みだれめも 第213回
水鏡子
水鏡子作成、EXCEL形式のデータです。
Microsoft Skydriveにアップしてあるので、クリックするとブラウザ上で開くことができます。
『都市』が20年近く絶版になっていることに気づいてハヤカワ文庫目録で動向を調べようと思い立ったのが今年の頭。本の雑誌三月号四月号で報告したあと、みだれめもで軽く整理してみるつもりだったのだが、ネットで渡辺兄弟(じゃなくて英樹ソロか)のあいかわらず病気なデータをみつけたことで欲が出てきた。けっこう大がかりなものが作れそう。
まず、謝辞とデータ元の紹介を。
上記の皆さまに大いなる感謝を。
基本データは渡辺英樹氏がネットにあげている「SF文庫データベース」を使用した。表紙カバーの変化を逐一ビジュアル掲載している。当初黒一色で作るつもりのリストだったが、このデータを見て表紙カバーの変更も反映させることにした(黒→藤→橙:未確認の年は薄い色)。ただ英樹資料はデザイン変更の推移までこと細かく記しており、そのまま反映させると煩雑すぎるので表紙絵の変更にとどめた。興味があれば直接ごらんください。〈シート渡辺1・2〉は、氏のメニューをそのまま引っ張ったものであり、個々の画像にはそこから直接飛ぶことができます。
ついでだから原著発行年で並べ替えて見てみるのも面白いと思いつき、発行年を書き加えていたのだが、雑誌掲載から20年もたって単行本化されるものもあるのである。
原著刊行年での並び直しに意味がないわけではない。雑誌掲載はあくまでコアのファンの目に触れているだけであり、一般読者に受容されるのはあくまで単行本の刊行によると考えられるからだ。たとえば早川SFシリーズの文庫落ちの時期が日本における翻訳SFシーンの重要な役割を果たし、この時期の読者がその後の海外SFの翻訳紹介を牽引していくことになる。ただ作品の内容面に関しては、なんといっても書かれた時代の状況や作者の技量や文法作法、思いに染まっているわけで、『銀河大戦』(1964)とか『アシモフ初期作品集 カリストの脅威』(1972)なんてものを愚直に刊行年で並べるのはどうなのよと、考えこんでしまった。
ネットを探ると、「ハヤカワSF文庫総覧T」というすばらしいデータ集がみつかる。全作品の粗筋紹介、雑誌掲載時情報、受賞歴など詳細に書きこんである。このデータ集を参考にしながら雑誌発表年を発行年とした。短篇集については、収録作品中もっとも新しい年を発行年にした。だから2分冊、3分冊された短篇集の場合、原著は同じ本なのに収録作品によって発行年が異なることになったりする。日本版オリジナルの短篇集も同様の理由で収録作品により発行年を決定した。ただしアンソロジーについては、アンソロジストによる選択を評論的な要素と考え原著発行年とした。「ハヤカワSF文庫総覧T」は残念ながらNo.1400までしかデータが作成されていない。そこからあとは、「SF文庫データベース」の原著刊行年データに基づいたので、1400番目以降の短篇集は基本的に短篇集発行年になっている。いいかげんだけどまあいいじゃん。
(なお、この「ハヤカワSF文庫総覧T」についてはデータの無断借用を禁ずという記載があり、連絡先が書いてあったのですが、連絡先に送ったメールが届きませんでした。事後承諾になりますがよろしくお願いいたします。)
リメイク版の扱いに少し悩む。『銀河帝国の崩壊』と『都市と星』はちがう本として別々の発行年にしたが、『反逆の星』みたいにオリジナル版が未訳のものはオリジナルの発表年を選択した。そういえば『ノーストリリア』(1975)は上下2冊別タイトルで60年代に出てたなあ。
