内 輪 第302回
大野万紀
10月31日はハロウィーン。日本での近年の盛り上がりは大変なもので、商業的にはもうバレンタインデーに並んだそうです。繁華街での大騒ぎはニュースで見ました。ハロウィンという表記の方が多いようですが、ぼくはハロウィーンの方がしっくりします。まあこだわる必要もありませんが。それにしても、会社からの帰りに、通勤電車にゾンビのリアルなメークをした人たちが乗り込んできたのにはびっくりしました。
昔からのファンにとって、ハロウィーンといえばブラッドベリでしょう。アメリカ中西部のたそがれゆく秋。『10月はたそがれの国』。かさこそと枯れ葉の間をすりぬけていく使い魔たち。魔女たちの一族が集まる「集会」。暮れゆく空を飛ぶコウモリと得体の知れないものたち。それがブラッドベリのハロウィーンです。ムニャイニのイラストがぴったりくる、どこか幽玄で、不気味だけど魅力のある光景です。
一方もっとカジュアルな、それでいて不気味さも残るのが、ピーナッツのハロウィーン。スヌーピーは例によって超然としていますが、カボチャ大王を本気で信じているライナスは、学校でみんなにどん引きされるのです。でもハロウィーンにはきっときみの前にカボチャ大王が現れるよ。
ぼくにとって、日本でハローウィンを身近に感じたのは、数十年前の夙川あたりで、ショーウィンドウにジャック・オ・ランタンや様々なハローウィンの飾り付けが並んでいるのを見た時です。何だか豊かな気分になったものでした。
そして、今年は、近所の子供たちが小さな魔女の格好をして、きゃっきゃ言いながら秋の街を走りまわり、Trick or Treat していました。商業イベントじゃなくて、普通に子どもの文化として定着してきているのでしょうね。こういう可愛いのはオーケーです。でもリアルなゾンビはちょっとね。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『砂星からの訪問者』 小川一水 朝日文庫
なぜかどこにも明記されていないのだが、本書は朝日ノベルズで出た『臨機巧緻のディープ・ブルー』の続編である。単独でも読めるけれど、前作の登場人物や設定が出てくるので、読んでおいた方がわかりやすい。
宇宙船ビーグル号を大規模にしたような、異星人の知識を探求することが目的の(それがひいては人類の防衛に貢献する)ダーウィン艦隊。そこに所属する戦場カメラマンの石塚旅人。そしてタビトのカメラに宿る、おしゃべりな人工知能のポーシャ。前作をスチャラカ・スペースオペラと評したのは、そのとても軽いノリの印象が強かったからなのだが、本書でもそのノリは継続しており、そして飄々として面白い。主人公のタビトがいい人なんだけど、まあちょっと思い込みが激しく、ポーシャへの依存が強くて自分勝手という、なかなか面倒くさい人物なのだが、その軽さがスチャラカな味を出していて、まあいいか、と許せてしまう。
本書では、未知のネコ型宇宙人の艦隊が、いきなり人類の拠点である沖ノ鳥島星系へ現れ、民間船を攻撃する。しかし、敵対的ではあるが、侵略というのとも違う、何ともあいまいな動きをするのだ。まるでネコが面白がって獲物にじゃれついているような。タビトはかれら〈フィーリアン〉の捕虜になってしまう。タビトを捕らえたのは、もふもふな獣人で、のちにメスだとわかる気まぐれなンールーだ。彼女の身につけている機械(そこにも人工知能が宿っている)とポーシャが会話して、意思疎通はできるのだが、高度な技術をもち宇宙船を操る〈フィーリアン〉たちははたして本当に知的生物なのか、それとも単なるネコ――じゃなくて必要なだけの知性を授けられた肉食獣なのか。そうだとしたらその本当の主人は?
