アンドレ・モーロワ Andre Maurois(1885〜1967)といえば、おっさんの年代やと、ハヤカワSFシリーズか講談社文庫の『読心機』(収録作に異同あり)で、お馴染みではあるが、最早SFも書いていた、ってなイメージは無くなってそうやが、それ以前にモーロワ自体の知名度がどうなっておるのかというのが問題か。
戦前から原百代訳『魂を衡る男』作品社・1935年(廉価版・1936年)、楠山正雄訳『デブと針金』第一書房・1941年、川本茂雄訳『読心器』大観堂・1941年と、SF系の作品も訳されてたということは、それなりに有名ではあるけれど、雑誌媒体での翻訳状況については紹介されてこなかった気がするので、この連載ではそこいらをまとめて…と思いつつ、なんだかんだで調べかけた資料が、あっというまに部屋で埋もれて、また調べては埋もれての繰り返し。
そこそこ網羅性のあるもんを、などという野心さえあきらめりゃいいわけだが、なかなか踏ん切りのつかぬまま今日に。
と、ここで「対月戦争」に遭遇。おおっ、やはり訳があったのかっ。この機を逃してはモーロワの回は実現できんぞ。
「対月戦争」Le chapitre suivant(英題:The Next Chapter: The War Against the Moon)は、<週刊朝日>の1928年10月21日号と28日号に上・下で登場。パリのモーロワに翻訳の許可をもらったとか書いてあるけど本当?
なんにせよ、日本でモーロワの名前が盛んに雑誌に出るようになったのは30年代になってからのような気がするので、この翻訳はモーロワ邦訳史でもかなり早い時期のものだといっていいだろう。
舞台は、1947年の世界戦争を経て復興した1960年代の地球。この世界は『輿論の執政』と呼ばれる新聞王五人男なるメディア王の情報操作によって平和が維持されていたのだが、1962年における風力を利用した画期的な新エネルギーシステムの発明によって、風力を得るための土地をめぐって紛争が生じ、世界に緊張が高まる。
ここで『輿論の執政』は、月からの攻撃があったという偽情報を流し、対月強硬論を喚起することで、地球上の国家間対立を緩和させる策に出る。対月開戦論は高まりをみせ、月人許すまじと、ハラキリで抗議する日本人とかが出てきたりするわけですが、地球には月面を直接攻撃出来るようなテクノロジーはない。ところが、発明しちゃう人が出るんですな。で、ビーム兵器みたいなので月面攻撃。
まあ、どうせ無人だから攻撃したって別にかまわんよな、と思ってたら、突如ダルムシュタット消滅。
ええっ、月に本当に住人がいたのか〜。まずい、再攻撃はとりあえずやめろと発明者にメッセージを持って出かけたメディア王が事故に遭い、再び地球側の攻撃、月側の再反撃で、泥沼化。めでたくなし、めでたくなし。おしまい。
いや『48億の妄想』の遥か以前にこんな、疑似イベント、世論操作ネタで、しかも星間戦争な話があったとはねえ。
英訳版The Next Chapter がForum 1927年7月号に出たって話はブライラーのアーリー・イヤーズに書いてあるんだが、なぜかこれの続編と目されているThe Earth Dwellers(原題:Chapitre CXVIII: La vie des hommes) の話は出てこない。こちらは同誌1928年8〜9月号掲載。
同作の戦前訳は確認できていないが、1954年刊行の山口年臣訳『仮装舞踏会』三笠書房に「人間の生活」の題で収録された他、<SFマガジン>1963年11月号にも同題で北村良三訳が掲載されている。
謎なのは、ジュディス・メリルのThe 9th Annual of the Year's Best SFに収録されてるってんだが(創元版の4に当るが、これは完訳ではなくモーロワは未収録)、なぜに1963年の年間ベストなの? この時期に新訳があったのかねえ。それとも1963年の<SFマガジン>に載ったおかげ?←それはないと思うぞ。
同じ未来史の断片という体裁の物語だが、直接的なストーリーの繋がりはなし。謎の力で人々が空中に持ち上げられていくという、ルナールの『青禍』っぽい出だしだが、力の入れ具合が不慣れなもんで、あ、グチャ…とか、簡単にバラバラにされるは、ポトリと落とされて潰れちゃうわ、大変です。そのうち手慣れて、ちゃんと空中に持ち上げられて、人々はあちこちに移動させられちゃうわけですが、その訳は…。
続きは、ぜひ図書館か古本屋でモノを探して読んで、そんな理由かよっ、と突っ込んでいただきたい。
しかし<SFマガジン>、よくぞ「対月戦争」ではなくて、こっちを選んだ。そっちを読まされていたら結構、『48億の妄想』を書く気なくしたんじゃないかという気がするぞ。
さて、それ以外のSF系作品の邦訳についてざっと見ておこう。
ハヤカワSFシリーズの『読心機』所載のモーロワ作品は以下の四点。
(1)「魂の重さ」Le peseur d'ames
(2)「読心機」La machine a lire les pensees
(3)「アルティコールの国への旅」Voyage aux pays des articoles
(4)「デブの国とやせっぽちの国」Patapoufs et filifers
(3)(4)を抜いたのが講談社文庫版だが、このあたりが日本でSFとして読まれている作品ということになるかと思われるが、これらの戦前訳としては、(3)がまず<The Muse>という雑誌に老田三郎訳「ARTICOLE島漂流記」として連載(1930年3〜7月)されている。これはディビッド・ガーネットの英訳版からの訳。
次に(2)が小林龍雄訳「霊魂秤量師」として<仏蘭西文芸>で1934年6〜7月と連載されて、編集後記でも結構推されてたんだけど、同誌が8月号で潰れることになったんで、その前号で中絶。
ちょうど、そのタイミングで<翰林>に原百代訳「魂を衡る男」が登場。8〜12月と連載されて完結。連載中には改造社から単行本になると書いてあったんだけど、それは実現せず、翌年、作品社から刊行。
ということで同社の雑誌<作品>1935年12月号は、亀井勝一郎、青野季吉、三木清、板垣直子による作品評を掲載してプロモーション。
もっとも、板垣直子先生は、読んでないも〜ん、原百代もよく知らないも〜ん、という掟破りな一文を発表。普通、わざわざそんな原稿は書かないだろっ。というか書いてきても載せないのでは、ってのが堂々と誌面に出ているところをみると無茶苦茶偉い人? なんかよく知らんが板垣鷹穂のヨメだろ、という甘い認識のフヂモトは反省しろっ、てことですね。すいません。
そいでもって(4)が楠山正雄訳「デブと針金」<婦人之友>1940年3〜5月連載、ってな感じかな。
あと、モーロワだと「家」La Maisonって怪談話がそこそこ有名で、ちょっと前に<幽>7号に小林龍雄訳「幽霊屋敷」で再録されている。東雅夫さんといえば文豪モノがお好きそうだから、大仏次郎の翻案版あたりを持ってきそうなもんだが、読んだことはないのかな。って、紀田順一郎先生のセレクションだから正統派なのか。ちなみに戦前訳としては<三田文学>に松田茂文訳「家」、『フランス短篇小説対訳叢書 第3篇』に桜井成夫訳「幽霊屋敷」ってのがありますな。あと牧逸馬版ね。
あ、掲示板に御質問があったそうですが、松村みね子はAn Interrupted Proposalだったかと。とりあえず手元のコピーは、この間ペガーナロストの人にさしあげたので、そっちにお尋ねいただくとよいのでは。