「SF文庫データベース」と「ハヤカワSF文庫総覧T」を全部読み、頭に叩き込んだなら、たぶん中味を1冊も読んでなくてもハヤカワSF文庫に関してどんなことでも語り尽くすことができる。この両者から洩れている情報は出版部数と担当編集者と絶版品切情報くらいしかなく、今回ぼくの作ったリストでその3番目の弱点が補強されることになる。
こうしたリストとぼくのリストに求めるコンセプトには根本的な開きがある。
彼らのリストは膨大な、詳細かつ正確な個々のデータを積み重ね、立派な集合体を作りあげていくことに醍醐味がある。
それに対してぼくのリスト作りはさきほどいいかげんっぷりを表明したように正確性にあまり頓着していない。ひとつひとつのデータを嘗めるように読むことではなく、変遷のダイナミズムを楽しむことに主眼がある。繰り返して言っているところだが、少しぐらいのバクがあっても俯瞰した時見える景色が面白ければいいじゃないかと思っている。おまけにぼくのエクセル操作は初心者レベルで関数をほとんど使用していない。今回のリスト作業も目録1冊ずつを開いては老眼の眼でこつこつ数を数え、入力をしていく非効率の極みの作業の連続である。ミスはごろごろある。作業の最中にも前に入力した個所でミスっていたのをみつけることはいっぱいあった。電脳制手工業である。
自分でもひどいなあと思っているのは、発表年順リストのところで年代別に数えた冊数の総計と文庫目録から数えた収録冊数とがあわないこと。目録によっては10冊近いちがいがある。これはいかんだろうと思ったのだが、まあ傾向を見るにはそれほど支障はないだろうというかじつのところめんどくさくなってちがったままにしている。数の数え間違いならまだいいけど、もしかしたら収録作品の入力ミスかもしれない。ごめんなさい。いらつく人は直してください。
資料面でも70年代80年代及び2000年代後半の目録が欠落していて、不完全である。そんな欠陥品であることを踏まえてごらん願いたい。ぼくとしては一応ここまで作ったことで充足したのでこれ以上メンテする気はないけれど、奇特なだれかがデータの補充やバグとりやって完成品を作ってくれたらうれしいな。ついでに同じ要領で創元文庫をやってくれたらもっとうれしい。これも以前に言ったことがあるけれど、完成品を差し出すことよりテンプレートを提供することに意味を見いだす性格なのだ。列を増やして文庫初出か再録かとか、所有未所有の記録欄とかも考えたのだが時間切れで断念した。まあ、持ってる本をマーキングしていけば未所有本のリストは簡単に作れそう。
本の雑誌にも書いたようにぼくの持っている目録は20冊くらいしかない。本の雑誌社松村編集員の話だと、林哲矢氏が大量に持っているとことだったので、彼女に仲介の労を取ってもらって持っていない年の目録を貸していただくことになった。エクセル画面の目録刊行年で黄色で塗りつぶしたのがぼくの目録、緑に塗っているのが林氏のものである。塗っていない年がどちらも持っていないもの。ただし初の目録落ちが発生した85年については、ネットにアップされていた名大SF研のデータを利用した。
林氏の目録をお貸しいただいたことの効果は大きい。自分の目録だけでの作業だと途中で音をあげ放り投げていた可能性がある。他人に手間をかけさせたことでリスト完成に目途を立てざるを得なくなった。
さらに、本の雑誌の近況報告欄でリストを作ったので見てほしいと書いた原稿を送ったのが4月の頭。3月4月号のネタを踏まえた報告なのでタイミング的に5月号がベストと判断したのだけれど、これで退路を断ったことになる。近況報告が人目に触れる4月12日がデッドリミットとなる。
そんなこんなで仕上げたものが、この、ハヤカワSF文庫目録推移である。
データ量だけはバカみたいにある。(自分が集めたわけではないけど)
