内 輪   第299回

大野万紀


 ジョン・ヴァーリイ傑作選『逆行の夏』が、暑い夏の盛りに早川書房から発売になりました。その後書きで書いたのですが、実は創元SF文庫から、今年中にジョン・ヴァーリイの〈八世界〉シリーズ全短編を収録した短編集を出す予定になっています。
 もうすぐ正式に発表されると思うのですが、2巻本で、1巻目はこの秋にも出る予定となり、今その校正中です。〈八世界〉なので新作はありませんが、浅倉さんが訳したもの以外は、すべて新訳・改訳でお届けします。すでに読まれた方にも、きっと新しい発見があるはずです。
 〈八世界〉の全短篇を収録した短編集を出すことは、1年以上前に創元の編集者のIさんからお話があり、大喜びで準備を進めていたものです。そうしていたところ、今年の5月になって、突然早川からヴァーリイの傑作選を出したいというメールが届き、びっくりしました。どうやら創元とは関係なく、独自に企画されたもののようで、収録予定作も重複は〈八世界〉の2編のみだったため、こちらも文句なくOKしました。急な依頼で新訳を受けて下さったという内田昌之さんと中原尚哉さんには大感謝です。こちらはヴァーリイのもつ様々な側面が出た、文字通りの傑作選となりました。
 といったことは読者のみなさまには関係ないですね。はい、「内輪」の話でした。
 というわけで、突然にヴァーリイの年となったわけですが、『逆行の夏』も、〈八世界〉全短編集も、絶対お勧めなので、どうぞよろしくお願いします。

 遅ればせながら評判の映画「マッドマックス怒りのデスロード」見てきました。評判どおり面白くて何もいうことのない映画でしたが、ドガン、ズガンの大迫力シーンだけでなく、その合間の静かなシーンが、この世界で失われたものの大きさを感じさせて、じーんときます。
 「ブレードランナー」の、激しいアクションの後での、レプリカントの台詞もそうでしたが、「マッドマックス怒りのデスロード」では、「緑の地」の真実に関する何気ないひと言がSF的な意味で心に響きます。ぼくはマッキンタイア『夢の蛇』の1シーンを思い浮かべました。
 世界が滅びた後は、何とかしてさっさと文明を復活させないとダメですね。ほんと。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ゼンデギ』 グレッグ・イーガン ハヤカワ文庫SF
 胃癌全摘だとダジャレを言っていたら、本当にそんな話だった。それはともかく、ほぼ現代と10年後くらいの近未来を舞台にした、きわめてリアルな社会とテクノロジーを描いたSFである。とはいえ、2009年に書かれた、2012年にイランで民主革命が起こる前提の話なのだから、リアリティはあっても現実ではない。これは書かれた時と翻訳された時の時間差の問題でもあるが、そういうリアルと虚構の二重性こそが本書の重要なテーマとなっている。現実に漸近しているが、イコールにはならないシミュレーション。遠い未来を扱ったイーガンのSFでは、それはもうイコールといっていいものになっているのだが、そこまで技術的突破が至らない本書の近未来では、その微妙な差異こそが重要となる。不気味の谷を少し越えたところというあたりか。
 「ゼンデギ」とはペルシャ後でライフを意味する言葉だという。それは本書の中心にあるVRゲームのシステム名でもある。これはきわめて現実感の高い没入型ゲームシステムだが、本書で描かれているのは、ゲームというより参加型のインタラクティブな映画という感じのもので、歴史物語『シャーナーメ』の世界を体験するものだ。教育的かも知れないが、あんまり面白そうじゃないなあ。
 主人公はオーストラリア人のジャーナリスト。2012年の政権交代を目撃し、後に現地の女性と結婚してイランに住むことになるマーティン。本書の主要人物は、その幼い息子のジャヴィード、そして「ゼンデギ」の開発者であるイラン人の科学者(女性)ナシムである。他にマーティンの友人であるオマール夫妻も登場するが、ほぼこれらの人物だけで物語は進む。
 ポイントは、難病にかかり余命いくばくもないとわかったマーティンが、息子のために、ナシムに協力して自分の電子的コピーをゼンデギの中に残そうとすることだ。サイバーパンク以来、コンピューターに人間の意識をアップロードするなんて当たり前になったし、イーガンもそういう話をたくさん書いているのだが、ここではそれをほぼ現代の技術でもって納得できるように描こうとしている。その技術的ディテールは細密で、もしできるとすれば確かにこんな方向性のものになるかも知れないなと思わせる。そもそも「意識」をそのまま、ファイルをコピーするようにアップロードなんてできるものではない。ここで行われるのは様々な外的刺激に対して脳がどんな反応をするかを精密に測定し、それをシミュレーションすることである。静的な何かを取り出すのではなく、動的なインプットとアウトプットの関係をマッピングするのだ。それでうまくいくのかどうかはわからないが、例えば頭の中で思い浮かべた映像を画面に表示したり、考えるだけで機械を操作したりということは現実にこのような方法で行われている。コンピューター科学の面だけでなく、医学的な面でもとてもリアルに描かれているようだ。それは興味のある人にはとても魅力的なテーマであるし、実際に読んでわくわくするところでもある。とはいえ、そういう技術的ディテールにあまり興味がもてない場合は、長々と専門用語を使って説明されるこれらのシーンは退屈かも知れない。なんせ他のSFでは当たり前に実現されている、コンピューター内に自分のコピーを作るというだけの話なのだから。
 小説として面白いのはむしろ第一部だ。ここはイランで起こるとした民主革命を扱っていて、抑制のきいた視点とドラマチックな展開が読み応えがある。それと思わずうなずいてしまうような「あるある」感とユーモア感覚。特に冒頭の、昔のレコードをMP3に落とそうとして苦労するところは実感がこもっていてとても身近に感じ、面白かった。
 第二部はゼンデギの中にマーティンの電子的複製を作ろうとするパートだが、ここでの主題は父と子の関係であり、それがまたメロドラマティックな重さと湿度をたっぷり含んでいるので、ちょっともたれる感じがある。基本的に保守的な世界でリベラルに生きるための日常的モラルといった面にバランスが寄っていて、納得はいくが、認識に与える衝撃は小さい。ゼンデギが受けるサイバー攻撃にしても、確かに倫理的問題を浮き上がらせるためのものだとはわかるが、ストーリーの中では浮いていて、おさまりがいいとはいえない。これもまた、物語よりテーマを重視するイーガンらしさなのだとはいえるが。
 マンデーンSFというものがある。本書もそうかも知れない。超科学を廃し、リアルなスペキュレーションで描く真面目なSF。いやそういうのもいいんだけどね、ちょっと物足りないと思うことがある。もっと派手でおバカでわっと驚かせてくれてもいいんじゃないかと。というわけで、ぼくの大好きなタイプの話とはいえないのだが、意識をコンピュータにアップロードする手法についてのリアルで、いかにもありそうなアプローチといい、医学的・技術的ディテールといい、さすがはイーガンである。この先に、あの目くるめく世界がやってくるのだ。

