内 輪   第261回

大野万紀


 5月21日の朝は金環日食でした。西宮は薄雲がかかっていましたが、しっかりリングになった太陽を見ることができました。通勤の道すがら、道路に出て空を眺める人たちや、公園の木漏れ日が日食の形の影を落としているところなど、天文イベントを満喫しました。
 ところで、ぼくの記憶では「金環日食」ではなく「金環食」というのが普通だったのだけれど、「皆既日食」と合わせるのか、わかりやすさのためにこう呼ぶようになったのでしょうか。金環食といえば日食なのだし、わざわざ金環日食と呼ぶのにはちょっと違和感があります。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『アレクシア女史 女王陛下の暗殺を憂う』 ゲイル・キャリガー ハヤカワ文庫
 〈英国パラソル奇譚〉の4巻目。後1巻でこのシリーズ(というか連作長編だが)も終わりとなるそうだ。
 妊娠8ヶ月の大きなお腹をかかえたアレクシアが、ゴーストがほのめかした女王暗殺の陰謀を防ごうと、秘密兵器のパラソルを武器に、吸血鬼や人狼たちを大混乱に巻き込みつつ、ロンドンを破壊するタコ型巨大ロボットと戦う……まあちょっと違うかも知れないが、大体そんな話だ。
 今にも子供が生まれそうな大きなお腹の妊婦が、こんな大騒ぎをする冒険小説ってあっただろうか。今回はロマンス成分は少し控えめ。そのぶん吸血鬼や人狼たちをひっかき回し、ドタバタさせるヒロインの大活躍が爆裂する。やや定型的にすぎるユーモアも、ハチャメチャなストーリーの中では効果をあげているといえる。
 とはいえ、アレクシア女史の、お腹の子供にあまり愛情がなさそうな態度や、上流階級っぽい、身勝手ではた迷惑なわがままさ、そういったところはある種の魅力ではあるものの、やっぱりちょっと引いてしまうところがある。
 ところで吸血鬼って、蟻や蜂のような社会性昆虫みたいなものなのだろうか。人狼も群れとそれを束ねるアルファの存在強調されているし、こういう観点を追求した異界族ものって、これまであったのだろうか。SF的な観点からも面白いと思う。

『トネイロ会の非殺人事件』 小川一水 光文社
 小説宝石に掲載された、ミステリ中心の中編3編が収録されている。2編は確かに殺人事件がからむミステリだが、1編はSFだといっていい。
 「星風よ、淀みに吹け」は、月へ行くための閉鎖環境実験施設で起こった殺人事件。閉鎖環境実験施設という舞台が謎解きに強く関連しており、宇宙へ行きたいという強い思いをもった人物ばかりが登場するので、SF的なというか、「宇宙兄弟」的な面白さもある。とはいえ、ミステリとしては弱い気がする。ぼくはあんまりミステリに詳しくないのだけれど、計画殺人のわりにはしょぼいミスをしていたり、犯人の動機がもうひとつピンとこなかったり、そんなところが気になった。
 表題作「トネイロ会の非殺人事件」は、ネットで恐喝犯のカモにされ、しつこく大金を搾取される被害者たちが、グループを作って恐喝犯を殺害するという話だが、全員が彼の殺人に関わったはずなのに、その中にひとり殺害に関わらなかった「非」犯人がいるとわかる。その「非」犯人を推理する「非殺人事件」である。発想も面白いし、謎解きも論理的で面白く読んだ。でも結末に至る流れは途中で何となくわかってしまうし(こういう場合に一番重要と思われることを何故か無視する)、普通に考えるとやっぱり無理がある。それでも読後感はよく、面白かった。なおタイトルは、アルファベットで書いて逆から読めば意味がわかる。
 さてもう1編、「くばり神の紀」は、確かに謎解きの要素もあるが、はっきりいってSFだった。それも『天冥の標』にも通じる本格SFで、大満足。金持ちの老人が危篤となり、遺産目当てで親族が集まる中、妾の娘である女子高生に屋敷を譲ると遺言する。実の父親ではあっても母を捨てた男の遺産などいらないという気丈な彼女だが、屋敷を管理している従兄弟と接触するうち、「くばり神」という不思議な存在を知る。これが面白い。色々と想像が広がるアイデアがある。特に大きく世界が広がり、ほんわかとしたユーモアと優しい気分が溢れる結末がいい。

