内 輪   第294回

大野万紀


 日経サイエンスの2015年4月号が「破局噴火」の特集を組んでいます。御嶽山の噴火や、川内原発の巨大噴火リスクの話題などからでしょう、科学雑誌の棚には同じような特集が目立ちます(例えばNewton別冊「富士山噴火と巨大カルデラ噴火」など)。
 ぼくが「破局噴火」(巨大カルデラ噴火)に興味をもったのは、石黒耀『死都日本』を読んでからです。ちなみに「破局噴火」という言葉はこの小説からとられたとのこと。日本では1万年に1回くらい起こるというこの破局噴火が起こると、例えば九州全土が火砕流に覆われて数百万人が死亡し、その他の地域も厚い火山灰に覆われて破局的な被害をもたらすというものです。
 小松左京『日本沈没』では日本列島が沈没してしまうので、それには及びませんが、現実に想像できる中では最大級の災害だといえるでしょう。しかも、前回の破局噴火である鬼界カルデラの噴火(南九州の縄文文化を滅ぼしたとされる)から7300年がたっており、地質学的にはいつ次の噴火が起こっても不思議ではないとのことです。
 小惑星の衝突もそうですが、このようないつ起こるかわからないが、起こったときはとてつもない被害がでるような、そのうえ今の科学技術では有効な対策がたてられないようなリスクに対して、われわれはどう向き合えばいいのか。SFでは何度も取り上げられているものの、現実的にはとても悩ましい問題です。明日天が落ちてくるかを心配して暮らすわけにはいかないが、まったく無視して忘れてしまうわけにもいかない。一人一人のレベルではどうしようもないことですが、それでもどこかで誰かがその研究をして、理解を深め、地道に知恵を積み重ねていくことを応援したいと思います。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『鴉龍天晴』 神々廻楽市 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 評判が高いが、水鏡子が「今どきのラノベに比べればそれほどでもない」と言っていたので(どういう意味でそう言ったのかはわからないが)、そんなものかと思っていた。実際に読んでみて、冒頭のカラフルで歯切れのいい文章がとても気持ちよく、もともと和風ファンタジーは好みなので、これはいいと思った。キャラクターも魅力的だし、講談調の文体もいい。
 関ヶ原以来、東西に分裂した日本。幕末になって、鬼巧というスーパー科学なメカを採用した東日本と、陰陽道が発達し、妖怪変化を駆使する西日本の対立が、黒船来航を機に一触即発の危機を迎えている。独立自治区である京都で暮らす医学生・竹中光太郎は兄に仕込まれたすごい剣技の持ち主だが、それを表に出すことなく、貧しいながらも学問に打ち込む日々を送っていた。そこへ突然現れた謎の美少女、織姫。何ものかに追われているという彼女は、彼の下宿にまでやってきて、彼の生活をさんざんひっかき回しては、またどこかへ消えていく(すごく楽しそう)。
 彼の周囲には、薬売りだというが、いつもどこかへ姿を消している兄の半蔵、織姫とともに飛び込んだ河原歌舞伎で静御前を演じていた妖艶な美女(鬼巧をつかう)、また大学寮での友人の陰陽師など、アニメやマンガでよくあるパターンには違いないが、エンターテインメントとしてとても魅力的な登場人物にあふれている。スピーディできらめくような描写とあいまって、楽しく読める。で、このままコミカルで華やかな物語が進むと思った。
 ところが、第二章で調子が変わる。こちらの主人公は、東日本の側、帝国陸軍武官・真田幸成。彼は横浜で不祥事を起こし、飛騨へ左遷され、家臣団とともに蟄居の日々を送っている。その実、帝国政府の元老・井伊直弼の密命を受けて、皇女和宮を降嫁させる工作を行っていた。また、ここにはすごい鬼巧を開発するマッドサイエンティストにして無愛想な少女、芭蕉先生もいる。
 こちらパートも、芭蕉先生をはじめとするキャラクターには十分魅力があるのだけれど、ベースが重く複雑な陰謀劇なので、何となく話がもたつく。そして、後半、ついに東西は戦端を開き、第二関ヶ原の戦いへと続いていく。光太郎たちも、否応なくそれに巻き込まれていく……。
 本書で話は終わっていない。第2回ハヤカワSFコンテストで最終候補となった作品だが、その選評(SFM2015年1月号)でも語られていたように、本書は四部作の第一部なのだそうだ。それをコンテストに応募するというのもいい根性してると思うが、まあ読者としてはそれでちゃんと続きが出るのなら問題はない。でも、そのためか、何ともバランスの悪い作品となっている。
 一番の問題は、キャラクターや設定の魅力にストーリーがついていっていないことだ。それさえ何とかなれば、すごく魅力的な作品だと思う。例えば後半の、最も作者が力を入れて描いたと思われる二人の戦闘シーンにしても、微に入り細に入り実に迫力ある描写となっているのだが、なぜそうまでして二人が戦うのか、また少なくともそのうちの一人については、どうしてここまでの超人的な能力をもっていたのか、唐突すぎて理解に苦しむ。その他、せっかくの魅力的なキャラクターをあっさりと殺すのもいいが、それがこのドラマの中でどのような位置づけを持っているというのだろうか。
 幕末が舞台で、アメリカとの交渉も重要な役割を示しているのだから、スチームパンクと妖術の対決という世界観が、世界全体ではどうなっているのか、そのあたりも知りたいと思った。同様な世界観をもつ、ウエスターフェルドの〈リヴァイアサン〉では、全世界がスチームパンク陣営とドラゴン・妖獣陣営に分かれている。続編があるなら、そういった広がりにも期待したい。
 とはいえ希望をいうと、むしろこのキャラクター、この設定で、大きな物語は背景に隠れてもらって、もっと日常系・蘊蓄系の楽しいスピンオフ短篇を書いてほしいと思った。ありきたりかも知れないけれど、きっと面白いと思う。
 最後に、作者の名前(ペンネームじゃなくて本名だったらごめんなさい)、神々廻と書いて「ししば」と読むとか、千葉県の難読地名だそうだが、難しすぎる。楽市を「らいち」も無理やりだなあ。柴田勝家もすごいけど、こっちもすごいわ。

