内 輪   第305回

大野万紀


 いよいよ2月26日にジョン・ヴァーリイの〈八世界〉全短編2『さようなら、ロビンソン・クルーソー』が発売になります。収録作は発表順なので、1976年の「びっくりハウス効果」から1980年の「ビートニク・バイユー」までの6編です。浅倉久志さんとの共訳になりますが、大野万紀訳の3編は新訳および改訳版です。おまけにつけた〈八世界〉年表は、京フェスで発表したものの改訂版、新たに用語集も作りました。どうぞよろしくお願いします。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ガンメタル・ゴースト』 ガレス・L・パウエル 創元SF文庫
 英国SF協会賞を『叛逆航路』と同時受賞したイギリス作家の歴史改変・痛快冒険娯楽長編SF。シリーズの第一作となった作品だ。これ、めちゃくちゃ面白い。ぼくとしては『叛逆航路』よりこっちの方が好み。
 舞台はイギリスにフランスが吸収されて連合王国となってから百年後の2059年という、改変世界のヨーロッパ連邦。国王暗殺未遂事件やら、中国との核戦争が勃発しそうだったりと、なかなかきな臭い様子。だがインターネットではみんなネットゲームに夢中だ。それが第二次大戦を舞台にした不死身のエースパイロット、アクアク・マカークが主人公のゲームだった。ちなみに本書の原題がそれ、ACK-ACK MACAQUEで、どうして日本版は『ガンメタル・ゴースト』というタイトルになったんだろう。
 いやあ、このマカークがとにかくかっこいい。隻眼、葉巻に二丁拳銃。でも、人間じゃなくて、サル。マカークだから当然だけど。サル年にぴったりのサルSFだ。ところが彼は、自分が現実世界ではなく、サイバースペースの存在だと知ってしまう。そして現実世界の方へ現れ出るのだが、こっちでもやっぱり颯爽と大活躍だ。
 ストーリーはけっこう複雑で、英国王子とその恋人の冒険譚、夫を殺され、自分も何ものかに命を狙われるジャーナリストの戦い(彼女こそ本書で一番のヒロインといっていい。何しろ孫悟空の如意棒のような棒術を使って敵をばったばったとなぎ倒すのだ)、記憶と人格をアンドロイドの体に移して世界征服を企む悪の勢力――笑い男、という凶悪な殺人鬼の造形がいい、巨大な原子力飛行船――それは国家とは独立した存在となっている――を所有し、ヒロインたちを助ける年老いたロシア生まれの提督。そんなこんなが渾然となって、息もつかせぬアクションと冒険を繰り広げる。
 ところで、改変歴史ものにビートルズとかパンクとかYou Tubeとかが出てくると、ぼくなんかはちょっとぞわぞわとしてしまうのだが、今時の読者は気にならないものなのだろうか。まあ、これも「翻訳」だと思えば問題はないのだけれど。
 後半はちょっと無理やりな展開で、ハッピーエンドを迎えるのだが、これはこれで悪くはない。続編も読みたいと思わせる。
 巻末に、本書の原型となったという短編が収録されている。これが本編と雰囲気は全然異なり、ピリピリするような、痛くて切ない青春小説となっている。ここでも仮想世界のマカークは大活躍するが、それが現実に侵食してくる。長編版とは全く違うタイプだが、こちらも好きだ。

『天冥の標 9 ヒトであるヒトとないヒトと PART1』 小川一水 ハヤカワ文庫JA
 ストーリーは続いている。大きな展開がある。でもまだPART1だし、何をいってもネタバレになってしまう。
 8巻から未知の領域に入ったこのシリーズだが、今回はその謎解きその1という感じ。ストーリーそのものはまだ大きく動かないが、謎だったものがあっちでもこっちでも明らかになってくる。その最たるものは、あの二人(とその背後にあるもの)の正体、〈救世群〉の咀嚼者(フェロシアン)たちが何をしようとしているのかという、その真の目的、そしてカンミアの女王とミスン族の覚醒だ。
 本書は5つの章と断章からなり、5つの章はそれぞれが、ヒト、ヒトの中のあれこれの変種、ヒトではない異種族、それぞれの観点で物語が語られる。断章はもちろん、あの超知性体の話だ。
 いやあ、大変なことになっていますなあ。ドラマが大きく動くのは、セアキ、ラゴス、イサリ、ユレインといった主人公たちが、単独で戦っていたアクリラと出会うところだ。バラバラに語られていた物語が収束し、外側の大きな(それはもう大きな)動きとからまりあって、次の展開へとつながっていく。ここで、キャラクター的には、アクリラの強烈な個性が光り、イサリとセアキがその光を受けてそれぞれの決断をし、動き出す。ううん、とりあえずはこの続きを早く読みたい。