ぼくの持っている一番古い解説目録である。正確には『ハヤカワ文庫解説目録』ではない。表紙に上がっている題名は、『ハヤカワSFシリーズ ハヤカワSF文庫 日本SFノヴェルズ、世界SF全集、ハヤカワ・ノヴェルズ(SF関連の作品) ハヤカワ・ノンフィクション(SF関連の作品) 解説目録』という長ったらしいものである。80ページで丸綴じである。全体に灰色の円が列を作り、上から下に行くほど円が大きくなり、下部は黒線で区分されて、赤い帯になって白いハヤカワ・マークと黒い早川書房の文字が記載されている。
次に持っている古い文庫目録は76年9月版だが、表紙は同じデザインである。題名は『ハヤカワ文庫 ハヤカワ・ミステリ文庫 解説目録』。この段階だとハヤカワSF文庫はハヤカワ文庫SFに替わっている。ぼくは当初の刷り込みが強烈なので、ハヤカワSF文庫で押し通す。背は角綴じになり、10ページの索引がついている。内容は完全に文庫目録であり、ハヤカワ文庫SF、ハヤカワ文庫JA、ハヤカワ文庫NV、ハヤカワ・ミステリ文庫が収録されている。SF文庫の最終ナンバーは208番。
1972年6月版でのSF文庫の収録作品は59までとターザンが4冊。文庫サイズの目録で文庫が63冊しか収録されていないので、たぶんこれが最初の文庫解説目録でないかと思っている。
この解説目録が貴重なのは、出版社の解説目録としてはある意味異常なことにSF関係本しか収録されていない、趣味的(もしくは使命感にあふれた)目録であるということだ。
家には、同じ年に出たポケミスサイズで青い表紙をした『早川書房出版図書目録1972』という56ページのこれもそれなりに貴重な目録があるのだけれど、こちらはSF文庫が56まで収録されている。だから解説目録の1カ月前に刊行されたようなのだが、そこにはハヤカワNV文庫が15冊掲載されている。この15冊を完全にオミットしているのだから「文庫解説目録」とするのは正しくないかもしれない。
この2つの目録には絶版本も関係なく収録されている。『クリスマス・イブ』や『宇宙人フライデー』がちゃんと載っている。そして今この目録を見返していてはじめて気づいたのは、ハヤカワSFシリーズや世界SF全集の4行(5行)紹介がなされているのはもしかして本書だけかもしれないということ。この目録のためだけに300を超える本の紹介文を書いたということになるのかもしれない。もちろん編集部としては使い回せるつもりだったのだろう。まさかハヤカワSFシリーズが消滅することになるとはおもっていなかったのだろう。それにしてもこの目録に傾注した当時の編集部の熱意は大変なものだったのではないか。森優(南山宏)、野村芳夫、鎌田三平、今岡清といった人たちでなかったかと思うのだけど自信はない。
もともとハヤカワSF文庫は福島正実を引き継いだ森優SFマガジン二代目編集長の肝いりで創刊されたものである。空飛ぶ円盤やロボットの出てくるうさんくさい子供だましの逃避小説と決めつける世間的評価に戦闘的に向き合い、SFの社会的地位の確立に熱意を傾けた福島正実の後を受けた森優は、福島正実の成果を壊さない形でのSFの読者層拡大に意欲を燃やす。マガジン誌上で、福島が忌避したコミック、スペースオペラ、ヒロイックファンタジイ、クトゥルー神話などを積極的に紹介していく。その書籍サイドの受け皿として創刊されたのがハヤカワSF文庫だった。
創刊は1970年8月。エドモンド・ハミルトン『さすらいのスターウルフ』、ロバート・E・ハワード『征服王コナン』、A・E・ヴァン・ヴォクト『宇宙嵐のかなた』、エドガー・ライス・バロウズ『月の地底王国』、フィリップ・ホセ・ファーマー『緑の星のオデッセイ』の5点を一挙刊行し、以後毎月2点づつ刊行する。
当初は日本作家も収録されていて、『エスパイ』、『馬の首風雲録』などの再録のほか豊田有恒の『ヤマトタケル』、平井和正のコミック原作本『ウルフガイ』といった書き下ろしが入った。
