SFセミナーへの参加は久しぶり。東京へは午前中に移動したので、午前の企画「ゲーム・場所・コミュニケーション〜宮内悠介インタビュー」には間に合わなかった。『あとは野となれ、大和撫子』を読んだばかりだったので、ぜひ聞きたかったのだけど。残念。
5月4日の東京は初夏の陽気で、暑いくらい。会場の全電通労働会館ホールへ着いたのはお昼になった。
ぼくが出演するのは午後一番の企画なので、そのまま控え室へ。すでに出席者はそろっていた。酒井さんとは久しぶり。なんか、みんなガルパンの濃ゆい話をしていた。好きなんだねえ。
クラークの世紀を語ろう! 大野万紀、酒井昭伸、中村融、山本弘、牧眞司
クラーク生誕100周年記念ということで、牧眞司さんの司会で、好きなクラーク作品、クラークの読みどころ、小説家として受けた影響、翻訳での苦労、ハードSFとクラーク、イギリスSFとしてのクラーク、クラークのユーモア、クラークを継ぐ作家たちなどについて、パネラーが話す企画。
ぼくは『幼年期の終わり』について、これが人類進化、宇宙文明、ファーストコンタクト、超能力、集合精神、人類滅亡といったSFの主要なテーマを網羅していて、それを詩情とセンス・オブ・ワンダーに満ちた文章で描いたものだと話す。
オーバーロード、オーバーマインドのテーマに関し、普通は個を重視するオーバーロードへ感情移入するが、クラークはオーバーマインドへもシンパシーを感じていた。それは昔からの超越的な宇宙意志への憧れからだった。オカルトへの興味はクラークの作品にずっとつきまとい、『2010年』くらいまではそれがはっきりと残っている。でも『2061年』くらいからはそういう超越的形而上的な宇宙意志への幻滅があったのか、それらは脇役に転じ、『3001年』では、ついにオーバーマインド(ここでは魁け種族)は、ただの悪役宇宙人に落ちぶれてしまう。
中村融さんによれば、クラークは根本的に神秘主義者であって、生物の進化とは神への長い道であり、生物が海から陸へ上がって大きく進化したように、人間も宇宙へ出ればまた大きく進化すると信じていた。これはキリスト教的には異端思想であり、C・S・ルイスとの論争になる。ルイスはトールキンといっしょにパブでクラークや宇宙旅行協会の面々と直接対決したが、最後は和気藹々となって分かれたという。
好きな作品として、酒井さんは「メデューサとの出会い」をあげ、山本さんは『乾きの海』をあげる。哲学的な作品よりこじんまりとまとまっていて面白いとのことだ。中村さんは「太陽系最後の日」には、クラークがやりたかったことが全て入っているという。それはウエルズ、ステープルドンの哲学的な作品の系譜と、クラークが好きだったアメリカのスペースオペラの系統の、いいとこ取りが初めてできたということだ。
クラークの良さについて、酒井さんはその詩情、美しさ、人の心の描写の手法をあげる。ひと言でいえば「絵」だ。酒井さんはクラークはファンタジー作家としても読めるという。例えば『楽園の泉』のスリランカの蝶の描写がそうだ。山本さんは、クラークはそれぞれのプロットの中でどこが絵になるかを大切にしている。人間を書くのもけっこううまい。大勢の登場人物を混乱なしに書き分け、それも人の過去をくどくどと描くことなしに。淡々と描いて決して派手にはしない。中村さんは、比喩がうまいことを指摘する。SF的なメガストラクチャーを描くのに、誰でもわかるような比喩を使う。ぼくは、簡潔なことばで時間的・空間的広がりをイメージさせること、淡々とした描写を繰返しながら、各章の最後や小説の最後で、きわめて印象的なひと言を加えて読者の想像力を刺激することなどをあげた。
