お猿さんに毛が生えた、というか、すこし毛が薄くなったお猿さんが、ウガウガいってる小説って面白いのか。そもそも、それってSFなのか、と舐めた先入観で、ずっと後回しにしてきたアロークール Edmond Haraucourt(1856〜1941)。要するに筒井康隆の「原始人」を1914年の時点で書いていたわけで、パンクです。
理性のかけらもありません。暴力ふるいまくりです。人肉食、もちろんOK、とゆーか、それって何か問題あんの? 赤ん坊、なんかうまそうだし、母親が嫌がるから、こそっと食うか。
という主人公が原始人ダアア。なんか「ダアア」っと呼びかけられているうちに、それが呼び名になったオス。なんとなくくっついたのが「オック」っと呼びかけられているうちに、それが呼び名になったメス。こいつら、どうやって育ったのか全く説明なし。
猿から人に進化した時点で、群居本能は欠落して、個体がなんとなくうろうろしている設定のようで、物語の進行にともない、ダアアがどんどん孕ませて子供を量産したため、群れが誕生するって話。
なんか唐突に自意識が発生しているかのように読めてしまうので、物語が語られる直前のところにモノリスを触ってシーンがあったのでは疑惑。
でもって、次の一節
「何となれば、人の手が始めて石を投げたその日こそは、確かに荘厳な日であつた。将来のあらゆる智能は此の動作の中に躍如として表されてゐる。世界は既に征服せられたも同然であつた。…一度外界に向つて活動する可能性を認識した此の思考する存在は、最早や停止することなく、前方を狙ひ、常に遠くを窺ふであらう。彼は単に程なく石投道具や矢や弓に張る絃を知り、弾丸を発射する弾機や爆発する圧縮瓦斯を発見するばかりでなく、また、その思念を石よりも遥かに遠く投げるに至るであらう。…そして祈願と計算とによつて、天の梯子を攀ぢるであらう。人間は距離を排し、時間を征服しようとする傲慢な欲望を追つて、海を渡り、雲を越ゆるばかりでなく、大陸より大陸へ、また時を超越して死後の世界にまでその声を送るであらう。隔絶した距離を縮める為に、自ら翼を纏ひ、不可見に世界に住居する為に、己に似せて作つた神々を発明し、之をして最高天上界に人間の姿とその煩悩とを繁殖せしめるであらう。」
ここ、リヒャルト・シュトラウスがバックにがんがん流れてますよ。しかも次の節で、棍棒が空を舞ってますし。
1941年1月に邦訳が実業之日本社から刊行されるわけですが、野上彌生子さんは戦争の真っ最中に読んだらしく、1943年9月4日の日記に感想を書いてます。
「Yのえらんでくれた書物の中から『或る元(ママ)始人』といふのを先日からよんでゐたのが昨日であつたかすんだ。…エドモン・アロークールの原作である。エデンの花園のアダムとイヴを人間の先祖とするクリスティアンのヨーロッパ人に取つては、この作品は私たちが感ずる何十倍もの現実バク露であらう。こんな野獣から、とにもかくにもよく今日のやうな人間が出来たものである。過去の何万年の進化がこれほどに「人間」を変へたのだ。とすれば未来の何万年かがもつと変つた「人間」を現出させうるわけではあるまいか。その信念をわれわれは失つてはならない。今日われわれ人類が直面してゐる悲惨な世界戦争も、それを思ふ時のみ一つのプロセスとして忍び得るのである」
でも翌年、彌生子ちゃんから本を借りた百合子ちゃん(宮本)は、こんなの文学じゃない、と思ったらしい。
「野上さんにかりた『或る原始人』自分は面白くなかった。社会形成以前の、本能の開化の過程を、火をとる迄かいている。フランス人の現代生活と対比して、一種の啓蒙になるだろうし最も初源的な形において人間を見ることに珍しさがあるかもしれないが、これが面白いなら、家族や私有財産の発生から国家形成に到る過程をかいた古典の面白さは比較するどころではない。文学において人類は、本能の自覚以前において登場するものではなくて(それは科学)文学は考えることを知った人間の時代からはじまる。つまり皮質的人間になってから、そして第二命令システムをもつに到ってから――人類の文学とともに文学には登場すべきものである、そういうことを痛感した」
んだって。
「わたくしがはじめてこの本の原書を手に入れ、その科学的真摯さと人物および風景を躍動させる詩趣とに打たれて、翻訳の筆をとったのは、昭和十五年の秋であった。その翻訳は翌年『或る原始人』の題で実業之日本社から出版され、異色ある作品として識者の注目をあびた。その本は終戦後有紀書房の手で平易に書きなおされ」て、1958年『人間と性の歴史』の題で再刊。 さらに「今度はまったく訳稿をあらたにし」1972年には『原人ダアア』潮文社で、三度お目見え。
『或る原始人』は「風紀上現代の世相に相応しからぬ点五六ケ所、―勿論それは原人の生活から考へれば何の不思議もないことなのであるが、――書肆の希望により削除」したとあるし、潮文社版で読むのがいいのかな。