内 輪 第265回
大野万紀
堀晃さんの「マッドサイエンティストの手帳」9月22日の記事を読んで、エッとなった。小松左京『果しなき流れの果に』で佐世子が野々村を待ち続ける「葛城山麓の家」があったのは、大和葛城山ではなく、和泉葛城山だと書かれている。確かに小説をちゃんと読めば、奈良ではなく和歌山の葛城山だとわかるように書いてある。でも今までずっと何の疑問もなく奈良の葛城山だと思い込んでいましたよ。何度も読み直した大好きな作品なのに、実はちゃんと読めていなかったということですね。
THATTAの例会でこの話をすると、堺在住のかおるさんが、葛城山といえば和歌山の山だよ、学校から遠足に行く山だもの、と教えてくれる。まあ地元の人はそうなんだろうけど、大阪でも北の方の人はやはり奈良だと思い込んでいたという話だし。堀さんだってそう。もしかしたら南海や阪和線の人は和歌山で、近鉄の方が身近な人は奈良だと思うのかも知れない。ま、Wikipediaでも一般的に葛城山といえば大和葛城山のことだと書いてあります。しかし、それにしてもねえ。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『カラマーゾフの妹』 高野史緒 講談社
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の解決編――という感じ。19世紀のロシアで起こった父殺しの殺人事件。それから13年後、兄弟の一人イワンは、特別捜査官となって故郷へ帰ってきた。彼は父を殺したのは長男ではなく、真犯人が別にいると考えていた。モスクワから来た科学アカデミーの心理学者を協力者として、彼は捜査を進める。
というわけで、基本はミステリである。江戸川乱歩賞の受賞作なのだ。古典の二次創作なのだが、独立したエンターテインメント作品としてとても面白く読める。単なる謎解きではなく、多重人格やサイコパス、宗教と科学、革命、そして階差機関(ディファレンス・エンジン)やロケットまで登場するバラエティ豊かな作品なのだ。
しかし、カラマーゾフ事件の真相を描く本書のストーリーにとって、モスクワの地下の巨大なディファレンス・エンジンや、天才女性プログラマー(その名もエイダ!)による弾道計算、ロケットの打ち上げなどのSF要素は本来必然性のないものだといえる。それらは、本書が別の時間線に属する物語だという、ある種の弁解として機能しているともいえないことはないが、おそらくそうではなく、これは作者にとっての必然だったに違いない。
19世紀ロシアにスチームパンクを幻視することは、作者にすれば議論の余地のない当たり前のことなのだろう。ディファレンス・エンジンは方程式を解くのが最大の目的であり、それはニュートン力学の方程式を数値計算するということだ。その手法が階差、差分計算であり、だからディファレンス・エンジンなのである。小さな差、それが積み重なって大きな真実になる。そう思えばカラマーゾフ事件の謎解きも、まさに前任者が残した小さな差分を読み解き、方程式を完成させることに他ならないだろう。ここでミステリとSFが結合するのである。
『天冥の標 VI 宿怨Part2』 小川一水 ハヤカワ文庫
やっぱり2冊ではおわらず、Part3へ続く。
今度は戦争だ。前半は、ノルルスカインともミスチフとも違う、第三の異星知性体が出てくる。カルミアンのミスミィである。情報生命体(被展開体)ではなく血肉をもった存在だ。かれらは〈救世群〉と契約し、情報生命体たちにも気付かれず、密かに〈救世群〉や〈恋人たち〉、それに冥王斑に感染した〈酸素いらず〉の一統を、強大なテクノロジーで強化していった。そして、後半、硬殻化して最強の戦士となった彼らは、感染者でない全人類に復讐の戦いを宣告する。圧倒的な力で無慈悲な虐殺を開始するのだ――太陽系の支配者として君臨するために。その中で、Part1で出てきた個々の人物たちは、非情な運命に迫られていく……。
