SFを少し離れて

第5回

菊池誠


 他の用事と重なって欠席してしまったSF大会。こういうのは一度行かないと、そのままずるずると行かなくなってしまうかもしれない。まあ、それは前々回の夕張を欠席したときからわかっていたことではある。
 それはさておき、そのSF大会に合わせて刊行された「SFファンジンNo.58」が届いた。オリジナルの「SFファンジン」は僕がSFファンダムにはいるよりもずっと前に出されたものだけど、復刊第一号からは僕も参加させてもらっている。といっても、今回は「空想科学小説コンテスト」の審査員に名前を連ねているだけなんだけどね。ファンジンなのにコンテスト、しかもこれ、一席は夢枕獏賞、二席は巽孝之賞として、いずれも賞金と副賞まで出るというもの。本誌もイスカーチェリとBAMUと科学魔界の合同誌というすごいファンジン(もちろん、体裁も中身も)なので、未読のかたはぜひ入手を。

 さて、その「SFファンジンNo.58」では特集「日本SF作家クラブ50周年記念」と銘打って、記念事業だった「第二回国際SFシンポジウム」について、パット・マーフィが記事を寄せている。昨年の広島でのSF大会に合わせて開かれたこの連続シンポジウムには僕もいろいろな理由で関わって、大阪会場の準備と司会を担当した。大阪でのシンポジウムには大阪大学21世紀懐徳堂という組織の協賛だか協力だかをもらったので、その窓口も僕の役目だった。まあ、そんなこんなで、それなりに深く関わったというわけ。
 ただし、「SFファンジンNo.58」に同時に掲載されている「第二回国際SFシンポジウム共同声明」には僕は名を連ねていない。関係者の中で名を連ねなかったのは僕だけかもしれない。すごく大きな理由があるわけではないし、「第二回国際SFシンポジウム」そのものに含むところはまったくないのだけど、もしかすると奇異に見えるかもしれないので、ちょっと説明しておこうかなと思う。これは東日本大震災以後の僕自身の経験と関係がある。

 パットも書いている通り、この公開シンポジウムは広島、大阪、名古屋、東京と移動しながら開かれ、そのほかに京大と福島大でミーティングが行われた。パットもこのツアーが広島で始まって福島で終わったと書いているし、「共同声明」にも「まず1945年8月6日に人類史上初の原爆が投下された広島から始まり、最終的には2011年3月11日に東日本大震災の余波で原発事故が起こり放射能汚染に悩む福島で幕を閉じました(原文は漢数字)」と書いてあるように、福島は重要な場所として位置づけられている。実は僕が同意できなかったのは、ただこの一文だけだ。
 といっても、原発事故が起きたのはは3/11ではなかろうというような話じゃないし、広島と福島を並列に書いてしまうことに異議があったというわけでもない。ただ、福島大学でミーティングをしたくらいで、「放射能汚染に悩む福島で幕を閉じ」たと言ってしまうことに、僕は同意できなかっただけだ。実はこのシンポジウム、時期としては僕たちが富岡を訪れたひと月ほど後に当たっている。
 今でも思うのだけれども、このときパットやパオロ・バチガルピを飯舘や浪江に連れていってあげればよかった。もしかすると、うまく交渉すれば1Fにも行けたのかもしれない。1Fが無理でも、浪江には行けたと思う。もちろん、富岡でもいい。津波と原発事故の複合災害の現場を自分の目で確かめるのは、パットやパオロにとっても、あるいは同行の日本人にとっても、得難い経験になったはずだ。
 せめてその程度まで見て初めて、「国際SFシンポジウムは福島で幕を閉じた」と言えるのではないかと、僕はそう考えたので、このままの文章には同意できないとメールを書いた。問題はこの一点だけだったのだけど、少なくとも僕にとってこれはとても重要なことに思えた。
 国際SFシンポジウムは本当の意味で福島には行っていないのだと思う。もちろん、それは僕の個人的な見かただし、単に僕がその直前に富岡を訪れていろいろ考えてしまったからにすぎない。話はそれだけなので、僕が何かにひどく怒って署名を拒否したとか、そういうわけじゃないことはわかってもらえるといいな。実際、僕はただせっかくの機会を活かさなかったのが残念なだけなのだから。

 前回書いたように、僕自身もほとんどただの観光客として飯舘や浪江や富岡を見ているだけだから、それほど偉そうなことが言えるわけじゃない。ただ、「見る」ことにはそれ自体の重要性がある。
 この問題については、最近、東浩紀が盛んに議論している。彼が携わった「チェルノブイリダークツーリズムガイド」と「福島第一原発観光地化計画」、そして刊行されたばかりの「弱いつながり」に目を通してみることをお勧めしたい。実は彼らは、国際SFシンポジウムの直前(つまり、僕たちが行った直後)に富岡を、またシンポジウムの後に浪江を訪れていることが、「福島第一原発観光地化計画」に書かれている。観光地化計画そのものの議論については、僕は先走り過ぎていると感じてはいるけれども、それでも、東が強調するように「観光客として見る」ことには意義があるのだと思う。

 ほんとは今回はALSについて書くつもりだったのだけど、予定を変更してこの話を書いた。ALSのことはまた次回にでも。短くてごめんね。それじゃ、また。

 (2014/08/03)


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