続・サンタロガ・バリア (第122回) |
今年も海水浴に行けたので、仕合わせっちゃあ、仕合わせなんだけれども、仕事場から緊急連絡が入って、急遽「こうのとり」に乗って新大阪を目指したら、豊岡に着いたところで緊急性が消滅の連絡が入った。元もと播但線経由の切符しか持ってなかったので、新大阪まで行ったら大分追加料金を取られると思い、あわてて豊岡駅に飛び降りた。ハアっと一息ついたら、カープ帽がない。既に去っていく「こうのとり」。ま、しょうがないかと思い、「はまかぜ」が来るまでの2時間あまり、すこし豊岡の街をぶらぶらしたあと、ジャズでも流していそうな茶店に入って、さあ読みかけだった短編集の最後の1編を読もうとリュックを開けたら、これがない。あちこちのポケットを全部調べた後、ようやく気がついたのが、「こうのとり」の前座席のネット。やれやれ、とは思ったものの帰り用に豊岡の駅前ビルで買った分厚いラノベ(特にタイトルは秘す)を読みながら時間をつぶす。ちなみに喫茶店では確かにジャズが流れていたし、オーディオもそれなりのセットだったのだけれど、カウンターの中の女性はとてもジャズに縁がなさそうだったので、ちょっと気にしていたら、しばらくしていかにもジャズ喫茶のオヤジなヒトが入ってきたので、女性は奥さんかお母さんだったのだろう。店で何が流れていたかはすでに記憶にないが、それだけが今も印象に残っている。
その後海水浴を毎年主催してくれるジュンペイさんから、最近はJR西日本も親切で、忘れ物もけっこう返ってきますよというメールがあったので、試しに電話してみたらちゃんと対応してくれ、カープ帽が着払いで返ってきた。文庫の方は無し(たぶん、車内清掃時に読み捨てられたモノとして処分されたのだろう) 。ジュンペイさん ありがとう。
で、その置き忘れた短編集が、冲方丁『OUT OF CONTROL』。まあ、今回のちょっとしたアクシデント自体がまさに OUT OF CONTROL だったわけで、そのため、表題作以外は読んだとはいえ、もはや個々の作品の印象はほとんど薄れてしまった。それでも『天地明察』の原型となった中編はそれなりに記憶に残っている。骨組みだけとはいえ長編版のエスキースとして十分作品足り得ているところは感心した。もちろん説得力は長編版に及ばないが。
神林長平『ぼくらは都市を愛していた』はあの短編(もうタイトルを忘れている)の実践編。すんごい力の入った作品で、パワーが空回りしているんじゃないかと心配したが、基本はいつもの神林節である。ヒロイン/ヒーローである双子の姉弟が異なった時空間で活動しているようだけれど、「情報震」と「都市」がそれを結びつける。現実崩壊はディック的だが、神林には神林ロジックがあり、崩壊した現実の再構成はそのロジックに基づいて現出する。希望といえば希望だが、ちょっと願望の方が強いかなあ。「真世界」は無の空間に投影されている、といやあこないだ読んだホログラフィー理論だね。
ハヤカワSFシリーズ・Jコレのマスミ・ワシントン/ニック・ママタス編『THE FUTURE IS JAPANESE』はヘンテコなアンソロジイ。日本作家とアメリカ/英語圏作家はやはり別の社会的文脈に生活しているんだなあ、と実感させられる。英語で読んでも多分違和感がなさそうなのは円城塔「内在天文学」とこれは英語で読んだので当たり前な伊藤計劃「The Indifference Engine」。伊藤計劃は英語で読むとフツーのSFには見えない。『時計仕掛けのオレンジ』がSFという意味ではSFだけど。翻訳作品は今の日本で訳すに値するだけの内容を持っているとは言い難い。スターリングはさすがに笑わせるけれど、その他は生真面目か素朴といった印象である。キャサリン・M・ヴァレンテ「ひとつ息して、ひとつ吐く」が異世界ファンタジーで、エキゾチックニッポンでさえなくなっているのが面白い。
盆も過ぎてから読んだのが、うえむらちか『灯籠』。物語としての完成度は低いけれど、思いの丈だけが印象に残る。まあ、御当地ファンタジーだし。個人的には広島に移り住んで、間もないころ(40年前だ)母親の実家の墓参りに付き合ったおりに、伯母から「灯籠買うてきて」と金を渡され、店に行くと白い盆灯籠しかなかったので、それを買って帰ると、伯母に笑われ、店に返しに行った経験があるので、作者の思い入れはよく分かる。もしかしたらこの作者の出身校は我が母校という可能性もある(ただし、作者は若いので近所の新設校だった可能性が高い)。というわけで現実的な憶測ばかりが気になった一作だった。
ポケットブック版のハヤカワSFシリーズ最厚というその分厚さに恐れをなしたが、読んでみればいつも以上におしゃべりオバサンなコニー・ウィリス『ブラックアウト』。このパターンならいくらでも話が続くよなあ、といささかウンザリもするのだが、ページターナーとしては筋金入りのオバサンなので、スイスイ読める。ディテール以外なんにもないし、タイムトラヴェルものとしての説得力もないが、爆走するおしゃべりが全てを押し流していく。登場人物がみんなカワイイよ。2060年のオックスフォードの情報を気長に待つとしよう。
そういえば、この夏聴いたのは、ビーチ・ボーイズのアルバム「That's Why God Made The Radio」ぐらい。ビーチ・ボーイズのファンじゃないし、ブライアン・ウィルソンに思い入れもないけれど、年寄りポップも悪くないなあと思わせるだけの力のある作品だった。