内 輪   第276回

大野万紀


 誤報だったけれど、この前の緊急地震警報にはぞっとしました。
 部屋の中に本や雑誌が積み重なり、本当にまた大きな地震が来たらえらいことになるのは目に見えていて、そろそろ何とかしなければと思ったのですが、いざ整理しようとすると相当数を処分しなければ物理的にどうしようもないことが明らかで、気力が萎えてしまいます。
 水鏡子みたいに大きな書庫があるわけでもなく、それに前の震災で、本を処分すること自体にはさほど抵抗はなくなったのですが、何より面倒くささが先に立って、うんざりしてしまう。何か臨界点に達さないとこの面倒くささには勝てないんじゃないかという気がします。
 そして突然の大絶滅、その後の適応放散と、進化の神様も同じように思っているんじゃないでしょうか。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ズー・シティ』 ローレン・ビュークス ハヤカワ文庫
 アーサー・C・クラーク賞受賞のハードボイルドSFミステリ(と帯にある)。作者は南アフリカの女性ジャーナリストで、雑誌コラムの他、ドラマやアニメ、コミックの脚本などでも幅広く活躍しているということだ。
 本書はもう一つの現代、南アフリカのヨハネスブルグを舞台にしたハードボイルドなスリラーという要素が強いが、全ての凶悪犯罪者は一体の動物と共生関係を結ばされ、その代わりに超能力を一つ使えるようになるという、魔法的でストレンジな設定が、とても不思議な読み心地をもたらしている。
 ズー・シティというのはヨハネスブルグの一角で、そんな動物持ちの犯罪者たちが集まるスラム街だ。主人公は元ジャーナリストだが、殺人事件を犯しナマケモノ連れとなった女性、ジンジ。特殊能力は紛失物探しだ。そんな彼女が、芸能界を舞台にした凶悪な犯罪に巻き込まれる。音楽プロデューサーの依頼で、失踪したポップスターの少女を捜すというのだが、ドラッグ、犯罪、殺人、虐殺、そして魔術と、おぞましい暗黒面が次々とむき出しになる。
 ヨハネスブルグといえば、『ヨハネスブルグの天使たち』を読んだばかりだが、本書のヨハネスブルグはさすがにリアルで、生々しい。アフリカの紛争と虐殺、日常化したテロや犯罪という要素もしっかりと背景にあるのだが、その中でのごく普通の人々の生活も描かれている。宮内悠介のヴォーカロイドが、ここでは動物魔法なのかも知れない。実際、ほとんど説明のないこの動物持ちの設定が、インターネットも普及している現代の大都市の日常の中で、ある種エキゾチックな、魔術的なリアリズムをかもし出している。
 エンターテインメントとしては正直、かなりバランスが悪い。映画の『第9地区』でも思ったが、この現代文明と魔術的文化がごちゃまぜになった今の南アフリカって、すごくSF的な気がする(そんなの、現地の人からすれば、アホか、ほっとけ、というだろうけど)。作者はその辺りの感覚をとても自覚的に描いている。なお、このサイトによると「ビュークス」というのは英語読みで、アフリカーンスでは「ビアカス」と読むのだそうだ。

『時を生きる種族 ファンタスティック時間SF傑作選』 中村融編 創元SF文庫
 書籍初収録の作品ばかり7編を収めた短篇集である。ロバート・F・ヤングの「真鍮の都」がトップにきているのは『たんぽぽ娘』効果というやつか。他はマイケル・ムアコック「時を生きる種族」、L・スプレイグ・ディ・キャンプ「恐竜狩り」、ロバート・シルヴァーバーグ「マグワンプ4」、フリッツ・ライバー「地獄堕ちの朝」、ミルドレッド・クリンガーマン「緑のベルベットの外套を買った日」、そしてT・L・シャーレッド「努力」である。
 ライバーとクリンガーマンは初訳だが、他はみな懐かしい作品である。時間旅行、タイムスリップ、過去を見るカメラ、意識と時間、時間線の異なる並行宇宙……。いずれも傑作、名作といえるのだが、巻末のシャーレッド「努力」が飛び抜けて重量級で圧倒的なために、他の作品はいくぶんかすんで見えてしまう。
 「努力」はもう何度も読んだ作品なのだが、読むたびに感慨がある。特に今回は、オープン・サイエンス、ウィキリークスといった話題とシンクロして、このテーマが何十年たってもまったく色あせない問題意識だったのだなあと感じさせられた。これが戦後すぐ1947年に書かれたというのもすごいことだ。アイデア自体はSFでは昔からあるものだし、問題意識のあり方についても、デーモン・ナイト「アイ・シー・ユー」やクラーク&バクスター『過ぎ去りし日々の光』などで、同じくらい深く追求されている。ひとつの発明が世界のあり方を全く変えてしまうというテーマも、まさに本格SFの王道のテーマだ。にしても、この濃密な緊迫感、知的で抑制のきいた文章、文明についての暗い洞察、本当に読み応えがある。何で(事実上)これ一編で終わっちゃったんだろうな。
 他ではライバーが良かった。シルヴァーバーグも好きな話。ムアコックは遠未来の雰囲気はいいのだが、結局それだけだと思う。ヤングはいつもの願望充足ファンタジーで(それが悪いというわけじゃない)、もてなしが良くて楽しいけれど、セックスシーンのないポルノみたいなものだ。アラビアン・ナイトだからそれでいいのか。

