内 輪 第267回
大野万紀
先月、kindle Paper Whiteを注文したと書いたばかりですが、届くのが12月以後になってしまうこともあり、キャンセルしてGoogleのAndroidタブレット、Nexus7を買いました。本当はkindleと2台持つのが正しい姿なのでしょうが、そんな余裕はないし、Nexusならkindleのアプリも使えるのでOKかと。
さっそくネットを参考にいろんなアプリを入れてカスタマイズ。kindleもアプリを入れて、快適に使えるようになりました。これなら十分実用になるので、これからまた勉強して活用していきたいと思います。お勧めのアプリや使い方など、教えてもらわなければ。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『量子怪盗』 ハンヌ・ライアニエミ 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
フィンランド出身、イギリス在住の現役数学者でSF作家、覚えにくい名前、ハンヌ・ライアニエミの第一長編である。アルセーヌ・ルパンやロシア文学や、様々な古典へのオマージュと、量子力学的(というか、量子コンピュータ的といった方がいいか)シンギュラリティ後のソフトウェア世界を融合させて、まさに「量子怪盗」な、ニュー・スペースオペラとなっている。
遙か未来の太陽系。宇宙空間に作られた〈監獄〉に閉じ込められていた「量子怪盗」ことジャン・ル・フランブール(の精神)。そんな彼を、悪戯っぽい美少女の人格を持った宇宙船〈ペルホネン〉と、ほんまもんのツンデレ美少女、高度な戦闘能力を持つミエリが救い出す。シンギュラリティ後の世界を支配する〈開祖〉の一人、集合的ペレグリーニの意を受けて、彼に火星の移動都市、ウブリエットにあるお宝を盗んで欲しいというのだ。
この頃の火星は、いくつかの勢力の間で何だかとんでもないことになっている。そこにいたのは若き〈名探偵〉イシドール。かくして、いったい何だかよくわからないお宝を巡っての、怪盗と探偵、それに過去の恋人だったレイモンドもからんだ、目まぐるしい対決が始まる……。
というわけで、これでもかと繰り出されるSFガジェットや造語の洪水と、ラノベっぽいとでもいうのか、今風のキャラクター重視のストーリーとなっているのだが、その内容はというと、昔懐かしい、ベスターやヴォクトみたいな、はったり重視のSF活劇なのである。
しかしそうはいっても、この説明なしの造語の羅列には目が回る。用語のぶっとんだわけわからなさは山田正紀「雲の中の悪魔」なんかといい勝負なのだが、こっちの方がそんなに引っかからないのは、SF用語の微妙なお約束の範疇におさまっているからか。でも進化したロブスターとか出てこないのでストロスには負けてるよ。
ルパンへのオマージュがたっぷり含まれているようだが、ルパンなんて小さい頃に子供向けの本を読んだだけで、ちっとも覚えていない。ルパン三世ならよくわかるのだが。それはともかく、何しろシンギュラリティ後の世界であり、描かれているのが物理的、肉体的に存在しているリアルなものなのか、ソフトウェア的仮想現実的なものなのかもあいまいで両義的だし、あれよあれよとページをめくって面白く読めるのだが、結局この人(?)たちが何をやっているのか、もうひとつよくわからないのが困る。どうも本書では全体像は完結しておらず、続編へと続くようだ。
『BEATLESS』 長谷敏司 角川書店
イラストレータと作家のコラボによる小説ということだが、ライトノベル風の設定に本格SFのテーマで迫る長大な作品で、読み終わるのにずいぶん時間がかかってしまった。
人間を越える人工知性が誕生したシンギュラリティ後の世界ではあるが、人間社会ではあまり現代と大きく変わらない生活が続いている22世紀の日本。17歳の少年、アラトがふとしたきっかけで出会った少女は、〈人類未到産物(レッドボックス)〉である美少女型hIE(人型ロボット、というか人間とほとんど変わらないアンドロイドのことだ)の一人、レイシアだった。
アラトは父と妹との二人暮らしだが、高名なhIEの研究者である父はほとんど家にいない。そこにアラトをオーナーとして、レイシアが一緒に暮らすようになる。人間ではないとはいえ、美少女と一つ屋根の下に暮らすことになってどぎまぎするアラト少年だが、レイシアは自分には魂などない、ただのモノなのだという。でもアラトは、どうしても彼女に人間と同じ心を感じてしまうのだ。彼女はそれを「アナログハック」なのだという。