1971年に著作権法が改正され、原著刊行から翻訳されずに10年経過した著作は自由に翻訳できるという、いわゆる「翻訳権10年留保」の条項が消滅することになるのだが、このことがSF文庫の方針に影響を与えたのかどうか詳細は不明だが、翻訳出版中心の出版社だけにかなりの検討がなされたと想像するに難くない。刊行された最初の50冊のなかに60年代の作品は2割しかない。
70年代初頭のハヤカワSFはある種の黄金時代であったといえる。
出版物の中心にはハヤカワSFシリーズがあり、福島時代の集大成である「世界SF全集」が毎月刊行され、ここにスペース・オペラやヒロイック・ファンタジイ、宇宙冒険小説を中心としたハヤカワSF文庫が加わったのである。
一方で日本作家は第1世代が円熟期を迎え、大阪万博が追い風となり、SFがわが世の春を謳歌する時代だった。
誤算があったとすれば、このハヤカワSF文庫が想定以上の評判をとったことだろうか。
ハヤカワSFシリーズは概ね数千部の商売だった。(風聞)。ところがハヤカワSF文庫は一桁ちがう数万部の売れ行きをみせた。(風聞)。ここまで売れ行きがちがうと翻訳者はSFシリーズの仕事が億劫になる。本格SFはSFシリーズで、冒険SFはSF文庫でといった棲み分けも難しくなっていった。
かくしてSFシリーズは年を追って出版点数を減らし、1974年No.3318『殺意の惑星』を最後に幕を閉じる。
先にも書いたようにSF文庫の目的はあくまでSFシリーズの脇を固める存在のはずだった。宇宙を舞台にした冒険小説ということで『緑の星のオデッセイ』、『最後の地球船』といった作品もいくつか入ったものの基本は冒険活劇に主軸を置いたB級SF、ファンタジイだった。最初の目録に収録された63冊の作品の中に1940年代以前の作品は33冊である。5冊は日本SFなので、翻訳作品の6割がキャンベル革命以前のものだだ。そんな流れの中でのハヤカワSFシリーズの消滅である。SFブームの真っただ中で、じつは海外新作SFがほとんど出版されない奇妙な逆説が発生する。(そんな出版状況への不満がKSFAの活動の発端のひとつでもあった)
『地獄のハイウェイ』、『地球人のお荷物』、『銀河市民』、『ベティアンよ帰れ』、『砂の惑星』(これは容量的に無理かもしれない)などSFシリーズで出ていてもおかしくない作品が混ざりはしたが、SF文庫の性格は基本的にB級冒険活劇路線のままだった。そこに転回点となる作品が登場する。
75年10月に刊行されたNo.172『プレイヤー・ピアノ』カート・ヴォネガット・ジュニアである。
上に並べたSFは、質はともかくなんらかの意味で宇宙SFもしくは冒険活劇SFといえなくもなかったが、この本はそのカテゴリーに入らない。そしてSF文庫ではじめてイラストをいれなかった。特徴的なのは白かった背表紙が青く塗られていたことだった。青背の誕生である。
青背は月1冊のペースで刊行される。
『槍作りのラン』、『わが名はコンラッド』と順調に続くのだが、そのあとが良くない。『メトセラの子ら』、『シリウス』、『10月1日では遅すぎる』とハヤカワSFシリーズ、SF全集からの再刊の嵐となる。結局新作本格SFは微々たるものになってぼくらは欲求不満をかこつことになるのだが、若い世代にとっては厳選された過去の名作が一挙放出される至福の時代だったようだ。ぼくらと一回りちがう大森望や牧真司らの世代と妙に話が合うのは、ぼくらはSFシリーズで、彼らはSF文庫で、同じような年齢のとき同じような作品を読んできたことにあるようだ。とにかく70年代後半はハヤカワSFシリーズが文庫落ちした時代だったと規定しよう。
なお、ハヤカワSF文庫の好評に乗って早川書房は文庫出版を本格化する。
