内 輪   第313回

大野万紀


 評判の映画「君の名は。」ですが、新海誠監督がコニー・ウィリス『航路』グレッグ・イーガン「貸金庫」アーサー・C・クラーク『都市と星』にインスパイアされたとのことで(ある書店では、こんな手書きポップを作っていました)、これは見なくちゃいけないと思って、行ってきました。若いカップルがいっぱいで場違いな気分。でも映画が始まると、その世界に入り込み、みずみずしい恋愛映画として堪能しました。良かったです。監督にはずっと前にSFセミナーで会ったことがありますが、この作品についていえばSF性はそれほど重要じゃないと思います。
 ところで、過去に戻って何かをする時間テーマSFは、今では完全に並行世界テーマに置き換わると思っているのですが、この作品も同様。そうなると「救われたのはどの世界」問題が残るので、いつもそこが気になります。もっともこの作品ではSFじゃない解釈も可能かも知れませんが。
 映画を見た後、ツイッターで「もしかして…、わたしたち…、入れ替わってるー!?」大喜利を目にしました。一番ギョッとしたのが「本番データベース:もしかして… 開発データベース:わたしたち… 入れ替わってるー!?」って、そんな心臓に悪いこと言わないでください!
 もう一つ、映画の話。「シン・ゴジラ」について。大ヒットしてたくさんの人が真面目に議論しています。中でも日経ビジネスオンラインの特集は、力の入れ方がすごい。専門家たちのネタバレ議論が全開で(つまらないのもあるけど)とても面白い。そこでも指摘されていたけれど、前半と後半では観点ががらりと変わっているというのは重要だと思いました。一言で言えば前半はくそ真面目、後半はオタク度大爆発というところでしょうか。実はどちらもマニア気質の表れには違いないのですが、後半のようなバカSF的展開が、一般の真面目な観客にも拒絶されなかったというのが、すごいことなのではと思いました。ところで、ゴジラ第二形態に「蒲田くん」と名前が付いて大人気ですが、初め見たときの印象がまんま「のたうお」で、そうしたら吾妻ひでおさん本人がこんなのを作ってるじゃないですか! やっぱりそうだったんだ――!

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ケレスの龍』 椎名誠 角川書店
 椎名誠が『武装島田倉庫』からずっと描き続けているSFの連作「北政府」シリーズの最新長編である。
 今度はタイトル通り、ついに宇宙へ進出だ。傭兵あがりの凄腕、おなじみの灰汁銀次郎も登場する。なおケレスであってセレスじゃないのは年寄りの証拠かも。とはいえ、なかなか宇宙へは出ない。そして宇宙に出たと思ったら、あっさりと終わってしまった。
 作者が一番力を入れて書いているのは、戦争が終わって荒廃した世界と、そこでたくましく生きる人たちの姿だ。いったん秩序が崩壊した後のバラバラになった世界で、ガラクタに囲まれ、過去の宝を掘り出し、得体の知れない食物をうまそうに食い、亡くなった者たちを追悼し、バラックの町で活気に満ちた生活を送る。そして奇怪に変化した不思議な生物たち。迷宮と化した世界。オールディスの『地球の長い午後』(の伊藤典夫の翻訳)は、日本SFにずいぶん大きな影響を残しているのだなと思わせる。みんな、こういう変異した異形の日常が大好きなのだ。ぼくも大好きです。どこか懐かしい、ノスタルジーさえ感じさせる世界。それは、戦災や震災後の、日本人の原風景に通じるものなのかも知れない。椎名誠だけでなく、小松左京にも、世代は違うが北野勇作にも同じものを感じる。
 物語は、灰汁と仲間のカンパチが、ある村の村長に雇われて怪しげな仕事を手がけるところから始まる。その仕事を(村長の意図とは違うが)片づけると、今度はすりばちホールと呼ばれる巨大ゴミ処理場(のような発電所)で働く若者たち三人とチームを組んで、脂玉工場から誘拐された経営者の孫娘を救出する仕事を請け負う。この誘拐犯というのが、生体兵器ドロイドの少女をリーダーとする三人組で、どうやらまた戦争の火種を起こそうとしているようだ。灰汁らは彼らに攻撃をしかけるが、あと少しというところで三人組は宇宙へと脱出してしまう……。ここまでは、いかにもなシーナ・ワールドで、例によって科学的・SF的な説明にはちょっと無理があるのだが、それは全く気にならない。とても面白く読める。
 でも本書はこの後、少し雰囲気が変わる。戦争の影響をあまり受けずに発展した赤道や南半球の世界があり、そこでは宇宙エレベーターがいくつも作られ、まるで本格SFのような未来世界が展開しているのだ。灰汁たち五人は、逃亡したドロイドたちを追って、まるで観光旅行のようにエレベーターに乗り、宇宙へと向かう。ここでは宇宙SFっぽいタームがたくさん出てくるのだが、そうなるとちょっと使い方が気になってしまう(例えばエレベーターに動力はいらないとか、近隣惑星の引力を利用した超スイングバイとか)。そういう引っかかりが多くなり、またアクションが減って、彼らが何をしているのか、わかりにくくなる。そして結末は……ちょっとこれはあっけなすぎて拍子抜けだ。続編があるのだろうか。