『うどん キツネつきの』 高山羽根子 創元日本SF叢書
 表題作は第一回創元SF短篇賞で佳作となった作品。その他書き下ろしを含む5編が収録されている。
 『原色の想像力』に掲載された表題作と、『NOVA6』に掲載された「母のいる島」は既読。その印象から、ユーモラスで少し不思議系の、ユニークで奇妙な味の作風だと思い、注目はしていた。ところが今回まとめて読んで、いやもうすごい傑作じゃないですか。ケリー・リンクとか好きな人なら、きっとはまると思う。
 前半と後半でずいぶん印象は異なる。『原色』や『NOVA』で読んだ印象から、ちょっとコミカルな、日常的な雰囲気を感じていたが、ずっとシリアスというか、重い作品も書ける人なのだ。
 順に見ていこう。まず表題作。うどんというのは犬(かどうか本当はわからない。最後まで読むと、宇宙生物だったのかも知れない。でも作品中ではずっと犬であって、それでちっともかまわない)の名前で、それを拾った三姉妹の日常と成長がスケッチ風に描かれる。三姉妹は個性的で、出来事もコミカルなので、ごく普通のちょっと面白い日常を切り取ったスケッチかなと思う。そこに少し不思議な、いや最後はすごく不思議な出来事が起こるが、それで世界が変わるわけではない。むしろ、それによって日常の中の真実をあらためて確認するというものだ。たとえば生き物を育てるとはどういうことか、といったような。
 次の「シキ零レイ零 ミドリ荘」。シキ零レイ零というのは敷金ゼロ、礼金ゼロという意味ね。そんなおんぼろアパートミドリ荘で暮らす、貧乏でちょっと変わった住人たちの様子を、小学4年生の女の子ミドリの目から描いた作品だ。この住人たちが、ベトナムや中国から来ている人も含め、みんな面白い。特に中心的なテーマとなっているのが言葉の問題。はっきり言語テーマSFといっていい。外国人との会話もそうだが、ネット用語でしか話さない人、木食い虫の食い跡に古代文字を読み取る人、怪しげな大阪弁で宇宙の冒険を語り、手話を使うおっちゃんもいる。そしてここでも夜の闇の不安感と、宇宙的なすごく不思議、それから犬たちのふるまいが描かれる。いつも元気で大人たちを観察しているミドリがとてもいい。ぼくは「じゃりン子チエ」のチエちゃんを思い起こした。
 そして「母のいる島」。ぼくはこの作品がとても好きだ。造りとしてはわりと単純で、離島に暮らす母が入院することになり、島へ帰ることになった主人公をはじめとする十五人姉妹の物語。一見ごく普通に見える姉妹だが、実はみな特別な超絶な技の持ち主で、たまたま島で起こった異常事態に立ち向かう。いやあ楽しい。帯の藤野可織の言葉じゃないけど「なんだこれ」って話だ。でも面白くて、大好きです。
 ここまで、わりと雰囲気は明るくてコミカルなのだけれど、次の書き下ろし中編「おやすみラジオ」で雰囲気が変わる。シリアスといえばいいのか、より重いというのか、背後にあったテーマ性がより表に出てきたといのか。
 「おやすみラジオ」では、はじめ小学生の子どもが作ったらしきブログで、次第に成長するラジオという謎の機械が描かれる。それはそれで少し不思議だけれど、これまでの作品のように、日常の枠組みに一つの異物が紛れ込んだものとして読める。ところがその異物感が、ブログを読んでいる女性の生活に浸食をはじめ、ネットでのうわさや謎となって日常を変容させていく。それはバベルであり。情報の洪水である。そしていつか現れるだろう方舟の幻影をもって、きちんと話は終わる。
 驚いた。すごく良くできた小説だ。この中編についた英語のタイトルが「Radio Meme」で、つまりこれがミームについての物語であることを示している。まさに現代SFのど真ん中だといえる作品だ(ただ個人的には、もっとお気楽な話の方が好みなのだが)。
 ちなみに本書の作品には全部英語(とは限らない。エスペラント語やフランス語もある)のタイトルがついているが、これをつけたのは作者? 編集者? 直訳ではなく、それぞれテーマを含めて考えられた凝ったタイトルになっていて、面白い。例えば表題作は「Unknown Dog Of Nobody」で、頭文字をつなげるとUDONだ!
 最後の「巨きなものの還る場所」も、シリアスで本格的な幻想譚である。明らかに東日本大震災を背景にして、青森のねぶたと出雲の国引きを結びつけ、神話的で巨大なものの到来を幻視する。そこにオシラサマや、学天則や、空飛ぶスパゲッティや、シャガールの絵や、時代を越えて、「家族」や「場所」に縛られながら、人ではない巨きな何かにつながろうとする人々の物語を描いていく。
 中で語られる言葉が印象的だ。「意識とか、魂みたいなものは、ひょっとしたら私自身にあるんじゃなくて、所属している集団とか、場所の方にあるのかも。そこにたまたま私みたいなひとつの生き物がいるから、私に魂があるように見えるだけで」。
 「場」に宿る意識。SFやねえ。

