みだれめも・出納日記 12年7月

水鏡子


〇6月の結果
 支出計:172,900円。前年6月685,664円
 購入書籍:142冊 25,126円。累計1,060冊。前年累計1016冊
 通算株成績(含み損+売買益):約60万円の損

 昨年48万円支払った県市民税が今年は1万円と少し。支出の差はそれが大部分。書籍数も累計で前年並みに近づいて減少気味。なかなか順調。株もひと月前と雲泥の差で生活全般快調である。誤算としては、本が読めないのと雑文が書けないことくらい。今月こそ「みだれめも」を書こう。

7月1日・7月第1週
 日曜日。このところ4度に3度は例会に顔出ししていた堺三保が今日アメリカに行ってしまって、例会固定メンバーがまた不安定になる。本日も青木社長、荒川ジュニアと3名のみ。大野万紀も会社が変わったのだから週2くらいで顔出しすればいいと思う。

 月曜日。国民年金の納付通知が来たので、市役所まで全額免除の手続きに。これで昨年と合わせて22ヶ月間の免除になって、無料で加入期間が11ヵ月伸びる計算になる。60歳を過ぎても65歳まで最長40年間分任意で掛け続けることができるらしく、免除切れ後4年間任意継続加入の予定でいたが、年金一元化法案の動向次第では任意加入を取りやめて受給権を確定させたほうがいいかもしれない。

 『読むのが怖い!Z』大森望・北上次郎の掛けあい書評本2008年〜2012年版。3冊目である。互いの読書趣味を読み解こう理解させようとするところが終わってしまって、相手の好みそうな本を選択するということを繰り返しているため、前2作と比べて掛けあいが薄味。趣味嗜好についてのやりとりは、過去の本で終わっている部分もあるので、初読みの読者にとってはあんがいわかりづらいかもしれない。同じ作家、同じタイプの作家を持ち出し過ぎで既に両者間で答えが出ており、それもあってか相手に向けてであるより読者に向けての説明文が増えてる感がある。なおかつ個々の書評の結末部分にキメがなく尻切れトンボの印象のものが多数。評価としてはひと夏の清涼剤どまり。
 ただ問題は、この本を読むと押さえておくべき作家が増えてブックオフで買い込む本が増大すること。結局買うだけで読まないのだけど。

 株は週の前半、損が10万円を切るところまで戻したが、そこがピーク。週末には80万マイナスに戻ってしまった。

7月第2週
 『ねじまき少女』を〈近未来もの〉として読んだのは間違いだった。〈破滅もの〉として読まねばならなかったのだ!
 昔はSFの分類方法に、宇宙テーマとか時間・次元テーマといった分け方があった。他にも近未来テーマとか、遠未来テーマとか、破滅テーマとか、ミュータント・テーマといった風に。グロフ・コンクリンというアンソロジストの得意技で、それを福島正実が中心になって草創期のSF文化においてほぼ無条件のテンプレートとして提示されていた。
 別に昔に限らず今だって同じカテゴリー分けは使われているわけだけど、70年代以降のSFに関してはそんな外形的な区分けをすることにあんまり意味がないように、僕自身思いこんでいたところがある。
 けれども今、改めて思い致したのは、ぼくは個々のSF作品について、これは破滅テーマであるとか、これはミュータント・テーマであるとか判定することで、微妙に作品に対するスタンスを変えてきたのでなかったかということだった。
 つまりテーマを決定することで、作品に没入していく作業あるいは「不信の停止」の手続きを無意識下でそれぞれテーマに合わせて工程化を行っていたらしい。
 『ねじまき少女』について、客観的にはうまいなあがんばってるなと高い評価をしたものの、どこか隔靴掻痒の苛立ちがあった。『読むのが怖い!Z』のなかで、北上次郎は「これは文学であってエンタメでない」といって拒否しているのだけど、そこのところは、これはエンタメ以外の何物でもないでないという意見。
 それなのになんで没入できなかったのかが、『第六ポンプ』を読んでいて氷解した気がしたのである。すみません。今頃やっと読み終えました。けしからん話です。
 なにかというと、ぼくは『ねじまき少女』を近未来ものとして読んでいたのである。いやまあ近未来であるのだけど、そのスタンスの取り方が悪かった気がする。この作家の本領はイギリスSFの得意とする破滅ものであり、破滅した世界のなかでのサバイバルを多視点的に展開している、初期バラードやウィンダムの発展型として読むのが正しかったのではと、『第六ポンプ』を読んでいてやっと見えてきたのだ。同じように直近の未来を舞台にしていても、未来社会ものと破滅ものはスタンスの取り方がちがっている。未来社会ものは登場人物たちを狂言回しに、現在の社会と通底する構造を歪曲肥大した異形のシステムを俯瞰させ、ときにはそのシステムが崩壊する様を浮びあがらせるところに読みどころがあった。対する破滅ものでは社会システムはすでに崩壊しており世界のシステムの全体像を描き出す必要がない。システムの壊れた世界をヴィヴィッドに描写し、激変した世界の中で主人公たちが必死になって生き延び、時には従容と滅びの道を歩み、時には彼らが核となり文明が再生の道を歩み始める希望と再生の物語を描き出す。登場人物は狂言回しではなくあくまで物語の中心なのである。『ねじまき』は近未来ものの必要条件をきっちり押さえていたせいで、なんの疑問もなく近未来ものとして読み続けていたのだが、狂言回しのはずの登場人物たちがぐじぐじつぶやき続けることが、けっこうざったかったりしていたらしい。破滅ものだと割り切ればそれは別段ふつうのことで、ぼくの読み方が転倒していたのだと、いまになって思う。近未来ものと破滅ものの読み方のちがいというのも、じつはいま初めて気づいて理屈化したものである。
 ああ、でも〈小説世界の制度化〉あるいは〈神の視点に立ってのモデル化された小説世界〉の提示がSFの一番の醍醐味というのは、ぼくの昔ながらの持論じゃないか。そうやって提示できるはずの世界がリテラシイ・レベルが向上するなか、人間ドラマを中心にした物語構造に組み替わってしまい、SF小説が伝統的な物語構造に回帰してしまうという理屈。近未来ものと破滅ものの区分けにそれが使えると考えたのも持論の単なる変形と言えなくもない。