しかしもちろん、物語はそんな牧歌的なままには進まない。5人の少女型〈人類未到産物〉は超高度AIと人類との新たな生存競争を招く存在だった。ほとんど魔法のような力をもつ彼女たちは、それぞれ同士で、そのオーナーである人間たち同士で、そして背後に存在する超高度AI同士での壮絶な戦いを展開していく。レイシアもその一人であり、アラトたちも否応なくその戦いに巻き込まれていくことになる……。
始まりはいかにもライトノベルなボーイ・ミーツ・ガールである。というか、ぼくは「うる星やつら」を思い起こした(アラトとあたるって、似ていない?)。考えてみれば、ぱっとしない「チョロい」男が人外の謎の美女とふとしたきっかけで同居するという話は、アニメよりずっと以前、羽衣伝説やら鶴の恩返しやら日本のずっと昔からの伝統なのかも知れない。そんな気恥ずかしいボーイ・ミーツ・ガールから始まった物語は、自走する科学技術とそれをコントロールできない人間という、フランケンシュタインや魔法使いの弟子、ジンを手に入れた凡人といった説話やSFの典型的なテーマをなぞりつつ、意識、知性、心、共感といったものが、生身の人間だけでなくロボットやモノや、さらに非実在なキャラクターとの間にも存在できるのかという――京フェスのパネルでも語られていましたね――いかにも現代SF的な問題意識を大きく前面に出しつつ語られる。
ストーリー的にはレイシア対、他のそれぞれ特殊な能力を持つ美少女戦士とのまるで魔法対決みたいな、山田風太郎の忍法ものみたいな、十番勝負(十人もいないが)が描かれる。これがめっぽう迫力があって面白い。そして最後は新たな時代の到来が予感されて終わる。
しかし、大変な力作ではあるが、ぼくにはいささかバランスが悪く感じた。繰り返されるBEATLESS=鼓動なきモノ=心のないモノと、彼女に心を見るアナログハックへのこだわりが、ぼくにはあまりピンとこなかったのだ。あえていうが、抽象的な心のあるなしって、そんなに問題だろうか? モノにも魂が宿ると感じるのは日本人ならそんなに不思議じゃないだろう。バリントン・ベイリーの『ロボットの魂』に納得できなかったのも、自我に悩んでいるロボットに心がないとする方が不自然だと思ってしまうからだ。相手との間に共感があり、愛があり、逆に嫌悪や恐怖やねたみなどが成立するのなら、それでいいのでは。例え相手が紙に書かれたキャラクターであっても。関係性はどうせ非対称なのであって、ブラックボックス同士のインタフェースが(一方的にでも)成立すればそれでいい。でなければ、植物状態になった人は人間じゃないことになってしまう。そこまで言わなくても、テッド・チャンの「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」ではオンラインゲームのキャラクターに人々の現実的な愛情が注がれるし、ペットの意識を扱ったSFも多い。異性は人間じゃないなんて話もあったしね。それにしても、著名な研究者の息子と、大企業の社長の息子と、世界的な大金持ちで冷凍睡眠から目覚めた百歳の〈少女〉が同級生だなんて、何ちゅう高校生活や。
『本にだって雄と雌があります』 小田雅久仁 新潮社
傑作。読書する喜びを得ることの出来る、面白くて深い奥行きのあるファンタジイだ。
また大森望が絶賛しているので、正直ちょっと迷ったんだよね。大森望の絶賛は当たり外れが大きいのだ。まあわりと彼と感覚は近いので、どっちかというと当たりの方が多いのだけれど。今回は大当たり。ぼくの読んだ中では今年のベストといってもいいくらい。
大阪の田舎にある旧家で起こる不思議な出来事。少し不思議なんかじゃなく、すごーく不思議な物語だ。
本書の語り手の祖父、深井與次郎は、大正三年生まれで東大出の政治学者。大学者というほどではないが、テレビにもよく顔を出しマスコミにも名を知られている。その妻で祖母のミキもそこそこ名のある画家である。語り手である博は、平凡なサラリーマンだが、その妻の早苗は毒舌で有名な書評家。というわけで、大変な蔵書家である與次郎はもとより、みんな本には縁の深い一族なのである。