またハードSF的な側面では、幅広い好奇心で専門家からの情報をひろいあげ、また自分でそれを咀嚼して論文にまでできること、ちょっとした思いつきや発想をふくらませてそれを壮大で具体的な絵にすることができること、また具体的な絵に落とすとき、その周辺にも心配りして細部にも手を抜かないこと、科学技術のアイデアを科学者の頭から抜き出して、目に見えるイメージに落とし込むことができることなど。山本さんはそれをわかりやすい科学とよんで、自分の作品では『アイの物語』にクラークっぽさがあると思うと語った。
クラークの翻訳について、酒井さんは、とりわけ短編の翻訳はとても楽しく、クラークを訳すと幸せになるという。「太陽からの風」の折り畳みシートのように、クラークは技術の水先案内人である。中村さんは、クラークのそこはかとないユーモアが翻訳では出しにくいという。英語は難しくないが、日本語にするのが難しい。
クラークを継ぐ作家という話で、山本さんが野尻抱介さんの名をあげたが、これはぼくを含めみんなが同意。派手さのない淡々とした描写の積み重ねでメガストラクチャーをイメージ豊かに表現できるところなど、まさにクラークだ。欧米の作家では、これまたバクスターだということで意見が一致した。
クラークのすごさをあらためて感じたパネルでした。
シミズ・ドリーム 海洋未来都市プロジェクト 竹内真幸
午後2コマ目は、清水建設の竹内真幸さんによる「シミズ・ドリーム 海洋未来都市プロジェクト」。採算度外視だが技術的には実現可能性の高いプロジェクトを、SFファンの視点からどのように見られるかが知りたいとのこと。さすがにプレゼンテーションがうまくて、面白かった。
赤道の海上に浮かぶ都市をつくる「GREEN FLOAT」プロジェクトと、深海底都市の「OCEAN SPIRAL」プロジェクトがあって、それを本当に実現させようと思っているとのこと。人口増、地球環境問題、資源枯渇。だが海を含めて考えればまだ大丈夫。深海力で地球再生というキャッチフレーズだ。
プレゼンテーション資料のCGでは、どうしても未来的なイメージを強調しているが、実際に考えているのはもっと日常的な空間で、土地を提供してその上物は居住者が自由に建てられるようにする。だからごく普通の町並みができあがるのではないかという。食料は自給自足を目指し、水資源のコントロールが必要だが、その分野では日本は進んでいるのでOK。
伝統都市→工業化都市→情報化都市という流れがあるが、GREEN FLOATはこの流れを目指さない。表面的には伝統都市のまま、そのバックに工業・情報がある都市。植物的な都市を目指す。いままでの都市にはヌウの集団のような、同一性のものがどーっと大群で動いていく動物的イメージがあったけれど。
SF的には、こんなスペースコロニー的閉鎖空間で、何かパニックが起こったらとか、テロリストの標的にされたら、とか高層地区の住民と低層の住民、あるいは都市の住民と近隣の島嶼の住民など都市外部の住民(物流やメンテナンスで必要とされるはず)との間に格差や軋轢が生じてどうなるか、とかそんなことばかりが思い浮かぶ。でも夢があって、実現すればいいなと思う。スペースコロニーよりは先に実現するような気がする。
辻真先インタビュー 辻真先 聞き手:日下三蔵
最後は日下三蔵さんによる「辻真先インタビュー」。これがすごかった。1932年生まれだから辻さんは85歳。ぼくらの親世代だ。でもかくしゃくとしていて、言葉もはっきりしているし、とにかく記憶力がすばらしい。そして「野アまどをデビュー作から読んでいる」とおっしゃる。
子どものころにSFならぬ〈空想科学軍事冒険小説〉が大好きだった。好きだったのは蘭郁二郎。海野十三もよかったが、講談社などで書いていたのは国策もので面白くない。譚海に載った『地球要塞』はすごくてびっくりした。『怪塔王』も塔がロケットになる発想がよかった。こんな調子で面白く語られるので全然話が終わらない。