『鈴狐騒動変化城』 田中哲弥 福音館書店
 田中哲弥の新刊は児童書だが、上方落語小説だ。そして突拍子もない和風ファンタジー。
 海辺の美しい城下町――といえば明石だね、きっと。あの大久保町と同じく、幻想の明石。道をタコが歩いているというあの町だ。
 それはともかく、みんなに好かれる茶碗屋の小町娘、お鈴ちゃん。町内のみんなが惚れているそのお鈴ちゃんが嫁に行くことになった。その相手の伊助もとってもいい奴。大工の清吉はがっかりしつつも、二人を祝福して大騒ぎ。ところが残忍なことで評判のバカ殿がうわさを聞きつけ、お鈴ちゃんをわがものにしようとする。身をはかなんで自殺しようとするお鈴ちゃん。それを助けたのは、清吉とアホの喜六、そして喜六が捕まえた狐のおツネちゃん。かくて町のみんなを巻き込んだ、お鈴ちゃんをバカ殿の魔の手から救う大作戦が始まる。
 おツネちゃんがお鈴に化けてお城に乗り込もうというのだ。ところがすんなりとは行かず、あれよあれよと話がもつれてドタバタに。忍者はでるは、隠密に、お家騒動、バカ殿の思いがけない心の闇、何かにつけて「むはははは」と馬鹿笑いするおツネちゃん。もとより人間じゃないので、お鈴を助けようとするみんなの心もよくわかってはいない。でも「まあええやん、おもしろいし」。
 とにかくかなりひねったスラプスティックな展開になるが、ぼーっとした会話とくり返しギャグが上方落語の緩急自在なテンポと相まって気持ちよく進む。小学生でも大人でも同じように楽しめると思う。
 しかし、お城の中はまるで悪夢に出てくる屋敷のような、和風ゲームの迷宮のような、不思議な空間になっていて、そこに突然大きな池のある静謐な庭が現れたり、この幻想的な異界の感覚は、やはり作者のものである。ここには確かに、落語的日常とは別の、異界への入り口が口を開いている。ぼくは筒井康隆のある種の作品と同じ感覚を感じた。おどろおどろしいがとても美しく魅力的な、深い世界である。そこに踏み込んでしまえばもう還っては来られないような……。
 とはいえ、本書ではそこからすぐまたドタバタの世界へ回帰する。おツネちゃんの神通力でサムライが分身し、忍者が空を飛び、「むははははは!」「やめなさい」の世界だ。きちんとハッピーエンドで終わり、とても楽しかった。

