内 輪   第268回

大野万紀


 色々と大きな動きのあった年末ですが、それはこっちへ置いといて……。
 日本SF大賞が発表されました。今年の大賞は、月村了衛『機龍警察 自爆条項』と宮内悠介『盤上の夜』のダブル受賞。特別賞に伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』が選ばれています。特別賞って何なの、といった話はありますが、受賞者のみなさま、おめでとうございます。
 恒例の年刊SFベスト選びも悩みましたが、ローカス誌でオールタイムベストが発表されています。20世紀SFとファンタジイ、21世紀SFとファンタジイの長編が15位まで掲載されています(詳細リストもあり)。結果を見ると、何だかなあという気になるものも多いのですが、ファン投票というのはこういうものでしょう。おおむね納得です。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ペルセウス座流星群』 ロバート・チャールズ・ウィルスン 創元SF文庫
 ホラー/ファンタジーにSFの風味を加えた短編集。主に90年代後半から2000年までに書かれた9編が収録されている。
 カナダのトロントにある、謎めいた小さな古書店と、その店に関わる個性的な人々を物語の軸として描かれた怪奇幻想小説集という装いも持っているが、それはあくまでおまけであって、基本はいずれも独立した短篇である。
 『時間封鎖』の三部作にもつながるモチーフが多く使われており、SF風味のホラーといってもかなり骨太な本格SFの味わいがある。中でもヒューゴー賞ノベレット部門で二席になった「無限による分割」をはじめ、「薬剤の使用に関する約定書」、「寝室の窓から月を愛でるユリシーズ」、「街の中の街」、「ペルセウス座流星群」といった作品はそうだ。
 もうひとつ本書を通じて強く伝わってくるのは、70年代ごろのヒッピーからニューエイジ、オカルトとドラッグとサブカルチャーの雰囲気である。より正確には当時の若者たちの年老いた姿だ。
 そんな初老の人々の物語に、彼らの娘世代の少女たちの清新な姿が混じる。大人たちはみんな精神的に疲れ、どこか病んでいて、互いの人間関係に悩んでいる。そして、そんな彼らの間に、異界の存在が紛れ込んでくるのだ。
 異界は、「トワイライトゾーン」や「世にも奇妙な物語」のように日常の中の裂け目として入り込んでくるのだが、その背後にあるのは量子論であったり多世界であったり数学であったりという、どちらかといえば現代のハードSF的なモチーフなので、なかなか新鮮な感覚がある。
 巻末に作者自身のあとがきがついているが、読んで本当に「同感!」といいたくなる。たとえばこんな文章だ。

 「バランタイン版のアーサー・C・クラーク『前哨』を閉じれば、リチャード・パワーズが描いたカバーをじっと見つめ、そこに描かれた黄色い空や謎めいた輝きを放つ彫像、ダリのハープ、ベッドのスプリング状の物体について説明する自分なりの物語を夢想せずにいられなかった。あるいは、明瞭なのに奇妙で生々しいジョー・マグナイニの挿絵を、同じくらい奇妙で生々しいレイ・ブラッドベリの文章のなかに次々と見つけては、大いに昂奮した」

 こういう文章には同じSFファンとして共感を覚える。本当にそうだったよね。

『この空のまもり』 芝村裕吏 ハヤカワ文庫
 作者は「ガンパレード・マーチ」のゲームデザイナーだったのね。小説は初めて読んだ。
 AR技術が一般化した近未来の日本というか、東京の大久保あたりが舞台。リアルにはほとんどその近辺だけで話が進む。「清く貧しく理性的な愛国活動と就活と婚活の物語」と帯にあるが、本当にそんな話だった。
 外国人の落書きした電子タグで埋まった日本の電脳空間。強化現実眼鏡をかけるとあらゆるところにそんな落書きが見える(もちろん日本人も落書きしているのだろうが、小学校のシーンを除くと、あまりはっきり書かれていない)。
 この現状に不満を持つ愛国的な人々は、ネット上に架空政府を設立、現実にはさえないニートのソフト技術者である田中翼は、架空防衛軍10万を指揮する架空防衛大臣となり、電子タグのお掃除大作戦を決行する。しかし、その成功を祝って集まった群衆はいつか暴徒化し、外国人を排斥しようと、外国人が多く住む大久保の町でリアルな暴動を起こす。
 架空防衛軍に属する小学生たちや、一般人で、外国人労働者の暮らす安アパートの住人である大学生の大輔も、この暴動に巻き込まれてしまう。一方翼は、幼なじみの七海との関係に悩みをかかえていた。
 一口でいって、ファンタジーである。その昔、抑圧的でなく自由な、左翼的で理想主義的な社会がファンタジーとして描かれていたように、排外的でなく理性的な、しかも保守の愛国者である右翼というファンタジー。実は同じものなのかも知れないね。いや、そのことを揶揄しようというのではない。それがファンタジーであることを理解した上で、今の悲しくなるような現実に対して(その象徴となるのが、唯一リアルで悲劇的な存在として描かれた小学校の女教師である)バランスをとろうとしているようにも見える。
 翼は、草食系のニートという社会的属性を持ちながら、まさにスーパーヒーローとして描かれており、本来であれば悲惨で過酷な現実を描くはずのこの小説を、面白くハッピーなエンターテインメントとして楽しく読めるものにしている。すべておさまるところにおさまるハッピーエンドは、そんなのありえないとは思いつつも、顔がほころび、嬉しくなる。東京の街に草原が広がり、妖精たちが輪になって踊る。