1972年:単行本海外文学の受け皿となるハヤカワNV文庫を創刊する。作家はレーベルで統一管理することに決めたらしく、ヴォネガットはすべてSF文庫で出版される。代わりと云っていいのかどうか、1975年11月の『華氏451度』を皮切りにブラッドベリはすべてNV文庫で刊行される。例外はマイケル・クライトンで『アンドロメダ病原体』だけSF文庫に収録された。(『華氏451度』は2008年、『火星年代記』は2010年にSF文庫に、『アンドロメダ病原体』は2012年にNV文庫に移行する)
1973年:日本のSF作家を揃えたJA文庫を創刊する。角川文庫、新潮文庫が積極的にSF作家を文庫化したことに対する囲い込み戦略といった意図が見受けられる。これに合わせてSF文庫からの日本作家の出版はなくなるが、〈ウルフガイ〉〈ヤマトタケル〉のシリーズのみしばらく続篇が刊行される。
1976年:ミステリ文庫を創刊。創刊時点より刊行順No.でなく著者別五十音順整理番号を使用する。88年には他の文庫にも五十音順整理番号を導入。実際にSF文庫で作家別番号を目録に記載するのは94年からだが、88年を境に刊行順に並べられていた目録は作家アイウエオ順に変更される。添付表の備考欄の説明は少し間違っているので修正してください。
1977年:NF文庫創刊
1979年:FT文庫創刊
★1977年:「スターウォーズ」、1978年「未知との遭遇」公開
★1978年2月:海外SFノヴェルズ刊行開始
★1978年7月:サンリオ文庫刊行開始
★1979年:久保書店SFノベルス創刊
★1979年:『ヒューゴー・ウィナーズ』他、講談社文庫BX黒背版刊行開始(先行作として75年から福島アンソロジーが白背で刊行されている)
★1979年5月号:SF宝石創刊
★1982年7月:集英社ワールドSFシリーズ刊行開始
こうやって並べると、70年代末から80年代前半はとんでもない時代だったとつくづく思う。「アニメーシュ」や「スターログ」『SFアドベンチャー』の創刊もこの時代だし、ガンダムもアーケード・ゲームもこの時代からはじまる。「スターウォーズ」「未知との遭遇」が契機になったと謂われていていて、事実そうなんだろうけど、今から見るとわが世の春を謳歌した70年代日本SF作家の出版社的ポジションがある程度落ちついてきたところで、サンリオ文庫の旗揚げと早川書房との確執が業界の耳目を集めて、海外SFがおいしい狩場である印象を生んで各社の参入を押したようにも思える。海外SFノヴェルズも企画自体は数年前から告知されていたものだが、サンリオ文庫が創刊されなければもうしばらく寝かされてたかSF文庫でひっそり出てたりしていたかもしれない。
まあ、話を広げていると、残り2日で仕上げることはできない。SF文庫にしぼった話で進めていく。
ぼくの持っている目録で全冊搭載されている最後のものは84年版だが、ペリー・ローダンを除いた(毎回この枕詞をつけるのはかったるいので今後あげる数字はすべてペリー・ローダンを除いた数字であるとご了解ください)442冊を発表年で分けると、1939年までの作品が67冊、40年代50年代が104冊、60年代132冊、70年代が124冊とバランスよく紹介されている。そのうち19冊は〈宇宙大作戦〉である。
翌年の85年版がはじめて目録落ちの生じた年だが収録点数自体は前年より増えて460冊が載っている。冊数はその後も増え続け、87年には571冊と表の方に書いてるのだけど、これは名大SF研の資料によるもの。現物の確認はしていない。(ちなみにそこには85年から96年間で10年間の書籍数が記載してあるのだけれどぼくの数えた数字とおろおろあっていない。たぶん彼の数字の方が正しいのだけど、直すといろいろさわり直す必要が出てくるので間違ったまま行きました)
