内 輪   第269回

大野万紀


 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。
 長い間使っていた東芝のハードディスクレコーダがこのところ調子が悪く、壊れてしまう前にブルーレイレコーダに買い換えようと、パナソニックのDIGAを注文しました。ずっと東芝を使ってきたのですが、ネットでの評判を見ると圧倒的にソニーかパナソニック。うちは今後もDVDを使う場合があるので、選択肢は事実上パナのみ。操作性はずいぶん違うみたいで、特に編集機能は東芝が一番いいと感じているのですが、最近はもう昔みたいな細かい編集をすることもなくなったし、普通に使えればいいかと。操作性の違いも、そのうち慣れるでしょう。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ゴリアテ ロリスと電磁兵器』 スコット・ウエスターフェルド 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 〈リヴァイアサン〉のシリーズ最終巻。英国海軍の飛行獣リヴァイアサンはイスタンブールから東京へ向かう途中、ロシアのツングースカへ寄り、木々がなぎ倒された恐るべき光景を目にする。そこにいたのは、それを引き起こしたという天才科学者ニコラ・テスラ。彼はリヴァイアサンに乗り込み、東京経由でニューヨークへ向かう。彼が開発中の最終兵器〈ゴリアテ〉を使って、この大戦を終結させるために。
 今回、ストーリーの中心にいるのは、ご存じニコラ・テスラである。まさしく大時代なマッドサイエンティストとして、傲慢で秘密主義、何よりも発明が大事で人間性には欠けたところのある人物として描かれている。マンガ的ではあるが、こういう舞台には相応しい。リヴァイアサンに乗り合わせた公子アレックと、男装の士官候補生デリンの、いらいらするようなややこしい関係も、メキシコ革命のさなかで起こった事件により、さらに複雑化する。おまけに前巻でも出てきたあの新聞記者も首を突っ込む。
 まあそういうわけで、おどろおどろしい最終兵器ゴリアテの起動とそれを阻止しようとするドイツ帝国、そこにデリンとアレックがからんで、物語は展開する。登場人物も多く、ごちゃごちゃと錯綜しているように思えるが、実はいたってシンプルなストーリーだ。エンターテインメントとしてはこれで問題ないのだが、せっかくのダーウィニストとクランカーの対立する世界というSF的、スチームパンク的要素が背景に沈み、単にマッドサイエンティストの超兵器と、ちょっとややこしいラブストーリーの組み合わせになってしまった。それで大団円を迎えるのだから、主人公の二人にとってはこれで良かったのだろう。面白くは読めたけど、物足りなさも残るといったところだ。

『新編 SF翻訳講座』 大森望 河出文庫
 SFマガジンに89年から95年まで連載されていたやたらと賑やかなエッセイが2006年に『特盛! SF翻訳講座』として刊行され、その一部をカットし一部を追加した(だから「新編」)文庫版である。
 しかし、内容はわりと実践的な翻訳論ではあるのだが、連載の時からリアルタイムに見てきていたものだから、とにかくひたすら懐かしい。熱心な海外SFファンというのは確かにこうだったのですよ(まあ大森望は中でも特別だったかも知れないが)。
 新編につけられた後記が味わいがあって面白い。でも十数年の時間の経過があっても、結局大きな違いはない(いや翻訳環境という面ではインターネットの存在がものすごく大きいのだが)と思えてしまうのだ。この頃はモデムでピーガーやっていたというのが信じられないくらいだけれど、やってることは今も昔も大差ない(!)。いやホント。

『私はフーイー』 恒川光太郎 メディアファクトリー
 主に「幽」に掲載された(書き下ろし含む)7編の〈沖縄怪談〉短篇集である。作者は東京生まれだが、沖縄に十年以上住んでいるとのことだ。
 怪談集とあるが、超自然的な話ばかりではなく、狂気や異常心理のもたらすものとして解釈できる物語も含まれている。実際、怪異や妖怪変化が描かれるものであっても、それらは物語の中心ではなく、あくまでもそれらや、予言や運命といったものに翻弄される人間たちの、いずれも殺人や悲劇を背景とした哀しい物語となっている(とはいえ「ニョラ穴」のようにクトゥルーものかと思うような話もある)。
 沖縄らしい、亜熱帯の海や森の色彩豊かな光景が描かれ、それゆえに闇もまた暗い。だがその暗さは、本土の田舎の因習に満ちた陰鬱さというよりは、やはり外洋に向かって開かれ、アジアの諸世界と通じる、風の通り抜けるような暗闇なのである。それが最もよく現れているのが表題作の「私はフーイー」だろう。転生を繰り返す少女の物語であるが、やはり悲劇は描かれているものの、怪談というよりは美しいファンタジーだといえる。SF的な雰囲気もあって、本書の中で一番好きな短篇だ。
 どの短篇も面白く読んだが、沖縄という土地のエキゾチシズムがポイントとなっており、それゆえ『夜市』や『秋の牢獄』のような普通の日常性からふと異界へと転じる感覚ではなく、日常がそのまま異界であるような魔術的な感覚がある。これもいいのだが、またあの身近に体験する悪夢のような、夢うつつの恐怖感覚も味わってみたいと思う。

