みだれめも・出納日記 13年10月

水鏡子


 先月の岡本俊弥のサンリオ文庫発言を訂正する。ぼくは翻訳を引き受けていない。英語が読めないのに引き受けるわけがない。こうやって嘘が事実のようにまかり通っていくわけであり、岡本俊弥の犯歴は過去にも枚挙にいとまがない。

 「本の雑誌 サンリオSF文庫特集」のなかの田口久美子さんのフライング「さよならサンリオSF文庫フェア」の記事にぼくだけではなかったのだと安心する。じつはぼくもSFMのブックレビューで廃刊を報じて編集の西村さんから困った口調で電話を受けた口だから。断裁になる前にできるだけ応援しようという心積もりだったのだけど、企業のシステムがある程度わかる歳になってみると西村さんが困っていた事情というのが納得できる。でも、田口さんの情報源がぼくのSFMレビューだったりしたらいやだなあ。
 早川書房とサンリオ文庫の確執は海外SFファンの間でも割と有名だったので、今から思うと、SFMのブックレビューを受けるとき、「サンリオ文庫もやっていいですか?」と尋ねたぼくもぼくだけど、「かまいませんよ」と二つ返事で承諾してくれた今岡編集長も偉かった。はじめたころの2回に1度はサンリオ文庫のレビューをやって、今岡さんからサンリオの回し者と軽口を叩かれたりもした。

〇9月の結果
支出計:137,016円。前年9月239,087円。102,071円減。
入手書籍:109冊 38,665円。累計1,899冊。前年累計1,597冊

 10万円を越える減。何があったのだろうと調べると、昨年は、整形外科にかかってMRIを撮ったり、シルバー人材センターへの草刈支払がこの月にずれこんだり、パチでほどほど負けたりとそんなことが重なっていた。残り3カ月になって支出累計は170万円。あとの大口出費は国民健康保険料後期分くらいなので300万円という支出上限をゆうゆうクリヤーできる。なんか耐久備品を買おうかな。書架とか。
 今月は書籍購入平均単価が350円。年間ベストの投票に向けて遅ればせに購入した新刊が原因。

10月1日(火)〜10月30日(月)
【トピック】

 9月第5週・10月第1週。
 9月10月で10,000円分の冷凍食品が届く。冷凍庫がぱんぱんになる。来月も6000円分が到着の予定なので、スーパーの買い出しも控えて家から出ずに黙々と消化する。インスタント・ラーメンに天津飯の具をかけたり、おやつ代わりに餃子を食べたり。野菜類を食べてないのがやや不安。

 10月第2週
 週末は京フェスなので、金曜日に大阪四天王寺と天満宮の古本市に行く。早川SFシリーズがずいぶんたくさん出回っていて、あいかわらず800円平均の店もあるけど300円400円の店もけっこう増えている。QTブックスに1500円2000円の値が付いているのに複雑な気分。意外と平均単価が高いのが、日本作家とノベライゼーション。「インベーダー」や「タイムトンネル」の方が古今の名作よりも値段が高い。300円縛りをして未保持のものを拾っていると、厚いもの200円、薄いもの150円の店をみつけて逆上する。持っている本ばかりだけれど10冊ほど買い込む。持ち帰るつもりだったが、天満宮の方で、人文社会科学系のハードカバーが大量に100円コーナーに並んでいて、さらにミステリマガジン丸表紙が80円で大量に放出されているのを発見。重量10sを越えたので、宅配を使う。去年と同様藤元君に会う。
 久しぶりに重い荷物をもって歩き回ったせいで、翌日の京フェス当日は大幅に寝過ごし、結局4つ目の企画しか見なかった。
 合宿企画も麻雀を半荘1回だけしたところ結構時間がかかって、ほとんど覗けず。3人を沈ませる大勝ちをする。隣の卓では細美が国士無双を振り込んでいた。
 京フェス終了後、天満宮の古本市に再度行く。持っている号がわからなくて、金曜日に放置したミステリマガジンを、二桁ナンバー中心に買いこむ。