『ユートロニカのこちら側』 小川哲 早川SFシリーズJコレクション
 第3回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。評判が高かったが、やっと読んだ。えー、この作者、本当に28歳なの? 何とまあ達者な。筆力的には完全にプロ作家じゃないですか。もっとも、ドラマがもうひとつ盛り上がらないのはわざとなのか、突っ込み不足なのか。
 ほぼ近未来の北米が舞台(一部日本も出てくるが)で、大きなテーマとしてはすべての個人情報、プライバシーを(自由意志で、契約により)共有しビッグ・データ化するという流れ、その先にある自由意志というものの消滅がある。それがアガスティアリゾートという、サンフランシスコ沖にマイン社が運営する、半ば独立した特別区だ。1984的な管理社会によるディストピアのようにも見えるが、それが個人の自由意志によって、納得の上で実現されるわけで、考え方によればユートピアでもある。だがそれが成立する根拠は、少し弱いように思える。
 自由主義的・資本主義的な社会の中で、個人情報の収集、共有を何のために行うのか。まず第一にはそれを広告に、商売に使うためだろう。しかし本書ではそれよりも、社会の安全を守るため、犯罪を未然に防ぐためということが前面に押し出されている。わかりやすいといえばわかりやすいが、もうひとつ納得し難い。それで誰が得をするのか。人々の意識がプライバシーよりも公共性を優先するようになるには、何らかの大きなきっかけが必要なのではないかと思った。
 むしろ、そういう公共性よりも、Google的な、とにかく何でもかんでもデータベースに取り込まなくてはいられないという特定の人々の強迫観念的な強い意志が、社会的リスクや利害よりも優先しているように感じた。そう考える方がリアリティもあり、SF的でもある。アメリカのギークなSF作家たちの描くテーマ性でもある。
 北米が舞台でアメリカ人たちが主人公ということもあり、読んでいて日本の作品というより、そういう最近の海外SFを読んでいるような気分になったものだ。しかし、本書の読後感は、そんなSF的なテーマ性よりも、むしろ親子関係を中心にした家族の物語としてのものである。さらにそこに、キリスト教的な倫理観が強く反映している。
 本書は6編のゆるやかにつながった物語が描かれており、中では殺人事件も起こるのだが、妙にクールで、善悪の決めつけがないのはいいとしても、どこかもやもやした感じが残る。巻末にSFコンテストの選評がついていて、本書に関しては東浩紀の評に近いものを感じた。それにしてもこれがデビュー作なんてすごい。大賞受賞には納得で、次回作にも期待だ。