それからテレビ創世記の話。1957年「悪魔の画像」を発表した年、NHKで島田一男原作のドラマのシナリオを担当。しかし本人のおっしゃるには、作家の原作は全く使い物にならない。シーンがAからBへ変わるとあるが、生放送なので、そんなの無理。仕方がないので6時の本読みに間に合わすよう自分ひとりで書いて3時には渡したという。
1963年宝石の宝石賞で次点。子どもの頃は紙芝居作家になりたかったが、その次はマンガ家、次は推理小説作家、次は空想科学冒険小説作家になりたかったそうだ。平井和正さんに手紙をもらったのがきっかけで〈宇宙塵〉に入会。8マンやアトムが始まり、64年には8マンのシナリオを書く。シナリオを書く人を集めたら児童小説作家ばかりが集まって、この中でe=mc2を知っている人はいるか、と聞いたらみんな帰ってしまったとか。このころはアニメといえばSFアニメしかなかった。「おばQ」が来てほっとした。少女マンガの原作も書いた。少女フレンドで谷悠紀子さん「スズラン天使」の原作を書いたが、パリでバレーをする話なのに、作者が「車も飛行機も出さないで」というので苦労したとか。少年キングでは池上遼一さんのマンガ原作を書いた。池上さんはすごく真面目ですばらしい作家だった――。
などとSFの話にならないままあと5分となり、最近の仕事などについて。6月に徳間から『義経号走る』というのが出る。これは北海道でお召し列車として走った義経号の話で、日本初の夜行列車となったのだという。今書いているのは昭和12年に名古屋で開かれた「汎太平洋平和博覧会」の話。これは平和を前面に出した博覧会だったのに、その後すぐに戦争になってしまった。
とても面白いインタビューだった。後で日下さんがいったのは、辻真先さんはペリー・ローダンみたいな人。いくらがんばっても、とても追いつくことができないのだ。
合宿企画
オープニング | シミルボンの世界 | 水鏡子、書庫を語る |
ぼくの知っている、昔のふたき旅館はなくなってしまい、鳳明館森川別館へ。これまた昔ながらの木造の古い旅館だ。
地下の大広間で企画紹介、参加者紹介のオープニング。
ちょっと驚いたのが、シルヴァーバーグの『時間線をのぼろう』が今ごろ出る予定だったのに、編集者いわく「大変だ、伊藤さんが見直すといっている!」とのことで、たぶん6月以後になるだろうとのこと。
合宿企画の最初は本会に続く「もっとクラークを語ろう」。
牧さんが「いわゆるアルヴィン問題」を提起。自分というものは本当に自分の自由意志であるのか、というもの。これは現代SFにも通じるテーマだろう。また「メデューサとの出会い」を例に、クラークはプロットよりも風景を描く方に主題があり、また巨大なものへの畏敬や「崇高美」がそこにある。崇高美とは、異形の、ゴシックな美ということで、それがクラークにつながっている。中村さんはそれを、会話が少なく、メガストラクチャーを崇高な絵画として描くことといい、山本さんはまた、科学的に可能な世界の美であるとして、『乾きの海』の砂の海を走る観光船の描写を例にあげる。
その他、会場の人も含めて様々な感想があがった。クラークの描く不思議な情景、『幼年期の終わり』のオーバーマインドが空中に描く謎めいた情景など、シュールな絵画のようで、ぼくはリチャード・パワーズのイラストのイメージがぴったりくると思った。高橋良平さんは、クラークは具体的な描写はほとんどせずに、例えば数値だけを書いて、あとは読者の絵画的な想像力を刺激してそれにゆだねるような書き方をするという。
『都市と星』と『銀河帝国の崩壊』のどっちが好きかという話もあって、けっこう『銀河帝国』派が多い。ぼくは『都市と星』派(だってSFだもの)。アルヴィンがコピーされて生成されるものなのか、たった一人のユニーク私なのか、というのは確かに大きな問題だろう。中村さんは、今なら物理的にダウンロードするよりVRにしてしまうんじゃないか、始めの方で明らかにVRな描写もあるわけだしという。