この数字を見ると87年に571冊あった搭載数は92年7月版では386冊と、毎年補充されている新刊を勘定に入れると5年の間に実に350冊以上が削除されている。大虐殺の大きな理由は89年4月に施行された消費税に見るのが正しいかと思う。けれども同時に、アシモフ、クラーク、ハインラインを初めとする主要作家の作品には一切手をつけなかったことも留意されるべきところだろう。
全作品搭載の84年版は最終No.596で搭載冊数は442冊。80年代最後の89年版は最終No.838で搭載数474冊。旧定価での販売が猶予されていたこともあってか、消費税施行の影響はまだ半分くらいしか出ていない。ただ旧定価との混在は書店サイドに大きな不満を与え、その後の数年間で旧定価の本は急激に姿を消す。とくに大きく影響を受けているのが創刊当初の中心だったクラシックで、67冊を数えていたのが6冊までに激減している。生き残ったのは『異次元を覗く家』、『火星航路SOS』、『オッド・ジョン』、『大宇宙の魔女』、『異次元の女王』、『暗黒神のくちづけ』というちょっと意外な顔触れで、バロウズも〈コナン〉も影もかたちもない。40年代以降についてはみごとに各年代100冊以上の作品がバランスよく生き残った。
70年代SF文庫が冒険活劇中心からSFシリーズ再録へと舵をきった黄金時代の再現であったとしたら、80年代SF文庫は現代SFの最良部分を惜しげなく散りばめたSF文庫史上でももっともすばらしい時代だった。とりわけ語り草になっているのが87年3月から88年2月にかけての1年間。『ブラッドミュージック』、『ノーストリリア』、『クローム襲撃』、『警士の剣(新しい太陽の書3)』、『愛はさだめ、さだめは死』、『カウント・ゼロ』、『たったひとつの冴えたやり方』、『エンダーのゲーム』、『スキズマトリックス』、『ノヴァ』、『緑の瞳』、『九百人のお祖母さん』といった作品が毎月のよう紹介され、『楽園の泉』、『雪の女王』、『エデン』、『宇宙市民』、『スターダンス』といった文庫落ち作品が花を添えた。『銀色の恋人』、『永劫』、『プロテウス・オペレーション』、『彗星の核へ』、『ポストマン』なども、人によっては先の作品を押しのけて年度ベストに選んでいた作品かもしれない。
80年代に出版された作品がいかに充実していたか、ちがう資料を紹介しよう。
添付資料の「目録落ち簡易推移表」をごらんいただきたい。
84年から6年ごと6冊の目録を抜き出して、その6冊の搭載状況を記してみたものだが、そこに何回搭載されたかを整理した表を見ると80年代刊行作品が半数を占める。90年代以降刊行作の状況と見比べてほしい。編集部としても切らしたくない作品が揃っているということだろう。
なお、海外SFノヴェルズは、85年から90年にかけて同文庫に文庫落ちする。
90年代に新刊は445冊刊行されている。そのなかで90年版で488冊のSF文庫は99年7月版で377冊にまで減少する。
発表年で見ると、86年から90年にかけて毎年30点平均の作品が紹介されている。冊数だと200冊を超える。SF文庫のなかでももっとも充実した年代である。それぞれの年を代表する作品をみるとすごい本が並ぶが、ぼくの好きな70年代以前(年あたり20点平均)と比べてそこまで厚遇される時期ではない気がする。むしろキャンベル=アスタウンディングから50年代黄金時代、NW、オリジナル・アンソロジー、女流作家、LDG、サイバーパンクと成長変化を続けてきた英米SFがあらたな潮流を見つけ出せずに戸惑いだした時期であるように思えるのだ。作家たちが過去の作家作品を必ずしも目にすることなく創作に向かう時代になったような気がする。
こうした作品が大きく訳されたこともあってか90年代は全体を見渡しても今一つぱっとしない。というか70年代、80年代にあったような色鮮やかさに欠けるのだ。