『クロックワーク・ロケット』 グレッグ・イーガン 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 ぶ厚いハードSF三部作の第一巻。なるほど、ベイリーの『時間衝突』をハードSFにしたらこうなるのね(ウソです。でも大体あってる気もする)。
 本書は大きく3つの観点から読むことができる。というか、そんな風に書かれている。
 一つは、物理法則の違う世界をその物理学をしっかりと展開することで描こうとするもの。こちらの物理学が空間次元3つ、時間次元1つでできているところを、時間軸も空間軸と同様に直交して真の(単純な)4次元であればどうなるかを考察する。たったそれだけ(というな!)で、どれだけ世界が変わり、あるいは変わらないか。
 図表を使ってそれを説明するところが何ページにもわたって出てきて、作者が実際はそこに一番力を注いでいることがわかる。ここは本当に面白く、単純な式の変更がどれだけ様々なところに影響し、それがどう見えるのかがわかる。単純な幾何学で、幾何学的にすっきりするのだ。理科系に進む高校生以上の読者には、ぜひ練習問題として読んでみてほしいところだ。
 ただし、図形だけではかえってわかりにくいところもあり、簡単な式を立てればこちらの世界の物理学と比較してわかりやすくなるところもあるだろう。力学系の説明はとてもわかりやすいのだが、本来この世界が大きく異なるのは光の性質であり、つまり特殊相対性理論の領域である。ここは本文だけではちょっと難しいように思えた。さらに、時間が空間化されているにもかかわらず、物語の性質として時間は一方向に流れなければならず、それをエントロピーで説明している。このため、エネルギーの意味を見直す必要が出てきて、そのあたりはちょっとややこしい。ぼくもすぐにはわからなかった。頭の切り替えが必要だろう。しかし、とても挑戦的で面白い部分だ。
 もう一つ、力が注がれているのは、異星の生物の生理、生態と社会(家族)構造について。これもけっこう複雑で、すぐには頭に入ってこないが、じっくり読み込めばいろいろと議論ができるように書かれている。とりわけ異質なのが彼らの性の役割で、しかもそれが物語の本質に関わってくる。
 彼らの姿は人間型だが、手足を自由に生やしたり、お腹をホワイトボードみたいにしてそこに図形や文章を表示できる。はじめ何だかスライムみたいな存在を思い浮かべていたのだが、ネットで「バーバパパ」と呼ばれているのを見て、もうそれ以外では想像できなくなった。
 そして三つ目が、因習的な田舎に(障害者というわけではないが)異質な存在として生まれたヒロインが、様々な困難に立ち向かい、知恵と友人たちの協力によって、世界を救おうとする物語。とても古典的でわかりやすく、しかも後半では世界を救うためのプロジェクトストーリーとなる。その描き方はおそろしく人間的であり、バーバパパたちの話であることは忘れてしまう。立ち向かわなければならない社会的な困難はすごくリアルで、プロジェクトの進め方も(いかにも理想的なそれではあるが)納得のいくものだ。
 三つの方向性はそれぞれが関わりあっているので、決して直交はしていないが、読者の興味によって他の観点はあえて無視しても、別々の三つの読み方ができ、しかもそれぞれが面白い。とりわけ、小説としては三番目の物語がしっかりしていて読み応えがあるので、細かなハードSF的観点を深く追求しなくても十分に面白い。
 実際問題として、第二の観点に関してはSFであれば物語に普通に溶け込むことができるのだが、第一の観点はかなり直交性が高く、われわれが読んで理解できる物語とするためにずいぶんと「翻訳」されていると思われる。突っ込もうと思えばいろいろと無理なところが指摘できるように思う(ぼくには無理だけど)。とりわけ「時間」の扱いについてが気になる。しかし、まあよくもこんな話を書こうとしたものだ。さすがイーガン、すごいね。続編も早く読みたい。いよいよこの世界の量子力学が出てくるのかな。