『たんぽぽ娘』 ロバート・F・ヤング 河出奇想コレクション
 TVドラマに登場して突然人気が出たという「たんぽぽ娘」だが、本書はもちろんずっと前から予定されていて、そして奇跡のように出版のタイミングがあったというものだ。で、奇想コレクションは本書が最終刊。ある意味感慨深い。
 さてヤングといえば伊藤さん。本書は伊藤典夫選の傑作選であり、初訳7編を含む13編が収録されている。
 この歳になって読むと相当に気恥ずかしい作品が多いのだが、でも確かにそこには冷戦期のパラノイアックな時代背景や、作者の女性嫌悪がベースにあると思われる、どこか歪な感覚が見て取れる。
 ただ、それはあえて強調するようなことではないとも思うのだ。現実の生きた女性を嫌悪しつつ頭の中の理想の美少女を追い求めるなんていえば、いかにもキモオタな感じがするが、ヤングの場合、ちょっと違う気がする。もっと何というかオッサンぽいというか、昔の親戚の中に一人くらいいたような、ちょっと変わり者のおじさんみたいな。大人たちからは胡散臭いと敬遠されているが、子どもたちには妙に人気があるといった。こういう人はけっこういたものだ。とりあえずあんまり今のオタクっぽい感じじゃないね。
 それはともかく、本書には遺作となった「荒寥の地より」を始め、印象的な作品が多い。「河を下る旅」や「失われし時のかたみ」のような作品では時間の流れが死と結びついている。大きな物語ではなく、いずれも個人のタイムスケールで描かれる時間旅行。そして〈空気を読まなければならない〉社会への不適応。一番面白かったのは「ごめんなさい、爆弾に生まれてきて」とヒロインがいう「神風」だ。もっとも、この作品に関する伊藤さんの解題(退職後の校務員生活が背景にある)はぼくにはピンとこなかった。何しろヤングのほとんど全ての作品を読み直したという伊藤さんの解説だから、正しいに違いないのだが、でもちょっと考えすぎじゃないのだろうか。もっとストレートに読んでかまわないと思う。社会的規範への自爆テロ的な嫌悪と、非存在な彼女とのロマンスへのあこがれ、といったように。

『know』 野﨑まど ハヤカワ文庫JA
 何かラノベ系な感じで後回しにしていたのだけれど、ネットでの評判が高いので読んでみた。なるほど、これは傑作だといえる。
 「知ル」という名のヒロイン、「know」というタイトルでわかるように、徹底的に「情報」を「知る」ことにこだわった話だ。もっともそれが「自意識」や「宇宙論」にまで拡大されることはなく、逆にそこまで話を広げないからきちんとこれでまとまったともいえる。
 近未来の京都。主人公は情報庁に勤めるエリート審議官、御野・連レル。この時代、人々は脳に〈電子葉〉を移植しており、建物やインフラや環境そのものに埋め込まれた情報材が構築するユビキタスなネットワークと通信できる、超情報化社会となっている。頭で思っただけで関連情報を検索できるのだ。実際、ちょっと調べようと思ってGoogleの画面を開いたところで、もう何を調べようとしていたのか忘れてしまったということがよくあるのだが、そんな時に電子葉があれば便利だなと思う。
 で、彼はこの情報インフラを作り上げた天才科学者で、彼の恩師であるが14年前に行方不明となった道終・常イチが残した謎めいた暗号を解読し(ここはちょっと無理があるように思えたが)、彼と再会する。そこで御野は、中学生の一人の少女を託され、その意味もわからないまま、彼女と行動を共にすることになる。その後の展開はネタバレとなってしまうので詳しく書けないが、とにかく彼女、道終・知ルは一種の超天才であり、この超情報社会の中で魔法的ともいえる能力を発揮できる存在だった。
 そういう魔法的な超絶バトルや、まるで禅問答のような知ることへのこだわり、そして情報のブラックホールやワームホールという例えで描かれるような、センス・オブ・ワンダー溢れるSF的なビジョンへと、あれよあれよという間に導かれていく。テッド・チャンの「理解」のようなスーパーマン同士の静かで壮絶な異能バトルや、イーガンの「プランク・ダイヴ」のような「知の探求の意味」といった議論も面白い。そういう大きな物語へと向かう部分には、実際はどうかわからないが小松左京の影響のようなものも感じた。
 しかし、作者は特に京大関係者というわけでもないようだが、どうして京都を舞台に選んだのかな。登場人物がスーパーマンばかりなのであまり人間ドラマ部分は気にならないのだが、中盤で出てきた変なキャラクターは余分だった気がする。超情報化社会の描写などはよく書き込まれているが、知ルの能力は(魔法的で面白いからかまわないのだけれど)ハードSF的な領域を軽々と超えていて、これはむしろ「かみ☆ふぁみ!」の親戚筋だと思われる。最後の一言の思わせぶりも悪くはないが、ちょっと行き過ぎかも。でも面白かった。