『問う者、答える者 混沌の叫び2』 パトリック・ネス 東京創元社
 『心のナイフ』につづく《混沌の叫び》三部作の第2部。
 いやあ、この作者は真性のサディストではないのだろうか。ヤングアダルト小説なのに、痛い痛い。登場人物たちは誰もが精神的にも肉体的にも、悲痛で残酷な扱いを受ける。虐殺、拷問、精神的奴隷化……。一難去ってまた一難ではなく、一難去らずにまた二難、三難。これでもかというくらい、読むのが辛い(でもどんどん読める)小説である。
 もっと辛いのは、ここで描かれているような残酷な悲劇は、現実に世界のどこかで今も存在しているということである。伊藤計劃を読んだ時にも増してその感覚が強かった。
 この世界は遠い宇宙の植民星で、今まさに新たな植民者が到着しようとしており、ノイズという一種のテレパシーが存在して、スパクルという異星人がいて、といったSF的要素が描かれているのだが、これらにはみな現実の世界にパラレルな対応物がある。恐怖政治、収容所、洗脳、人種差別、性差別、テロと「テロとの戦い」。ナチスドイツや、スターリンのソ連や、カンボジアや、内戦のユーゴや、中東や、アフリカや、とにかくそんな現実の世界での恐怖と人間の弱さとを、より強く意識させられるというわけだ。
 主人公の二人が精神的には子供で、弱みと無茶ぶりを、自分たち以外の存在への想像力や思いの浅さを見せつけてくれるので、ますます辛くなる。それはある意味大変リアルな人間らしさでもあるわけだが、少年少女の冒険小説を読もうとする読者にはかなりきついといわざるを得ない。とにかく、ようやく二人がたどり着いたヘイヴンの町はプレンティス総統の軍隊に占領され、二人は離ればなれになり、テロと拷問が繰り返され、二人は互いを思うがゆえに苦しみ、そしてとうとう……第三部へと続く。あちゃあ。

『NOVA 9』 大森望編 河出文庫
 書き下ろし日本SFアンソロジーの第9巻。でも10巻で一応終わりになるそうだ。眉村卓から扇智史まで、SFっぽい小説からガチ本格SFまで11編が収録されている。
 その眉村卓「ペケ投げ」は、本当にペケを投げるという、そんな話。日常の中の変な話が、全国ニュースになってまた下火になっていくのだが、そんな現象のマスコミでの取り上げ方あたりが、確かにちょっと昭和っぽい感じかも。
 斉藤直子「禅ヒッキー」はコールセンターの怪談(?)話だが、これも変な話。でも面白い。好みです。
 田中啓文「本能寺の大変」は……題名が全てを表している。しかし、作者は真面目に歴史小説に挑戦してみるのもいいかも、と思った。
 小林泰三「サロゲート・マザー」は近未来バイオSFで、ひねりが効いていて、よくできたアイデア・ストーリーだ。小品だが、さすがは小林泰三だと感心した。
 片瀬二郎「検索ワード:異次元/深夜会議」は短い2編のホラー。「検索ワード:異次元」の方は不気味さが勝っていて良いが、「深夜会議」は牧野修あたりとかぶっていて、既視感があった。もう一ひねりほしいところ。
 宮内悠介「スペース蜃気楼」は《スペース金融道》シリーズの一編。今度はアンドロイドとの、『盤上の夜』もかくやと思う緊迫感溢れた、命がけのポーカーゲームだ。いやあ面白かった。途中で架空通貨を発行してバブルを作り出すところなど、コードウェイナー・スミスを連想した。
 木本雅彦「メロンを掘る熊は宇宙で生きろ」はメロン熊の話――じゃないんだけど、いかに真面目な宇宙SFにしようとも、あの夕張のメロン熊の姿を思い出さざるを得ない。そっちに引きずられるせいか、ストーリーにはかなり無理がある感じだ。そもそも、何で熊なのだ?
 谷甲州「ダマスカス第三工区」は太陽系宇宙土木シリーズ(という名前でいいの?)の最新作。土星の衛星エンケラドゥスが舞台。まるで意志をもつかのような氷によって埋まった事故現場へ、実直な技術者である主人公が単身で訪れるのだが……うーん、これって長編のプロローグみたいな感じじゃないですか。ここで終わっちゃうの? まあそういう思わせぶりもありかも知れないが、作者はこれまでの作品も合わせて、しっかり大長編にすべきだと思う。そうすれば、太陽系で働く技術者たちの現場の視点と、その背後に隠されたより大きな太陽系の秘密といったシリーズ全体の構図が明確になり、大傑作の本格宇宙SFとなるに違いないのに。
 扇智史「アトラクタの奏でる音楽」も良かった。少し未来の京都、三条大橋のたもとで二人の若い女性が出会い、道行く人に音楽を奏でる。ストリートミュージックがARによって拡張され、今のニコ動やボカロの流れがARでリアルな街角で展開される。前作でもそうだったが、このARの描き方がいい。これまでのSFでよくあるバーチャルリアル主体ではなく、リアルが主体。本当にこんな未来が来そうな感じがある。ストーリー的にはさわやかな青春小説であり、大きな事件もないのだが、いかにも本当の21世紀の街角を描いたみたいで、とても興味深かった。


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