続・サンタロガ・バリア  (第123回)
津田文夫


 いきなり秋になってしまいました。半袖でチャリンコに載って仕事場に通うともう寒い。ということで、ステレオにかじりつこうとしたら、結構忙しいので、なかなか聴けないのであった。
 とは言いつつ、夏に買ったまま放置状態だったバーンスタインの60年代録音マーラー全集を聴き始めた。日本版はいつまで経ってもソニーさんが安くしないので、わずか3000円で揃うボックスを買ってしまった。学生時代からバーンスタインのコロンビア盤が欲しかったのだけど、割高なままなので買う気にならなかったのだ。で、聴いたのが1番から5番まで。予想していたのとは全然違う音にまずビックリ。よくある最新リマスター盤というやつで、マルCが2012年とあるから、ホントに最新だ。見事に分離する(ように聞こえる)オケの各パート、スタジオノイズもしっかり聴かせるダイナミックレンジ。でもねえ、違うんだよなあ。ここにあるのは生々しく干からびたサウンドなんだなあ。鮮烈な色を残した遺物だ。そう思って20年前に追悼盤で出た4番のCDを聴いてみたら、音量は下がるし定位は甘いし、リマスター盤とは雲泥の差だけど、こちらの盤の方が楽しく聴ける。
 オーケストラものの最新録音は超高解像度でオケを録っているけれど、聴いていて疲れることが多い。これは見始めのハイビジョンと同じで、画面のあらゆる物が鮮明に見えてしまうため視線がさまよう上に、不自然に強調された色彩と輪郭線すべてが自己主張して、見る者を萎えさせるのだ。現実のコンサートでは、視覚的にはオーケストラの各パートは不動だ(たまに金管が舞台裏に行ってたりすることもある)けれども、サウンドは混ざり合い動き回る。アナログ時代の録音はその限界を利用(悪用)して、あまり厳密な定位を聞かせず、聴き手の想像力に任せる所が多かったのだ。現在の高解像度志向は、アナログ時代のような聴き手の積極的参加を不要にしたため、いい音が返って音楽を遠ざけているような気がする。ま、年寄りの戯言だな。

 「ももへの手紙」以来久しぶりに見たのが、「プロメテウス」。当然2D。見終わった直後は不満だらけ。最新テクノロジーで焼き直し、どころかとっちらかって形無しに近いと思った。後で考えるとあれやこれや思わせぶりな小ネタが満載なので、まあ良しとしよう。ラストなんか笑うしかないご都合主義だけれど、間をきちんと押さえていれば、たとえ笑えるにしてもハードSF的感動が出てきただろうなどと思わせる所が、リドリー・スコットの御利益かも。シャーリーズ・セロンの人工美人ぶりが好き。

 紙碑というのとは違うのだろうな。それでも、鎮魂の書であることは最後に繰り返される「ありがとう」が証している伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』。伊藤のプロローグの温度と、円城本編との温度の差は明らかだけれど、それがエピローグUにおいて後に残された者の告白を引き出しているのだろう。本編部分の話の方はパッチワーク/レイヤー/入れ子などそういう造りで、B級エンターテインメントであることを意識的にコントロールした工夫が満載である。ザ・ワンの延々と続く一人語りなぞ、こういう話の退屈さのポイントがちゃんと用意されている所も含め、感心する手管だ。それにしてもこれが9月に読んだドストエフスキー関連作品第1弾になるとはねえ。

 『ねじまき少女』が好印象だったのに、こんなに間違ったタイトルの作品をモノにしてしまうかと憤慨したパオロ・バチガルピ『シップブレイカー』。タイトル通りのいかにもバチガルピらしいジュブナイルが描かれる最初の100ページは喜んで読んでいたのに、豪華な難破船を見つけて金持ち美少女を拾ってからは、タイトルと関係ない逃避行が続くばかり。最後のとってつけたようなクライマックスとエピローグを読んで、ちっともシップ・ブレイカーの話じゃないじゃないかと期待を裏切られ、久しぶりに腹立たしい思いがした。まあ、何部作かしらないけれど、こんな構成じゃ先が思いやられるよ。編集者がもっとアドバイスしてれば良くなったかもねえ。

 小川一水『天冥の標 宿怨PartU』って、パート2かよ、と落胆しつつ読んだ物語は急転直下のドタバタで終わっていて、ま、後のお楽しみというところだけど、いまごろイサリの名前がピンと来る自分は一体何を読んでるんだろう、と我ながら呆れている。

 ドストエフスキー作品のリライトが流行っているのか、『悪霊』もリライトされたらしいが、こちらはおなじみ高野史緒『カラマーゾフの妹』。付録の選評では『カラマーゾフの兄妹』となっていて、一瞬疑問符が浮いたけど、改題されたわけだ。読後感では「兄妹」でよかったような気もするんだけれど、語呂合わせは不謹慎だしそこまでパロディっぽくはないし、ということで改題されたのかな。『屍者の帝国』でもアリョーシャとコーリャがアフガニスタンで出てきたけれど、こっちは差分機械で計算してロケットに乗る話だもんなあ。まさか円城塔と相談して書いたわけでもないだろうに、あまりに高野史緒らしくて笑ってしまう。どちらの作品でもこの二人の大真面目な熱意がネタだしね。以前に書いたけれど、ドストエフスキーを読んだのは40年近く前の浪人時代で、カラマーゾフから始めて『死の家の記録』までを集中的に読んだ。あの熱に浮かされるような読み心地は今でも覚えているが、話の内容はすっかり忘れているので、作者の原作に対する創意工夫がどこらにあるのかはさっぱりだ。東野圭吾のオビ惹句は正しいと思うよ。

 小説を読むのに疲れたので、大森望・豊崎由美『文学賞メッタ斬り!ファイナル』を拾い読み。何年かぶりと言うことで、さすが盛り沢山だ。出てくる作家のキャラクターとしては道尾秀介が面白そう。読んだことないけど。東浩紀の荒れっぷりは不気味ですね。最後のメッタギリ!大賞が佐藤亜紀『ミノタウロス』だったのはご同慶の至り。

 で、まさかのドストエフスキー関連作品第3弾がウラジーミル・ソローキン『青い脂』。でも、青脂製造能力はトルストイに負けてるぞ。
 読み終わってから、解説を読んで、先にこの解説読まなくて良かったと心底思いましたね。のっけから非常に取っつきの悪い文章なので、どうしようかと思いながら読み進めたら、どんどん話が簡単になって笑えるSFファンタジーになっていく。スターリンとフルシチョフのベッドシーンが最高だし、スターリンの脳が爆発的に広がって、ストンと落とす結末も異化している(ステキな変換ミス)。それにしてもタイムマシンで過去に行くと熱を失うっていうのは常識なんですかねえ。そんな話を前にもどこかで読んだような気がするのだけど。
 


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