ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜060

フヂモト・ナオキ


フランス編(その二十八) ジュール・クラルチイ/松村博三訳『心理写真』

 フラマリオンについて、知ったようなこと書いてましたが、あああっ。長田秋濤の「百万年後之地球」(<太陽>1900年8月〜9月)のことすっかり忘れてたよ。ごめん忠ちゃん。
 そういや、『トンネル』だって、もともとは改造社の世界大衆文学全集で出るはずだった話のことが、すっかりとんどるし、まったくなってねーな。

 さて、ジュール・クラルティ Jules Claretie(1840〜1913)の『心理写真』 L’Accusateur(英訳題:The Crime of the Boulevard)、国会図書館のサイトで読めるよ、と会津翁に御教示いただいたんやが、ええーっ。オプトグラムものだとやっぱり読まなきゃいけないんでしょうか。

 オプトグラムってのは、死ぬ瞬間に見た光景が網膜に保存されていて、それを死後にアウトプットできるという学説で、ネットにある橋本一径さんの論文には

オプトグラムを題材とした小説作品としては、ヴィリエ・ド・リラダンの連作短編『トリビュラ・ボノメ』(Tribulat Bonhomet)のなかの一作「クレール・ルノワール」(Claire Lenoir)(1867)を筆頭に、ジュール・ヴェルヌ『キップ兄弟』(Les freres Kip)(1902年出版、1898年執筆)などが挙げられる。

とあります。

 物語は、クリシイ街に住むモニシツシユ(Moniche)の女房が、下宿人ロベール(Rovere)の死体を発見する。彼女の脳裏に浮かんだのは探偵界の鬼才と呼ばれているベルナルデ(Bernnardet)の存在であった。犯人の探索を開始したベルナルデは、この事件の解決に網膜に残された残像が利用できるのではないかと思い立つ…ってな感じで始まる。
 被害者の網膜に犯人が写ってました→タイーホ。では小説にならないと思うんですが、死者の網膜ネタは二、三回は読まされている気が…。思いだせないのは幸い?
 本作では、網膜に犯人が写っているはず/そんな、アホなことあるかいな、で前半をひっぱり、容疑者逮捕。
 でも、どうも別人っぽくね、で後半をひっぱります。 ま、死ぬ時によそ見してたら、別人の顔が残るしなっ。←そんなオチではないけど、似たようなもんである。
 オプトグラム説に基づいた実験の歴史を語った頁に出てくる、絞め殺されたお犬様たちの記録が涙腺刺激ポイントですが、普通にガボリオとか読む方が無難でしょう。

 『ラ・バタイユ』を早川雪州と監督したエドアール=エミール・ヴィオレが1921年に映画化してるらしいので、邦訳はそれきっかけ?

一応、章題を書き写しておくと

[序文]セザール・ロムブロゾオ教授に呈す/怪殺人事件/犯罪現場検証/凄愴な眼光/若女房の陳述/法医学上の新実験/生理学界の驚異/大学教授と予審判事の論争/写真に似た男/嫌疑者/予審調書/肖像画/問題の鍔広帽子/骸骨酒場/真犯人は誰?/被害者の秘密/殺人の真相/古今の神秘/黒衣婦人

 クラルティって、結構名前は見かける気がするけれど邦訳は森鴎外による「猿」以外には、ほぼ無いといってもいいような…。そんなところに『心理写真』。クラルティの代表作はこれ、ということでいいのかねえ。
 ちょっと探しただけだと鴎外以外だとこんな感じ。
前田雪子訳「寡婦の子」『フランス文豪小品』洛陽堂・1914年
河合亨訳「谷間の三色旗」『フランス戦話集』冨山房・1938年
塚原亮一文「ジョッコーのさいばん」<たのしい四年生>1962年5月(「猿」)
 あと、山本夏彦が<赤い鳥>に「プウム・ブン」ってのを載せたって、ネットで出てくるがチェックできてません。

 ところで、植草甚一を読んでいて、1945年3月1日に買った本の話に、ジャック・スピッツの名前が出てきて二度見。あのジャック・スピッツ?
「ゆうべ英訳の批評で、とても面白いという評判のジャック・スピッツの本が二冊、早稲田の一言堂書店に売っているのを思い出した。この古本屋には疎開した堀口大学の印鑑を押したガリマールの小説が、かなり出ていて全部がオリジナル版の番号入りだし、紙質もいい。そのなかにあったジャック・スピッツの本よりも買いたい本が沢山あって、そんなのは昭和一九年に買ってあった。
 スピッツのは処女作「世界の嵐」Le Vent du Monde(一九二八)と「唖旅行」Le Voyage muet(一九三〇)の二冊だったが、英訳されたのは第三作の「蝿の戦争」La Guerre des MouchesでこれがSFとしてはごく初期の作品になる。これもすこしたってからほかの古本屋で見つけることができた。」(「昭和二〇年に買ったり読んだりした本―こんな本を読んでいた昔から現在へ 第五回」<第三文明>1978年5月※『植草甚一の研究』所載)
 慌てて元の『植草甚一日記』の方を確認するが、別に上記のものより詳しいことが出ているわけではなかった。

 いや、東京大空襲の直前の時期に古本屋で Jacques Spitz が買えたんだ…。というか古本屋に売り飛ばしたのは堀口大学なの? 堀口ってガリマールの新刊が全部届くようにしてたんだっけ。
 堀口大学は疎開するときに蔵書を全部売り払っていて、それが本屋に出た時には東京中のフランス文学者が大争奪戦を繰り広げたらしいんやが、その騒ぎを日記や随筆から再構成できると面白そうである。100冊程買ったという中村真一郎によれば、当時金を持っていたのが飯島正で、1000冊ぐらい買ってったんだとかいうが、早稲田大学の図書館で飯島文庫を1945以前/Gallimardで絞ると、29件しかなくて(仏語しばりだと189件)、しかも版権表示が戦前なだけで、戦後の再版もかなり含まれとるな。
 しかし「蝿の戦争」って、英訳されてないよねえ。英訳が出て評判になったのはL'Agonie du globe(英訳題:Sever the earth)なのでは。


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