『年刊日本SF傑作選 折り紙衛星の伝説』 大森望・日下三蔵編 創元SF文庫
 2014年の年刊日本SF傑作選。マンガ2編を含む17編と、第6回創元SF短篇賞受賞作が収録されている。
 マンガを除く15編のうち、なつこん記念アンソロジー『夏色の想像力』収録が理山貞二「折り紙衛星の伝説」、堀晃「再生」、オキシタケヒコ「イージー・エスケープ」の3編、京大SF研OBによるR・A・ラファティ生誕百周年トリビュート・アンソロジーから伴名練「一蓮托生」、文学フリマで売られていた矢部嵩の私家版から「教室」、星新一賞関係で、ネットでしか読めないものが遠藤慎一「「恐怖の谷」から「恍惚の峰」へ~その政策的応用」と高島雄哉「わたしを数える」の2編。半数近くの7編が普通の商業雑誌や単行本以外からの収録だ。とりわけ、『夏色の想像力』の存在感が大きい。
 他は雑誌からが草上仁「スピアボーイ」、田丸雅智「ホーム列車」、宮内悠介「薄ければ薄いほど」、三崎亜記「緊急自爆装置」、酉島伝法「環刑錮」の5編。文庫を含む単行本から長谷敏司「10万人のテリー」、下永聖高「猿が出る」、円城塔「φ(ファイ)」の3編だ。マンガは星野之宣「雷鳴」と諸星大二郎「加奈の失踪」の2編。
 すでに読んだものが多いが、未読だったものの中で、何といっても驚いたのは諸星大二郎の「加奈の失踪」。〈栞と紙魚子〉の新作ということで読んでいたら、最後まできてびっくり。何という超絶技巧。もちろんしっかり読み返しました。
 その他特に印象に残ったのは、『BEATLESS』のスピンオフでやたらとかっこいい長谷敏司「10万人のテリー」、草上仁のめちゃくちゃオーソドックスな異星生物SF「スピアボーイ」、ラファティのオマージュというより、浅倉さんの訳したラファティそのものみたいな伴名練「一覧託生」、自爆装置という無茶なガジェットが、平然とお役所仕事の中に存在して強烈な印象を残すバカSF、三崎亜記の「緊急自爆装置」、そしてミミズのように変身させられた囚人たちがうごめく酉島伝法「環刑錮」などだ。「環刑錮」はこれでも作者の描くものとしては日常性を残している方だと思う。作者の言葉によると、この母親の言葉を朗読したのだそうで、この言葉でそんなことができるとは、と衝撃を受けた。
 創元SF短篇賞の宮澤伊織「神々の歩法」は受賞作として文句なし。大迫力な異能バトルSFで、様々な要素を最小限にそぎ落として、ほぼ異能バトルのみに集中させていることが良かったと思う。深く考えようとすると、よくわからないところも多いのだが、ほとんど気にならない。「球状星団の重力均衡に吹き溜まる恒星間物質のプール!/次元の狭間に横たわる超曲面の都市!」もうこんな言葉だけでお腹いっぱいになっちゃうもんね。作者は何冊も著書のあるプロ作家。『ウは宇宙ヤバイのウ!』の作者だ。これもめちゃくちゃ楽しかったが、今度はタッチを替えて硬質なアクションを描いている。ちょっとした細やかな情景描写のうまさは共通で、色んなSFが書ける才能をもっている人だと思う。さらなる活躍に期待したい。