『白鹿亭』については、牧さんのように全然面白さがわからないという人もいる。でも中村さんがいうように「あれは本当にSFファンの繰り広げる科学的バカ話で、ほとんど実話」と考えたらいいのでは。
次の企画は鈴木力さんが司会する「シミルボンの世界」だが、これも牧眞司、大野万紀、山本弘と、ほとんど同じメンバー。でも岡和田晃さんがほぼ座を仕切っていた。
シミルボンは電子書籍の取次であるブックリスタにより、電子書籍の販促を目的に作られたものだが、単にユーザ書評を投稿する場というだけでなく、本の話題が広がる場を作りたいとし、批判も可、絶版本も扱って可、本からだけでなく、作家からという視点でもアクセスできる、という方針で作られた。岡和田さんはその最初期からメンバーとして参加している。
書いている人の自己紹介のあと、どんな書評があるか、色々な切り口で実際にアクセスしてみて内容紹介。SF関係はとくに充実している。
会場にいらした評論系の人の発言も刺激的で面白かった。でもそれ以上に、永瀬唯さんの健在ぶりが見られたのが、とてもよかった。
次に、何だか面白そうだったので、小野マサナオさんの「数学で読み解く円城塔」という企画に行ってみた。さすがに人が少ない。最後に残ったのは男性5人のみ。ぼくとBNFの数学者Mさん(きっと間違いないと思うのだが、お名前を確認したわけじゃないので、こうしておく)を除けば、みな若い人だった。
主催者がBoy's Serfaceの話から始める。岩波数学事典にも載ってなくて、英語版のWikiにしかなかったという(実は「ボーイ・サーフェス」で検索すれば日本語でも見つかる)。Youtubeにあった動画を見る。4次元を3次元に投影する不思議なものだ。円城さんはカオスや自己参照をさかんに描いているということと、コンピューターで小説を書こうとしていることから、話は円城塔作品を離れて人工知能と数学の話になる。コンピューターが書く小説ということで星新一賞の話になり、今は書いたものを人間が判断しているが、やがてコンピューターが読んで自分で判断するようになる。芥川賞をとった小説を読ましておけば、その評価関数を見つけて、芥川賞のとれる小説を判定できるようになる。コンピューターが書く、コンピューター向けのエロ小説もあるかも。あいつらはコピーによって増えるのだから、単細胞生物といっしょ。だからそれなりにエロはあるはず。数学関係者に聞けば、偶数は女性で奇数は男性のイメージがあるというが、この場の5人でも全員そうだった。などなど。他にリーマン予想の話などもして、昔ながらのSFファンの科学バカ話って感じで楽しかった。
その後は、同じ部屋で急遽開催が決まった水鏡子の書庫を見る企画。始めプロジェクターを持ち込んだがスクリーンがないので、部屋のTVにプロジェクターのケーブルをつなぎ、それをぼくのノートPCにつないで、写真を表示することにした。TVなので精細に表示できる。
真夜中なのに大勢の人が集まった。彩古さんなど、古本勢の人たちもいる。水鏡子が、どうして書庫を新設したかと話をし、1枚1枚、写真に説明を加えていく。質疑応答もあり、盛り上がった。
後半はなぜか古本極道な人たちが一般人とは次元の違う古本や書庫の話をしていた。企画の終わった大森望さんもやってきて、写真に写った棚の本にいちいち突っ込みを入れる。あれがないのはおかしいとか、何でこんな本があるとか、それって見学会のとき、みんながやっていたことなので、思わず笑ってしまった。
今回のセミナー参加で特に思ったのは、久しぶりに知っている方にたくさんお会いしたのだけれど、名前が出てこず、えーとえーと、となってしまったこと。とても悲しい。名札があっても、メガネを忘れて行ったので(それこそが老化現象だね)、読めなかったのです。
スタッフのみなさん、今年も大変ごくろうさんでした。楽しい会をありがとうございました。