 『第六ポンプ』の中段の、「砂と灰の人々」「カロリーマン」「タマリスク・ハンター」の連発がきっかけだった。全部破滅した世界じゃないか。たとえ破滅ものであっても中短編は短いページのなかで世界の全体像を提供する必要から小説世界の制度化はより比重を高くする。それでも荒廃した世界のイメージ化とリアルさというのが制度化された世界提示ではなく、あくまでそこで生き延びようとする人々の物語であるところは顕著に見てとれ、「破滅もの」と読み解くことですっきり腑に落ちる好印象を得た。『ねじまき少女』より『第六ポンプ』の方が評価は上。

 ついでに言えば、『サイバラバード・デイズ』はバチガルビ以上に近未来ものではない。あの世界は「未来のインド」ではなく「幻想のインド」であってその意味でやはり『火星夜想曲』に連なる世界だ。近未来ととるとリアルさに欠けるけれども、むしろリアルさに欠けるところが魅力となる連作集だと思う。

 家の中を少し整理した。炎天下、鞄、袋、財布等の小物類を70リットルのビニール袋に詰め込んで、荷台に括って自転車で30分、古物買い取りの店まで持っていった。全部まとめて50円だった。サイズの問題がある衣服類よりは評価されて1,000円程度は値がつくと思っていたのだけれどもね。ゴミで出した方が簡単ということのようだ。

 欧州情勢、アメリカ雇用情勢が芳しくなく、あいかわらず、株を売るチャンスがこない。このままいつものようにじり安基調で含み損を拡大するのかとあきらめ気分になっていたら。火曜日にブロッコリーが純益3倍増の大幅上方修正を発表。大相場の期待大。

 水曜日。予想通りの大相場。急上昇で、一瞬今年度の総損益がプラスに転じたのだけれど、指値と最高値が1円差で売りそこね、そのままずるずる値を下げる。金曜終値では発表前より値が下がった。年度当初の通期予想を半年で達成したというのに、どうしてこんなことになるのか。謎である。

7月第3週
 片岡剛士『円のゆくえを問い直す 実証的・歴史的に見た日本経済』
 朝日新聞の書評欄で、山形浩生が絶賛していた。大恐慌から石油ショックなどの経済不況をデータを並べて、その理由を金本位制や固定相場制の破綻に見、現代のデフレと円高を政府・日銀の政策的失敗と指摘する。円高はドル安でもユーロ危機でもなくあくまで日本の金融政策に起因するものだと(たぶん)言っている。
 今のデイトレ三昧はある時期の競馬三昧、パチンコ三昧と同じで現在の中長期集中嵌り込み事象(ギャンブル系)であると思うのだけど、毎日7時間、日経CNBCを垂れ流しての耳学問はそれなりに身についた部分があるようで、この本など1年前なら専門用語のイメージ取りができなくてまちがいなく五里霧中のまま30ページくらいで放り投げていたと断言できる。最後まで読めた今なら二里霧中くらいのレベルか。書いてあることは理路整然としているけれど、為替レート一本やりでのデフレ解釈が正しいのかどうかには疑問が残る。個人的には派遣社員問題も含めた賃金抑制方針の恒常化が資産の逓減、無産化を招き、現状と将来への不透明さを増し、ただでさえ減少している可処分所得を預貯金に振り向けざるを得ない状況を作り出し、デフレ脱却を困難にしている気がする。消費税増税にしても、駆け込み需要の期待はできてもその先は、目減り覚悟の預貯金拡大、消費不況の道であるように思う。

