内 輪 第295回
大野万紀
桂米朝さんの訃報。人間国宝だった方についてぼくが何を語るということもないのですが、ちょうど40年前のSF大会「SHINCON」でスタッフをやっていた時、「地獄八景亡者戯」を演じられたのを間近で見られたのが心に残っています。その時のことも含めた追悼文を筒井康隆さんが朝日新聞に書いておられます(全文を読むには無料登録が必要)。小松左京さんとの親交もあり、SF界にも関わりの深い方でした。慎んでご冥福をお祈りいたします。
さらにショックだったのは、関西出身の古いSFファンで、東京創元社で編集者としても活躍されていた新藤克己さんが、1月に他界されていたと知ったこと。62歳とは。SFのイベントやネットでもよくお話していました。体調を崩されていたとは聞いていたのですが……。言葉もありません。
何だかばたばたと忙しく、今月は4冊しか読了しませんでした。積ん読がどんどんたまっていくのを見ると、うんざりしてきます。どの本も、早く読め早く読めと、こちらを恨めしそうに見ているのです。わかってる、わかってるから、そんな目で見んといて。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『世界受容』 ジェフ・ヴァンダミア ハヤカワ文庫NV
〈サザーン・リーチ〉三部作の第三部。完結編で、エリアXの謎について一応宇宙的な説明はされているのだが、まあ、あんまり関係はない。視点人物が章ごとに変わり、時間も前後し、これまでの二作を読んでいればそんなに混乱することはないが、それでももつれたスパゲッティというか糸を解きほぐしていくような(それでますますもつれていくような)感覚に陥る。
前作の新局長がダメダメで、旧局長が思いがけず魅力的な人物だったとわかったり、影の主要人物といえるライリーや灯台守が大きく扱われていたり、そのへんのディテールの深まりは面白い。ホラー的な要素や、不可解で不条理な世界の設定は、書かれてはいるのだが、あんまりぱっとしない。むしろ人物像で読ませる。とりわけ異界の生き物に変容した生物学者など、グロテスクだが哀感があって、まるで酉島伝法の描く異生物のようだ。ただ、すぐに視点が変わってしまうので、そんな世界をゆっくりと味わうというのではなく、それぞれの内宇宙の連携の方にテーマが移る。
それはそれでいいのだが、もっと変容した世界をそのままに見たかった気がする。
『薫香のカナピウム』 上田早夕里 文藝春秋
WEBマガジン「マトグロッソ」に連載されていた作品が、加筆修正されて書籍化されたものである。
大異変後の地球で、熱帯雨林の樹冠部〈カナピウム〉に暮らす人々。豊饒で多様な生命に溢れる地上40メートルの世界は、香りと匂いに満ち、独特な文化をもつ人々は、素朴ではあるが、自然と溶け合った豊かで平和な日常を送っていた。ヒロインの少女、愛琉(アイル)は、多数の少女たちと少数の大人からなる一族の中で成長していったが、やがて〈巡りの者〉と呼ばれる集団と出会い、その一人鷹風と〈巡り〉を〈合わせる〉ことになる。しかし平和だった森に異変が迫っていた……。
ボルネオの熱帯雨林の樹冠に広がる生態系と、それを調査する科学者たちについては、以前にテレビのドキュメンタリーで見て強い印象を受けた記憶がある。もしかしたら作者も同じ番組を見たのかも知れない。本書の前半では、少女の目を通して、熱帯雨林の樹上世界での暮らしが、いかにも瑞々しく官能的に描かれていて、とても読み応えがある。それは確かに現実にある種のフィルターをかけて描いたファンタジーなのかも知れない。作者は本書をむしろファンタジーとして読んで欲しいと語っている(「SF Prologue Wave」)。しかし本書の世界はそれでも古典的でストレートな本格SFとして構築されており、それは「風の谷のナウシカ」や(小動物を身につけて森を駆け回る愛琉の姿には、誰しもナウシカを思い浮かべるだろう)、〈オーシャンクロニクル〉を始めとする作者自身の描いてきたSF世界とも通じるSFの原型的な魅力に満ちたものなのだ。
大異変後の世界。自然のままに見えた世界は実はとても人工的な、〈巨人〉と呼ばれる存在に管理される世界であったことがわかる。後半はそんな秘密の暴露に従って、しだいに世界が広がっていくセンス・オブ・ワンダーにあふれており、この世界に迫る危機と、人々の様々な意志と生き方を中心に、愛琉たちの決断が描かれる。
実際の所、この世界で〈巨人〉たちが何をしようとしているのか、異変の実態、人々のジェンダー(というか生殖の方式)、生態系の謎など、少しわかりにくいところもあるのだが、それはあまり重要ではないのだろう。後半の真のテーマは、変容した・させられた、様々な奇妙で魅力的な生物たちにあるといっていい。これはもう、〈オーシャンクロニクル〉から〈妖怪探偵〉まで、作者のオブセッションとまでいってもいいテーマなのではないだろうか。