『SF宝石』 小説宝石編集部編 光文社
 「SF宝石」か、懐かしいなあ。ぼくもずっと執筆していたし、というか、本書はあの「SF宝石」とは別もので、日本SF作家クラブ50周年記念のひとつ、雑誌の形をした日本作家のオリジナルアンソロジーというものだ。
 それにしてもそっけない装丁だ。作品ごとの扉絵は全部同じものだし、ひたすら活字ばかり。解説もエッセイもなく(ごく簡単な作者紹介はある)、本当に小説だけの短篇集だ。まあ別にそれでもかまわないのだけれど。元ファンジン編集者としては、もう少し色気が欲しいところ。
 それにしてもぼくが普段あまり読んだことのないミステリ系の作家さんたちも含め、15人の15編が収録されており、圧巻である。さすがにあまりSF的に尖った作品は少なく、昔「中間小説誌」と呼ばれた雑誌に載っていたような、読みやすい作品が多い印象だ(尖った作品がないわけではない)。以下、印象に残った作品から。
 まず巻頭の瀨名秀明「擬眼」。これは意識と世界認識の問題を視覚や色彩といった観点から描こうとする、意欲的な作品だ。それはわかるのだが、何かのプロローグなのだろうか。紛争地帯の少年兵と兵器としてのテクノロジーを描く、いわば伊藤計劃っぽい話と、ロボットの反乱という外枠の話と、その関連がわかりにくく思った。
 新井素子「ゲーム」は、神様の裏をかこうといろいろ知恵を絞る人たちの話だけど、神様は(人類をまた滅ぼそうとするわりには)とても人が良くて心優しいのだ。本来こんな理屈で全能の神様をごまかせるはずがないもの。仮にもっと厳密な論理パラドックスのたぐいを持ち出しても、神様ならその前提の論理自体を無視することができるはずだものね。
 円城塔「イグノラムス・イグノラビムス」。表題は「我々は知らない。知ることはないだろう」という意味だそうだが、何とグルメSF。ワープ鳥とか宇宙クラゲとか火星樹の葉とか、個々の単語はそうでもないのに、それが組み合わさって料理名となると、どうしてこう田中啓文みたいなぐちょぐちょ感が出ますか。グルメSFというものは、ぐちょぐちょ、ゲゲボになってしまうものなのかしら。小松左京とか、筒井康隆とか、確かにそうかも。しかし、本作は、グルメSFというより、センチマーニという異星人から見たワープ鳥の話であって、これはまた円城塔的な「あらかじめ定められた世界」テーマの尖ったSFとなっている。面白かった。
 続く上田早夕里「上海フランス租界祁斉路三二〇号」はおそらく本書で一番読み応えある歴史改変もの。J・G・バラードが子どもだったころの上海租界で戦争に巻き込まれていく科学者(実在)の話だが、小説としてとても面白く読める。ただし、それだけにここで扱われているSF的アイデアが、話となじまないように思えた。コニー・ウィリスでもそうだが、小説的テーマとSF的アイデアのバランスが、いわばインピーダンスが合っていないような気がする。ここでSF的な大技を持ち出さなくても、例えば魔術的な予言ということでもいっこうにかまわないのではないだろうか。ぼくは山田風太郎の、過去と現在がねじれながら呼応するような作品を思い出した。長編、あるいは連作短篇で読みたい気がする。
 田中啓文「集団自殺と百二十億頭のイノシシ」は、うーん、表題通りの話。もうなんというか、本気でアホだとしかいえない。何でイノシシ? クビレオニ? おやじギャグも普通はここまでひどくないと思う。最後まで読むと脱力感のあまり自殺したくなると思います。そういう意味で傑作(といっていいのか)。
 小川一水「「いおり童子」と「こむら返し」」は、近未来(というかほぼ現代)の田舎を舞台にしたお仕事SF。限界集落と児童虐待が影を落とすが基本はほんわかしたラブラブな話で、SFやファンタジーの要素は小さい。でも一番謎なのは、このヒロインだよなあ。きっと彼女こそが本物の「いおり童子」なのだ。
 小林泰三「シミュレーション仮説」は、人間原理とシミュレーション宇宙論を合わせたハードSFかと思いきや(まあそういう面もあるけど)、これまたあちゃーの脱力SFだった。しかし、確率論のところはキモなのだから、もっとちゃんと説明しなければいけないんじゃないだろうか。宝くじが当たるような低い確率というが、でも確かに当たった人もいる、というのがその答えだから。
 石持浅海「五ヶ月前から」はホラーだが、怖さはなく、とても理詰めなミステリとして読める。その細かな手続きで論理的に解を探っていくところには、ハードSF的な雰囲気もある。
 トリを飾る東野圭吾「レンタルベビー」も良くできたロボットSFで、オチの雰囲気がとてもいい。ほのぼのする。他の作品もそれぞれ面白く、質の高い作品集である。


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