『スペース金融道』 宮内悠介 河出書房新社
 書き下ろし日本SFコレクション『NOVA』に収録された4編と新作1編を含む連作短篇集。
 帯にも「新本格SFコメディ誕生」とあり、『NOVA』で読んだ時もすごく面白かった印象があるので、家人に面白いから読めと先に渡したら、「どこが笑うところかわからんかった」と返された。もう関西人はこれやから、と思ったが、改めて読み直すと、本当だ、ベタな笑いはどこにもない。あえていえば「人間喜劇(アンドロイド喜劇?)」とでもいうべき、どうしようもなく、泣くに泣けない愚かさや不条理さの中での苦笑いといったものだろう。
 タイトルが『スペース金融道』で、宇宙だろうと深海だろうと零下190度の惑星だろうと、取り立てるのがモットーだ、というから、マンガっぽいものを思い浮かべるがのだ。でも本書の主人公であるマゾヒスティックな「ぼく」も、サディストとしか思えない上司のユーセフも、やっている(やらされている)ことはえげつないが、いわゆるこわもての取り立て屋タイプじゃない。二人とも実は天才的頭脳と技術の持ち主なのだ。だからかえって笑えない。
 本書のポイントはそっちじゃない。人類とアンドロイドが共存し、差別や制約はあるがアンドロイドの大統領までいる世界で、さらにそれ以外の、仮想世界の中の存在まで含む様々な知的生命たちが、憎悪や矛盾を抱えながら、どう互いにその存在を認め合っていくか、そういう物語であり、さらにいえば、知性がどうとかいう以前に、自立し暴走し、人々(人じゃないものも含む)を悲劇のどん底にも幸福の絶頂にも追い込む、恐ろしい仮想現実の物語である。その仮想現実とは、ずばりお金だ。それも具体的な現物の価値を離れて仮想化した、金融、投資、取引のお金のことだ。リアルなモノや経済の実態から乖離した、数字だけの金、それは抽象的で仮想の存在であるにもかかわらず、リアルな現実世界へ不条理ですさまじい暴力的な影響を及ぼす。別に未来やSFの話じゃなくて、もうずっと昔からの現実の話だ。本書のテーマは金融という、VRでどうこうというレベルを遥かに超える仮想とリアルのせめぎ合いにある。その本質は欲望であり、ギャンブルである。それが本書では人間のグローバルネットや、アンドロイドの暗黒網(ダーク・ウェブ)にある〈無意識〉と重なり、イーガンとは少し別の観点からの、とてもハードな本格SFとなっているのだ。
 その昔(今もか)物理学をやった優秀な連中がこぞって金融業界へ入っていったことがある。ぼくは経済学はわからないし、まして数理経済学なんて全然ピンと来ない人間だが、例えば次のようなフレーズ。
 「前提としたのは、価格の変動を運動量として見たとき、それが光に比べて非常に遅いということだ。実際の人間の取引においては、それで問題ない。だが、秒あたりの取引回数が無尽蔵に増えた場合――価格の変動が限りなく光速に近づいたとき、量子金融工学はアインシュタインの相対性理論の影響を受ける。相対論の影響を受けるとは、何を意味するのか。ブラックホール解が出現する。金融商品の群れがシュヴァルツシルト半径を割り込むと、計算上、光すら抜け出せない地点が発生する」(「スペース金融道」P50)。
 何を言っているのかわかりますか? もしかしたらこういうのが笑うべきところなのかも知れない。でもすごくSFじゃないですか。かっこいい。
 書き下ろし「スペース決算期」では小説のフォントが歪み、幻想的な画像と一体化する不思議で美しい描写がある。傑作。

