内 輪 第300回
大野万紀
いつのまにか、この連載も300回となりました。
何度か書いていますが、「内輪」というのは、もともとは紙版で出していたファンジン(まあ同人誌ですね)「THATTA」に連載していたキース・ロバーツ The Inner Wheel の翻訳タイトルだったわけです。それがいつのまにか翻訳よりも前書きだった身辺雑記や読んだ本の紹介の方が中心となり、今ではこうして完全に大野万紀の書評欄となってしまいました。身辺雑記の方はあいかわらずですね。なにしろ「内輪」ですから。
何とNHKでリメークされた「サンダーバード」の放映がはじまっていてびっくり。CG中心ですが、昔のマリオネットの雰囲気を極力出そうとしているようです。どこまでミニチュアでどこからCGなのかわからないけど、昔のごつごつした重量感が懐かしいと思う年寄りにも、それなりに好感がもてます。お話はまあ、ちょっとバタバタした感じであれですが、こんなもんでしょう。
ぼくの訳は1編だけですが、ジョン・ヴァーリイ『逆行の夏』の評判が良いようで、とても嬉しいです。初めてヴァーリイを読んだという人が高い評価をされていて、良かったなと思います。8月30日の毎日新聞を読んだら、書評欄で若島正さんがヴァーリイ『逆行の夏』に言及してくださっていて、直接の書評ではありませんが、「傑作なので一読をおすすめしたい」と書かれていました。感激です。
10月にはいよいよ創元から『汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1)』も発売されます。 こちらもどうぞよろしくお願いします。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『寄港地のない船』 ブライアン・オールディス 竹書房文庫
1958年に書かれた世代宇宙船ものの傑作(というか、少なくとも代表的な作品のひとつ)が、どうした理由か知らないが、中村融の訳で57年ぶりに翻訳された。とにかくそのこと自体がすばらしい。
50年代SFである。でも今読んでも、さほど古びた印象はない。
止まらなくなった巨大宇宙船。その中で暮らす人々は、世代が代わるにつれ文明を失い、原始的で野蛮な部族生活を営むようになっていた。荒廃し、植物の繁茂する船内の描写は、宇宙船内というより、熱帯のジャングルに覆われた古代遺跡のおもむきであって、大破壊後の未来を描いたダークな冒険SFのようである。実際、ストーリーの本質はそういうSFとの共通点が多い。あと、テレパシー的な超能力が出てくるのは、いかにも50年代SFだ。
主人公である狩人の若者ロイは、現代の感覚でいえば子どもっぽいマッチョで、暴力的で自分勝手、女性蔑視のうえガキっぽいという、あまり共感しがたい人物だが、他のキャラクターも似たようなもので、それはポリティカル・コレクトネスとは縁もない50年代の時代性というより、この過酷な環境で生き抜くための必然として描かれているように思う。やがて彼はそれなりに成長し、しだいに新たな、広い視点を身につけていくのだから。
この世界には、〈巨人族〉という、かつて船を支配していたといわれる人々や、〈よそ者〉と呼ばれる謎めいた存在、それに知性をもったネズミたちも棲んでいる。故郷の居住地を離れて、〈前部〉へと旅だった主人公たちの一行は、〈前部人〉たちが築き上げた、それなりに文明化した小国家へと到達する。だがここでも、悲劇的な運命が待ち受けていた……。
後半のアクションから謎解きに至る部分はやや駆け足で、とくに〈巨人族〉側の視点がわかりにくいきらいはある。なお訳者後書きの「2005年」は「2015年」の誤植であるとのこと。
『国を救った数学少女』 ヨナス・ヨナソン 西村書店
世界的ベストセラーの、スウェーデン作家のユーモア小説。
1970年代に南アフリカのソウェト地区で幼い頃から屎尿処理の仕事をさせられてきた読み書きもできない黒人少女ノンベコが、実は数学的才能のある天才で、頭の回転が早く、物おじせず前向きに立ち回って、南アフリカの核開発の現場に立ち合い、ついには存在してはいけない一発の核爆弾とともに、スウェーデンまで逃走して、おバカとカシコの双子の兄弟、親が銀行の支店長をしているぶっ飛んだ過激派の少女、伯爵夫人を自称するジャガイモ畑のおばあさん、そして中国の胡錦涛主席、スウェーデンのグスタフ国王とラインフェルト首相まで巻き込むドタバタな大騒動に発展していく……。