――といった謎を中心に、誰とでも仲良くなってしまう一種の特殊技能をもったタビトとンールーの交流、そして人類と〈フィーリアン〉の戦争は避けられるのか、その方法は、と話は進む。ビーグル号オマージュではあるが、前作から続く「見ること」「知ること」が最も重要であり、それは時として攻撃的でもあるというテーマが貫かれている。
『NOVA+ 屍者たちの帝国』 大森望編 河出文庫
伊藤計劃と円城塔の『屍者の帝国』がアニメ映画化されたのにタイアップした、トリビュート・アンソロジー。
とはいえ、これはすごい。藤井太洋、高野史緒、仁木稔、北原尚彦、津原泰水、山田正紀、坂永雄一、宮部みゆきという豪華メンバーによる、『屍者の帝国』のシェアード・ワールド・ストーリー。『屍者の帝国』と同じ舞台、世界観で描かれた作品である。おまけに円城塔のインタビューと、大森望の序文に編集後記まで。何というお得感。
ハヤカワの『伊藤計劃トリビュート』もすごかったが、あちらがどちらかといえば、テーマを共有する独自のアンソロジー色が強かったのに対し、こちらはより作品世界に密着している。ただ、パロディというよりは、確かにシェアード・ワールド。例えばクトゥルー神話のような感じで、世界設定が共通なのだ。そういう意味では、『屍者の帝国』を読んでいることが大前提となっている。独立した作品ではあっても、あの世界を知っている方が細部まで楽しめるのだ。
藤井太洋「従卒トム」は、南北戦争の死者を屍兵に仕立てて、幕末の日本に傭兵として来た解放黒人トムの物語。これは面白い。サムライ、かっこいい! 強い! の世界だ。
高野史緒「小ねずみと童貞と復活した女」はドストエフスキーから始まるが、怒濤のSFパロディで突っ走る。大森望は「収録作の中でももっともオタク度の高い作品」と書いているが、伊藤計劃のさりげなさに比べ、実にストレート。それでもちゃんとした物語(それもSF)になっているのはすごい。
仁木稔「神の御名は黙して唱えよ」は小品だが、イスラム神秘主義と人間の意識をテーマにした読み応えのある作品。あまり知らない世界だったので、興味深かった。
北原尚彦「屍者狩り大佐」はもちろんワトソンが主人公でコナン・ドイルの世界が『屍者の帝国』と重なる。
津原泰水「エリス、聞こえるか?」は森鴎外と屍者と人の情動を操る音楽が出てくる、ユーモラスな作品。
山田正紀「石に漱ぎて滅びなば」はそれに呼応するかのように、こちらは夏目漱石が倫敦で屍者と遭遇する。さらにそれだけには留まらず、様々な人物が日英同盟とからんでうごめく。
坂永雄一「ジャングルの物語、その他の物語」。これは傑作! 本書の中では唯一新人に近い作者だが、伴名練といい彼といい、京大SF・幻想文学研出身の若手の実力はすごいなあ。これもオタク度、パロディ度では高野史緒に負けていないが、それはあまり表に出ない。ジャングル・ブックに熊のプーさんといった英国児童文学の世界が、屍者の帝国のその後につながっていく。屍者の帝国の未来に、こんなもの悲しい物語がつながっていくとは。
宮部みゆき「海神の裔」もいい。舞台は戦後の日本で、寒村につたわる古い屍者の物語が語られる。さすがにベテランの筆で、リアルに歴史を感じさせる物語だ。
いずれの作品も面白く、満足感の大きい作品集だった。
『エピローグ』 円城塔 早川書房
SFマガジンに連載されていた、最新長編。読み始め、プロローグ(『エピローグ』の)で、いきなりツボを突かれた。面白い! 発表媒体を意識してか、SF読者向けのくすぐりがいっぱい仕掛けてある。さらにはIT業界や数学や物理の専門用語も特に説明無く、少しひねった形で散りばめられていて、わかりにくいけれど、わかった時にはすごく面白い。こういうのも伊藤計劃との合作の影響なのか。とはいえ、本書の本質は円城塔らしい「純文学」である。
SFでいえばスペキュレーティブ・フィクションとなる。広島のSF大会で「純文学の語彙をSFに変換したらどうなるかやってみたい」とか「宇宙人にも通用するような「言文一致」の追求」といっていたのは、本書のことだったのかも知れない。本書はまた、ラブストーリーであり、編み物小説であり、グルメ小説でもある。
色々なタイルがちりばめられているが、とりわけ〈ラブストーリー〉の要素がかなり重要で、「Boy's Surface」などにもさかのぼる作者の大きなテーマのように思える。また、〈グルメ小説〉のテーマは最近の「イグノラムス・イグノラビムス」とも通じるものだ。
