内 輪 第274回
大野万紀
何を今さらと思われるかも知れませんが、PS3を買いました。昔からゲーム機好きなのに、何となくずっと見送っていたんですね。画像がきれいだからって、それがどうした、っていう気持ちもあって。
でも、PS4が発表され、当然PS3との互換性はないということで、それなら今でしょ、という気になったのでした。
とりあえずPSストアから色々と体験版をダウンロードして見たのですが、「風ノ旅ビト」というゲームに衝撃を受けました。説明も文字や言葉もなく、砂漠に埋もれた遺跡をめぐってひたすら自由に動き回るゲームなのですが、色んな発見があってとても気持ちがよい。これは実際にやらないと、その魅力は伝わらないでしょうね。後でネットで見て、とても多くの賞を受賞したゲームだと知りましたが、さもありなんです。さっそく購入しました。
で、PS3世代のゲーム機って、実際にさわってみると、確かに画像もきれいなのだけれど、それ以上に動きのなめらかさやリアルさが凄いのですね。「風ノ旅ビト」でいえば、さらさらと流れる砂や風の表現が本当に気持ちいい。ポータブルじゃないゲーム機としてはWiiを持っているのですが、確かに次元の違いを感じました。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『巨獣めざめる』 ジェイムズ・S・A・コーリイ ハヤカワ文庫
著者はダニエル・エイブラハム(『ハンターズ・ラン』の共著者)とタイ・フランクの共作用ペンネーム。何というか、ジョージ・R・R・マーティンの弟子たちという感じがするなあ。本書はシリーズの第一部という位置づけだが、本書だけでも十分完結しているし、太陽系を舞台にしたリアル系スペースオペラ(というか宇宙SF)として大変面白かった。
人類が太陽系に広がった未来。超技術があるわけではなく、現在予想される技術の延長上にある、国内でいえば谷甲州や小川一水の描くような太陽系世界が舞台だ。ジョン・ヴァーリイの《エイトワールド》よりはもっと現代に近い感じ。地球、火星、そして小惑星帯がそれぞれ政治勢力としてあり、とりわけ内惑星系と小惑星系には人種対立に似た緊張関係がある。「トラック運転手のようなブルーカラーの労働者が主役となるスペオペを書きたい」という著者の言葉が全てを語っているような世界だ。土星から小惑星帯へ氷を運ぶ氷運搬船の副長のホールデンが、本書の2人の主人公の片方である。まさにトラック野郎ですね。彼の乗った氷運搬船は救難信号を擬装する何者かによって攻撃され、破壊される。かろうじて生き延びたホールデンと数人の仲間は、謎めいた犯人への復讐を誓う。だが、正義感に溢れすぎるホールデンは、この事件が火星に関係している可能性があるという情報を、後先考えずに太陽系中に公表してしまい、緊張関係にあった火星と小惑星に戦争の危機を招いてしまう。自分勝手な正義感で突っ走るホールデンは、まわりの人々から見ると全く困ったちゃんだ。でも憎めないおっさん。
一方、小惑星ケレスのミラー刑事は、失踪した富豪の娘ジェリーの捜索を行う中で、ホールデンたちともからむ大事件に巻き込まれていく。戦争、大虐殺、政治的対立、テロといった暗い世界を背景に、とても泥臭く、等身大でリアルな(犯罪ミステリのような)物語が描かれ、やがて主人公二人の運命は交差して、より大きな物語へとつながっていく……。
このミラー刑事がまた一種の破綻者で、ついにはジェリーの幻覚を見るようになり、この非実在美少女と常に行動を共にするようになるのだ。ジュリーと、そこにつながるものこそ、まさにSF的な存在であって、第三の主人公だといっていい。でもそれがはっきり出てくるのは、物語もずいぶん後になってからだ。だから第2部、第3部と続いていくわけか。ちょっと冗長なところもあり、主人公たちにも問題多すぎだが、中年のおっさんたちがかっこ悪く活躍する本書は、ぼくにはとても面白く読めた。
『機械男』 マックス・バリー 文藝春秋
面白かった。アメコミパロディといった感じではあるが、はっきりSFだといっていい。人と機械のハイブリッドで、どこまで人でどこまで機械かなんて、昔なつかしいサイボーグ・テーマ。平井和正とか日本SFの得意なお話じゃないですか。もっとも本書はそういうウエットさはなく、もっと現代的であっけらかんとユーモラス。ギークものとしてはコリイ・ドクトロウに近い感じか。