いや、ストーリーとしてはその通りなのだけれど、原子爆弾という核はあっても、ストーリーそのものはあんまり重要ではない。実在の国家や政治家たちを(どこまで事実なのかぼくにはわからないが)揶揄してお笑いに巻き込み、スラプスティックなコメディにしているが、一番面白いのは、主人公とカシコの弟以外の、ハチャメチャで個性的なキャラクターたちだろう。主人公のノンベコは、元気で前向きで頭がいいという共感のもてるヒロインではあるが、全体の中ではみんなに振り回されながら読者に筋立てを説明する狂言まわし以上のものではない。
タイトルは、これは日本でつけたタイトルではないかと思うのだが、あまり内容に合っているとはいえない。英語版では『スウェーデン国王を救った少女』となっている。数学少女というのも、確かに数学の才能があることになっているが、それはあまり重視されていない。何についても理解の早い、天才少女というところだ。まあ現代が『文盲だが計算はできる』みたいな意味だから、間違っているわけではないのだが。面白いエンターテインメントなのに、あんまり似合ったタイトルとは思えないのだ。
キャラクターはみんな面白く、とりわけ国王もいい味を出しているが、ぼくにはおバカ兄と過激娘のコンビが、何ともいえないひどい(誉め言葉)バカキャラで、個人的にツボにはまった。
『鬼談百景』 小野不由美 角川文庫
ごく短い怪談というか、実話系の不気味な話を99編集めた、百物語。2012年の単行本の文庫化である。
どこかで似た話を聞いたことがありそうな、学校の怪談やら都市伝説の幽霊話やら祟りやら、また薄気味悪い雰囲気だけだったり、恐怖というより不思議だったり、そんな断片的な語り物が多い。
『残穢』でも少し書かれていたと思うが、これは雑誌「幽」で連載されていた、読者から集めた怪談話、恐怖体験談をまとめたものだ。もちろん著者が脚色しているのだろうが、それは小説的にというより、読みやすくしたというレベルではないかと思う。まさに怪談であり、小説的な格好はほとんどない。はっきりしたオチや物語、説明も人物描写もなく、ただ不気味さ、不可解さばかりが残る。解説を稲川淳二(!)が書いているが、まさにぴったりだ。怪談とはこういうものなのだろう。
確かに『残穢』とは共通する、あるいは通底するものがあるようだ。ここに集められた怪談は、どちらかというと家や土地などにまつわるものが多く、因縁や怨念といった人にまつわるものは少ない。そういう環境的、外的な〈場〉が、〈雰囲気〉というものであり、〈空気〉というものであり、みんなの・普通の・日常から少しだけ外れた〈異界〉を形づくるのだろう。死ぬような恐怖というより、ちょっとイヤで、避けたいもの、興味はあるが、見たくはないもの、見るだけならいいが、こっちへ来たり声をかけられたり触れられたりはしたくないもの、そんなものを怪異と感じるのだろう。それが日本的な市井の怪というものだろうと思う。それは超自然的なものだけでなく、集団的で陰湿な負の感覚に通じ、いやなもののベースとなっているのではないだろうか。こんなに短いのに、読み終えるのにけっこう時間がかかってしまったのは、そんな、だんだんと積み重なってくる重さがこたえたのかも知れない。
『多々良島ふたたび ウルトラ怪獣アンソロジー』 山本弘・他 早川書房
円谷プロとSFマガジンのコラボ企画で、ウルトラマンたちと怪獣たちへのオマージュとして、SFマガジンに掲載された7編が収録されている。
基本的にオマージュ企画なので、ウルトラシリーズを知っていることが大前提だ(もちろん知らなくても楽しめると思う。でも知っておれば、頭の中にテーマソングが鳴り響いたりして、よけいに楽しめる)。それぞれに各作家の短いエッセイがついている。
中でも一番ストレートなのが山本弘「多々良島ふたたび」。ウルトラマン第8話、レッドキングが登場した怪獣無法地帯の多々良島。そこへふたたび観測隊と謎の女性記者が訪れる……。これ、そのまま特撮ドラマにしてもいい感じのできばえだ。何より作者の怪獣愛を感じる。