 10月第3週〜第5週
 イベントめいたものはなにもなし。翻訳本の読破は遅々として進まず。株で少し前のめりになり痛い目に会う。「女神転生W」に飽きたところで、唐突に「大帝国」の再履修に取り掛かってしまう。書庫の文庫があちこちでつまり気味になったので大幅な並べ替えにとりかかる。 

【読んだ本】17冊(内、漫8冊) 累計379冊(内、漫186冊)

 野崎まど『2』★★★
 成田良悟『バッカーノ1935C』★★★
 チャイナ・ミエヴィル『キング・ラット』★★★
  『クラーケン 上下』★★★★
  『言語都市』★★★★★
 R・A・ラファティ『蛇の卵』★★★★
  『第四の館』★★★★
 マイクル・G・コーニイ『パラークシの記憶』★★★★

(漫)
 白井弓子『wombs (1)(2)』★★★★、高橋しん『なつのひかりの』★★★、ほか8冊

 ★の大安売りになってしまった。

 魔術的ロンドンというのはミエヴィルにとって心のふるさとみたいだ。デビュー作の『キング・ラット』『アンランダン』『クラーケン』と何年置きかに立ち帰っている。『クラーケン』ののびやかさはほんとうに心地よくて、比べると都市造形に凝りまくる各種受賞作には正装を解かない窮屈さがある。
 今年のベストに『クラーケン』をといろいろ比較検討したのだけれど、『言語都市』は構築力で完璧だ。ここまでのミエヴィルの最高傑作ではないか。陰謀があり、拡がりがあり、悲惨がある。破滅があって、希望がある。あふれるほどの多数を盛り込みながらコンパクトにまとめた、王道宇宙SF。考え抜かれた異星人と植民世界と地球連邦。コンタクト・テーマの傑作であり、宇宙へ出ていく人類の物語である。後述マイケル・コニイの進化形。酉島伝法『皆勤の徒』と意外と近くに位置する作品みたいな気もする。

 遅まきながらのラファテイ2長編はスケール、ヴィジョンのきらびやかさで『蛇の卵』の方を支持。多数の登場人物を列伝風に語りすぎ、展開面でやや単調だ。『第四の館』はSFジャンルの商業主義的枠組みがまだラファティの幻想を強固に絞りあげ、ドラマティックな物語作りを要求していた時代らしく、主題の割にずいぶん俗っぽく、頁数の制限があってか、はしょった感じの最終章を除くと、アクションや恋愛めいた要素も加えたわかりやすい筋立てで、登場人物たちもまだまだ人間っぽい。商業主義的枠組みと作家的幻想がせめぎ合い、世界をより輝かしていたようにも思える。新人作家が、ポール、ナイト、テリー・カーといった読み手/買い手を納得させようと、それなりに緊張しながら物語を刈り込んでいた気がする。それでも、『蛇の卵』と合わせて読むと、『第四の館』は話が地味。こんな話を取り上げて地味などという形容をすることができるとは正直思わなかった。

 マイクル・コーニイは『ハローサマー・グッドバイ』から何世代もの未来を舞台にした続編で、いろんなことを盛りこんできちんと説明しすぎたせいで前作より少し安っぽくなったところがあるけれど、時代に置き去りにされないタイプの古いSF。高橋しんと通底する読後感かな。