『バナナ剥きには最適の日々』 円城塔 早川書房
 様々な媒体に発表された9編を収録している短編集。芥川賞受賞第1作となるのか。
 帯に「どちらかというとわかりやすい最新作品集」とある。うーむ。「わかりやすい」というのは数学や物理学のテーマがずばりと前に出てきてはいない、ということなのかな。自己参照される意識みたいなテーマはずっとあるのだが、確かに言葉は日常的になっている。とはいっても、書かれている内容はちっとも日常的ではなく、ぼくには数学的構造が裏に回ったためか、かえってわかりにくく感じる作品が多かった。
 そんな中で面白く読めたのは、やはりSF的な「バナナ剥きには最適の日々」だ。宇宙探査機の脳みそが語る物語だが、SFの定番である「探査機もの」とは違って、感動的な要素はかけらもなく、ユーモラスで、でも切なさは残る。またSFマガジンに載った「エデン逆行」はちょっと山尾悠子を思わせる幻想的な小説だが、数学的ロジックが中心にあり、これはいかにも円城塔らしい小説だ。好みです。
 「捧ぐ緑」はゾウリムシを使った進化の研究が描かれているが、研究そのものは主題でなく、科学の方法論みたいなものが興味の中心にある。ゾウリムシがコンピュータ・シミュレーションでもかまわないのだが、そこを生き物で描いたのは、もう一つの主題であるエロティシズムを際だたせるためかも知れない。この作品はとてもエロティックな雰囲気をもっている。「墓石に、と彼女は言う」にも、微妙にエロティックな雰囲気が漂っており、そこが面白いと思った。どちらも、そういう具体的な描写はないのだけれどね。

『天冥の標6 宿怨 Part1』 小川一水 ハヤカワ文庫
 〈天冥の標〉の最新巻。第5巻からさらに100年ほどたった太陽系が舞台である。とはいえ、そのパート1であり、物語は終わっていない。いいところでCMになって、続きはまた来週という感じ。でも満足だ。
 第1巻に直接繋がるような人物やアイテムが色々と出てくる。第1巻をもう一度読み直さないといけないなあ。巻末に年表と用語集もついているが、まだまだ不足。まだ終わっていないので本書だけであれこれいうのは難しいが、いよいよ大きなストーリーの山場へ向かっているという雰囲気だ。
 1~4章に分かれているが、話は連続していて、ノルルスカインとミスチフの遙かな太古からの因縁をもった確執が、ロイズやMHD、《救世群》、《酸素いらず》、〈恋人たち》といった諸勢力を巻き込んで、あるいはそれらを操りつつ、次のステージへと進もうとしているようだ。ちゃんとした書評はパート2を読んでから。
 それはともかくとして、第1章「アップルハンティング」が素晴らしい。《救世群》のドジなお姫様(13歳)と賢い少年少女たちの氷雪世界での冒険を描いていて、良質のジュヴナイルのような読後感がある。必読の傑作だ。

『小松左京セレクション2 未来』 東浩紀編 河出文庫
 3月に出た小松左京セレクションの2巻目。1巻につづき、とても優れたセレクションだ。短篇だけでなく、長篇の一部や、ノンフィクションも含む11編が収録されている。それぞれ編者の当を得た端的な解説付き。
 選択のコンセプトも明確になっていて、現代から見た視点が古い作品に新たな光を当てている。《未来》という観点でここまで語れる作家って、結局小松左京しかいなかったのじゃないかとさえ思える。
 1964年の「廃墟から未来へ」、1967年の「未来の思想」などのエッセイから、小松左京が当初から巨大な時空を駆け巡る人間の意識活動を強く肯定していることがわかる。小松の進化に関する考え方が科学的ではないとはよく言われることだが、彼のいう「進化」は生物学的な進化論の進化ではなく、今風にいえばジーンではなくミームの進化、情報系の自己発展のイメージを想定したものだと思える。「神への長い道」も、昔、若い頃に読んだ時は、その情報的な、いわば仮想現実的な世界の肯定(実際に宇宙へ出かけていくことも、頭の中で想像することも等価だとする)が、ピンと来ずに、もやもやしたものを感じていたのだが、今読み返せば、これがイーガンなど、今や当たり前の概念になっていることに驚くのだ。
 本書にはまたバチガルピの「第六ポンプ」を先取りした暗い傑作「静寂の通路」が収録されている。今読むと悲しくなるほど明るい「空中都市008」と合わせて収録されているのが凄いアイロニーだ。


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