『美森まんじゃしろのサオリさん』 小川一水 光文社
 「小説宝石」と「SF宝石」に掲載された4編と、書き下ろし1編を含む連作短篇集である。
 岐阜県と思われるG県の片田舎、美森町。限界集落に近い――というか、ごく普通の農村に見えるけれど――この町で、「町立探偵」をやることになった、美人だが性格の悪い地元民の詐織と、親の実家があるこの町にやってきて一人で暮らす何でも屋の猛志の二人が主人公。時代は今から少し先の未来で、とはいえ人々の暮らしはほとんど変わっておらず、害獣よけのアクチュエーターを仕込んだコンピューター制御のワイヤーとか、いくつかの最新テクノロジーが、昔ながらの生活と同居している。
 二人は、というか詐織は、この町を守る美森卍社(みもりまんじやしろ)の伝承、神様のお使いたちの言い伝えを利用して、町に入ってくる様々な異物、すなわち起き上がる死者、家庭内暴力から逃れた少女を執拗に追いかける乱暴な父親、都会から移り住んだミステリ作家、ネットを通じて集まり、集団生活をする芸術家たち――から、町の日常を、そして彼女自身の隠された内面を守ろうとするのだ。彼女に惹かれている猛志をこき使いながら。まあ猛志も彼女にこき使われるのが嬉しそうなのだけれど。。
 4編では町の平穏を乱すような、だが小さな事件や謎に対して、二人が解決していく(詐織がホームズで、猛志がワトスンだ)ミステリの体裁をとっている。一見超自然的な謎も、合理的に解決される。だが謎は解かれても、事件そのものはこの集落の人々、その暮らしに積み重ねられ、残されていく。そして書き下ろしの最終話は、ずっと昔にすたれた美森卍社の祭を再開する役割を二人が担い、これまで登場した人々が社の中に作られた迷路に遊ぶクライマックスとなる。ここでも事件が起こるが、重要なのは事件そのものよりも、二人の、特に社の神様やお使いとある意味特別な関係を結んでいる詐織の(いや、よくあるファンタジー的な意味ではないよ)、その関係性の再発見と、新たな展開にある。近未来の話で、面白い小道具は出てくるが、SF味は薄い。それでもこれは『煙突の上にハイヒール』などにも通じる「お仕事小説」であり、未来の日常を描いたSFである。サオリさんはちょっと性格悪くてあまりお近づきにはなりたくないタイプの人だけど、まあ結果オーライだからいいや。