『全滅領域』 ジェフ・ヴァンダミア ハヤカワ文庫NV
 スチームパンクの本を書いたり、チャイナ・ミエヴィルらと「ニュー・ウィアード」という一派を形成してアンソロジーを作ったりしているアメリカのモダン・ファンタジー/ホラー作家の、日本初登場の長編である。
 本書は〈サザーン・リーチ〉三部作の第一部。このたび三巻とも翻訳がそろったので、ようやく読み始めた。
 この地球でおそらく現代と思われる世界(具体的な地名や固有名詞は出てこない)に、三十年ほど前、突如〈エリアX〉と呼ばれる謎の領域が出現。そこでは生態系が異常な変化をとげ、監査機構〈サザーン・リーチ〉が何度も調査隊を派遣しているが、まともな状態で帰還したものはいない。帰ってきた者も、そこで何があったかの記憶はあいまいで、人が変わったようになり、致命的な癌に犯されていてすぐに死んでしまう。謎に包まれたその〈エリアX〉に、今度は女性ばかりの調査隊が派遣された。
 本書はその一人、生物学者(ここでは互いに名前では呼ばれない決まりになっている)による、きわめて主観的な報告書となっている。設定の詳細や謎解きはほとんどされない。人間を拒絶し、奇怪に変容した不条理ともいえる領域が、まさにウィアードな、不気味で不可思議な主観描写で描かれる。それはとても生物的な変容であって、認識や感覚にも浸食は及ぶ。壁に生えた苔は筆記体で謎めいた言葉をつづっている。調査員たちは次々にその影響を受け、また監査機構やチームのリーダである心理学者にも謎があり、一人また一人と死んでいく。生物学者自身も変容しているのだが、彼女の一人称で描かれているため、その具体的な状況はなかなかわかりにくい。三部作全体では謎は解けるように書かれているというのだが、この調子では一筋縄ではいかないだろう。
 いやSF的な解釈はいくらでもできる。でもたぶん、そこに興味の中心はなく、おそらくこの一見自然に還ったかのような原初的な風景の中においた人間の不気味さ、不可解さが、本書の読みどころだといえる。この悪夢のような異様な情景には、確かに魅力があり、読み応えがある。柳下毅一郎の解説では、ストルガツキーの『ストーカー』を連想すると書かれているが、実際そんな感じだ。特にタルコフスキーの映画版の、とても静かだが奇妙で超常的な風景を思い浮かべる。
 ついつい、この領域を空から見たらどうなっているのか、とか、衛星写真ではどうかなどと考えてしまいがちだが、あまり気にしない方がいいだろう。それより、この生物的などろどろぐちゃぐちゃの異様さは、某日本作家の作品に近いような気もする。

『監視機構』 ジェフ・ヴァンダミア ハヤカワ文庫NV
 〈サザーン・リーチ〉三部作の第二部は、第一部と主人公も舞台も語り口も異なる。その不条理な不気味さは変わらないが、第一部が破滅後の世界を舞台にしたニューウェーブSFか、異世界探検SFのような雰囲気があったのに対し、舞台が〈エリアX〉からこちら側に移ったこともあり、スパイものか、もっといえばホラー小説の雰囲気が強くなった。はっきりいって、インスマウスの町を舞台にしたクトゥルーものに近い、コズミックホラーの雰囲気がある。
 本書の舞台は〈エリアX〉にほど近い町にある、監視機構〈サザーン・リーチ〉の本部。新局長として就任してきた〈コントロール〉は、謎めいた機構の改革に乗り出すが、たちまち職員たちの抵抗にあう。〈中央〉とも関わる複雑な派閥があるらしい。だが組織は停滞し、〈エリアX〉の調査も何ら進展せず、奇怪な言説が飛び交うばかり。
 第一部の主人公だった〈生物学者〉は生還し、ここ〈サザーン・リーチ〉で訊問を受けている。だが彼女は、何もかも忘れたと、あいまいな答えに終始している。しかしそれにも増して、〈サザーン・リーチ〉の内部にこそ不可解な謎が渦巻いているのだ。漂う腐ったハチミツの臭い。前局長の部屋にはネズミの死骸から生えた植物が放置され、隠された部屋には〈エリアX〉にあったあの奇怪な文言が壁に書かれている。新局長にことごとく反抗する局長補佐。こちらの世界へも〈境界〉はすでに侵入しているのだろうか。
 本書でも、アメリカといった具体的な地名は出てこないが、第一部と違い、われわれになじみのある固有名詞が現れていて、どうやらここは実際にアメリカ南部なのだろうと思わせる。空中や衛星からの写真はどうなっているのかといった、前作で気になっていたことも少しだけ言及がある。しかし、そういう客観的な謎解きは進展せず、新局長の主観ベースで話は進む。それでも次から次へと奇怪な事象が続くので、退屈することはない。
 〈エリアX〉からの帰還者はどうやらソラリスの海から現れる人間のような、一種の複製であるらしい。それでも彼らには意志があり感情をもっている。〈コントロール〉は〈生物学者〉に引き寄せられ、やがて訪れた破局にあたって、ふたりは衝撃的な決断を行う。
 ということで、その続きは第三部で、というわけだ。謎の解明や解決はないのだが、本書は現代的なホラー小説として、面白く読めた。


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