登場人物は誰も人間の生身の肉体が大切とか(たてまえは別として)思っていない。みんな便利な機械の方がいいと思っていて、それが過激にそうなのか、穏健にそうなのかという違いのみ。それと、その方が合理的だからそう思うのか、理屈じゃなくフェティッシュにそう思うのかという違いもあるな。
主人公の機械男、ぼく=チャールズ・ニューマンは理屈から入って論理的にそう思う理系オタク=ギークで、恋人となるローラはフェティッシュなタイプ。そこからくるすれ違いの面白さもある。
とにかく、主人公がいい。SFファンならたいがい共感し、感情移入できるんじゃないだろうか(それは言い過ぎか)。
冒頭の、朝起きたら携帯が見つからないというシーンでもう引き込まれる。彼の考え方、完璧に理系オタクだが、それなりに社会に適応していて妥協もする(だって面倒くさいから)というのは、すごくありがちで納得できる。本書はネット上でディスカッションしながら作り上げたという側面があるようだが、現実のギークなエンジニアたちの日常がしっかりと反映しているのだろう。
ストーリーそのものは日常的ではなく、だんだんとエスカレーションするスーパーヒーローものというか、冒頭にいったようなアメコミのパロディであり、かつオタクなラブストーリーなので、エンターテインメントとしても面白く読める。まわりのキャラクターもとてもマンガ的で面白い。特に会社の管理職であるカサンドラ・コータリーがいい。何が起こってもまったくひるむことなく中間管理職として危機管理に臨む「敵キャラ」で、素敵だ。彼女をはじめ、非ギークなのがたいてい女性というのは、何か意図があるのだろうか。あるんだろうな。
テクノロジーの暴走だとか、人間の感情なんて所詮は化学物質で左右されるものといった、昔ながらのテーマもないわけじゃないが、そんなことより解説者の「高度に発達した現代社会を描く物語はSFと見分けがつかない」というクラークをもじった言葉が納得できる。そして本書は(ひどいと思う人もいるだろうが)実はとても前向きでハッピーな物語なのである。ある意味ギークのユートピアだ。『ピアピア動画』や『GENE
MAPPER』と同じマインドがあるといっていい。好きです。
『ヨハネスブルグの天使たち』 宮内悠介 ハヤカワSFシリーズJコレクション
ゆるやかにつながる連作短篇集。書き下ろし「北東京の子どもたち」と、SFマガジンに掲載された4編の、5編が収録されている。いずれも「地名」+「××たち」というタイトルで、近未来の、様々な意味で荒廃し半ば廃墟と化した土地と、他の世界からはみ出してそこに生き、死ぬ人々を描いた、かなり重い読後感の残る作品集である。
帯には「伊藤計劃が幻視したビジョンをJ・G・バラードの手法で描く」とあり、確かに表題作(南アフリカ)や、「ジャララバードの兵士たち」(アフガニスタン)などを読んでいると、いかにも伊藤計劃っぽいというか、現代のテロリズムと民族紛争、テクノロジーによる虐殺や子ども十字軍いったテーマの共通性が目に付く。
とはいえ、方向性はかなり異なっており、5編を通して読むと、作者が最も力を入れて描こうとしているのが、都市の中のモニュメント的な建築物と、それを作った・そこに生きる人間たちの意志・思いにあるのだと思えてくる。それをJ・G・バラード的というのだろうか。
それが最もはっきり描かれているのは、9.11を再現しようとする「ロワーサイドの幽霊たち」だが、より印象的なのは泥で築いた摩天楼が林立するイエメンの世界遺産都市を舞台にした「ハドラマウトの道化たち」だろう。そして「北東京の子どもたち」では老朽化した巨大団地が描かれる。そうした建築物に取り込まれ、外部に出ることのない人々と、逆に根無し草となって世界を漂泊する人間たち(本連作で主要な視点をもつ登場人物たちだ)との対比。ローカルとグローバルと一言でいうが、必ずしも選び取ったものではなくたまたま流れでそうなったのでもない、もっと切実な、何というか、近しい人々を狂わせてしまうような重く厳しい心のあり方が描かれる。様々なモニュメントはその象徴として存在しているかのようだ。