前半の展開からは、よくある自然と人工の対立を思わせるかも知れない。だが、この「自然」は「人工」をも含んだ「自然」であり(彼女たち自身も人工の存在なのだから)、本書は普通の意味での「自然」と「人工」の対立などを描いたものではない。ここでの「自然」は、今ありのままにあることであって、むしろ納得のないまま他人の意図によって押しつけられる環境への、少女の素朴な自由意志からの反発である。だが多数決や、同意があればいいというものでもなく、何が正しいのか、答えはない。
『有頂天家族 二代目の帰朝』 森見登美彦 幻冬舎
三部作だったのね。わ、前作が出たのはもう7年前か。
京都の町でタヌキたちと天狗たちが怪しげな人間たちも巻き込んで大騒ぎ。キャラクターたちもみんな魅力的だし、主人公のタヌキ、下鴨矢三郎はかっこいいヒーローだし、峰不二子的な美女の弁天はあいかわらずみんなを振り回しているし、老いぼれ天狗の赤玉先生の二代目が、英国から帰国してくるし、今回は京都だけでなく、琵琶湖畔や、有馬温泉や、四国も舞台になっていて、とても楽しく、面白く、そしてちょっとだけ禍々しい恐ろしさもある。
エンターテインメントとしては申し分ないのだが、少しだけ物足りなさも感じるのだ。それは著者の他の作品にある、魔界・異界としての京都、深く豊かで底知れない華やかさと恐ろしさ、そんな裂け目が日常の中に重畳しているという感覚が、ここではタヌキたちの底抜けに明るいバカ騒ぎに負けてしまっているように思うのだ。もちろん、本書でも金曜倶楽部の地獄屏風のように、奇怪な男、天満屋の存在のように、敵のタヌキ、夷川早雲の暗い執念のように、禍々しい墓穴世界の風は吹き込んでいる。でも、矢三郎の阿呆の道の前には、そんなものは吹き飛んでしまう。そこが本書の楽しいところでもあり、物足りないところでもある。
しかし、タヌキの世界も恋の季節ですね。女タヌキたちの、みんな愛らしく可愛いこと。かなりキャラかぶっている気もしないでもないが、まあ好ましいです。タヌキのために孤軍奮闘するおじさん、淀川教授のキュートなこと。そして、クールな二代目と弁天の対決は続編に持ち越されるのでしょうね。
本書で一番心にしみるのは、みなから魔女のように恐れられる弁天の、ひとしずくの涙だろう。琵琶湖畔をぽてぽて歩いていた少女は、天狗の神通力をわがものとし、向かうところ敵なし(二代目を除いて)なのだが、その孤独の深さはどれほどだろうか。矢三郎ならずとも、惚れるね(怖いけど)。
『鋼鉄の黙示録』 チャーリー・ヒューマン 創元SF文庫
南アフリカの新人作家による、オカルト、モンスター、高校生、暴力、パロディ満載、といったキーワードから、強烈に色物っぽい感じが漂ってくるが、読んでみたら面白かった。
基本、ブラックで暴力的なコメディである。高校生が主人公だから、ヤング・アダルトといってもいいのだろうが、日本のラノベに似た雰囲気もある。
バクスターはケープタウンに住むメガネ男子の高校生。二つのギャング集団が抗争をくり返すこの高校の中で、独立したグループを立ち上げ、ポルノ販売などの商売を抜け目なくやっている。自意識過剰で知的なワルを狙っている彼が、失踪した恋人を探して、超常世界専門の賞金稼ぎという、やたら胡散臭いおっさんであるローニンと出会い、この街の裏に巣くう怪奇な存在たちとガチに戦うことになる……。
はじめ暴力学園ものっぽくスタートするが、突然、アフリカの神話からつながるオカルトな世界に地続きになだれ込んでいき、しまいには時空を超越した怪獣大戦争にまで至る。いや面白い面白い。『ズー・シティ』のローレン・ビュークスを師とするというのだが、実際、その世界観はよく似ている。こちらはもっと三流っぽい派手派手なイメージを強調しているが。
しかし書きっぷりはしっかりしていて、バカバカしく薄っぺらに見えるストーリーの奥に、相当にずぶとく深みのある世界が広がっており、読み応えがある。例えば、後半にそれまでのストーリーの全てをひっくり返すような描写が出てくるが、それが実に説得力があり、うっかりするとSFじゃなくて普通小説だったのかと思いそうになる。もちろん、そこまで読んできた読者は、これが敵の新たな攻撃だとわかっているのだが、それでも小説の根底を覆されるような不安を覚えるだろう。だって、常識的には明らかにそっちだもの。でも非常識の勝利だ、バンザイ! こうでなくちゃね。で、最後は中二病的な大立ち回り。続編もあるようで、期待したい。