という感じで、大変面白く読んだのだが、このままではおさまらないはずで、Part3以後、どうなるのだろう、と思う。だからまだ全体を通しての感想は言えないのだが、これまでの〈救世群〉とあまりに様変わりした姿には驚かされる。どうしてこんなことに、といえば、もちろん「宿怨」ということが背後にはあるのだが、やはり直接にはこの何を言っているのかよくわからないけったいな言葉を発するヘンテコ異星人ミスミィの存在がある。いわば、魔法少女たち(〈救世群〉の10代の王女さまたちって、そんな感じだよね)と契約して人類を亡ぼそうとする淫獣といったところだ。
そして、ここでこのシリーズの全体をあらためて思い起こすと、部分的には確かにリアルなハードSFといっていいのだが、それよりもむしろ、もっと神話的、寓話的(今風にいえば、ファビュレーションというのだろうか)な物語の構造をもっていることが明確になってきたといえる。それこそは、かつてのSFの本質的な様態でもあった。ぼくが似たような構造をもつものとして思い起こしたのは、コードウェイナー・スミスの宇宙史だ。幾重にも多層化された視点。補完機構と下級民。ハードなディテールとおとぎ話的な物語。残酷さと美しさ。冷酷な統治と人々(やアンダーピープル)の生き生きとした姿。おまけにノーストリリアの不死薬(ストルーン)は病んだ羊から作られるしね。
『屍者の帝国』 伊藤計劃X円城塔 河出書房新社
亡き伊藤計劃の残したプロローグに、円城塔が3年をかけて物語を組み上げ、長編としたもの。文体は伊藤計劃を思わせ、外部から上書きされコントロールされる意識という、『虐殺機関』や『ハーモニー』と共通するテーマ性も引き継がれてはいるが、全体的には円城塔の作品といってもかまわないだろう。岡本俊弥は、本書が様々な過去の作品を参照(リファレンス)したモザイク的な作品であることから、「reference overdrive小説とでも称するのが適当と思います」といっている。それを言うならむしろ「リファレンス・エンジン」といった方がいいよね。さらにテーマに即していうなら「セルフリファレンス・エンジン
(self-refernce engine)」だ。
物語はスチームパンクっぽいもう一つの19世紀。ゾンビというか、屍者に疑似霊素をインストールすることで屍者を復活させ、労働力として使っている世界。屍者は恐怖の存在ではなく、単なる有機ロボットみたいな存在として、認知されている。主人公は医学生のワトスン(シャーロック・ホームズに出てくるあのワトスンだ)で、彼は大英帝国の諜報機関の命により、アフガン戦争下の中央アジアへ派遣されることになる。ここまで、伊藤計劃のプロローグで、世界設定と物語の方向性が提示されている。円城はそれを伊藤・黒丸流のカタカナを多用する文体を用いつつ、いかにもスチームパンクっぽいSF冒険小説として書き続けていく――少なくとも、途中までは。
ワトスンと、憎めないマッチョな大男のバーナビー大尉、そして書記を務め全てを記録する屍者のフライデーは、アフガンの奥地に屍者の帝国を築こうとしていたという、アレクセイ・カラマーゾフの存在を知る。また フランケンシュタインの怪物――ザ・ワン――もそこに関わってくる。屍者にインストールされるソフトウェア(ネクロウェア)に、フランケンシュタイン三原則違反の新型制御が組み込まれているらしい。彼らは中央アジアから明治の日本へ、そして太平洋を渡ってアメリカへ、また東海岸プロヴィデンスへ、そしてロンドンへと世界を巡っていく。この世界ではバベッジの巨大な解析機関(ディファレンス・エンジン)が複雑な演算を行い、解析機関同士の通信網は世界中を覆っている。かくて屍者のためのネクロウェアとコンピュータのソフトウェアが一つとなり、世界と物語、意識と言葉といういかにも円城塔らしい、そして現代SFらしいテーマが表に出てくる。
後半、ザ・ワンの口から述べられるアイデアは魅力的でセンス・オブ・ワンダーがあるが、この小説のスタイルではそれ以上深められないのは残念だ(この前読んだ小野不由美の『残穢』にも通じるものがあると思う)。そこだけでもイーガン風ハードSF的な話にスピンオフしてほしい気もする。
