内 輪   第264回

大野万紀


 中村融さんのブログ「SFスキャナー・ダークリー」(これはとても面白いので、海外SFファンは必読!)の7月31日に、THATTA文庫のことが載っていた。めちゃ懐かしかったので、どこにしまったかと腐海を探っていると、目録が出てきたので貼っておきます。
 その1 その2 その3 その4
 このころはみんなで好き勝手やってたなあ。THATTA文庫用の組み立てケースなんてのもあったはず。作った人っているのかな。
 86年にはこれがファンジン大賞も取っているんだよね。

 大森望さんのTweetで、「探偵!ナイトスクープ」の蘊蓄キューピーこと山田五郎さんが、神戸大SF研の後輩でディレーニイ『アプターの宝石』の訳者、関西の大企業に勤めつつ和算研究家としても有名になりながら、若くして亡くなった下浦康邦くんと、大阪の北野高校で同級生だったことを知った。何とまあ。久々に下浦くんのことを思い出して、奥さんといっしょにしんみりしてしまいました。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ぼくらは都市を愛していた』 神林長平 朝日新聞出版
 書き下ろし長編。二つの物語が平行して語られ、やがてそれが合流する。そこに立ち現れるものは……。
 ふたたび、みたび、いや何度でも、これは「リアル」と「仮想」の関係性を思索した作品であり、『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』の直接の続編(話も舞台も無関係だが)といっていいだろう。
 近未来の東京。デジタルデータのみを破壊する〈情報震〉が地球上で頻発し、戦争が起こって人類は滅びかかっている。ほぼ無人となった東京に、日本情報軍機動観測隊の綾田ミウ中尉が率いる小隊が進駐し、そこで最大規模の〈情報震〉に遭遇する。情報は断たれ、小隊は孤立する。彼女の記録していた戦闘日誌はとうとつに連続性を失い、現実とも幻想ともつかない世界へ入り込む。一方、公安警察官の綾田カイムは、通勤電車の中で突然他人の思念が読めるようになったことに気づく。彼の体内に、何者かによって体間通信用の人工神経系が生成されていたのだ。彼だけでなく、課長の警部も、同僚の婦人警官もだ。彼のかつて交際していた女子高生との記憶が生々しくよみがえり、そして発生した殺人事件が奇怪な様相を見せる。犯人は自分であり、殺されたのは同僚の婦人警官だという意識。客観的にはアリバイがあり、彼女も生きているにもかかわらず。
 イーガンというよりもディックといった方が近いような、パラノイアックな認識だ。物語はほとんどアクションなしに、対話と思索で進んでいく(最近の神林作品はたいていそうだが)。SF的思弁はあるが、ほとんどホラーのようだ。ここにきてもはや仮想と現実は一体化し、語りは騙りとなり、確固とした現実は存在しなくなっているからだ。
 最後はタイトルである都市のテーマにつながるのだが、ここはちょっと弱いと感じた。自分や世界というものがどこに実装されているのか、誰によって実行されているのか、都市や情報ネットワークにおける「集合的無意識」といったテーマも、もう少し掘り下げてほしかった気がする。ともあれ、3・11後のとても現代的なSFであると同時に、まさにディック的な、アイデンティティのよって立つところを考察した伝統的なSFであるともいえる作品だ。

『残穢』 小野不由美 新潮社
 著者久々の長編は、書き下ろしホラー。というか、実話怪談系の、じわじわと怖い話。著者自身を思わせる作家が語り手で、実在の雑誌や作家も実名で登場する。同時にメディアファクトリーより刊行された怪談集『鬼談百景』(こっちは読んでいないのだが)ともリンクし、ルポルタージュの手法で書かれているので、まるでノンフィクションのような、ぞっとする感触がある。
 著者に奇妙な体験談を送ってきた編集プロダクション勤務の女性、久保さんは、東京近郊のとある賃貸マンションに引っ越してきたとき、その部屋に何かがいることに気付く。誰もいないのに、畳を擦るような音がする。何かが天井からぶら下がり、その着物の帯が畳を擦るような……。ぞくぞくっとくるけれど、よくある怪奇現象であり、実際久保さんもイヤだとは思いつつその部屋に住み続け、普通の生活を送っている。そして自らその謎を探ろうと調査を始める。著者は久保さんと手紙のやりとりをしながら、自分もその調査にのめり込んでいく。マンションとその周辺の小団地には、住人が居着かない、すぐ引っ越してしまう部屋や建物がある。大きな事件とかはないのだが、幽霊を見たとか変な音を聞いたとか、自殺した人がいるとか、そんな話がある。調査を進めるうち、この怪異には過去から連綿と繋がる因縁があり、それが関わった人について回る、それが伝染し、拡大していくのではないかとわかってくる。ということは、この本を書いた著者や、読んでいる読者にも……。それが「穢れ」であり、穢れは伝染し、時間と空間を超えて広がっていくのだ。
 淡々とした語り口で、決して大仰ではないが、実に怖い話だ。本書には物理的な(証拠の残るような)超常現象は出てこない。あくまで人の五感に働きかけ、心に働きかけるような現象であり、恐怖だ。だからSF的な解釈も可能である。強いミームとしての伝染する怪異。本書でも怪異の感染力には強い弱いがあり、その発現にも確率的な幅がある。
 まさに心霊現象を前提としつつも、合理的・科学的な目で、疫病の感染源を探るのと同じようなアプローチがなされる。それでもやっぱり怖い。思えば小松左京の「牛の首」がそうだ。怪異が人の心に生じるものであっても、仮想と現実に強い相互作用があるのであれば、それはもう、「怖いものは怖い」のだ。