その他の作品は、やはり少しというかかなりひねってある。
北野勇作「宇宙からの贈りものたち」はウルトラQがメインで、バルンガや一ノ谷博士、ナメゴンなどが出てくるが、しかし同時にあの北野ワールドの中の出来事のように思える。北野ワールドはそもそもが昭和っぽいので、親和性は高いのかも知れない。
小林泰三「マウンテンピーナッツ」はウルトラマンネクサス(ぼくはこれは見ていないのだ)に登場の、世にも恐ろしい怪獣ノスフェルが、ウルトラマンギンガの(こっちも見ていない)の世界観の中で出てくるが、ここでは怪獣を保護するという過激な団体マウンテンピーナッツが、人間より怪獣が(自然が)大事とばかり、うっとうしい大暴れをしてくれる。いやー、このシビアで真っ黒な視点はまさに作者のものだ。
三津田信三「影が来る」はホラー作家によるウルトラQオマージュで、怪獣ものではなく、普通に不気味なドッペルゲンガーものとして楽しめる。
藤崎慎吾「変身障害」は変身できなくなったセブンが精神科を訪れてグループセラピーを受けると……というコメディ。昭和テイストもたっぷりで面白いけれど、何となく似たようなマンガを見たことがあるような気がしてしまう(実際はどうかわからないけれど)。でもこのオチは好きだ。
さて田中啓文「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」。怪獣図鑑のための足型取得士という職業があるという発想に驚くが、これがルーシャス・シェパード「竜のグリオールに絵を描いた男」へのオマージュでもあるというのが(たぶんウソだろうけど)ぶったまげる。内容は師匠と弟子のお仕事小説! そうくるか。
最後が酉島伝法「痕の祀り(あとのまつり)」で、鳥居型のメカに乗り込んで巨大な怪獣の死体を処理する男たちの物語とくれば、確かにウルトラ怪獣へのオマージュには違いなくても、もはやそういった領域をはるか脱している。バラードの「溺れた巨人」のイメージが重なったと作者後書きにあるが、なるほどその通りだ。
いずれも作家性が強く出ていて、やはり「ウルトラ怪獣アンソロジー」ということからは山本弘の作品が一番ぴったりくる。次点はひどくねじれてはいるけれど小林泰三かな。
『複成王子』 ハンヌ・ライアニエミ 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
『量子怪盗』の続編。ポスト・ヒューマン・スペースオペラとでもいうのか。山田正紀の非リアル系のぶっとんだSFみたいでもある。
とにかく、人をけむに巻くようなガジェットと造語の奔流。まあ、半分くらいは何を書いてあるのかわからない。相当にSFを読み慣れていてもそうだ。
今度の舞台は地球、どうも一度滅びて、今はかろうじて復活し、アラビアンナイトな世界になってしまっているみたい。ただ、ダン・シモンズ風のビジュアルなわかりやすさはなくて、基本は非物理的な存在ばかりが闊歩しており、現実感には乏しい。キャラクターたちも半神半人で、ほとんどチートな超人ばかり(まあ、ポスト・ヒューマンだから)、いってみればリアル世界に浸食したサイバースペースでの、神々の気まぐれで残酷な戦いが描かれているわけである。その戦いぶりは人知を越えているので、ただ迫力ばかりがあって、具体的にはよくわからないというのが正直なところだ。
「複成王子」って、原題ではフラクタル・プリンスなのね。これでもよくわからないが、まあイメージは通じる。でも、わけがわからなくて面白くないのかというと、これが面白いのだ。あるところでちょっと感覚がマヒするんだろうな。深い真理や考察が描かれているというより、単純にパワーゲームな異能バトルをひたすらエキゾチックに描いているのであって、どこかでその流れや文法が、ふっと頭に入ってくるところがあるのだ。そうなるとぐいぐい読めて迫力満点で面白い。
でもこの手の話って、最近増えているというか、よくあるように思う。ちょっととんがったラノベ風というか、先の山田正紀もそうだが、倉田タカシの『母になる、石の礫で』にも通じるものがある。面白かった。でも疲れた。