『エクソダス症候群』 宮内悠介 創元日本SF叢書
 作者初の書き下ろし長編である。舞台は火星開拓地、テーマは精神医療史…なんて言われると、いかにも重い暗い話を想像してしまう。さらに、その病院は火星の丘の斜面に、カバラの”生命の樹”を模した配置で建てられていた……とくると、今度は『ドグラ・マグラ』や『黒死館殺人事件』、『虚無への供物』といったペダンティックなミステリを思い浮かべたり。どちらにせよ、気楽に読めないような雰囲気がある。
 SFでも精神病院を扱った作品には傑作が多い。バラードもそうだが、荒巻義雄の『白き日旅立てば不死』や、雰囲気は違うが小松左京の『ゴルディアスの結び目』なども、精神病院が舞台だ。陳腐ないい方だが、〈心の闇〉をさぐるような作品には、ずっしりとした重みがあり、またその中心には精神分析的で、それもユング的な、SFと親和性が高い虚構性の大きなものがあり、どちらかというと科学的SFというよりオカルトや幻想小説へと近づく傾向がある。もっともバラードなどはそんな精神の神秘性をそぎ落としたところからスタートするのだが。
 そんなことを思いながら読んだが、本書はちょっと違った。確かに精神医療史をおさらいしたりと、ペダンティックな雰囲気もあるし、おどろおどろしい要素もあるのだが、どちらかといえばリアルで日常的なのである。本書はまず第一に医学SF、医療SFなのだ。
 主人公の精神科医カズキは、地球から火星に戻り、開拓地の唯一の精神病院であるゾネンシュタイン病院へ就職する。そこで思いがけず病棟長に抜擢され、いわくありげな院長や、古手の謎めいた患者たちと接しながら、院内の改革にのり出す。しかし、エクソダス症候群と名付けられた精神疾患が彼自身も含め、猛威をふるい始める。
 カズキの父がかつてこの病院で何をしたのか、とか、院内で起こった事件の謎とか、ミステリ要素もしっかりとある。だが、カズキは哲学者ではなく医師であり、臨床的に患者の治療をすることが目的なのである。精神疾患は人間のもうひとつの相などではなく、治療し、社会復帰を目ざすべき病気なのだ。だから本書ではオカルトや衒学趣味へは向かわず、臨床科学としての精神医療が力強く描かれる。そこで火星という隔絶された地を舞台にした意味も出てくる。もっとも、そのためにSFとしての衝撃度は小さくなったきらいがあるのだが。それでも本書は、人間の精神というものを、精神医療という、それ自身が人間の営みである科学の側から描こうとしたSFなのである。

『月世界小説』 牧野修 ハヤカワ文庫JA
 97年7月号のSFマガジンに掲載された同名の中編を全面改稿して長篇化したもの。
 牧野修には「言霊」小説とでもいうべき作品群がある。言語によって描かれる世界が、そのまま別世界として生き、存在するという、言語SFだ。言葉によって構築された、ということは小説や物語そのものでもあるのだが、それがテーマとなることで、視点が対象のひとつ外側のレイヤーに位置し、世界そのものを相対化するメタSFとなるのだ。
 思えばこのテーマは日本のSF作家が得意とするところで、神林長平や筒井康隆や、あるいはかんべむさし、本書で解説を書いている山田正紀もそうだった。小林泰三は情報宇宙論をからめてハードSFにまでしている。だが、その中でも牧野修こそ、今や日本の言語SFを代表する作家といえるのではないだろうか。
 作者はオカルト系の知識を生かしたグロテスクでコミカルなホラー作品を多く書いているが、その一方で、実験的ともいえる挑戦的で刺激的な言語SFを、「異形コレクション」や「SFバカ本」、「NOVA」などに描き続けてきた。ハヤカワSFシリーズJコレクションの短篇集『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』はその集大成といえる作品である。本書はそのうえ、学生運動や当時の風俗もふまえて、作者自身の1970年代への思いが色濃く漂う、失われた日本をめぐる一種の小松左京論、『日本沈没』論とでもいうべき作品にもなっている。帯にある山田正紀『神狩り』へのオマージュというより、そちらの方を強く感じた。
 ストーリーは2014年の日本から始まるが、それが妄想の月世界へ、月世界小説の世界へと転移する。そして変容した1975年の、アメリカ占領下の日本、一神教的な神(しめすへんの神)が存在し、日本語が消滅してしまった日本を中心に、コトバを武器に神と戦う物語が、いくつかの別々の世界線にそって語られる。いずれの並行宇宙も、言語によって形づくられ、〈非言語的存在〉によって滅ぼされようとしている。
 このように書くと、何だか難しい小説のように聞こえるが、実際はとても読みやすい。飛躍はあってもわかりやすく、すんなりと頭に入ってくる。それはコトバのもつ力を直感的に理解できるよう書かれているからだ。コトバを物理的存在として扱うことができ、まるで可愛らしい小動物のような存在になるポリイとか、様々な小道具も魅力的で面白い。
 コトバ=情報で作られた、神のようなマスターによって管理される世界といえば、ついついバーチャルリアリティの、コンピューター・ゲームの世界を思い浮かべるが、そういう世界の人工性、主人公たちと世界が切り離され、対峙しているという感触はほとんどなくて、いかに奇妙な世界であっても(特にこの月世界はそうだ)、それは人が生きる生々しくてリアルな世界として描かれているのである。