この年代の大きな仕事に『SFハンドブック』(1990)、『80年代SF傑作選』(1992)があるが、考えて見ればこれらの本は過去の成果を展覧するものであり、新しく視界を開いていくものではない。海外SFの魅力はそうした視界の広がりにあると思うのだけど、ラッカー、レズニック、ソウヤー、バクスターといった面々は全体に小粒で、先代組に比べると時代の顔として君臨するだけのカリスマ性に欠けていたと、今にしてみれば思わざるを得ない。そんな彼らを蹴散らすように、90年代後期からデイヴィッド・ウェーバー、デイヴィッド・ファインタックを皮切りにミリタリイSFが台頭してくる。
その他の大きな変化としては、(たぶん)92年から文庫目録の刊行が年2回になったこと。94年版から作家50音順整理番号が目録に記載されるようになったこと。この94年版からペリー・ローダンを4頁に一括掲載することにしたこと。そして97年版。本の雑誌に書いたように、消費税の5%の引き上げを契機にこれまで命脈を保ってきた多くの里程標的作品が処分されはじめたこと。アシモフ、クラーク、ハインラインの御三家はじめ、ほとんど聖域と化していた作家たちの目録落ちが始まったのも、この版からである。知ってましたか? 30冊以上あったハインラインが2004年版では『人形つかい』、『夏への扉』、『宇宙の戦士』、『月は無慈悲な夜の女王』の4冊しかなかったことを。12年7月版のアシモフは〈ファウンデーション〉3部作と『われはロボット』、『ロボットの時代』、『鋼鉄都市』、『ロボットと帝国』しか残っていないことを。
なんでこんな作家をと首をかしげる知名度に欠ける作家を何人も抱え、編集部も大変だったろうなと思わされる10年である。
2000年代はグレッグ・イーガンの登場で始まる。テッド・チャン『あなたの人生の物語』、アリステア・レナルズ、チャールズ・ストロス、チャイナ・ミエヴィルなどのイギリス勢は気炎を吐く。『ハイペリオン』、『氷と炎の歌』の文庫落ちなど話題性に事欠かない。パチカルビもいる。
2005年には「読みやすい大きな活字の新装版」と銘打って新ナンバーを付けた「ハヤカワ名作セレクション」の刊行が始まる。選定第1段は青背第1号と同じく『プレイヤーピアノ』。以下『断絶の後悔』、『銀河遊撃隊』と続くセレクションはぼくにはよくわかりません。当然この時期からの新刊はすべて活字が大きくなっている(と思う)。
ほかにもムアコック全作品の組み替え再版、『新・新しい太陽の書』の刊行に合わせて『新しい太陽の書』4冊を小畑健の表紙で出し直す。 2001年には10年ぶりに全面改定した『新SFハンドブック』、『90年代SF傑作選』、『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』、『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』、『スティーヴ・フィーヴァー』などのアンソロジイの刊行など意欲的な試みが目につく。
反面、アメリカSFは、『反逆者の月』、『彷徨える艦隊』、『共和国の戦士』、『栄光の〈連邦〉宙兵隊』といったミリタリイSFの花盛り。そして2010年からは〈ペリー・ローダン〉が1月2作刊行を始める。出版点数は従来のままで。当然ローダン以外の出版は月1冊だったりする。
淘汰はさらに進んだ。
来年にも刊行ナンバーが2000番に到達しようという中にあって、12年7月版の搭載作品数はじつに246点。ページ数にしてローダン除いて41ページ。ちなみにJA文庫はグイン関係書を除いて54ページある。ミステリ文庫も57ページ。かろうじて目録巻頭の位置は保持しているものの実質的な地位は逆転してしまっている。