というわけで、力作ではあるが、この舞台設定はやはり制約が大きいと感じた。色々な小ネタが満載で、とても面白く読めたのだが、後半の物語は、エンターテインメントとしてはやや一貫性を欠いていたように思う。このテーマを発展させるには、19世紀スチームパンク風の世界観ではなく、現代SFの言葉が必要だったのではないだろうか。
それはともかく、バーナビ-はいいねえ。円城塔はこんな豪快なキャラクタも描けるんだなあ。
『シップブレイカー』 パオロ・バチガルピ ハヤカワ文庫
ローカス賞のヤングアダルト長編賞受賞作。温暖化によると思われる気候変動と石油枯渇で変わり果てたアメリカ。沿岸部の都市は水没し、貧富の差は激しく、貧しい少年ネイラーは貴重な金属資源を廃船から回収するシップブレイカーとしての厳しい日々を送っている。ヤク中で危険な乱暴者の父親に怯え、同じシップブレイカーの親友であるピマやその母親に助けられ、命にかかわる事故を乗り越えながら。
そんなある日、彼とピマは、ハリケーンにあって座礁した豪華なクリッパー船を見つける。その中でたった一人生き残っていたのは、大金持ちの美少女、ニタだった。だが、彼女は敵に追われる身だった。ネイラーは自分でも理由がわからないまま、この高慢な少女を助け、父親から逃れ、広い世界へ出て行こうとする……。
残念ながら本書で物語は終わっていない。同じ世界を舞台にした続編へ続くようだ。
息詰まるような狭い閉塞した社会で暮らす平民の少年。そこに、外部から飛び込んでくる異世界の、異文化を象徴する少女。彼女は敵に追われるお姫様であり、か弱い存在だが、その背後には強大な外世界のパワーが繋がっている。そうしたボーイ・ミーツ・ガールの物語。まさしくジュヴィナイルやヤングアダルトで王道のパターンである。そういうありがちな話ではあるのだが、ストーリーテリングは強力で、ドキドキ、ハラハラとページをめくらせる面白さがある。夢も希望もない日常、衰退した社会の描き方などには確かにバチガルピらしさもある。でもまあ、映画でもマンガでもアニメでも、本当によくあるパターンなんだよなあ。決して悪くはないのだが、バチガルピの新作といわれても、どうしても物足りなさが残るというものだ。
『光圀伝』 冲方丁 角川書店
怒濤の千五百枚。それを一気読みさせるだけの読み応えがある”熱い”大作だが、本が物理的に重くて、疲れた。
若い頃は”傾奇者”として暴れ回った熱血な徳川光圀の、宮本武蔵との出会い、父と兄に対する複雑な思い、儒学や詩歌の魅力に取り憑かれ、様々な人々と出会い、そして別れ、水戸藩主となり、徳川御三家を担い、「大日本史」を編纂し、という生涯を、この大部な物語を通じて、エンターテインメントとして読ませている。
正直いって儒学や「大日本史」にほとんど興味はないし、光圀の漢詩が優れているといわれてもさっぱりわからない。また本書の構成として、老年になった光圀が、自らの成した殺人事件の真相を語るという枠があるのだが、あまり効果が出ているとは思えない。確かにそういうものかと理解はできるが、現代の読者にはとうてい納得出来かねるものだろう。戦国時代が終わって、やっと泰平の世が訪れるという時代背景があってこそのことなのだが、頭ではわかっても、現代人の感覚ではついていけないところがある。
本書で、光圀はまさにそういう時代の突出した人間として描かれている。しかし、彼のまわりの人々は必ずしもそうではない。むしろ現代人にもわかりやすい、いや積極的に好ましい人々として読める。もちろん子供や結婚についての考え方は封建時代の武士階級のもので、本書の主題である「義」も、封建制を支えるものとしての思想である。にもかかわらず、かれら登場人物たちは、みなどこか愛らしく、わかり合える感じがする。それがこの大部な書をどんどん読ませる面白さの根本だろう。特に、光圀の兄や、親友となる読耕斎、そして正妻となる泰姫、その侍女の左近といった人々がいい。みんなとても魅力的だ。著者の作品の一番の読みどころは、こういうキャラクターの魅力にあるだろう。