『THE FUTURE IS JAPANESE』 伊藤計劃・円城塔・小川一水・他 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 Jコレクションだが、これは海外SFとなるのだろうか。アメリカで日本SFを精力的に翻訳しているHaikasoruレーベルから2012年に出版された、日本がテーマのテーマアンソロジーだ。日本作家5編と海外作家8編が収録されている。
 日本作家は、伊藤計劃「The Indifference Engine」、円城塔「内在天文学」、小川一水「ゴールデンブレッド」、菊地秀行「山海民」、飛浩隆「自生の夢」で、伊藤と飛は再録だが、他は書き下ろしである。「The Indifference Engine」は英語翻訳版がそのまま収録されている。
 書き下ろしの円城塔がすごくいい。科学技術が禁じられ、どうやら物理法則も変わってしまったような遠い未来に、科学的な考え方を持ってこの宇宙を認識しなおそうとする老人と子供たち。どうもこの世界はオキアミだかイカだか土ボタルだかによって認識されてしまったようで、それを取り戻そうと「内在天文学」を再発見しようとしているのだ。「ルミナス」をもっと寓話的にして、しかも男の子と女の子のほんのりとしたラブストーリーつき。とても気持ちよく読める。
 一方、小川一水はこのところ小惑星帯に取り憑かれているみたい。ちょっとコミカルなストーリーだが、軍国日本の少年兵がカリフォルニア出身の日本文化を保持している小惑星で文化摩擦を経験するという話だ。小粒だが面白かった。
 菊地秀行は地殻変動のあった後の世界で、高地と低地に分割された人類の話だが、種族名となっている世界の高山の名前は本当の地名じゃないよね。せいぜい日本程度の狭い地域の話として理解しないと無理があると思う。ありがちな話ではあるが、面白かった。
 さて海外勢だが、実のところあんまりピンと来なかった。何というか、今時の話とは思えない感じがある。サイバーパンクごろの日本観や、さらにもっと昔から変わらないガイジンの日本観が表れている。それともふたひねりくらいして戻っちゃったとか。
 その中ではブルース・スターリング「慈悲観音」が群を抜いている。東京が北朝鮮の核攻撃を受けてぐちゃぐちゃになった東アジアで、テロリストと海賊の島となった対馬が舞台の話だが、変なところはあっても妙な説得力があって、いかにもスターリングな一編だ。
 フェリシティ・サヴェージ「別れの音」も印象に残った。仮想空間での離婚代理人というアイデアが面白かったが、何故か後半は奇々怪々な時間戦争ものになる。面白いけど、何か変。
 レイチェル・スワースキー「樹海」は青木ヶ原を舞台にしたゴースト・ファンタジーで、素直な小説だ。後、キャサリン・M・ヴァレンテ「ひとつ息をして、ひと筆書く」が、東洋的な幻想小説だが、あんまり変な感じはなくて面白かった。