『新SFハンドブック』姿を消した。刊行後10年を経過し、紹介作品に絶版本が増えたことなどが理由だろうか。
あと、「大きなサイズ大きな活字で読みやすい改訳・新装版」と銘打った。文庫棚に立てておけないトールサイズは活字を大きくした『プレイヤー・ピアノ』(No.1500)に合わせて、2009年2月刊行の『タイタンの妖女』(No.1700)が第1弾。その前後『ヘミングウェイごっこ』、『反逆者の月(3)』は通常サイズなので、1500番1700番ヴォネガットという記念版ということらしい。実際のスタートは2009年の4月からということなので、No.1705のペリー・ローダン『バラインダガル銀河の最後』が実質第1弾になるのだろうが、持ってないので未確認。次のNo.1706『スターシップ−反乱−』はまちがいなくトール・サイズ。活字を大きくしたので1頁に入れる文字数の減を抑えるための改訂と思っていたけど、『プレイヤー・ピアノ』と『タイタンの妖女』を比べると、驚くことに活字がさらに一回り大きくなって名作セレクションのときよりも、さらに字数が減っていた。1頁の容量は『プレイヤー・ピアノ』39字×17行(603頁)、『タイタンの妖女』は39字×16行だった。ちなみに最初の『プレイヤー・ピアノ』は43字×20行(487頁)、創元文庫の最新作ディック『空間亀裂』は41字×17行だった
書庫管理に困ったサイズであるのだけれど、老眼の眼にはやさしい。頁数が増えて値段が張るのは、主要作以外、古書価が200円に落ちるまで我慢する身としては文句を言える立場でない。
淘汰の嵐については、買わない読者が悪いのである。重版改版を重ねながら100点以上の作品を、刊行以来ものによっては40年間、切らさずにきた努力は十分評価に値する。
SF文庫とJA文庫だけでも、ローダン、グイン・サーガをどけても2000冊以上のSFが刊行されているのである。途切れていると非難するより、リスト片手にブックオフを回る方がずっと建設的だろう。
リストを見るにあたっての留意点を最後にいくつか。
巻頭で述べたように嘘がいっぱい詰まっている。加工も無断活用もどんどんやっていただければこちらとしてもうれしいが、資料元としての掲示はいりません。データを使ってなにかをしようとするときには、必ず他の資料と突き合わせをしてください。
リストを見るうえで気をつけるのは、たとえば1年しか目録掲載されていない本が、3年掲載されたものより評判が良かったとは限らないということ。
刷った本がすぐ売れたけど重版してもたぶん売れ残るだろうと判断された本はすぐに目録から消える。全然売れなかった本は在庫が大量に残っているので、倉庫の空きがなくなって出版社に見切りをつけられるまで、しばらく目録に載り続けることになる。
好例がブライアン・ステイブルフォードのNo.1391『ホームズと不死の創造者』。
この作品は2002年7月版の目録に1度きりしか載っていない。たぶんこの作品、普段通りの部数を刷ったところ、ホームズ物なら何でも買うシャーロッキアンがたくさん群がって予定外に売れてしまったのではないか。作品の出来不出来と関係ないところで売れてしまったものだから、重版してもシャーロッキアンは既に買ったあとなので売れる要素がほとんどない。それでそのまま目録から消えてしまったのだろう。
また出版社には、自社中心で活動をしている作家や翻訳家の生活を支える一面がある。作品淘汰の選択にはそんな要素もたぶんある。
たとえば、『宇宙戦争』や〈キャプテン・フューチャー〉みたいに重版の背景に映画化アニメ化といった理由があるものもある。
そんなこんなの事情がいろいろ混ざっているので、目録搭載の分量が必ずしもすべてその作品の評価につながるわけではないことも承知しながらリストを見ていただけたらと思う。