そして本書にSFとしての観点を与えるものとして、日本製の量産品ロボット、元々はボーカロイド実装用のホビー・ロボットとして作られ、とんでもない耐久性を与えられ(何しろ高層ビルからの落下試験を繰り返されるくらいだ)、今ではゲリラやテロリストに改造されて貧民のための武器となったり、意識をダウンロードして破滅的な娯楽に供されたりという、すさまじいからくり人形たちDX-9の存在がある。しかし、意識をダウンロードされたり、自意識をもったりと、いささか地の文とのリアリティ・レベルに飛躍があるのも事実。空から降りかかる「人形の雨」の描写は圧倒的で、ストロスの「携帯電話の雨」や、コードウェイナー・スミスの「人間の雨」とも呼応するSFイメージだ。
でも、ガジェットがあくまでもガジェットとして扱われており、どうせならもっとSF的にあと一歩飛躍しても良かったのではとも思う。いやそうしたら『屍者の帝国』になってしまうのか。
『聖なる怠け者の冒険』 森見登美彦 朝日新聞出版
朝日新聞に連載されていた(ぼくは読んでいないが)長編で、単行本化にあたって全面的に改稿されたという。
それはともかく、主人公の小和田くんは社会人で学生ではないが、京都の企業の研究所に勤める青年で、休日は独身寮でごろごろ過ごす怠け者とくれば、まあ、今までの京都ものとそんなに違いはないといえる。実際『宵山万華鏡』とはおそらく同じ世界の物語だろうと思われる。
登場人物としては、主人公に劣らぬ怠け者の浦本探偵、ヒロインとなる週末探偵助手の玉川さん、謎の正義の味方ぽんぽこ仮面、もうホントにリア充というか、めちゃくちゃ充実した休日を過ごす恩田先輩と桃木さんのカップル、そして研究所のスキンヘッドな所長。後はアルパカ男やら、タヌキの神様やら、おなじみ金魚の妖精というべき赤い浴衣の童女、煙草屋のおばあさんと太った猫、そしていつものヘタレな学生たちなどなど。
そして本書はまた、祇園祭の宵山の、土曜から日曜にかけての休日の物語である。怠け者たちのお話なのに、この休日の充実ぶりが半端ない。いやもう次から次へと冒険が続く。入れ子になった夢や、京都の幾重にも重なった秘密結社同士の関係、そういうかなり複雑な構造はあるのだが、お話はいたってわかりやすく、語り口はほんわかとして親しみやすい。とにかくハッピーで楽しいのだ。
『ペンギン・ハイウェイ』のようなSF的な新しさや『四畳半神話体系』のような青春の暗い切なさはないが、和風な幻想味はたっぷりとあって、堪能できる。こういう話はやっぱり好きです。
『オール・クリア 2』 コニー・ウィリス 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
やっと完結。これはやっぱり1と続けて読んだ方がよかった。
第二次大戦中のロンドンにタイムトラベルした、ポリー、アイリーン、マイクの3人のオックスフォードの史学生たちが、未来へ帰還できなくなり、ドイツ軍の空襲に耐えながら、その時代の市井の人々と日常を共にし、彼らの勇気と忍耐とユーモアに助けられるというストーリーだ。本書でついに、これまで放置されてきたたくさんの謎やほのめかしに、ことごとく解決が与えられるという怒濤の展開が見られる。その感覚は圧倒的で、多くの賞に輝いたのも不思議じゃない。明日爆撃で死ぬかもしれないという戦時での日常、平常心と勇気と自己犠牲とユーモア。まさに王道の感動がここにある。
とはいえ、それに水を差すわけではないが、SF的興味はどこかへ行ってしまった。タイムトラベルSFの歴史に、本書はある意味逆行しているといえるかも知れない。結局明らかになるタイムトラベルの「齟齬」の真相は、タイム・パラドックスを扱うアイデアとして最も素朴なものであり、そのぶんSF的な難解さはなくてわかりやすいといえるが、それに納得できないからこそ、その後の多くのSF作品がアイデアを競い、発展させたのではなかっただろうか。
主人公たちが未来から来ているということを除けば、本書のサスペンスを盛り上げる要素は、ごく普通にミステリの謎解きであり、タイミングと思い込みとミスリーディングによるものだ。でもそれが見事に巻き上げられ、きれいに解消していくのはさすがである。まさに「オールクリア」だ。
結末はおよそ思い通りのハッピーなものになった(若干の苦さは残るが)。ただ、中の一人の運命についてはちょっと予想がはずれてしまった。ビニーとアイリーンがステキ。でもポリーはやっぱり苦手だな。