 株は毎日下げ続ける。先週の最高値から200万溶けた。
 周囲で困った事件がいろいろ起きている。勤めていた職場では幹部の贈収賄事件が起こり、続報があるかもしれないと噂されている。しばらく前から連続猫殺し事件があり、警察が捜査を開始した。食肉センターに「動物を殺すのをやめなければ貴様らを殺す」と脅迫状を送り続けた高校生が逮捕される。愉快犯かと思ったら、動物愛護思想犯だという。

 土曜日、勤めていた職場のオタクたちの飲み会に参加する。「渡辺会長を囲む会」という名称だそうだ。この会長はぼくより1年年上の同志社SF研OBであり、うちよりでかい平行移動書庫をもっている。現職メンバーは困った事件のせいでいろいろ大変らしい。

7月第4週
 現在読み始めているラノベ・シリーズは浅井ラボ『されど罪人は竜と踊る』。スニーカー文庫硬派物消化路線の一環だが、読んでいるのはガガガ文庫版。100ページ近く増ページされた第1巻を読み比べるとスニーカー版は説明口調とぎこちなさとで勢いを殺している部分が散見する。まだ揃えていないガガガ版で読み切る予定なのでまとめの評価は先になるけど、エロを目的としない風太郎忍法帖読者もしくは「謀略の中の謀略の中の謀略」が大好きなフランク・ハーバートのファン必読。ということはつまりぼくのツボに入る小説ということ。面白いのはガガガ版新作書き下ろしである第3、4巻で国家間軋轢の背景に、前作まであまり目立たなかったマクロ経済学の知見がやけに出張ってくること。個人的経験に照らして、この著者、ぼくと同じく株遊びにはまっているのではないかと邪推する。

 暑い日が続く。節電と読書の時間を作るため、それから到着した株主優待券の消化のために、今月に入って積極的に外食の機会を作ることにした。2時間くらい粘るつもりなので、すき屋やなか卯、王将などのカウンター席というわけにはいかない。サイゼリヤ、ジョリーパスタ、ビックボーイといったレストラン系を使うことになる。最初は5時ごろから夕飯を食べに行き、そのあと古本屋とスーパーをまわり、11時くらいに家に帰るという方法を取った。問題点が2つ。少し贅沢をすると、すぐ1,500円から2,000円くらいになる。食後かなり動き回ることになり、スーパーで買った半額商品を夜食代わりに口にする。応々に1日4食になる。体重が増える。
 ということで、パターンを変えた。外食をランチタイムに切り替えた。ランチセットはドリンクバー付き600円〜800円なので、サラダを一品取って、1,000円で済む。そのあとまわる先は古本屋だけになる。スーパーには一度帰ってからの再出陣となり、運動量は増える。ただし、晩飯をしっかり食べないと一日が終わった気がしない性格なので、これまで軽くすませていた昼食をしっかり食べるため食事量は増加する。体重が増える。困ったことである。

 先週末から株はユーロ不安から毎日三桁の下落。損益がマイナス300万に近づく。任天堂をナンピンする。
 木曜夜ユーロ議長の発言でユーロ円相場が劇的回復。金曜1日で含み損はかなり減る。

 土曜日。3DSLLを買う。家庭用ゲーム機はプレステ2以来だから10年ぶりである。買換え+新規需要でそれなりに売れて株価回復の一助になると読んでいるのでささやかな応援も兼ねている。3D効果を楽しむにはマリオかゼルダなのだろうけど反射神経の欠如には自信があるので、ファイヤーエンブレムを買う。サブは噂のラブプラス。家に帰る前に昨日の株価のつきを信じてパチ屋に。少し勝ったのでゲーム機本体を5,000円で買った計算になる。
 ちょっとやってみた限り、バトルシーンを3D化しているだけで本質的には従来通りのファイヤーエンブレムより、2面のディスプレイを縦横に活用するラブプラスの方が3D機能は充実している。「ときめも+たまごっち」だと聞かされているラブプラスだが初期段階ではただの拡大版ときめも。とはいえ、還暦間際の人間がやるのは犯罪めいた気がする。


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