『ヘブンメイカー スタープレイヤーII』 恒川光太郎 角川書店
 『スタープレイヤー』の続編。とはいえ、独立した長編である。
 現代の世界から異世界への転生。スタープレイヤーと呼ばれる選ばれた人間には、10の願いが叶えられる力が与えられ、彼/彼女の思う理想を実現することができる。ただし、何でも可能なわけではなく、基本的な制限に加え、実現したいことを具体的・詳細に文章化した上で、審査を受けて合格する必要がある。こんなきわめてゲーム的な、人工的な世界設定で描かれる異世界ファンタジーなのだが、世界変容の大きさに比べてストーリーはあくまでも人間的なスケールで進む。
 スタープレイヤーはこちらの世界では決して優れた人間ではなく、どちらかといえば欠点の多い、普通の人間なのである。そして物語の決定的な設定として、スタープレイヤーはこちらの世界の人間を生死を問わず召喚することができる。どんな人間をどんな目的で召喚するのか。そこに物語を動かすポイントがある。制限はあるとはいえ、神のような力をもって異世界へ転生するという、いかにもはやりのライトノベルっぽい話のように見えるが、また実際にそういう雰囲気は確かにあるのだが、それよりもこれは神を演じる人間の、罪と罰の物語なのである。
 本書の主人公で、スタープレイヤーに選ばれたのは逸輝。片想いの相手を殺されて自暴自棄となった大学生だ。彼はスタープレイヤーの力を理解すると、まず異世界に藤沢の街を再現し、そこに殺された彼女ひとりを復活させる。彼女には真実を教えず、二人だけの世界で暮らそうとするが、そこへこの世界の歴史が、他の人々が、別のスタープレイヤーが現れてくる。彼の世界は広がり、彼はこの世界を知ろうと遍歴の旅に出かけるのだが……。
 一方、この小説では並行してもう一つの物語が語られる。事故や事件で死んだ三千人以上の現代の日本人が、突然この世界に召喚されるのだ。彼らは後にヘブンと名付けられた街で、新たな日常生活を立ち上げていく。この死者の街で、バイク事故で死んだはずの高校生、孝平は、まわりの人々と探検隊に加わったり、料理の腕を生かして人々に供したりと、新たな秩序を作り上げようとする。
 二つの物語はやがてつながるのだが、建設的で前向きなイメージと共に、おぞましく残酷な物語も語られる。犯罪者の、復讐者の、独善的な人間の罪と罰、その罰を下す人間の罪。本書は、その罪と罰、そして償いの物語として読むことができ、それがとても重い印象を残す。とはいえ、ゲーム的なストーリーのレベルではエンターテインメントとして非常に面白く、一応のハッピーエンドでもあり、楽しく読める。
 さてこの世界に現代日本人のコミュニティができたわけで、これから世界がどう変わっていくのか、続編もぜひ読みたいと思う。

『ぼぎわんが、来る』 澤村伊智 角川書店
 第22回日本ホラー小説大賞の大賞受賞作。選者にも一般読者にも非常に高評価だった。少し読むのが遅れたが、ようやく読了。なるほど、とても新人の作品とは思えないリーダビリティのある作品で、傑作である。
 まず何といっても、怖い。ホラーだから怖くなくちゃいけない。怖さに重点を置かないホラーもあるかも知れないが、それはどっちかといえばSFになるのでは。
 本書の怖さにはいくつかの側面がある。まずは化け物の怖さ。平凡な家庭を襲う不条理で超自然的な化け物の怖さ。都市伝説的な、あるいは民間伝承的な、電話をかけてきたり、玄関に立ったりという、次第に近づいてくる不気味さ、山に連れて行かれるという言い伝え、徐々に高まる不安と恐怖、鋭い歯で噛み付かれるという物理的な怖さ、一度取り憑かれると、本人だけでなく家族や関係者へも害をなし、逃げても逃げてもつきまとわれるというおぞましさ。
 次に、一見平凡で幸せそうに見える家族の、その人間関係におけるディスコミュニケーションの恐怖がある。本書は3章に分かれ、それぞれが夫、妻、そして二人を化け物から守ろうとするオカルトライターの視点から描かれているのだが、とりわけ1章と2章の断絶にはリアルな恐怖がある。この構成が本書を傑作にした理由のひとつだろう。
 それから、徐々に明らかになるぼぎわんの正体と、それを生み出した過去の歴史、コミュニティの恐怖がある。ただ怖いだけではない。本書はそんな化け物と戦う人間の物語でもあり、そちらはカッコ良く、痛快だ。どちらかといえば破綻した人間ばかりが出てくる中で、オカルトライターの野﨑昆と駆け出し霊能力者の比嘉真琴のカップルが、とても魅力的なヒーローとヒロインを演じている。二人を主人公にした続編かスピンアウトを期待したいところだ。
 ところで関西には「がおーさん」という、言うことを聞かない子どものところにやってくる化け物がいるのだ。これもすごく怖いよー。


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