『コロンビア・ゼロ 新・航空宇宙軍史』 谷甲州 早川書房
 何といっても谷甲州の代表作、ライフワークといえるのは〈航空宇宙軍史〉である(SFファンにとっては、という意味でね。山岳冒険小説や、〈覇者の戦塵〉こそが代表作だという場合もあるだろう)。
 冷たく広漠な、力学法則が全てを支配する宇宙、ひたすらリアルで硬質で、時間的にも空間的にも大きな背景をもち、それでいて視点はその中で必死に生きる個々の人間にある。知的で細やかでとりわけ技術系の読者の共感を呼ぶキャラクターたち。そして戦争や軍事的な戦術・戦略を中心テーマとしながら、ひどく地味で、それがかえって静かな迫力をもって迫ってくる、そんなシリーズである。昔から多くのファンがいるし、もちろんぼくもその一人だ。
 本書はその〈航空宇宙軍史〉の、22年ぶりとなる単行本である。SFマガジンに2010年から2015年まで掲載された6編と書き下ろし1編からなる連作短篇集だ。
 〈航空宇宙軍史〉には地球・月連合が中心の内惑星系を拠点とする航空宇宙軍と、木星系・土星系の衛星群、カリスト、ガニメデ、タイタンを中心とする外惑星連合軍との戦いを描く(あるいはその戦いの幕間を描く)シリーズと、もうひとつ、はるか銀河に進出した後の、恒星間宇宙での戦いを描くシリーズとがあるが、個人的な感覚では後者はまた別の話だ(SF的にはすごく面白いのだが)と思うので、〈航空宇宙軍史〉といえば前者の、太陽系内を舞台にした作品群という印象がある。
 本書ではその〈第一次外惑星動乱〉が航空宇宙軍の勝利で終結してから40年後、〈第二次外惑星動乱〉が勃発するまでの、いくつかのエピソードが描かれる。最後にはついに開戦に至るのだが、本書で描かれているのは、本格的な戦争には至らない、まさに歴史の断片、次の戦争の予兆といった小さな事件である。抑制された文章。高まる緊張。人々の記憶の中によみがえる過去の亡霊。こうしてまとめて読むことで、それぞれの短篇では断片的だったものが、大きな社会的・歴史的なうねりの中に位置づけられ、個々の登場人物の思いを越えた運命へとつながっていく。このことは、作者が参考にしたという第一次大戦から第二次大戦への流れにも、70年前の日本の戦争にも、そして今現在にもこだまし、響き合っていくものだろう。
 本書には新・航空宇宙軍史と、新の字がついている。もちろんそれは、これから書かれるはずの第二次外惑星動乱のエピソードへとつながっていくのだろう。首尾一貫した宇宙史の中で、その結末はすでにわかっているといえる。それでも、その現場で働き、血と汗を流す人々は、自分たちにできる最善のことを行っていく。もの静かに、様々な思いをかみしめながら。
 ところで少し気になったところがある。それは表記の揺らぎや超技術の扱いについてだ。セレスとケレスはどう考えても同じ準惑星を指しているように思うのだが、惑星や衛星やクレーターに至るまで実在の地名を使っている作者のこと、もしかして何かの伏線があるのだろうか(ちなみに昔はセレスと呼ぶことが多かったが、今はケレスが定着していると思う)。またロボットへの人格移転や、重力波センサといった超技術、核融合エンジンの暴走による木製の恒星化の恐れという言葉(本来木星程度の質量では恒星にならないので、SFではブラックホールなどを使って無理やり圧縮させたりする)も、この世界の厳密でハードSF的なリアルさと少しアンマッチな感じがする。おそらくこれらはさらに未来の宇宙史に関わってくるものなのだろう。


THATTA 327号へ戻る

トップページへ戻る