内 輪 第306回
大野万紀
今年はハーバートの『デューン』が出て、ヴァーリイの『さようなら、ロビンソン・クルーソー』が発売され、ヴォークト『非Aの世界』、ティプトリーの『あまたの星、宝冠のごとく』(これはほとんどが初訳)、スラデックの『ロデリック』、そして今月は、コーニイの『ブロントメク!』に、コードウェイナー・スミス『スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)』が発売されて(もう発売されたかな)と、いったい今年は何年だ、というような★嬉しい★状態が続いています。まあ、そういう巡り合わせなんですね。
コードウェイナー・スミスの『スキャナーに生きがいはない』には、解説を書かせていただきました。もう大好きな作家なので、書いても書いても止まらず、削るのに大変苦労しました。第1巻は〈人間の再発見〉以前のお話が収録されています。初訳も2編あり。これは全3巻で、〈人類補完機構〉シリーズ全中短編がおよそ未来史の年代順に収録されます(例の超ぶ厚い、コードウェイナー・スミスの完全版
The Rediscovery of Man (1993)の全訳なのです)。そして2巻『アルファ・ラルファ大通り』(たぶん夏までには発売)には、あのク・メルが登場!
いやあ、40年前の自分に教えてやりたい。40年前、初めてク・メルに出会ったとき、その気持ちをどう表現したらいいのか、ぴったりする言葉がなかった。昔はそんな言葉、なかったんだもの。今ならある。それは★萌え★だ!
ク・メルだけじゃないよ。コードウェイナー・スミスはとにかく萌えポイント高いよ。1巻の「マーク・エルフ」にでてくるマンショニャッガーなんて、恐ろしい殺戮機械だけど、空から降りてきたドイツ人美少女を前にしてしどろもどろになっちゃう。もう可愛いったらありゃしない。
というか、コードウェイナー・スミスの最大のポイントは、そこにあるのではないかと思うんです。もう半世紀以上も前に、猫や美少女や、メカや戦争や、冷酷非情な政治や体制を、オタクのおもちゃのように描いてしまった点。あちらでも昔は(一部の熱狂的なマニアを除き)決して高い評価を受けていたわけではなく、むしろ日本で評価が高いのは、そのせいではないかと思ったりします。
現代の倫理観やジェンダー感からすれば、ちょっと眉をひそめるような描写もあるけれど、表面的な言葉の裏にあるものまで読みこむとするなら、当時の状況でここまで書いていることに、逆に凄みを感じるのです。
2巻『アルファ・ラルファ大通り』の解説も書かせていただける見込みなので、今度はそんな、日本でのスミスの受容史についても書いてみようかと思っています。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『妖怪探偵・百目(3)百鬼の楽師』 上田早夕里 光文社文庫
三部作の最終巻。ついに最悪の妖怪〈濁〉と、拝み屋・播磨遼太郎との最後の戦いが描かれ、その決着がつく。
もともとの主人公だった百目と邦雄は脇役に転じ(重要な役には違いないが)、これまでひたすら暗く、あまり共感のもてなかった播磨遼太郎が、その隠れた素顔を見せ、強烈な力を発揮する。
彼と、妖怪も人間も共に喰い尽くそうとする最悪の敵、〈濁〉との戦いは、単に二者の技を駆使した異能バトルというだけでなく、様々な心理戦や協力者たちの技や思いも加わって、重層的で多様な展開を見せる。
前哨戦があり、最終決戦がある。最終決戦ではまさに人間と妖怪がともに手を結び、妖怪にとって不倶戴天の敵である播磨とも協力して〈濁〉に立ち向かう。この時の妖怪たちの戦い方がすばらしい。歌舞音曲、笑い、踊り、宴を極める。暗く澱んだ〈濁〉の怨念に対して、ハッピーでひょうきんな笑いをもって対抗しようというのだ。弱小な妖怪の中には怖がって引っ込む者もいるが、そんなひ弱な妖怪の存在も許容し、楽しくバカ騒ぎをする妖怪たちの可愛いこと、頼もしいこと。
基本的に怖いものである妖怪が、人間と共存し、楽しく面白く生きる。まさに水木しげる的世界だといえるだろう。こんな、”すこしこわい”妖怪たちとの共存は、今のわれわれにとってごく自然で普通のあり方ではないだろうか。
それは、『ぼぎわん』のような、本当に怖いホラー世界の妖怪とは一線を画しているように思う。
ところで、本書の最後で明らかにされる未来のイメージは、いわばSFとファンタジーが溶け合うところであり、このシリーズにずっと重なり合っていたSF性がここにきてぐっと濃くなり、全体を覆っていく。このシリーズはSFとして読み直すことも可能なのだ。
『異種間通信』 ジェニファー・フェナー・ウェルズ ハヤカワ文庫SF
新人作家の処女作で太陽系内での異星人との接近遭遇を描く、宇宙サスペンスSFだが、ストーリーはほとんど異星人の巨大宇宙船の内部でのみ進む。
この宇宙船の中がまるで廃墟のよう、ダンジョンのようで、知的生物は見あたらず、いるのは危険なナメクジみたいなモンスターばかり。
