続・サンタロガ・バリア  (第127回)
津田文夫


 正月といったらウインナ・ワルツだけど、今年のウェルザー・メストは見なかった。その代わりとは違うけれど、プラハ国立歌劇場オペラの「フィガロの結婚」を見に行った。18日間に東京から福岡まで16公演というハードスケジュール。1演目ダブルキャストとはいえよくやれるよねえ。間に20分の休憩を挟み、3時間あまりオケピット近くで聴いていたので、細かいことがいろいろわかって面白かった。最近は昔と違って女声たちがみんなスマートになったし、顔立ちもそれなりな人が揃っている。伯爵夫人の役はスレンダーでほっそりと長い首をしていていかにも今風なキャラクター、疲れていたのか声がやや引っ込み気味だったのは残念。モーツァルトの音楽はゴージャスで、いい気持ちで最後まで付き合えた。客の入りがイマイチなのは淋しかったけれど。
 そういえば、なぜか元日から「エヴァンゲリヲン新劇場版:Q」なんぞを見ていたりする。「序」も「破」も見てないのになんで「Q」だけ見るかなあ、と思ったけれども成り行きで見てしまった。まあ、思わせぶりばかりで相変わらずではあったが。

 毎年正月休みには読むぞと思っても終わってみれば、少しも読めていなかったりする。今年もそのパターンで、年末のSF忘年会から握っていたケイジ・ベイカー『黒き計画、白き騎士 時間結社〈カンパニー〉極秘記録』がなかなか読みおわらなかったのが、躓きの元だった。読み始めて思ったのが、これはファンライター上がりの作品だなあということ。作者が楽しんで書いていることはよく伝わってくるんだけれど、設定自体が新鮮さに欠けるうえ、メインキャラクターが不死のサイボーグではサスペンスを盛り上げるのが難しい。ラノベ作家の方がこの設定を何倍にも面白く使いこなすんではなかろうか、とどうでもいいことまで考えてしまう。で、1編読んでは寝てしまい、読み終えるのに1週間掛けてしまったわけだ。興味深かったのはアレック少年をメインキャラにした連作ぐらいかなあ。

 正月に読み終えたもう1冊が、冲方丁『光圀伝』。既に3刷、帯には10万部突破マーク。ご同慶の至りであるが、そんなに面白いかなあ、というのが正直なところ。まあ、冲方丁が創り出すパワー勝負の世界の作り方にあまり同調できないので、『天地明察』ほどの楽しみが感じられなかったということかな。冲方丁がテレビで知られる水戸黄門を歴史的な人物として空回りしそうな勢いで描いたことに文句はないし、光圀の事績が少しでも人口に膾炙すればそれに越したことはない。幕末に爆発する勤皇の水戸藩はここに胚胎するし、幕末維新期の会津藩の八重さんは保科正之と家光との関係が用意した。ついでに廃仏毀釈も光圀のせいだと言えば光圀に怒られるか。冲方丁のパワー勝負は昔の夢枕獏を思い起こさせる。

 ようやく3部作の最終巻が出たスコット・ウェスターフェルド『ゴリアテ ロリスと電磁兵器』は、さすがにスラスラ読めて気持ちがいい。ジュヴナイルということで、もう少し突っ込んで欲しいところが散見されるし(特に結末があっさりしすぎ)、最終巻ともなるとワクワク感もかなり失せるのはしかたのないところ。それでも作品世界に嫌味がないので楽しい読み物になっている。ま、このシリーズで出ていなかったら、まず読まなかっただろうから、よかったんではなかろうか。

 次の10巻目で終わりというアナウンスにビックリした大森望編『NOVA9』は、別に作品のレベルが落ちてるわけではないのだけど、そういう言葉も頷けるオリジナル・アンソロジーになってしまっているかも。個々の作品に落ち度はなくてもオリジナル・アンソロジーとしての広がりに、いや新鮮さに欠けてきたところはあるようだ。読者がロートルなせいもあるだろうが、集中随一の異色作が眉村卓「ペケ投げ」に見えてしまうのでは、当初の目論見からアンソロジーの性格が外れてきたということなのだろう。作品自体はどれも達者で楽しく読める。でも、それは「いつもの楽しさ」に化けているので、おお、こんなものが、という驚きはないのだ。
 単に書き下ろしSFアンソロジーとしてみれば、好ましさでは森深紅「ラムネ氏ノコト」がストレートなSFの感動をシミュレートしていて気持ちいいし、扇智史「アトラクタの奏でる音楽」がカワイイ。シリーズものはそれぞれ充実しているし、おなじみの作家はお得意の一発を決めているので不満はないです。

 新刊SFが切れたので、積ん読になっていた山野浩一『鳥はいまどこを飛ぶか』『殺人者の空』を読む。「鳥は・・・」「X電車で行こう」「メシメリ街道」がタイトル的に有名だし、読みやすくもあって、風俗部分の古さを別にすると、筒井康隆に批判されたという「マインドウインド」も含め、エンターテインメントとして楽しく読める。作者自身が付けた難易度を示す「唐がらしマーク(タイトルちなみの鳥の羽マークかと思ったよ)」が少ない方が一般的なエンターテインメント性は高いようだ。『鳥は・・・』が入門編で『殺人者・・・』が応用編みたいな感じがするが、『鳥は・・・』の「カルプ爆撃隊」に始まる末尾の4編はいわゆる山野浩一トレードマーク付き作品群で、今読むと「首狩り」がとても面白い。『殺人者・・・』では、柴野さんにも認められるオーソドックスなSFを書こうとして、こそばゆい作品になった〈宇宙塵〉掲載作を別として、山野印の鮮明な作品が多い。作者の評価が低い「Tと失踪者たち」もエンターテインメント性が高くいい感じ。作者がマイルストーン視している表題作は、現在50歳以下の読者にはリアリティがなくてそれこそ想像するしかないような世界だけれど、小学生の頃この作品のラストに出てくるロケットを校庭の彼方に見たと確信している人間には涙が出てくるシロモノである。SFファンとしては「内宇宙の銀河」を取るけれど。