【買った本・拾った本】主な本20点内

 マイクル・G・コーニイ『パラークシの記憶』頂き本(山岸真様 多謝)
 ハインライン『人形つかい』200円
 ダンカン『人工衛星物語』(箱なし)200円
 ブレンダン・ギル『ニューヨーカー物語』200円
 フィリップ・プルマン『ぼく、ねずみだったの』105円
 早川SFシリーズ21冊計4350円:うちダブリ11冊
 ミステリ・マガジン65冊 各80円
 『作品による日本児童文学史(1) 明治大正期』300円
 『近世科学思想 上下』(日本思想体系)各100円
 寺光忠男『正伝昭和漫画』200円
 山下雅之『フランスのマンガ』500円
 岩間夏樹『戦後若者文化の光芒』100円
 橋爪大三郎『言語ゲームと社会理論』100円
 多木浩二『眼の隠喩』100円
 山口泉『吹雪の星の子供たち』100円
 『香山滋全集 第2巻』1000円
 『岩波文化人類学講座 思想化される周辺世界』504円
 厨川白村『近代文学十講』105円
 ジョージ・R・R・マーティン『竜との舞踏(2)』3150円 ※今月買った最高値本
 白土三平ほか『忍法十番勝負 上下』(漫画文庫) 各40円 ※今月買った最安値本

【株式成績・等】10月31日まで

 11月の下落を前に10月中に株の処分を行うはずが、下旬に大きく値を崩して結局売り切れず。なんだか3月9月の権利落ち後に毎回同じ失敗をしている。学習能力のないやつ。
 本格的に株式投資を始めて、はじめてわかったことがいくつもある。世界の、とくにアメリカの物語が自分の資産の上下動を通じて身体感覚的に実感できるのがとにかく楽しい。世界につながっているという感覚は、SFを読みだしたころの興奮ともいささか似通ったものだったりする。同じ博打文化でも、競馬やパチンコにはなかったものだ。ただし競馬は完全にクローズだったが、パチンコはおたく文化やメディア文化の一展開の面があり、その面からは楽しめる。

 しかしなにより大変な発見だったのは、労働者が搾取され、資本家が甘い汁を吸うという資本主義の真髄を初めて実感したことだ。吸い上げられた金が、金のあるところに集まっていく。以前にも書いたことがあるけれど、若者が週に60時間平均働いてやっと手にする数倍の収入を、ぼんやりテレビを流しつつ、パソでチャートを眺めたり掲示板を覗いたりして、たまに電話をするだけで、生んでしまえる社会というのは、どう考えても間違っている。間違っているけど、そういう社会の仕組みであるなら無理のない範囲でそのシステムに乗っかることを拒否する必要はない。
 引き籠った若者たちが信用取引を駆使してマネーゲームに興じる様を慨嘆する風潮は昔からあり、僕自身感覚的に賛同してきた口だけど、考えてみると、金のない人間が資本家階級のシステムに乗っかる数少ない手法であるわけだ。ブラック企業で働かされて摩耗するよりある意味人間的な生き方と言えなくもない。

 問題はこの、制度的に間違っているという感覚が、比較的恵まれた境遇とはいえ35年の労働者生活を経験してきた人間が、(かれらから見れば)少額の余裕資金を運用して、資本家階級のシステムのはじっこに乗って初めて体感的に実感できたということである。搾取されている労働者は、理屈的にはわかっても、世の中そういうものだと割り切って、制度的矛盾の不条理を体感的にまで思いいたれない。数億円、数十億円レベルのゆとり資金を抱えている本当の資産家たちは、たとえ表面的にはサラリーマン生活を送っていても、金など勝手に湧いてくると思っているから被搾取感覚を身につけることができない。だからどちらの側も両者を比較した「間違っている」感覚を身につけることはできない。
 なにが問題かというと、こういう「間違っている」感覚のない富裕な人たちが寄り集まって委員会やら審議会やらブレーンとかにおさまって、国の政策を方向づけていることだ。金融市場の景況をベースにした政策推進は、マクロな数字の薔薇色めいた多幸感をばらまきながら、地方と都市、大手と中小、興隆産業と衰退産業、高収入と低収入、ありとあらゆる経済的格差は拡大しながら、社会的諸矛盾を拡大していく。共産党に頑張ってもらうしかないのだろうか。きらいだけれど。


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