NASAの探査チームがコンタクトを試みるのだが、知的な異星人とテレパシー的にコミュニケーションができたのが、本書のヒロインであるジェーンのみ。6人のチームも疑心暗鬼にかられ、意見があわず分裂気味。特にリーダーのウォルシュがジェーンと敵対する。そんな中で彼女に密かに心惹かれているベルゲンは、やたらと彼女の味方をするが、ますますチームの分裂と動揺は深まる。
異星人はというと、クルーの前にはちっとも姿を見せず、ジェーンの声を借りて話すばかり。それでジェーンが乗っ取られてしまったのではないかと疑われてしまうのだ。
ダンジョン探検風な巨大宇宙船内での冒険や、様々な危険、そして饒舌だが謎めいた異星人など、SFサスペンスとしては十分に面白い。でもまあ、映画「エイリアン」っぽいというか、そんなことをやっちゃダメだろうということをやってしまうという、いわばホラー映画の定石みたいな展開が目立つのと、やっぱりこの登場人物たちにはあんまり共感できないなあ。
本書に限らないが、主人公の行動原理が理性や合理性よりも感情優先で、直情的に自分の気持ちのままに突き進むという物語が、エンターテインメント小説の波乱万丈なストーリー展開を支えている場合が多いように思う。それに反対する相手は理屈ばかりいう嫌な奴、体制の言いなりになるルール優先で保守的な邪魔者、ついにはそこに悪意を見たり、敵として扱ったりする。
彼や彼女は自分の行動を立ち止まって考えたりしない。それが誰かを助けるため、あるいは自分を守るため、さらには自分が自分自身であるために必要な行動だと思い込み、自分を疑うことがないからだ。その気持ちはわかるし、応援したくなる場合もあるけど、たいていの場合、やばいことになるよね。
本書の場合、それにロマンス小説の原理(情熱こそが最優先――あえて愛とはいわない)も重なっている。そんな主人公たち二人にはついていけないよ。まあ他の連中もあんんまりおともだちになりたくない連中ばかりだけど。この「シーフード型」異星人も含めてね。
『ラグランジュ・ミッション』 ジェイムズ・L・キャンビアス ハヤカワ文庫SF
原題はCORSAIR (2015)、つまり海賊だ。
宇宙海賊。ロマンチックで何かすごく大時代なスペオペや、それを現代風にしたニュー・スペオペを思わせるが、これは近未来テクノ・スリラー。これが意外にというか、とても面白かった。
作者は1966年生まれ、2000年のデビュー短篇がティプトリー賞候補、ジョン・W・キャンベル新人賞候補となり、2014年の初長編がジョン・W・キャンベル記念賞第二席、ローカス賞第一長編部門第二席と、実力ある若手(かどうかは別にして)アメリカのSF作家である。
舞台は2030年の地球。宇宙海賊テーマであるが、月で働く宇宙飛行士を除けば、登場人物はみんな地上で活動する。宇宙で動くのは無人機だ。月から採取したヘリウム3を地球へ輸送する無人輸送機(これが海賊の狙うお宝だ)、それを奪取しようとする海賊衛星、阻止しようとするアメリカ空軍の衛星。ただし、宇宙条約により武器を使って相手を破壊することは禁じられているので、戦いの手段は基本、電子戦である。海賊側も輸送機のコントロールを奪って任意の海域へ降下させることが目的なので、物理的な戦いではなく、ハッキングの技術が要となる。
その「宇宙海賊王に俺はなる」という中二病的な天才がデビッド。宇宙海賊ブラックを名乗り、暴力的でこそないが傲慢で、世間の常識や法律には従わず、ハッカー技術を生かして自由気ままに暮らしている。これまでも輸送衛星からヘリウム3を奪取し、闇ルートで売買して莫大な富を手に入れている。
その彼に謎の組織が接触し、新たな犯罪をもちかける。それに立ち向かうのが、実はデビッドと学生時代に関係のあった、アメリカ空軍のエリザベス。だが軌道上でのクラッキング合戦の初戦は、エリザベスの完敗だった。彼女は責任を取らされて軍から離れ、民間企業の衛星ベンチャーへ出向させられる。かくてデビッドとエリザベスの因縁の対決と、その背後に暗躍する謎の組織、そしてそこになぜか脳天気なヨット旅行の女子大生がからみ、頭脳と陰謀の交錯する戦いが繰り広げられる。
だが、組織の目的は単なる金銭目当てのものではなかったのだ。それはさらに巨大な陰謀の幕開きだった。
というわけで、とても楽しく読めるハリウッド超大作風の娯楽SFである。解説で小飼氏が書いているとおり、お宝がヘリウム3だというのがちょっと時代遅れな感じだが、宇宙に出ない宇宙海賊、物理的な戦いではなくITでの頭脳戦というところが現代風でリアルな雰囲気があり、かっこいい。何より主人公である悪役のデビッドがいい。悪ぶっているが意外に純情で、可愛いところもある。エリザベスも怖い姉ちゃんの役だが、挫折を乗り越えて強い意志をもって挑んでくる。それに謎の組織のリーダーであるガバミ大佐もいい。彼なりの大義を抱えていて、冷たく非情ではあるがむやみに残酷ではない。そして決定的なところで妙な関わり方をする、のーてんき女子大生のアン。コミカルなところも多く、エンターテインメントとして堪能しました。