もちろん明暦の大火など、大きなクライマックスとなる事件の描写も力が入っている。江戸時代の初めに生きた、ある魅力的な人物の生き方を活写した時代小説として、とても面白く読めた。けれども、彼の成し遂げたことが、現代のわれわれにどう関わっているのか、『天地明察』と違って、もうひとつぴんとこないのである(ラーメンを日本で初めて作ったというエピソードは良かったけどね)。
『機龍警察』 月村了衛 ハヤカワ文庫
2010年の作品だが、続編が文庫化され、評判がいいので読んでみた。著者の『機忍兵零牙』は山田風太郎テイストのぶっ飛んだSF忍者アクションでとても面白かった印象があるが、こちらはずっと真面目な、パトレイバー小説だ。
有人二足歩行ロボット兵器、中でも「龍騎兵(ドラグーン)」と呼ばれる新型機が導入された警視庁特捜部――一般の警察官からは異端視されている――が、やはり機甲兵装で武装したテロリストと、東京のど真ん中で戦う、ハイスピードで迫力たっぷりの近未来アクション小説である。機動警察パトレイバーでは、特車二課に配属されるのは普通の(まあ普通といってもいいでしょ)お巡りさんだが、こちらは傭兵あがりや追放された警官、そして元テロリストといった、暗い過去のある連中だ。日常的でほのぼのした感覚は乏しく、ひりひりするような厳しい、凄惨なテロとの戦いが描かれる。ま、ちょっと劇場版に近いかな。それはともかく、龍騎兵に乗り込む4名のキャラクターには暗いヒーローとしての魅力がある。また彼らの隊長となる特捜部部長も、ちょっとしたスーパーマンであり、あり得ないキャラクターだが、かっこいい(でも後藤隊長にはちょっと負けると思うよ)。
多数の死傷者を出した地下鉄立てこもり事件で、敵の機甲兵に乗っていたのは、かつて同じ戦場で戦った傭兵の仲間だった。事件の真相を追う特捜部は、この無差別テロの背景に巨大な闇が広がっていることを知る……。本書は一応の結末を迎えるが、この背景は全く解明されない。おそらく続編へと続いていくのだろう。そして「龍騎兵」にも謎がある。もしかしたら、こっちはSF的なアイデアが想定されているのかも知れないが(もしかしてエヴァ?)。それはともかく、自衛隊は何をしているのだ。
『機龍警察 自爆条項』 月村了衛 ハヤカワ文庫
2011年に出た続編の文庫化上下巻。『機龍警察』と話は繋がっている。機甲兵装の密輸が発覚。北アイルランドの筋金入りのテロリスト集団IRFが、そして中国系の黒社会が関わっている。日本を舞台に、国際的な大規模テロが計画されているのだ。情報を掴んだ特捜部は、警視庁や外務省との組織間の摩擦を起こしながらも、この事態に立ち向かっていく。
上巻では、龍騎兵搭乗員の一人、元IRFのテロリストだったライザ・ラードナーの生い立ちが語られる。21世紀に再発した北アイルランド紛争、相次ぐテロで荒廃した街、そこで育った少女が恐るべきテロリストになるまでの物語が、暗いタッチで描かれる。IRFを抜けた彼女の処刑こそ、今度の作戦の目的の一つだというのだ。
上巻の後半で、舞台は日本に戻り、激しい戦いが始まる。下巻の冒頭ではまた過去に戻って、ライザのシリアでの過酷な訓練が描かれる。やがてロンドンに戻った彼女は、ある恐ろしい事件の中で、愛する者を失ったことを知り、IRFを離れることとなる。そして再び現在。何重にも重なった謀略、罠、そしてテロの当日となり、その真の目的が明らかにされ、凄まじいクライマックスを迎える……。
沖津部長のスーパーマンぶりが目立ちすぎではあるが、謀略と暴力の緊張が連続するアクションシーンの迫力はすばらしい。その分、本書ではかなりウエットなライザの過去が延々と描かれるそのボリュームに、いささかバランスの悪さを感じた。それは本書のクライマックスにつながるので、必要であり重要な物語ではあるのだが、ここまで詳細に描かれる必要はないように思う。テロリストの内面に立ち入っていく物語そのものは面白く、読み応えあるものなのだが、これはスピンオフ作品として別に書かれてもよかったのではないかと思う。それにしても、自衛隊はどこにいるのだ。