『サピエンス全史 上・下』 ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社
 著者はイスラエル人の歴史学者。2014年時点から、ホモ・サピエンスの歴史とその文明の主要な構造、そして現代と未来までを見すえる、ベストセラー。まあ文明論の本だ。語り口が面白く、読みやすく、著者の主張もまあおおむね納得がいくのだけれど、雑といえば雑。かなり首をひねるところもある。結末では「超ホモ・サピエンスの時代へ」としてサピエンスを越える人の未来が語られるのだが、一言いわせてもらえば、もっとSFを読みなさい、というところか。
 それはともかく、著者が主張するホモ・サピエンスが繁栄できた理由とは、第一に「認知革命」。単に言葉をもっただけでなく、抽象的な認知ができて、虚構=フィクションを集団内で共通化できたことを挙げる。うん、これはとても大事なことだと思う。その後の議論も、そこがベースとなっている。つまり、神だとか、集団の方向性だとか、そんな具体的には存在しない虚構を信じることによって、人々が協力し生きることが可能になったという。その虚構には、宗教、国家、国民、企業、法律、貨幣、信用、そして人権や自由、平等といった概念も含まれる。いってみればそれらはみんな「SF」だということかも。
 狩猟採集民としてそれなりに豊に生きていたサピエンスは次に「農業革命」を迎える。農業、牧畜、定住、都市、国家。それで大人口を養うことは可能となったが、個々の人々にとっては狩猟採集の時代より明らかに不幸になったのではないか、と著者はいう。「ホモ・サピエンスが小麦(や稲やジャガイモなど)を栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ」という視点は面白い。共進化ということか。狩猟採集時代の自由を失い、栽培植物に縛られ、それに奉仕する存在になったのだ。このために記録が必要となり、文字が生まれる(本書では「書記」と書かれている)。これも大きな変革だ。本書ではそこで「想像上のヒエラルキーと差別」という章がおかれ、想像上の秩序を維持しするための、階層が作られたことを描く。必ずしも古代の話ではなく、アメリカの奴隷制や現代の差別にまで話が及ぶ。虚構による組織化には、いい面も邪悪な面もあったということだ。
 続いては究極の虚構である「貨幣」と「帝国」が語られる。古代帝国からアメリカ帝国まで(「帝国」ということばは、ここでは複数の民族を共通の価値観をもって支配する主体といった意味で使われている)、どのようにしてサピエンスは統一へ向かったかが語られる。近代以降の、ヨーロッパによる覇権は、帝国、科学、資本の三位一体によるものである。下巻で描かれる「科学革命」の章で、資本主義のポイントとなる、「未来は現在より豊かになる」という虚構への信頼=信用が、どのように帝国、科学(技術)、資本の中でフィードバックループを形成し、現代の世界を作り上げてきたかが論点となる。そのことが果たして人々を幸せにしたのか、という点も著者がくり返し議論する点である。やや驚いたことに、著者は2014年現在を、大多数のサピエンスにとって、個別の例外は多数あっても、これまで以上に平和で幸福な時代として描く。ただし未来はわからないが。
 最初に書いたように、この後著者は、未来のサピエンスについて、技術的なブレークスルーによる超人類の発生までを見通す。面白いんだけど、やっぱりこのあたりは現代のSF作家の方がむしろ深いビジョンをもっているように思えるのだ。