『昔には帰れない』 R・A・ラファティ ハヤカワ文庫
 忘れられてはいなかった。ついに出た96年の『つぎの岩につづく』につづく伊藤典夫と浅倉久志の共訳による、ラファティ日本オリジナル短篇集である。
 大きく2部に別れていて、1部には表題作をはじめとする伊藤典夫訳の8編。2部には「そして、わが名は」など伊藤典夫訳の3編と「大河の千の岸辺」など浅倉久志訳の5編が収録されている。1部は「ラファティとしてはシンプルな小品」、2部は「ちょっとこじれているかなあと思う作品」を選んだ、と伊藤さんの後書きにある。
 実のところ、1部には普通に「ユーモアSF」「マッドSF」として読める、オチもはっきりしている作品が多く、そして2部には、これぞラファティだとしかいえないような、奇妙でもやもやとする、何ともいい難い、そして奥深い作品が集まっている。
 もちろん、ラファティをずっと読んできた読者には、2部の方が断然興味深いだろう。
 ラファティの作品には、この世の中に本当に新しいものはなく、遙かな昔から繰り返されていて「ああ、前にもそんなことがあったよ」というテーマがある。「そして、わが名は」、「行間からはみだすものを読め」、「一八七三年のテレビドラマ」なんかもそうだ。そしてこの文明なんて、たいしたものじゃない、という感覚。その一方で「大河の千の岸辺」などもそんな話だが、〈大きなもの〉への畏敬の念もある。ぼくはこういうラファティも好きだ。
 後書きで伊藤さんは「一八七三年のテレビドラマ」を「ぼくの理解にあまる」作品だと語っている。しかし作品を理解するとは、どういうことをいうのだろう。「一八七三年のテレビドラマ」は、百年以上も前にもテレビがあって、役者がドラマをやって、それが現実と相互作用をするという、変な話ではあるが、とってもラファティな面白い話だと思う。この物語にはこういう背景があって、宗教的な何やらと関係して、ここで使われているこの言葉には作者のこんな思索が反映している、といったことがわかれば「理解した」ことになるのだろうか。たぶんそうではなくて、作品の中の何かが読み手の感覚と共鳴した時、「うん、わかるわかる」という気分になるのだろうと思う。

『百年法』 山田宗樹 角川書店
 7月に出た本だが、大森望が一押しするなど評判は高いものの、何だかテーマが辛気くさそうでずっと敬遠していた(ハードカバーの分厚い上下巻ということもある)。でも水鏡子も面白いといっていたので、やっと手にとって(重い!)読んでみた。
 なるほど、これは面白い。近未来の話と思っていたら(いや舞台は2048年から始まる近未来の日本なのだが)、全くの別の時間線の話だった。
 ふとしたことからヒト不老化ウィルス(HAV)が発見され、1932年には、アメリカで人間への接種技術(HAVI)が開発された。20世紀の前半に、人類は人工的な不老長寿の技術を手に入れたのだ。
 第二次大戦では、日本は大都市に6発の原子爆弾を落とされて壊滅。アメリカに占領された後、共和国として再出発。名目的な大統領と実質の権限を持つ首相がおり、国旗は日の丸を3つ描く三日旗だ。
 戦後しばらくして20歳を超えた者は自由にHAVIが受けられるようになり、事故や病気を除き、不老不死が実現した。しかし同時に世代交代を促すため「百年法」が制定され、不老処置を受けた者はそれから百年後には死ななければならないことになっている。その百年法の施行が迫り、最初の適用者が出る前に、内務省のプロジェクトチームが国民への広報活動と具体的な体制作りに動き出している。ところが国民感情におもねる政府はこれを先延ばししようと、国民投票を実施する……。
 というところから始まり、2098年までのおよそ50年間の日本の変遷を、首相や大統領らの政府首脳、共和国警察の警察官、百年法を拒否する拒否者たち、そして一般の市民たちの視点から、重厚にリアルに描いた作品である。大きな国難にあたっての、国家と民主主義というような政治的テーマが中心にあるのだが、物語にはあくまでエンターテインメントとしての読み応えがあり、分厚い本だがどんどんページをめくらせる力がある。SF読みとしては、この平行世界の日本のディテール描写が興味深い。わりあい説明的なのだが、それがうっとおしいということはなく、親切でわかりやすいと感じる。日常生活のリアリティはこちらの日本と大きく変わることはないのだが、確かに不老不死が実現した社会であり、細かな違いが良く考えられている。ここまでくると、日本以外の世界の他の国ではどうなっているのか知りたいと思えてくる。本書ではほとんど触れられていないのだが、設定はちゃんと作られているはずだから。


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