末広書店が店じまいやて〜。関西の古本好きには無茶苦茶ショックやね。黒っぽい本がお手頃価格で店頭に並んでるなんて本屋、全国的にも珍しい存在だったのでは。まあ、そういう御時勢なんやろねえ。この間、そんなことには全く気付かずに買ったのがルイヂ・アントネッリ Luigi Antonelli(1877〜1942)『自分に出会つた男』日本出版社・1942年(ルイヂ・キャレツリ「仮面と顔」を併録)。
『自分に出会つた男』、ありがちなタイトルだし、どうせドッペッたり、ドッペらなかったりする、面白くない幻想小説だろっ、と思いつつ手にとって開いて見ると、不老不死の美女、死から甦った男、時空を操る天才科学者といった面々が次々と現れる魅力的な導入部の戯曲で、300円。さあ、買った、買った。は、はい。
主人公ルチャーノ Luciano は、気づくとある島に到着していた。いったいなぜ、どうやって「島」に着いたのか。全く身に覚えがない。
その島は「クリムト博士の島」と呼ばれており、そこでルチャーノはロゼッタ Rosetta という若い女に会う。ところがその女はクリムト博士 Dottor Climtによって不老化されており実際は百歳を越えているのだと主張し、博士は「子供が木偶人形でも弄戯んでゐるのと同じ様に、人間を自由自在に」操る恐るべき人物であると警告する。
そしてルチャーノの前に現れたクリムトは驚くべき事実を明らかにする。ルチャーノは二ヶ月前に水難事故で死んでいるというのだ。そしてそれを甦らせてこの島に連れてきたのが博士なのだと。
ルチャーノの妻ソーニヤ Sonia は地震で倒壊した家の下敷きになって死んだのだが、その傍らには親友ラムバルド Rambaldo の骸があり、それは妻の不貞の証拠であった。主人公はその失意の旅の途上で遭難していたのだ。
クリムト博士はルチャーノにいう、この島の路上で二十年前のルチャーノ自身と妻に再会させようと。そして若きルチャーノ、妻ソーニヤとその母スペランツア夫人 Speranza 、さらに親友ラムバルドが島に到着する。
1918年5月、ミラノで初演。って、この不可思議な出来事のメカニズムについては全く何も説明はないんだよねえ。客がどのように受け止めたのかが気になるわっ。
いや、現代だと電脳世界で計算され操作される現実(「島」=「数値海岸」とか)複数の現実の重なりあいといった設定を仮構して、普通に読めてしまうんだけど、1918年の人は、どう納得していたのか。魔法?
そーゆー設定だと流せてたんかのお。いや、ニューウェーブ以前の人だと、納得でけん、これはSFやないっ(←あの、SFだと銘打ってるわけではないんですが…)といってそうやが、小松左京あたりはどうやったんかのお。
小松左京はイタリア文学でピランデルロなんやから、アントネッリも読んでそうやし、「哲学者の小径」の構想の一端には、こうした過去の自己との遭遇譚をスマートに表現する試みが含まれていた、ってことはないのかのお。
とりあえず、L'isola delle scimmie(猿が島)あたりもSFっぽい気がするので、ともかくイタリア文学研究者の方には改めてアントネッリに光をあてていただきたい。
ネットでみると義兄の下位春吉は2chにスレが立つほどの人気者だってのにびっくり、いや良く知らないけど下位英一先生も、もっと評価してあげてよ。調べればきっと面白いんじゃないかなあ。ともかくそこいらにころがっている文献によれば1901年生まれ。東京外国語学校伊語部卒。春吉を頼って1923年6月イタリアに私費留学。ナポリ東洋語学校で日本語を教授して1924年12月帰国。以後駐日イタリア大使館勤務(1928〜1940)を経て日本放送協会(1940〜1951)へ。NHK定年退職後に東京外国語大学非常勤講師となり、1962年4月に教授昇任、翌年3月に定年退官。…とあるわけだけが、なかなか突っ込みを誘発するデータでは。痒いところに手が届いていない感、大。あー、春吉研究で御親族に取材に行く人は、ぜひ英一さんのことも聞いといて、合わせて発表していただけるとうれしいね。
と、ここまで書いて、グロテスク劇の研究資料ってないのかと調べてみると、「同盟国イタリア大使館推奨のグロテスク劇」『キテレツ古本漂流記』1998年、青弓社(増補版『奇天烈!古本漂流記』2005年、筑摩書房)の存在が。大変失礼しました。「自分に出会つた男」のまじめな紹介文を読みたい人は、ここまでに書いてあったことは忘れて、同書にあたるのが吉。