もちろん一番のテーマは、言葉、記号、論理、数学構造、情報によって構築される宇宙というものである。本書はほとんどそれが生の形で表現されている。〈言文一致〉とは、書かれた言葉がそのまま(プログラミング言語のように)実在に作用し、宇宙を動かすということだろう。もちろんス
トーリーを追うことはできる。本書はSF的にいえば、シンギュラリティ後の仮想宇宙、無数の多宇宙での、人類の戦いと奇怪な連続殺人を描いたものだといえる。
しかし、本書で人類はいったい何と戦っているのか(その戦いは、戦争というより、モンハンみたいにも見える)。探偵はどんな事件を追っているというのか。ストーリーを追っているとしだいにわけがわからなくなる。「ストーリーライン」そのものが、本書のキモでもあるからだ。それは「実体」ではないのだ。言葉、コード、数式、プロセス、リソース、手順、そういったものこそが本書の実体なのである。
ややこしい話ではあるが、やたらと面白い物語でもある。田舎の家に暮らすスーパーおばあちゃん、クモみたいな(タチコマみたいな)ひたすら饒舌な戦闘支援人工知能、謎のポケット宇宙でグルメ三昧し、天才科学者はシェパードになって「わん」という。時間線が混乱した連続殺人。その昔、義経の子供のころの頭蓋骨という笑い話を聞いたことがあるけど、本書を読んでいてびっくりしたのは、同一人物を未来方向から殺していけ
ば、年齢の違う死体がたくさん得られるというものだ。別にネタバレじゃないよ。本書にはこんなことがさらりと書いてあるから、もう大変。
そして、わけのわからない超知性によって、地球どころかこの宇宙を追われ、無数に分岐したクズ宇宙に暮らす人類。そこに過去の幻影をシミュレーションしたり、闘ったり、食ったり、事件を追ったり。これはまさに超スケールアップしたジョン・ヴァーリイの〈八世界〉じゃありませんか。しっかり堪能しました。
ただ、よくわからなかったのは、クラビトが執拗に「数学をインストール」することを拒んでいることだ。ここでいう数学は、イーガンの暗黒整数みたいなものかと想像するのだけど、何らかの数学的構造をもたずにソフトウェア知性が存在できるのだろうか。ただの数学ライブラリみたいなものなのか? そして、はたして物理宇宙はどこまでエンコードできるのか、音や映像はともかく、味覚や臭覚はどのようにコード化されるのか、あまり好きな言葉じゃないけど、そのクオリアはいったいどう再現されるのか、そういったものを知覚する主体とは、そこに意識は必要なのか、などなど。イーガンとはまた違ったアプローチだが、同様に数理的、論理的な方向で落とし込まれているので、わくわくして読めるのだ。その昔、ダグラス・ホフスタッターを読みふけったころのセンス・オブ・ワンダーがよみがえってきた。
『記憶破断者』 小林泰三 幻冬舎
数十分以上記憶がもたない前行性健忘症という病気の主人公。頼りになるのは自分が書きつけているノートだけ。そんな彼が、何と人の記憶をあやつることのできる超能力者の殺人鬼と対決することになる。
前行性健忘症というテーマ、作者は短篇でもくり返し扱っていて、思い入れのあるテーマなのだろう。超能力は出てくるが、この特別な条件設定の中でどう身を守り、危険な相手を出し抜くかというパズル的、ミステリ的な要素が大きな割合を占めている。
そういうわけで、本書では論理・理屈が重要であり、登場人物たちはみんなしつこいぐらいに細かいことを議論する。そこに主人公が密かに心をよせている話し方教室の先生というヒロインも関わってくる。
悪役の殺人鬼がとにかく悪辣非道な男で、悪知恵も働き、人の記憶を操れるだけに、始末に負えない。ただ主人公は数十分で記憶を失ってしまうため、この能力が部分的に無効化されてしまう。それだけが、主人公のアドバンテージだ。それでも男に出会ってもノートを見るまではどんな人間だったかを忘れてしまうので、危なっかしいことこの上ない。
ストーリーの中心にはそんな理屈っぽいミステリがあるのだが、そこに首を突っ込む人々の多くは、いつものエキセントリックな小林泰三キャラである。初めの方で現れた、いかにも小林作品っぽい気持ち悪い怪女は、その後消えてしまうが、いったい何だったんだろう。
心の奥を引っかかれるようなイヤな話ではあるが、そこがまた面白かった。