『エターナル・フレイム』 グレッグ・イーガン 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 『クロックワーク・ロケット』の続編。〈直交〉三部作の第二巻。イーガンの新作はとにかく難しいと思っていたが、いや実際とても難しいのだが、その最難関の別物理法則宇宙での量子力学発見パートが意外に読みやすいというか、わかったような気分になって読めるということがわかった。もちろん、わかったような気分になるということであって、わかるわけじゃない。ちゃんとわかるためには、数式を立てて追いかけないといけないだろう(それだけの内容がある)。図やグラフも多いが、これは何を表現しているかを意識してから見ないと、かえって意味不明で混乱すると思う。
 本書に限っては、ネタバレだろうと何だろうと、解説(訳者あとがきと、前野[いろもの物理学者]さんの解説)を先に読むことをお勧めする。これは量子力学の、粒子と波動の二重性の発見の物語なのであり(もちろんこちらの世界の量子力学とは別物なのだが)、結果の法則が所与のものとしてあるわけじゃないので、登場人物たちといっしょにその発見を喜ぶことができるのだ。解説はその助けになる。現実のニールス・ボーアなどの物語とパラレルに描かれているので、何となくわかった気分になれるのだろう。そのころはこちらの世界でも今みたいな電子機器なんてなかったからね。
 なお、距離や時間や素粒子に関する述語がこの世界の独特なものであり、こちらの世界とは微妙に意味が異なるので、それを頭にいれておかないと混乱する。とくに、物理学を多少は知っていると思っているようなしろうと(ぼくのことだ)は、時々勘違いして迷ってしまいがちだ。
 量子力学の発見、レーザーの原理、生物学方面では遺伝子(?)の発見などなどが描かれる。基本的に発見の物語なのだが、そこにこの世界〈孤絶〉(山ひとつを宇宙船にした巨大世代宇宙船)での、性差と社会の問題がからんでくる。ストーリーを動かすのは、主にそちら側の問題だ。とりわけ後半では、革命的な発見による社会の混乱と変革が中心テーマとなる。
 物語の舞台は、前作『クロックワーク・ロケット』で、科学技術面の新たな発見をして故郷の惑星を救うため、そのための時間をかせごうと〈孤絶〉が飛び立って数世代の後の〈孤絶〉内。この世界の物理では、いわば〈逆ウラシマ効果〉により、宇宙船が長い旅を終えて故郷に戻っても故郷での時間はほとんどたたないのだ。閉鎖社会でのリソースの限界と生理学的条件により、この世界の女性にとってとりわけ過酷な生活が続く中、物理学の分野における女性科学者たちの活躍と、生物学(というか、かれらの生殖に関わる革命的な発見)の物語が描かれる。これほど見た目も生理も異なる異星人なのに、思考は人間と同様で理解できるものなので、かれらの苦闘はわれわれの問題として、そのまま感じ、理解し、感動することができる。
 それにしてもこの世界の生殖って、さすが異星人! この世界の男性には、女性をいたわり、子どもを育てることしか存在意義はないのに、それでも夫婦(?)愛や、その一方で女性への威圧がある。変革のあと、いったいどうなるのだろう。
 ずっと昔に、一般向けの数学の本で、ハミルトンの四元数の話を読み、おおっ、これはSFだと思ったことを思い出す。何とこの数学って、こちらの宇宙を記述するよりも、イーガンの〈直交〉宇宙を記述するためにあったものなのか。すごい予言的だ!四元数だけに。 (たぶん違います)

『地獄八景』 田中啓文 河出文庫
 2001年の『SFバカ本』に掲載された短編「地獄八景獣人戯」と、2006年の「週刊アスキー」に掲載された中編3編「地獄八景探偵戯」「地獄八景男女戯」「地獄八景白球戯」、2009年の『異形コレクション』に掲載された短編「地獄八景笑芸戯」、さらにショートショートに近い「地獄八景人情戯」「地獄八景兵士戯」「地獄八景科学戯」の書き下ろし3編を収録した、オリジナル編集の短篇集である。
 すべて、地獄が舞台だ。それも三途の川が流れ、血の池地獄や針地獄があり、閻魔様が裁きを下す、あの地獄である。もちろん上方落語の「地獄八景」がベースにあるが、要するにグロとダジャレとドタバタで、そこにかなりの人情と熱血と愛情も含まれている。もっとも舞台が地獄なので、ぐちゃぐちゃグログロになっても、それはデフォルト。そんなもの、ここでは日常であり、当たり前なので、衝撃的なえげつなさは控えめ。
 そのぶん、「探偵戯」のミステリ、「白球戯」の熱血スポ根、「男女戯」の純愛(!!――まあ地獄なのでSMだけど)がインパクトをもち、読み応えがある。
 「探偵戯」は何と本格的なハードボイルド・ミステリ。地獄で殺人事件! 賽の河原での鬼の猟奇殺人と、血の池地獄で吸血鬼の溺死体。二つの事件に関係はあるのか。そして閻魔庁の密室から浄玻璃の鏡が盗難。閻魔大王の依頼で、地獄一の私立探偵が捜査に乗り出す。これ、ちゃんとマジな解決があるんだよ。面白かった。地獄と天国で住人から編成された野球チームが対戦するという「白球戯」も読んでいるうちに何だか熱くなる展開で、感動(?)的。
 短めの作品の方にはより従来の作者らしさが現れていて、解説の大森望も書いているが「獣人戯」のダジャレ爆発のアホらしさはもう最高。西遊記かと思ったら、何で水戸黄門やねん!このオチの脱力感ときたら、ひっくり返る。
 ショートショートでは「科学戯」がいい。これはハードSFです(きっぱり!)。
 ところで「人情戯」のオチのダジャレだが、一つは曾根崎心中とすぐわかるが、もう一つがわからなかった。しばらく考えて、はっ、森進一かとわかったけど、ちょっと古いんちゃうか。


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