続・サンタロガ・バリア  (第121回)
津田文夫


 去年もこんなに暑かったっけと思いつつ(暑かったに決まってる)、ダラダラと汗を流して寝ている。節電している訳じゃなくて、単に冷房嫌いなだけ。毎年夏に困るのが、ステレオが聴けないこと。YouTubeでこんなモノもあったのかとビックリするのは愉しいけれど、音楽浴としては物足りないよねえ。
 暑くなる前に最後に聴いたのは999円廉価版で買ったアート・ブレイキーの「モーニン」。ネットで買えば500円だけどCD屋で買うのが吉。昔はマイルスの「カインド・オブ・ブルー」より有名なジャズの代名詞的1枚。前にも書いたけど、ファンキー系を聴くようになったのは最近のことなので、実際にジャケットを見てみると表にはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズとあるだけで、モーニンというタイトルは入ってなかった。解説読んだら新生ジャズ・メッセンジャーズ第1作ということでグループ名しかないのも納得。収録曲を見るとサックスのベニー・ゴルソンが作・編曲のメインとなっていて音楽的にはゴルソンのアルバムといってもいいくらいの作品だった。その中で、ピアニストのボビィ・ティモンズが作った「Moanin'」が最高の曲になったのは皮肉だけど、ゴルソンの編曲は素晴らしい。クラッシックの方はこれも廉価版で館野泉が弾いたシベリウスのピアノ小品集。今は左手のピアニストとしてNHKで特集番組が組まれる人だけれど、この頃はシベリウスのピアノ曲スペシャリスト。ショパンみたいな特性はなくグリークに較べてもおとなしい曲が多い。館野のピアノは端正な響きで聴いていて気持ちがいい。

 たまには現代物理の話を読もうと大栗博司『重力とは何か−アインシュタイン理論から超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』に手を出す。ちょうどヒッグス粒子のニュースの頃。最初の内の今世紀前半くらいまでの話はいままでと大した変わりはなかったけれど、超弦理論に入って現在の理論紹介までの後半を読んでひっくり返る。何しろ最新理論は重力項が消えてしまって、それは見かけのモノになってしまうのだ。ホログラフィー理論っていうらしいが、オビに描かれたへたくそな絵が、実は、そんなのありなのか〜、という驚くべき世界の真相を示しているのだった。現実世界が高次元の投影だったら、プラトン以来のサイエンス・ファンタジーは(まったくのイマジネーションに過ぎなかったとはいえ)お墨付きをもらっちゃったことになるではないか。それともそんなことを考えるから、素人の感覚でトンデモができちゃうのか?
 ついでに読んだ昨年の新書ベストセラー村山斉『宇宙は何で出来ているのか−素粒子物理学で解く宇宙の謎』の方は大栗さんの衝撃的なホログラフィー理論のあとでは、非常に慎重な内容のように見える。いまから40年前に『クォーク』というタイトルのアンソロジーを編んだディレイニー/ハッカーのセンスは素晴らしい。

 6月末はちょっと読むものがないなということで、発刊時にはスルーした梨木香歩『f植物園の巣穴』が文庫になったので読む。穴があれば落ちてみるというのが常道で、そういう話だ。『家守綺譚』によく似た感触の物語だけど、やや暗さが増している。SFとしては北野勇作の長編的に通じる幻想の質を持っているといっていいだろう。戦前の作家の幻想小説に似せて描いているような処も感じられるが、まあそれは資質の問題かなあ。

 とうとう亡くなってしまったレイ・ブラッドベリのインタビュー集、レイ・ブラッドベリ/サム・ウェラー『ブラッドベリ、自作を語る』は、こないだ読んだ伝記の作者によるインタービューなので、一種の余録みたいなもの。とっても読みやすいし、ウェラーの伝記の後ではそれほど驚くような話はないけれど、相変わらず面白い。ブラッドベリは確かに知識人ではないし、本人もそれは自覚していて、でも作家としての自信は揺るぎもない。おしゃべりが大好きだけどイヤ味がないのは人徳。ブラッドベリはエジソンの言ったような意味で天才だったんだろう。しかしこの本、翻訳が出ることは分かっていたろうに、ウェラーの伝記本についてオビにも作者紹介にも、ひとことも言及がないな。

 えっ、こんな本が出てるんだと、早速読んだのが、ステファンヌ・マンフレド『フランス流SF入門』。SFマガジンによると訳者藤元登四郎氏の自費出版らしいけれど、分量的にはクセジュ文庫よりまだ薄そうなパンフレットみたいな長さである。中身は結構面白くて、サンリオ文庫のフランス人作家たちが時々出てくるのが興味をつないでくれる。そのほかの地元SF作家は、さすがに判らない。でも、フランス人が「日本流SF入門」を読んだって同じようなモノだろう。ケアレスミスは散見されるけれど、SFMでのケナされようはかわいそう。書評子の虫の居所が悪かったんだろうか。

 大森望アンソロジーは、まずは大森望/日下三蔵編『拡張幻想』って、タイトルがよくないよ。集中一番感心したのが、再読の円城塔「よい夜を持っている」で、円城塔が芥川賞を取って当たり前の作家だと云うことが改めて納得された。表面的な書きようはちっとも叙情的でないのに、読後にもたらされる圧倒的な叙情は他の収録作品からぬきんでている。円城塔も含め、収録作の面白さはバラエティに富んでいて出したお金以上のエンターテインメントが得られることは間違いない。テイストも50年代SF風から最先端数物宇宙理論まで、ファンタジーからホラー、おバカなだけのミステリまでタイトル通りの守備範囲の広さだ。だから「拡張」なのか、ってそれは芸がなさ過ぎ。

 そんなアンソロジーの後にハヤカワSFシリーズ・Jコレの樺山三英『ゴースト・オブ・ユートピア』を読むと、そのシリアスな作品づくりにビックリする。この連作集には下敷きとなった古典的作品に由来する軽さはあっても、作り上げられた作品に軽さはない。1作1作の手の込みようが尋常でない。ユートピアを発見せざるを得なかったベンヤミンのエッセイ群を思い出す。作品世界の四隅が薄暗いのでそう感じるのだろうか。しかし、シリアス志向はSFが持ちやすいエンターテインメント的なセンチメントに流されていて、それは読み手の思い入れをくじく。

 大森望編『NOVA8』も作品のバラエティに富んだアンソロジーだけれど、『拡張幻想』よりは総花的でない。ま、オリジナル・アンソロジー何だから当然か。最大の読み物はやはり山田正紀「雲の中の悪魔」だろうなあ。ここまで科学用語/SF用語をゆがませて使い倒すと、なんか別の世界が開けてるんじゃないかと思ってしまう。それが面白いのかどうかはよく分からないのだけど。その後に飛浩隆そして東浩紀を読むとホッとする。前半の収録作では粕谷知世と松尾由美の女性陣がオーソドックスな職人芸を見せてくれて嬉しい。松尾由美を読んだのははじめてかも。青山智樹はまるで田中啓文みたいな突っ走り方だけれど、そういやこの人もはじめて読んだような。第一印象がこの作品でよかったのだろうか。


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