『OUT OF CONTROL』 冲方丁 ハヤカワ文庫
 異形コレクションやSFマガジン、SFJapan、野生時代などに載った短篇7編が収録されている。どちらかというとホラー寄りの話が多い。
 「スタンド・アウト」は自伝風な味わいのある普通小説で、青春のひりひりするような焦燥感が描かれている。
 「まあこ」はホラー。友人に「まあこ」の髪型を整えてやってほしいといわれた美容師が恐ろしい目に会う話だが、その恐怖の本質は偏執と日常性の崩壊にある。
 「箱」もホラーで、死んだ友人の残したたくさんの箱をネットオークションで売ろうとするのだが、それがどこからかミステリゾーンにはまり込んでしまう。ここでも成功者の日常の裏に隠れた狂気と偏執が無数の箱の中に封じ込まれているのがわかる。
 一転して「日本改暦事情」は『天地明察』のもととなった中篇だ。長編にあるエピソードがかなり省かれており、小説としての深みは長編の方が上だが、濃縮されているぶん、ストレートな感動がある。
 「デストピア」もまたパラノイアックなホラーで、狂気に満ちた無差別殺人が描かれる。かなり無理のある設定だが、勢いのある身体感覚に溢れた文体が、肉体的な痛みを感じさせる。
 「メトセラとプラスチックと太陽の臓器」はSF。胎児に特殊な臓器移植をすることによって数百歳の寿命を与えられるようになった時代の、夫婦の話だが、不老不死の社会的影響といったことよりも、言語感覚や妊婦の特別な感受性について語られている。作者の興味は現象よりもそれを表す言葉の方にあるようだ。
 表題作「OUT OF CONTROL」は小説に行き詰まった作家が、夜のジョギングで恐怖体験をするという、わりあいオーソドックスなホラーだが、ここでも言語や表現が大きな役割を示している。廃屋の二階の窓からこちらを覗く女というあたり、ぼくはフェリーニの映画「世にも怪奇な物語」の一シーンを思い起こした。
 「日本改暦事情」を除き、全体的に小粒なホラー小説集という感じの短篇集だが、思いがけず暗い狂気に満ちていて、しかしぐちゃぐちゃドロドロではない、端正な感じの作品が多かったように思う。

『少女禁区』 伴名練 角川ホラー文庫
 『拡張幻想』の「美亜羽へ贈る拳銃」が面白かったので、17回日本ホラー大賞短篇賞受賞作の本書を読んでみた。「chocolate blood, biscuit hearts.」と「少女禁区」の中編2編を収録する薄い本である。
 なるほどね。「美亜羽へ贈る拳銃」もそうだが、平凡な一般人ではない、ひどく特殊な環境にある少年と少女の倒錯的な愛と憎悪が、とても「耽美」な雰囲気で描かれている。「美亜羽へ贈る拳銃」や「chocolate blood-」のようなSFでも、「少女禁区」のような呪術的ファンタジーでもそうだ。
 恋愛感情というよりも、もっと濃密で生々しい、エロティックではあってもあまりセクシーではない、仮想的な姉と弟、兄と妹の、近親憎悪を愛情と勘違いしたような、高踏的でねじれた支配・被支配の関係である。ちょっとロマンティックすぎるような気もするが。
 「chocolate blood-」は巨大企業を創業した父の死後も、その存在に支配される姉と弟の悲劇を描いているが、その悲劇は甘いチョコレートの味わいがある。リアリティは重視されていないので、ひたすらそのほろ苦い甘さを味わえばいいのだろう。
 ホラー大賞短篇賞受賞作「少女禁区」は呪術が存在する世界で、強い呪詛の力を持つ15歳の美少女に、下僕として扱われる少年の話。虐待され苦痛を与えられ続けるが、SM的、性的な要素はほとんど現れず、苦痛が痛切なコミュニケーションとして描かれる。特に神の生け贄となって死した後の、二つの世界を結んで彼を縛る呪詛というアイデアは、ほとんどSF的といっていい。どちらも登場人物たちにとってはハッピーエンドに終わるのだが、それってやっぱり無理やりな印象を受ける。

『重力とは何か』 大栗博司 幻冬舎新書
 副題が「アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る」。前号のTHATTAで津田文夫さんが紹介していたので読んでみた。
 こんな本が今やベストセラーになるんだね。面白く読めたけれど、ちょっと微妙。前半はアインシュタインの相対性理論からブラックホールにいたる入門的な解説、後半が量子力学から著者の専門である超弦理論の話になって、最後には重力のホログラフィー原理の紹介となる。
 前半がちょっと微妙。数式はなく、図も最低限で、ある意味わかりやすい解説なのだが、逆に多少とも知識があるとかえってとまどってしまうのではないか。簡単に書かれていることの裏にある深い意味をちゃんと考えないと、誤解してしまう気がする。例えば相対性理論の等価原理をエレベータや回転する宇宙ステーションを例に説明しているのだが、それはニュートン力学の範囲でも可能な説明なので、等価原理がそういうものだと言われても、勘違いしてしまいそうな気がする。もちろんそれが間違っているわけじゃないのだけれど。それと言葉だけの説明はやはりわかりにくい。この範囲の解説なら難しい数学はいらないので、最低限の数式はあった方がよかった。
 一方、後半、特に著者の専門分野の話になると大変面白い。このあたりは専門的な議論をされてもわかるはずのないところなので、こういう雰囲気がわかる程度の説明で十分だ。わかる人には、前半と同じような不満があるのかも知れないが。特にホログラフィー原理の紹介がイメージ的にわかりやすくて面白い。SF的にいえば、イーガンの「プランク・ダイヴ」への挑戦であり(ブラック・ホールの内部の情報も、原理的には取り出せるということなのかな)、またこの現実世界も、ホログラフィックに投影された影の世界も等価なものだということが、現代SFのテーマともつながっていて興味深かった。もっとも「ホログラフィー原理」でネットを検索すると頭の痛くなるページがたくさんヒットする。たしかにトンデモさんと親和性の高そうな話ではある。これが扱いにくい重力の数学を重力を含まない数学で代替できるという数学的なテクニックの問題なのか(ファインマンの量子力学も似たような感じだ)、本当にこの宇宙がコンピュータで計算されうる情報と等価だといっているのか、ぼくにはわからないのだが。