 読みたい新刊SFがないので、文庫になったエイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』を読む。晶文社から出たハードカヴァーは学生時代に買っていたけれど、35年前に読んだかどうかも忘れているし、本自体も手元にないのでちょうどよいタイミングで文庫が出たわけだ。当時のSF読みには基礎読書の範囲な作品だったし、今回読んで、ああそういう話だったのかと読んで当然の物語にいまさら感心しているわけだけれど、解説の多和田葉子も指摘しているように、「だ調」と「ですます調」が入り交じる日本語が原文の調子を厳密に反映した翻訳であることが新鮮に感じられた。読みながら頭をかすめていたのは、果たしてラファティはこの物語をリアルタイムで読んでいたのだろうかということ(読んでいたんだろうなあ)。

 前回長崎聞き役の新書を取り上げて10年あまり前と書いたけど、20年前ですね。で、その隣にあった中公新書の楠本寿一『長崎製鉄所』も読んでみた。これも1992年の初版で、顧みるにこの頃がその後20年携わる仕事の始め頃で、まず海軍工廠とは何かを知るために長崎〜横浜〜横須賀という流れを押さえておこうと思い買ってはみたものの、積ん読になったらしいと見当する。著者は学者ではなくて三菱長崎造船所に勤務した後、別の造船所を経て独立した人。高等商業出なので技術者ではないようだ。しかし、内容は博捜を極め、幕末から明治初期の文書を読みこなし、オランダ語はもちろん英仏独の資料も読み込むなど凄まじいシロモノで、安政2(1855)年に長崎海軍伝習総取締永井玄蕃頭尚志(なおのぶ)が独断でオランダの軍人に製鉄所の建設を依頼するところから最初の1行を始めて、明治20(1887)年長崎造船所が三菱に払い下げられるまでを、冗長さのかけらもなく描いて、所謂名著になっている。思い出すと、幕末で遡るよりは手っ取り早く横須賀からでいいかと思い大学の先生が書いた専門書に手を出したのだけれど、オマエはやはりバカだよ、と20年前の自分に言っておきたい(いまのオマエだってバカじゃんと返されるのがオチだけど)。

 『NOVA9』を買った時、その横に並んでいたのが吉村昭『七十五度目の長崎行き』で、長崎繋がりで読んでみた。仕事柄、たまに吉村昭の作品を参照することはあるけれど、司馬遼太郎の作品同様基本的に資料にはできないので、自分から読むことはない。そんな暇があれば、普通はSFを読んでるよね。吉村昭にとって長崎がお気に入りの土地であることは、その歴史が材料の宝庫であると共に居心地のよい土地柄であることが大きいらしい。文庫の後半を占める「みつびし余聞」は三菱の社内誌に書かれたようだけれど、自分の仕事の端っこに引っかかる雑学として面白い。ま、雑学で仕事しているようなものなんだけど。その「余聞」の一つに民間技術者が開発した海中作業艇である西村式豆潜水艇のエピソードが簡潔に描かれていて、これは嬉しかった。瀬戸内海では潜水艦が訓練中に時々沈没!するのだけれど、「伊号第63潜水艦」が沈没した時に引き揚げ調査に引っ張り出されたのが、この豆潜水艇。わずか24トンで潜水深度350メートルという優れもの。実際には速力不足で所期の目的は果たせなかったけど。その後呉海軍工廠がこの豆潜水艇を参考に潜水作業艇を2隻建造している。仕事場にあった「イ63」の引き揚げ作業写真アルバムで初めて西村式豆潜水艇の見た時の驚きを思い出すなあ。

 仕事繋がり読んだ『完訳フロイス日本史』の訳者がだしたフロイス日本史ネタの2冊目、川崎桃太『続・フロイスの見た戦国日本』も出ていたので早速読んでみた。川崎桃太は1915年生まれというから、今年で98歳。後書きの日付が昨年8月。凄い人だ。まあ、内容的には出がらしといっていいけれど。もともと文庫で12冊の完訳版を読むきっかけは、この本でも紹介されている1573年に布教長カブラル師が山口県の岩国から大阪堺へ行こうと船を探したが、応じてくれる日本人船頭がいないなか、ただ一人応じたのが川尻という今は広島県呉市の一部となった村の「海賊(船乗り)」だったというエピソード。途中体調を崩していたカブラルをわざわざ自宅に連れ帰り、回復するまで1週間家族総出で看病したという「海賊」の話はフロイスだけが伝えている訳じゃないようだけれど、一番有名なので担当した本に引用させてもらった。この「海賊」の正体は全く不明だけれど、SF的想像力を働かせると多分漫画家こうの史代のご先祖様だ。


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