックな伝奇小説のように、大仰で芝居がかった、ペダンティックな文章で描かれる。力業というか、見事なものだ。嘔吐や糞尿といった「エグい」要素も効果的に使われている。
 乱歩と熊楠が交わす〈因縁〉をベースにした世界理論も、もっと現代風に言い換えることも可能だろうが、作者はそれを微妙なところで避ける。大変な力作ではあるが、ただこれだけ魅力的なキャラクターが大勢登場し、刺激的なテーマを扱っているにもかかわらず、意外にこじんまりと話がおさまってしまうのが物足りない。もっと歴史が変わるほどの破天荒な展開があっても良かったのではないかと思われる。作者ならきっとそれが書けるはずだ。

『追憶の杜』 門田充宏 東京創元社
 前作『風牙』の続編となる連作中篇集だ。「六花の標」「銀糸の先」「追憶の杜」の3編が収録されていて、あとがきと森下一仁さんの解説がついている。
 サイコダイバーというより、強力な共感能力と人工知能のちからによる個人の記憶の汎用化・翻訳者、じゃりン子チエみたいな大阪弁をしゃべる少女(20代だが)の珊瑚が、前作よりも安定した存在となって活躍する。
 「六花の標」と「銀糸の先」ではこの技術が社会化した際に起こる暗い側面をミステリタッチで抉っていく。内容的にも連続した物語であり、インターネット社会で危ない映像をばらまくといった自己顕示の暴走とパラレルな現象が、個人の記憶と共感というより深刻なデータを用いて行われることになる。そこで発生する事件。事件そのものはまだ解決せず、これから先の作品につながっていくものと思われるが、この2編はそれぞれがきちんと珊瑚の内面的な成長を描くかたちで結末がついている。どんでん返しもあり、ミステリでもあるので詳しい内容は書けないが、とても読み応えがある。
 「追憶の杜」は前作「風牙」の直接の続編となる作品だ。コンピューターで作られた仮想の記憶世界の中に、存在しないはずのものが現れる。珊瑚はそれを追っていくが……という、ちょっとホラーがかった内容だが、ぞわぞわとするサスペンスの中に記憶というもののもつノスタルジーと切なさがアップされていって、強い情感を生み出す。
 本書は中編集であるが、本書と前作を合わせて、一つの大きな長編小説(未完だが)となっているようだ。断片的に描かれる珊瑚とまわりの人々、そしてこの世界のありさまが見通せるようになるとき、どんなドラマが立ち現れてくるのか、大変楽しみである。早く続編を書いてほしいものだ。


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