『ブラックアウト』 コニー・ウィリス 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 何とも分厚い。2010年のヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞作である。しかし、これでまだ半分以下。前後編の前編にすぎない。それが768ページ。来年4月に出る予定という後編『オール・クリア』はさらに100ページほど多くなるということだ(しかも訳者後書きによれば、7月時点でまだ1枚も訳していないとのこと。後7ヶ月ちょっとで900ページ近くを訳せるのか。そっちも凄いや)。
 そんな恐れをなすほどの大作であるが、これがメチャメチャ読みやすい。短い章の連続で構成されていて、その一つ一つに盛り上がりと「来週に続く」的な惹きがあって、どんどん続きを読みたくなる。第二次大戦のイギリスが舞台で、死と隣り合わせな毎日でありながら、勇気と忍耐で日常をおくる民間人の生活を、感動的に、そしてコミカルに描いているのだ。それが、いかにも良くできた連続テレビドラマのようで、繰り返されるすれ違いや、悪ガキたちのこれでもかというくらいの大暴れなど、随所で観客のどっと笑う笑い声が聞こえてきそうな雰囲気だ。戦時下の淡い恋愛もあり、ぼくはこの前までNHKでやっていた連続ドラマの「カーネーション」をちょっと思い浮かべた。
 本書は『ドゥームズデイ・ブック』『犬は勘定に入れません』に続く〈オックスフォード大学史学部タイムトラベルシリーズ〉の長編である。ダンワージー教授の指導の下、学生たちが過去へタイムトラベルして歴史の現地調査をするというシリーズである。今回のターゲットは第二次大戦下のイギリス。アメリカ人の新聞記者としてダンケルクの撤退での民間人の英雄的行為を調査しようとするマイク、郊外の屋敷のメイドとして疎開児童の観察をするメロピー、そしてロンドン大空襲の中でデパートの売り子として空襲下の市民生活を体験するポリー、この3人の行動を中心に、物語は当時の世相と人々の生活をリアルに、かつユーモラスに描いていく。
 とても面白く読めるので、読んでいるうちは気にならないのだが、読み終わってゆっくり考えると、色々と疑問が生じる。そもそも設定が謎すぎる。これは訳者自身がTwitterで呟いていたことだが、「そもそも院生の実習にしかタイムトラベルを使わないという設定が謎すぎ」だし、せっかくタイムトラベルができるというのに、第二次大戦の疎開児童や英雄行為の実地調査というのが、歴史研究のテーマとして適切なのだろうか。ジャーナリストがルポルタージュを書くのならともかく。
 タイムトラベルの仕組みや、それを大学の一学部が独占している(?)こと、タイムパラドックスは起こらないことになっていて、しかも時間線は変わらないことなどの謎については、まあ別にかまわないのだけれど。それにしても、しっかり計画して実施すべき学術研究の現地調査が、こんなに急な予定変更を含むドタバタで、泥縄式にやっていいものか。プロジェクト管理がなっていないよ。それに学生たちも、直接的な狭い範囲だけじゃなくて、もっとその時代全体について勉強してから行こうよ。
 まあそれが、タイムトラベルに関わる想定外のサスペンスとなって、この物語を駆動していく原動力となっているのだが、SFとしての面白さはほとんどそこだけに集中している。本書の面白さの大半は、戦時下のイギリス市民たちの人間ドラマにあるのだ。本書で一番印象に残るのも、メロピーをてんやわんやさせる悪ガキたちと、マイクを翻弄する年老いた小型船の船長と、ポリーをうっとりとさせる老シェークスピア俳優なのだから。


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