本書は、博が、生まれて間もない息子に、與次郎を中心とした一族の物語を語るという形式をとっている。ただ、やがてわかるのだが、この語りにはとんでもない秘密がある。そもそも、タイトルにもあるとおり、本にだって雄と雌があり、本と本が交配して新たな本が生まれ、持ち主の知らぬ間にどんどん増殖していくものなのだ。幻書とよばれるそれは、ばたばたと群れを成して空を飛ぶ。ボルネオの高山にそびえる白亜の宮殿と、羽の生えた白い象がそれを支配しているのだ……。
ちゅうわけで、純然たるファンタジイである。しかしその幻想は、普通のエブリデイ・マジックな物語やSF的な異界と違って、この日常の裏側や次元の亀裂の向こうにあるのではなく、このリアルなご近所の世界そのものに、見たまんまに存在しているのである。でも空飛ぶ本や羽の生えた白象なんてぼくらは普通目にしていないわけだから、これはちょっと居心地が悪い(こういう描写を受け付けない読者もいるだろう)。そこが著者の語りの技で、少なくともぼくには何の違和感もなく納得することができた。マジックリアリズムとはこういうものを言うのだろうなと思う。
大阪弁で語られる笑いと涙の物語というと吉本新喜劇みたいだが、ちょっと違う。饒舌な軽みの奥に、深い深い重みがある。タイプは違うのだが、與次郎の振る舞いにぼくは「じゃりん子チエ」の花井拳骨先生を思い浮かべた。博はジュニアと違うか。いや、この饒舌で融通無碍な語りには、きっと森見登美彦を思い浮かべる人が多いだろう(ぼくもそうだった)。ぼくにはさらに古川日出男を強く想起させられた。何しろ「家族」の物語であるし、ボーイ・ミーツ・ガールもあるし、生と死、愛もいっぱい溢れている。
ところで、本と本が結婚して勝手に増殖する件だが、確かに本書でも重要な主題にはなっているのだが、実際の所それが中心にあるわけではない。幻書が発生するにはいくつか条件もあって、無制限に増えるわけじゃないのだ(そのあたりが詳しく書かれているわけでもなく、そういう理屈や世界構築が重要なわけではない――何しろボルネオの山奥の白亜の宮殿と羽のある白象なのだから)。家の中にいつの間にか本が増えて困る、といっている蔵書家は多いと思うが、たいていの場合、本のせいじゃなく、あんたが自分で増やしたんや。特にでっかい書庫を作ったのにそれがあっという間にいっぱいになってしまうという水鏡子にはそう念を押しておきたい。
『エヴリブレス』 瀨名秀明 徳間文庫
2008年に出た本だが、文庫化されたので読む。TOKYO FMのラジオドラマの原作として書かれたものだが、今読んでも傑作だ。切ないラブストーリーでありながら、本格SFである。ラジオと音楽が重要な役割を果たしているのは、元がラジオドラマだからなのかな。主に女性の視点から描かれており、男性陣は影が薄い。
仮想世界と現実世界が混交してのラブストーリーである。仮想世界には本書が書かれたころのインターネットのイメージがあるが、まあそんなところはあまり重要ではない。本質的には人の心や共感はどこにあるのか、という、まさに『BEATLESS』と同様の本格SFのテーマである。『BEATLESS』ではBEAT(鼓動)が、本書ではBREATH(呼吸)が、リアルな生命を象徴している。だが本書では、ヴァーチャル世界に生きる人も、リアル世界に生きる人も、究極的には心を持つ存在(エンパシーとシンパシーを持つことができる)として描かれる。従って、仮想世界はこの現実に重なる無数の平行世界として現れ、登場人物たちはそれぞれの世界で共鳴しつつ生きる別人格の自分となるのだ。さらにここでは過去と未来もシャッフルされ、その中の任意の一断片が現在としての光を放つ。
物語は、大和郡山に暮らす杏子が、高校の先輩、洋平と、文化祭の後に二人で見た世界の果て――永遠の光景を心に刻み、その後会うことのない洋平への思いをずっと残したまま、成長し、数理解析の専門家となり、結婚し、子供を産み、その子供たちがまた成長して結婚し……と、血のつながった一族の年代記となっている。しかし、それは仮想と現実の世界がシャッフルされ、過去と未来が混交し、帚星といった非実在の存在も現れる世界での物語なのである。その平行世界の間をつなぐのは、人と人との「共鳴」である。
鉱石ラジオの話も出てくる。放送電波の周波数と共鳴し同調することによって混沌としたカオスの中から言葉が、意味が、世界が現れる。全体に淡々として激しさのない、静かなストーリーであるが、書き込まれたテーマは深い。
高校時代の杏子がいい。大和郡山という地方都市での、きらきらとした青春の輝きがとても眩しい。