チエルヌイシエフスキイ Н. Г. Чернышевский(1828〜1889)の『何を為すべきか』は、「ちょっとSF」といわれとるが、上下巻だし退屈そうだよなあ、と中々手が出せなかったんですが、先月からの流れもあるし、えいやっ、でなんとか…なるかな。
神近市子自伝に書かれている粗筋は以下。
Aは相愛の婦人と結婚する。その婦人は女性も職業をもって自立すべきだという思想の持ち主で、婦人服店を開く。そこへAの親友のBが足しげく出入りし、やがて彼女は、Aよりも若くて溌剌としているBに心を惹かれる。それを知ったAは計画的に失踪してアメリカに渡り、十五年後にアメリカ人の妻を連れて帰ってくる。そしてBの妻になった彼女と再会するが、この二夫婦は互いに協力しあって、隣人同士としてむつまじく過ごしていく――。
市子、それSFやない。いや、まあ、その通りなんだが、こんなまとめかたで、チェルヌイシェフスキー研究者に刺されはせんのか。
もう少し現物に寄せて、内容を紹介してみる。
物語は謎の失踪事件からはじまる。
如何にも、ある男が橋の上でピストル自殺したかのように描きつつも、決定的なことが何一つ書かれていない冒頭部を読んだ者は、ははあ、自殺に見せかけて蒸発というパターンだな、と思うところ。
そこにすかさず作者登場。
「男の読者はかういふ。『私は、自分の脳髄を打ち生きてゐるといふことをよく知つてゐる。』私は、この私は知つてゐるといふ言葉を使つたことで彼を非難する、そして彼に云ふ。『あなたは、それがあなたに話しをされていない以上は、それを知りません。あなた方は、何にも知りません。わたくしがこんな風にわたくしの小説を始めて、あなた方をわたくしが馬鹿にしてゐるといふことさへも知りません。…』」
いきなりメタフィクションかよっ。作者は何度も物語の中途に顔を出し、読者に語りかける。これって当時の人には斬新だったの? それとも語り手が滔々と語る説話文学みたいなもんだと受け取ってたのか。
ヒロインは美しく聡明なウエローチカ(ウエーラ・パウローウナ)。吝嗇で抑圧的な母親マリヤ・アレキセーウナに強いられて、ミハイル・イワノーウイチ・ストレーチニコフと結婚させられそうになっていたが、弟フエージヤの家庭教師として出入りしていた医学生ロポーウコフのはからいで一種の契約結婚によって、母親の手を逃れ、自由を獲得し、共産主義的裁縫工場を運営、成功させる。ってのが、前半。
神近は「私はけっしておもしろい話だとは思わなかった。」「大杉氏の著書に、『何をなすべきか?』を読んだ私が、恋愛の自由性について自分の意見を伝えたと書いてある。しかし私にはその記憶はまったくない。」なんて書いとるが、感情ではなく理性が優先されるチェルヌイシェフスキーの物語にうかされたからこそ、恋愛の泥沼につっこんだとしか…。
ま、本人も「いまにしてみれば、これを訳したことが、その後の私の行動に大きく影響しているようだ。」「『何をなすべきか?』を通じて、大杉氏と私がさらに親密の度を深めたことは事実である。」とは書いている。
文久3年に書かれた安政年間の共産主義的工場の成功譚として読めば、十分SFな気もするが、前半は「ウエーラたん(ハート)」「ロポーウコフさまっ(ハート)」と神近市子と大杉栄が『何を為すべきか』プレイに興じていた様を妄想して楽しむのが良いかと。
なお、訳者序文には「英訳本を永い間心よく貸してくださつた馬場孤蝶先生に、深くお礼を申上げなければならない」と書いてあるだけで、大杉の名前は出てこないのは大人の事情か。
『何を為すべきか』がSF、というかユートピア物として言及されるのは、物語に挿入されるウエローチカの夢の四つ目が、未来の理想社会を描いていることによるわけだが、実は神近バージョンは、そこんとこをばっさりカット。や、やられたっ。SFレーザーブラストの悪夢再び。
ということでSF、ユートピア文学マニアは神近本はまたいで通ってOK。いや、こんなことになってたとは、誰もそんな警告、してないよねえ。神近自身の要約がSFヲタへの警鐘だったのかーっ。
よく知らないけれど読んでみる、シリーズなので、ま、こういう回もあるってことで。
ともかく、理性を感情に優先させるディスカッションの連続とか「中二」受けしそうだし、ヤングアダルトものとして流通させるのが正解な気がする。浪江啓子訳、新読書社版は、そのあたりを狙ったのかな。
なお、神近以前には、土岐哀果が、邦訳を計画。<生活と芸術>1914年12月の編集後記ともいうべき「MEMO」に「この次は新年号であるが、僕は、それのためにチエルニシエフスキーの長編『何をなすべき乎』を翻訳して、すくなくも第一回百枚ばかりは掲載したいと思つてゐる。…内容としても形式としても、普通小説のレコードを破つてゐる。…当時露西亜の青年にとつては、これが一の天啓で、トルストイの作にしてもツルゲエネフの作にしても、これほど深く汎に影響を社会に及ぼした作品はない。…」と記す。もっとも、抄訳で分載しても、雑誌全体がずっと埋まってしまう、ってんで翌月には「チエルニシエフスキイの『何をなすべき乎』の連載は中止にした。」の一言が。
その後に、英訳版からの神近市子訳が南北書院から1931年に上・下2冊で、翌1932年に合本版が同社から刊行。前者の影印が2008年、学術出版会の『神近市子著作集』3、4巻に収録されている。
ロシア語原書に基づく石井秀平訳『何をなすべきか』が1948年に新星社から全3巻の予定で刊行されるが、上巻のみで途絶。
岩波文庫に金子幸彦訳『何をなすべきか』上下2冊が入ったあと、1985年浪江啓子訳が『何をなすべきか』が新読書社から1巻本として刊行された。
うちの『チェルヌィシェフスキイの生涯と思想』、金子先生の謹呈署名入りだよ。